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家(いえ)2 (下巻)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 10:50:37  点击:  切换到繁體中文



 お俊はお延と一緒に、風呂敷包を小脇(こわき)に擁(かか)えながら帰った。包の中には、ある呉服屋から求めて来た反物(たんもの)が有った。
「叔父さんに買って頂いたのを、お目に懸(か)けましょう」
 と娘達は言い合って、流行の浴衣地(ゆかたじ)を叔父の前に置いた。目うつりのする中から、思い思いに見立てて来た涼しそうな中形(ちゅうがた)を、叔父に褒(ほ)めて貰う積りであった。
「何だって、こんな華美(はで)なものを買って来るんだね」
 と叔父は気に入らなかった。 
「豊世姉さんだって随分華美なものを着るわねえ」
 こうお俊が従姉妹(いとこ)に言った。三吉はそれを聞いて、何故(なぜ)小泉の家が今日のように貧乏に成ったろうとか、何故娘達がそれを思わないだろうとか、何故旧い足袋(たび)を穿(は)いていても流行(はやり)を競うような量見に成るだろうとか、種々なヤカマしいことを言出した。
「でも、こういうもので無ければ、私に似合わないんですもの」
 とお俊は萎(しお)れた。
 やがて三吉は機嫌(きげん)を直して、お俊の父が金策の為に訪ねて来たことを話し聞かせた。その時お俊は自分の家の方の噂(うわさ)をした。丁度彼女が帰って行った日は、公売処分の当日であったこと、ある知人(しりびと)に頼んで必要な家具は買戻して貰ったこと――執達吏――高利貸――古道具屋――その他生活のみじめさを思わせるような言葉がこの娘の口から出た。
 三吉は家の内をあちこちと歩いた。最後の波に洗われて行く小泉の家が彼の眼に浮んだ。破産又た破産。幾度も同じ事を繰返して、その度(たび)に実の集めた道具は言うに及ばず、母が丹精(たんせい)して田舎(いなか)で織った形見の衣類まで、次第に人手に渡って了(しま)った。実の家では、長い差押(さしおさえ)の仕末をつけた上で、もっと屋賃の廉(やす)いところへ引移る都合である。
 話が両親のことに移ると、お俊は眼の縁を紅(あか)くした。彼女は涙なしに語れなかった。
「――母親(おっか)さんには、どうしても詫びることが出来ない。『母親さん、御免なさいよ』と口にはあっても……首は下げても……どうしても言葉には出て来ない」
 こんなことまで叔父に打開けて、済まないとは思いつつ、耳を塞(ふさ)いで、試験の仕度(したく)したことなどをも語った。話せば話すほど、お俊は涙が流れて来た。そして、娘らしい、涙に濡(ぬ)れた眼で、数奇(すうき)な運命を訴えるように、叔父の顔を見た。
 その晩、遅くなって、お俊は独(ひと)りで屋外(そと)へ出て行った。
「叔父さん、お俊姉さまは?」お延が聞いた。
「葉書でも出しに行ったんだろう」
 と三吉が答えていると、お俊はブラリと戻って来て、表の戸を閉めて入った。
「お俊姉さまは屋外(そと)で泣いてた」
「あら、泣きやしないわ」


「叔父さんは?」
「今まで縁側に腰掛けていらしってよ」
 こう娘達は言い合って、洋燈(ランプ)のもとで針仕事をひろげていた。翌(あく)る晩のことである。
 お俊はお延の着物を縫っていた。お延は又、時々従姉妹の方を眺(なが)めて、自分の着物がいくらかずつ形を成して行くことを嬉しそうにしていた。来(きた)る花火の晩には、この新しい浴衣を着て、涼しい大川の方へ行って遊ぼう、その時は一緒に森彦の旅舎(やどや)へ寄ろう、それから直樹の家を訪ねよう――それからそれへと娘達は楽みにして話した。
