現代日本紀行文学全集 東日本編 |
ほるぷ出版 |
1976(昭和51)年8月1日 |
1976(昭和51)年8月1日初版 |
汽車は大仁へ着いた。修善寺通ひの馬車はそこに旅人を待受けて居た。停車場を出ると、吾儕四人は直に馬車屋に附纏はれた。其日は朝から汽車に乘りつゞけて、最早乘物に倦んで居たし、それに旅のはじめで、伊豆の土を踏むといふことがめづらしく思はれた。吾儕は互に用意して來た金でもつて、出來[#「出來」は底本では「來出」]るだけ斯の旅を樂みたいと思つた。K君、A君、M君、揃つて出掛けた。私は煙草の看板の懸けてある小さな店を見つけて、敷島を二つ買つて、それから友達に追付いた。
「そろ/\腹が減つて來たネ。」
とK君は私を見て笑ひ乍ら言出した。大仁の町はづれで、復た/\馬車屋が追馳けて來たが、到頭吾儕は乘らなかつた。「なあに、歩いた方が反つて暖いよ。」斯うは言つても、其實吾儕はこの馬車に乘らなかつたことを悔ゐた。それほど寒い思をした。山々へは雪でも來るのかと思はせた。私の眼からは止處もなく涙が流れた。痛い風の刺激に逢ふと、必と私はこれだ。やがて山間に不似合な大きな建築物の見える處へ出て來た。修善寺だ。大抵の家の二階は戸が閉めてあつた。出歩く人々も少なかつた。吾儕がブル/″\震へながら、漸くのことである温泉宿へ着いた時は、早く心地の好い湯にでも入つて、凍えた身體を温めたい、と思つた。火。湯に入るよりも先づ其方だつた。
湯治に來て居る客も多かつた。部屋が氣に入らなくて、吾儕は帳場の上にある二階の一間に引越したが、そこでも受持の女中に頼んで長火鉢の火をドツサリ入れて貰つて、その周圍へ集つて暖つた。何となく氣は沈着かなかつた。
湯に入りに行く前、一人の女中が入つて來て、夕飯には何を仕度しやうと尋ねた。「御酒をつけますか。」斯う附添して言つた。
「あゝ、お爛を熱くして持つて來とくれ。」とK君が答へた。
「姉さん、それから御酒は上等だよ。」
吾儕の身體も冷えては居たが、湯も熱かつた。谷底の石の間から湧く温泉の中へ吾儕は肩まで沈んで、各自放肆に手足を伸ばした。そして互に顏を見合せて、寒かつた途中のことを思つて見た。
其日、吾儕の頭腦の内は朝から出逢つた種々雜多な人々で充たされて居た。咄嗟に過ぎる影、人の息、髮のにほひ――汽車中のことを考えると、都會の空氣は何處迄も吾儕から離れなかつた。吾儕は、枯々な桑畠や、淺く萌出した麥の畠などの間を通つて、こゝまで來たが、來て見ると斯の廣い湯槽の周圍へ集る人々は、いづれも東京や横濱あたりで出逢さうな人達ばかりである。男女の浴客は多勢出たり入つたりして居る。中には、男を男とも思はぬやうな顏付をして、女同志で湯治に來たらしい人達も居る。その人達の老衰した、萎びた乳房が、湯氣の内に朦朧と見える。吾儕は未だ全く知らない人の中へ來て居る氣はしなかつた。
湯から上つて、洋服やインバスの脱ぎ散してある部屋へ戻つた。これから行く先の話が出た。K君とA君とは地圖を持出した。其時吾儕は茶代の相談をした。
「何處へ行つて泊つても僕は茶代を先へ出したことが無い。」斯うK君が言つた。「何時でも發つ時に置く。待遇が好ければ多く置いて來るし、惡ければまた其樣にして來る。」
「僕も左樣だナ。」とA君も言つた。
兎に角、この雜踏した宿では先づ置くことにした。大船でサンドヰツチを買つた時から、M君は帳面方を引受けて居て呉れた。
こゝの女中も矢張東京横濱方面から來て居るものが多いといふ。夕飯には、吸物、刺身、ソボロ、玉子燒などが附いた。女中は堅肥りのした手を延ばして、皆なの盃へ酒を注いだ。
「汽車の中で君に稻妻小僧の新聞を出して見せた女があつたネ。あの女なぞは餘程面白かつた。僕は左樣思つて見て來た――あれで得意なんだネ。」
とK君は私の方を見て思出したやうに言つた。吾儕は樂しく笑ひ乍ら食つた。
宿帳はA君がつけた。A君は皆なの年齡を聞いて書いた。K君三十九、A君は三十五、M君三十、私は三十八だ。やがてK君は大蛇のやうに横に成つた。醉へば心地好ささうに寢て了ふのがK君の癖だ。殘る三人は、K君の鼾を聞きながら話し續けた。
翌朝頼んで置いた馬車が來た。吾儕は旅の仕度にいそがしかつた。仕度が出來ると、直に宿の勘定をした。
「K君、僕の方で拂はう。」と私が言つた。
「ナニ僕が出しとくよ。」とK君は懷中から紙入を出しながら答へた。
「ホウ、かゝりましたナ。」とA君は覗いて見た。
「隨分食つたからね。」とK君は笑つた。早速M君は手帳を取出した。
宿からは手拭を呉れた。A君の風呂敷包は地圖やら繪葉書やら腦丸やら、それから修善寺土産やらで急に大きく成つた。吾儕は宿の内儀さんや番頭に送られて、庭の入口からがた馬車に乘つて出掛けた。
天氣は好くても、風は刺すやうに冷かつた。K君、A君、M君、三人とも手拭で耳を掩ふやうにして、その上から帽子を冠つた。私の眼からは復た涙が流れて來た。車中の退屈まぎれに、吾儕は馬丁の喇叭を借りて戲れに吹いて見たが、そんなことから斯の馬丁も打解けて、路傍にある樹木の名、行く先/″\の村落を吾儕に話して聞かせた。斯うして狩野川の谷について、溯つた時は、次第に山深く進んで行つたことを感じた。ある村へさしかゝつた頃、吾儕は車の上から四十ばかりに成る旅窶れのした女に逢つた。其女は猿を負つて居た。馬車は驅せ過ぎた。
湯が島へ着いた。やがて晝近かつた。温泉宿のあるところ迄行くと、そこで馬丁は馬を止めた。吾儕はこの馬車に乘つて天城山を越すか、それともこゝで一晩泊るか、未定だつた。山上の激寒を畏れて、皆なの説は湯が島泊りの方に傾いた。
吾儕の案内された宿は谷底の樫の樹に隱れたやうな位置にあつた。其日は他に客もなくて、溪流に臨んだ二階の部屋を自由に擇ぶことが出來た。「夏は好いだらうね。斯樣なところへ一月ばかりも來て居たいね。」と互に言ひ合つた。天城の山麓だけあつて、寒いことも寒い。激しい山氣は部屋の内へ流れ込むので、障子を開放して置くことも出來ない位だつた。洋服で來たM君と私とは褞袍に浴衣を借りて着て、その上からもう一枚褞袍を重ねたが、まだ、それでも身體がゾク/\した。
こゝへ來ると、最早全く知らない人の中だ。北伊豆の北伊豆らしいところは、雜踏した修善寺に見られなくて、この野趣の多い湯が島に見られる。何もかも吾儕の生活とは懸離れて居る。湯は温かつたが後はポカ/\した。晝飯には鷄を一羽ツブして貰つた。肉は獸のやうに強かつた。骨は叩きやうが荒くて皆な齒を傷めた。しかし甘かつた。
「姉さん。」と私は山家者らしい女中に聞いて見た。「こゝは家の人だけでやつてるね……姉さんは矢張この家の人かね。」
「いゝえ、私はこゝの者ぢや御座いません。」と女中は答へた。
この娘の出て行つた後で、A君が、「修善寺に比べると女中からして違ふネ。吾儕の前へ來るとビク/″\してる。」斯う考深い眼付をして言つて居た。