 曇った空ながら、月の光は地に満ちていた。三吉は養鶏所の横手から、雑木林の間を通って、ずっと岡の下の方まで、歩きに行って来た。明るいようで暗い樹木の影は、郊外の道路(みち)にもあった。植木屋の庭にもあった。自分の家の縁側の外にもあった。帰って来て、復(ま)た眺めていると、姪(めい)達はそろそろ寝る仕度を始めた。
「叔父さん、お先へお休み」
 と言いに来て、二人とも蚊帳(かや)の内へ入った。叔父は独りで起きていた。
 楽しい夜の空気はすべての物を包んだ。何もかも沈まり返っていた。樹木ですら葉を垂れて眠るように見えた。妙に、彼は眠られなかった。一旦(いったん)蚊帳の内へ入って見たが、復た這出(はいだ)した。夜中過と思われる頃まで、一枚ばかり開けた戸に倚凭(よりかか)っていた。
 短い夏の夜が明けると、最早(もう)立秋という日が来た。生家(さと)に居るお雪からは手紙で、酷(きび)しい暑さの見舞を書いて寄(よこ)した。別に二人の姪へ宛(あ)てて、留守中のことはくれぐれも宜しく頼む、と認(したた)めてあった。
 その日、お俊はすこし心地(こころもち)が悪いと言って、風通しの好い処へ横に成った。物も敷かずに枕をして、心臓のあたりを氷で冷した。お延は、これも鉢巻で、頭痛を苦にしていた。
 三吉は子供でも可傷(いたわ)るように、
「叔父さんは、病人が有ると心配で仕様が無い」
「御免なさいよ」
 とお俊は半ば身を起して、詫びるように言った。
 死んだ子供の墓の方へは、未だ三吉は行く気に成らないような心の状態(ありさま)にあった。時々彼は空(くう)な懐(ふところ)をひろげて、この世に居ない自分の娘を捜した……彼の虚(むな)しい手の中には、何物も抱締めてみるようなものが無かった……朝に晩に傍へ来る娘達が、もし自分の真実(ほんとう)の子供ででもあったら……この考えはすこし彼を呆(あき)れさせた。死んだお房のかわりに抱くとしては、お俊なぞは大き過ぎたからである。
 近所の人達は屋外(そと)へ出た。互に家の周囲(まわり)へ水を撒(ま)いた。叔父が跣足(はだし)で庭へ下りた頃は、お俊も気分が好く成ったと言って、台所の方へ行って働いた。夕飯過に、三吉は町から大きな水瓜(すいか)を買って戻って来た。思いの外(ほか)お俊も元気なので、叔父は安心して、勉めてくれる娘達を慰めようとした。燈火(あかり)を遠くした縁側のところには、お俊やお延が団扇(うちわ)を持って来て、叔父と一緒に水瓜を食いながら、涼んだ。
 女教師の家へも水瓜を分けて持って行ったお延は、やがて庭伝いに帰って来た。
「裏の叔父さんがなし、面白いことを言ったデ――『ああ、ああ、峯公(女教師の子息)も独りで富士登山が出来るように成ったか、して見ると私が年の寄るのも……』どうだとか、こうだとか――笑って了(しま)ったに」
 お延の無邪気な調子を聞くと、お俊は笑った。
 何時(いつ)の間にか、月の光が、庭先まで射し込んで来ていた。お延は早く休みたいと言って、独りで蚊帳の内へ入った。夜の景色が好さそうなので、三吉は前の晩と同じように歩きに出た。お俊も叔父に随(つ)いて行った。


 朝の膳(ぜん)の用意が出来た。お延は台所から熱いうつしたての飯櫃(めしびつ)を運んだ。お俊は自分の手で塩漬にした茄子(なす)を切って、それを各自(めいめい)の小皿につけて持って来た。
 三吉は直ぐ箸(はし)を執(と)らなかった。例(いつ)になく、彼は自分で自分を責めるようなことを言出した。「実に、自分は馬鹿らしい性質だ」とか、何だとか、種々なことを言った。