日頃樫の樹に特別の興味を持つA君は誰よりも軒先に生ひ茂る青々とした葉の新しさを見つけた。この谷底の樫の樹を隔てゝ、どうかすると、雨でも降つて來たかと欺されるやうな氣のすることがあつた。よく聞けば矢張溪流の音だつた。この音から起る混交つた感覺は別の世界の方へ吾儕を連れて行つた。吾儕は遠く家を離れたやうな氣がした。
「全く世間を忘れたね。」
とK君は力を入れて言つた。
K君と私はこの宿の繪葉書を取寄せて書いた。私はそれをA君にも勸めた。
「僕は旅から出したことが無い。」とA君が言つた。「左樣かなあ、吾家へ一枚出すかなあ。」
「M君、君も母親さんのところへ出したら奈何です。」と私は言つて見た。
M君は繪葉書を眺め乍ら笑つた。「めづらしいことだ――必と誰かに教はつて寄した、なんて言ふだらうなあ。」
吾儕はこの二階で東京に居る人のことや、未だ互に若かつた時のことや、亡くなつた友達のことなどを語り合つた。K君は私の方を見て斯樣なことを言出した。
「僕の生涯には暗い影が近づいて來たやうな氣がするね、何となく斯う暗い可畏しい影が――君は其樣なことを思ひませんか。尤も、僕には兄が死んでる。だから餘計に左樣思ふのかも知れない。」
「君が死んだら、追悼會をしてやるサ。」と私は謔談半分に言つた。
「今は其樣な氣樂を言つてるけれど――。」とK君は大きな體躯を搖りながら笑つた。「彼時は彼樣なことを言つたツけナア、なんて言ふんだらう。」
到頭湯が島に泊ることに成つた。日暮に近い頃、吾儕は散歩に出た。門を出る時、私は宿の内儀さんに逢つた。「此邊には山芋は有りませんかね。」と私は内儀さんに尋ねて見た。
「ハイ、見にやりませう。生憎只今は何物も御座ません時でして――野菜も御座ませんし、河魚も捕れませんし。」と内儀さんは氣の毒さうに言ふ。
「芋汁が出來るなら御馳走して呉れませんか。」
斯う頼んで置いて、それから谷を一
りした。吾儕の爲に酒を買ひに行つた子供は、丁度吾儕が散歩して歸つた頃、谷の上の方から降りて來た。
夕方から村の人は温泉に集まつた。この人達はタヾで入りに來るといふ。夕飯前に吾儕が温まりに行くと、湯槽の周圍には大人や子供が居て、多少吾儕に遠慮する氣味だつた。吾儕は寧ろ斯の山家の人達と一緒に入浴するのを樂んだ。不相變、湯は温かつた。容易に出ることが出來なかつた。吾儕の眼には種々なものが映つた――激しく勞働する手、荒い茶色の髮、僅かにふくらんだばかりの處女らしい乳房、腫物の出來た痛さうな男の口唇……
夕飯には吾儕の所望した芋汁は出來なかつた。お菜は、鳥の肉の殘りと、あやしげな茶碗蒸と、野菜だつた。茶に臭氣のあるのは水の故だらうと言出したものがあつたが、左樣言はれると飯も同じやうに臭つた。こゝの女中が持つて來た宿帳の中には吾儕が知つて居る畫家の名もあつたので、雜談は復たそれから始まつた。晝の間寂しかつた溪流の音は騷然しく變つて來た。寢る前に吾儕はもう一ぱい入浴に行つた。
朝早く湯が島を發つた。吾儕を待つて居た馬車は、修善寺から乘せて來たのと同じで、馬丁も知つた顏だつた。天城の山の上まで一人前五十錢づゝ。夜のうちに霰が降つたと見えて、乘つて行く道路は白かつた。
「A君。」と私は膝を突き合せて居る友達の顏を眺めた。「斯うして天城を越すやうなことは、一生のうちに左樣幾度も有るまいね。」
「さうさナ、精々もう一度も來るかナ。なにしろまあ能く見て置くんだね。」
斯うA君が答へた。其日A君が興奮した精神の状態にあることを私はその力のある話振で知つた。朝日が寒い山の陰へ射つて來た。A君は高い響けるやうな聲を出して笑つた。