「これから叔父さんも、もっとどうかいう人間に成ります」
 こう三吉はすこし改まった調子で言って、二人の姪の前に頭を下げた。
 お俊やお延は笑った。そして、叔父の方へ向いて、意味もなく御辞儀をした。
 漸く三吉は箸を執り上げた。ウマそうな味噌(みそ)汁の香を嗅(か)いだ。その朝は、よく可笑(おか)しな顔付をして姪達を笑わせる平素(ふだん)の叔父とは別の人のように成った。死んだ子供等のことを思えば、こうして飯を食うのも難有(ありがた)いことの――実の家族が今日あるは、主に森彦の力である、お俊なぞはそれを忘れては成らないことの――朝飯の済んだ後に成っても、まだ叔父は娘達に説き聞かせた。
 こういう尤(もっと)もらしいことを言っている中にも、三吉が狼狽(あわ)てた容子(ようす)は隠せなかった。彼は窓の方へ行って、往来に遊んでいる子供等の友達、餌(え)を猟(あさ)り歩く農家の鶏などを眺めながら、前の晩のことを思ってみた。草木も青白く煙るような夜であった。お俊を連れて、養鶏所の横手から彼の好きな雑木林の道へ出た。月光を浴びながら、それを楽んで歩いていると、何処(どこ)で鳴くともなく幽(かす)かな虫の歌が聞えた。その道は、お房やお菊が生きている時分に、よく随いて来て、一緒に花を摘(と)ったり、手を引いたりして歩いたところである。不思議な力は、不図(ふと)、姪の手を執らせた。それを彼はどうすることも出来なかった。「こんな風にして歩いちゃ可笑しいだろうか」と彼が串談(じょうだん)のように言うと、お俊は何処までも頼りにするという風で、「叔父さんのことですもの」と平素(いつも)の調子で答えた。この「こんな風にして歩いちゃ可笑しいだろうか」が、彼を呆(あき)れさせた。
「馬鹿!」
 三吉は窓のところに立って、自分を嘲(あざけ)った。
 お俊やお延は中の部屋に机を持出した。「お雪叔母さん」のところへ手紙を書くと言って、互に紙を展(ひろ)げた。別に、お俊は男や女の友達へ宛てて送るつもりで、自分で画いた絵葉書を取出した。それをお延に見せた。
 お延はその絵葉書を机の上に並べて見て、
「お俊姉さま、私にも一枚画いておくんなんしょや」
 と従姉妹の技術を羨(うらや)むように言った。
 お俊に絵画を学ぶことを勧めたのは、もと三吉の発議であった。彼女の母親は、貧しい中にも娘の行末を楽みにして、画の先生へ通うことを廃(や)めさせなかった。幾年か彼女は花鳥の模倣を習った。三吉の家に来てから、叔父は種々な絵画の話をして聞かせて、直接に自然に見ることを教えようとした。次第に叔父はそういう話をしなく成った。
 庭の垣根のところには、鳳仙花(ほうせんか)が長く咲いていた。やがてお俊はそれを折取って来た。萎(しお)れた花の形は、美しい模様のように葉書の裏へ写された。その色彩がお延の眼を喜ばせた。
「叔父さん、見ちゃ厭(いや)よ」
 とお俊は、傍(そば)へ来た叔父の方を見て、自分の画いた絵葉書を両手で掩(おお)うた。
 学校の友達の噂から、復たお俊の話は引出されて行った。彼女は日頃崇拝する教師のことを叔父に話した。学校の先生に言わせると、この世には十の理想がある、それを合せると一つの大きな理想に成る――七つまでは彼女も考えたが、後の三つはどうしても未だ思い付かない、この夏休はそれで頭脳(あたま)を悩している。こんなことを言出した。お俊は附添(つけた)して、丁度(ちょうど)先生は「吾家(うち)の祖父(おじい)さん」のような人だと言った。先生と忠寛とは大分違うようだ、と三吉が相手に成ったのが始まりで、お俊は負けずに言い争った。
「へえ、お前達はそんな夢を見てるのかい」
 と叔父は言おうとしたが、それを口には出さなかった。彼は幅の広い肩を動(ゆす)って、黙って自分の部屋の方へ行って了った。


 夜が来た。
 屋外(そと)は昼間のように明るい。燐(りん)のような光に誘われて、復た三吉は雑木林の方まで歩きに行きたく成った。お俊は叔父に連れられて行った。
 やがて、三吉達が散歩から戻って来た頃は、最早(もう)遅かった。表の農家では戸を閉めて了った。往来には、大きな犬が幾つも寝そべって頭を持上げたり、耳を立てたりしていた。中には月あかりの中を馳出(かけだ)して行くのもあった。三吉は姪を庇護(かば)うようにして、その側を盗むように通った。表の門から入って、金目垣(かなめがき)と窓との狭い間を庭の方へ抜けると、裏の女教師の家でも寝た。三吉の家の方へ向いた暗い窓は、眼のように閉じられていた。
 深い静かな晩だ。射し入る月の光は、縁側のところへ腰掛けた三吉の膝(ひざ)を照らした。お俊は、従姉妹の側へ寝に行ったが、眼が冴(さ)えて了って眠られないと言って、白い寝衣(ねまき)のままで復た叔父の側へ来た。
 急に犬の群が竹の垣を潜(くぐ)って、庭の中へ突進して来た。互に囓合(かみあ)ったり、尻尾(しっぽ)を振ったりして、植木の周囲(まわり)を馳(か)けずり廻って戯れた。ふと、往来の方で仲間の吠(ほ)える声が起った。それを聞いて、一匹の犬が馳出して行った。他の犬も後を追って、復た一緒に馳出して行った。互に鳴き合う声が夜更(よふ)けた空に聞えた。
真実(ほんと)に――寝て了うのは可惜(おし)いような晩ねえ」
 と言って、考え沈んだ姪の側には、叔父が腰掛けて、犬の鳴声を聞いていた。叔父は犬のように震えた。
「まだ叔父さんは起きていらしッて?」とそのうちにお俊が尋ねた。
「アア叔父さんに関(かま)わずサッサと休んどくれ」
 と言われて、お俊は従姉妹の方へ行った。三吉は独りで自分の身体の戦慄(ふるえ)を見ていた。
 翌朝(よくあさ)になると、復た三吉は同じようなことを二人の姪の前で言った。「叔父さんも心を入替えます」とか、「俺もこんな人間では無かった積りだ」とか、言った。
「どうしたと言うんだ――一体、俺はどうしたと言うんだ」
 と彼は自分で自分に言って見て、前の晩もお俊と一緒に歩いたことを悔いた。
 容易に三吉が精神(こころ)の動揺は静まらなかった。彼は井戸端へ出て、冷い水の中へ手足を突浸(つきひた)したり、乾いた髪を湿したりして来た。
「オイ、叔父さんの背中を打って見ておくれ」
 こう言ったので、娘達は笑いながら叔父の背後(うしろ)へ廻った。
「どんなに強くても宜(よ)う御座んすか」とお俊が聞いた。
可(い)いとも。お前達の力なら……背中の骨が折れても関わない」
「後で怒られても困る」とお延は笑った。
 叔父は娘達に吩咐(いいつ)けて、「もうすこし上」とか、「もうすこし下」とか言いながら、骨を噛(か)まれるような身体の底の痛みを打たせた。
 日延に成った両国の川開があるという日に当った。お俊やお延は、森彦の旅舎(やどや)へも寄ると言って、午後の三時頃から出掛る仕度をした。そこへお俊の母お倉が訪ねて来た。お倉は、夫が頼んで置いた金を受取りに来たのであった。
母親(おっか)さん、御免なさいよ――着物を着ちまいますから」
 とお俊は母に挨拶(あいさつ)した。お延も従姉妹の側で新しい浴衣(ゆかた)に着更(きが)えた。
 お倉は三吉の前に坐って、娘の方を眺めながら、
「三吉叔父さんに好いのを買って頂いたネ。叔母さんの御留守居がよく出来るかしらん、そう言って毎日家で噂をしてる……学校の御休の間に、叔父さんの側に居て、種々(いろいろ)教えて頂くが好い……」