馬丁は馬車から降りて、馬の轡を執りながら歩いた。山の上までは斯うして馬に附いて行くといふ。彼は自分の財産を護るやうに――ある時は一人の友達を頼みにするやうに、馬を大事にした。馬も彼の言ふことを聞いて、脚に力を入れ、吾儕を乘せた重い車を牽きながら、御料林の中の山道を進んで行つた。
茅野といふ山村の入口で吾儕は三人ばかりの荒くれた女に逢つた。「ホウ、半鐘がありますぜ。斯樣なところに旅舍も有る――是次に來る時は是非あの旅舍で泊めて貰ふんだネ。」とA君は戲れるやうに言つた。この村の出はづれに枯々とした耕地があつて、向ふの方には屋根の低い小屋が見える。樵夫らしい男が通る。吾儕の馬車はそれから一層深く山の中へ入つた。
半道ばかりの間、吾儕は人に逢はなかつた。立木の儘枯れた大きな幹が行先の谷々に灰白く露出れて居た。馬丁に聞くと、杉の爲に壓倒された樅の枯木だといふ。この可畏しげな樹木の墓地の中を、一人、吾儕の方へ歩いて來る者があつた。男だ、いや女だ、と吾儕は車の中で爭つた。近いて見ると、樵夫の妻でゞもあるか、空脛に草鞋穿で、寒い山路を平氣で歩いて居た。其邊は水草の多い、澤深い處だつた。薄日をうけた齒朶の葉も大きく物凄く見えた。それぎり最早誰にも逢はなかつた。次第に吾儕は激しい寒さを感じて來た。K君はM君と、A君と私と、二人づゝ堅く膝を組合せ、身體の熱を通はせるやうにして、互に温め合つた。馬車は天城の谷に添ふて一里ばかり上つた。車中の人は言葉を交すことも少くなつた。皆な默つて了つた。
「K君、幽い谷だね。」と私は筋違に向ひ合つて居る友達の方を見て言出した。「景色が好いなんていふところを通越して、可畏しいやうな谷だね。」
K君は點頭いて熱心に眺め入つた。
「まるで冬だ。」とA君も震へながら言つた。「今だから、餘計に深いとこが能く見えるのかも知れませんナ。」
其時M君は車の上から、谷底を指して、落葉した木の名を馬丁に尋ねて見た。
「彼處に見えるのは、山毛欅に、欅ださうだ。」とA君はそれを傳へた。
「アヽ、あの黒いのが山毛欅で、白いのが必と欅ですぜ。」斯うA君が言つた。
吾儕は雪舟の畫などを引合に出して、眺めながら話して行つたが、そのうちに一人默り、二人默り、復た/\皆な默つて了つた。
峠に近づいた頃、馬車は氷を製造する小屋の側を通つた。そこで吾儕は二三人の働いて居る男に逢つた。
漸くのことで山上の小屋へ着いた。吾儕は馬車から下りた。何よりも先づ焚火にあてゝ貰つて、更にこれから湯が野まで乘るか、それとも歩いて下るか、とその相談をした。能く喋舌る老婦が居て、こゝで郵便物は毎日交換されるの、あの氷を製造して居るのは自分の旦那だの。とノベツに話した。吾儕は湯が野まで乘ることに定めた。馬丁は馬に食はせて、今度は自分も乘つて、氷柱の垂下つた暗い隧道を指して出掛けた。
隧道を出ると、やがて下りだつた。馬車は霜崩れのした崖の側を勢よく通過ぎた。時とすると吾儕の前には、大きな土の塊が横たはつて居た。其度に、馬丁は車から下て、土の塊を押除けて、それから馬を驅つた。例の灰色の枯木が突立つた山々は何時の間にか後に隱れた。吾儕は緑色の杉林を見て通つた。その色は木曾谿あたりに見られるやうな暗緑のそれでなくて、明るい緑だつた。半里ばかり下りた。いくらか温暖に成つた。道路には最早霰が消えかゝつて居た。
樂しい笑聲は馬車の中に起つた。
「成程すこし暖いや。」とA君が言出した。
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