 三吉は嫂(あによめ)と姪の顔を見比べた。
真実(ほんと)に、御役にも立ちますまい。黙って見ていないで、ズンズン世話を焼いて下さい」
「母親さん、鶴ちゃんはどうしていて?」とお俊が立って身仕度をしながら尋ねた。
「アア、鶴ちゃんも毎日勉強してる」
 こうお倉は答えながら、娘の方へ行って、帯を締る手伝いをしたり、台所の方まで見廻りに行ったりした。
「叔父さん、リボンを見ておくんなんしょ」とお延が三吉の傍へ来た。
「私のも、似合いまして?」とお俊も来て、うしろむきに身を斜にして見せた。
 三吉は約束の金を嫂の前に置いた。お倉はそれを受取って、帯の間へ仕舞いながら、宗蔵の世話料をも頼むということや、正太がちょいちょい遊ぶということや、それから自分の夫が今度こそは好く行(や)って貰わなければ成らないということなどを話し込んだ。
 娘達は最早花火の音が聞えるという眼付をした。そこまでお倉を送って行こう、と催促した。
「母親さんは煙草を忘れて来た。一寸叔父さんに一服頂いて」
 お倉は弟が出した巻煙草に火を点(つ)けて、橋本の姉もどうしているかとか、大番頭の嘉助も死んだそうだとか、豊世を早く呼寄せるようにしなければ、正太の為(ため)にも成らないとか、それからそれへと話した。
「母親さん、早く行きましょうよ」とお俊はジレッタそうに。
「アア、今行く」と言って、お倉は弟の方を見て、「今度という今度は、それでも吾夫(やど)も懲(こ)りましたよ。私がツケツケ言うもんですからネ、『お前はイケナい奴(やつ)に成った、今まではもっと優(やさ)しい奴だと思っていた』なんて、吾夫がそう言って笑うんですよ……でも、貴方、今までのような大きな量見でいられると、失敗するのは眼に見えています。どの位私達が苦労をしたか分りませんからネ――真実(ほんと)に、三吉さんなぞは堅くて好い」
 三吉は額へ手を当てた。
 間もなくお倉は、種々と娘の世話を焼きながら、連立って出て行った。
 両国橋辺の混雑を思わせるような夕方が来た。三吉は燈火(あかり)も点けずに、薄暗い部屋の内に震えながら坐っていた。何となく可恐(おそろ)しいところへ引摺込(ひきずりこ)まれて行くような、自分の位置を考えた。今のうちに踏留(ふみとど)まらなければ成らない、と思った。しばらく忘れていた妻のことも彼の胸に浮んだ。次第に家の内は暗く成った。遠く花火の上る音がした。


「残暑きびしく候(そうろう)ところ、御地皆々さまには御機嫌(ごきげん)よく御暮し遊ばされ候由、目出度(めでたく)ぞんじあげまいらせ候。ばば死去の節は、早速雪子御遣(おつか)わし下され、ありがたく存じ候。御蔭さまにて法事も無事に相済み、その節は多勢の客などいたし申し候。それもこれも亡(な)き親の御蔭と存じまいらせ候。さて雪子あまり長く引留め申し、おん許様(もとさま)には何角(なにかと)御不自由のことと御察し申しあげ候。俊子様、延子様にも御苦労相掛け、まことに御気の毒とは存じ候えども、何分にも斯(こ)のお暑さ、それに種夫さん同道とありては帰りの旅も案じられ候につき、今すこしく冷(すず)しく相成り候まで当地に逗留(とうりゅう)いたさせたく、私より御願い申上げ※(まいらせそろ)。何卒(なにとぞ)々々悪(あ)しからず御思召(おぼしめし)下(くだ)されたく候――」
 三吉が名倉の母から手紙を受取った頃は、何となく空気も湿って秋めいて来た。お俊は叔父の側へ来て、余計に忸々(なれなれ)しく言葉を掛けた。
「叔父さん、今何事(なんに)も用が有りませんが、肩が凝るなら、按摩(あんま)さんでもして進(あ)げましょうか」
「沢山」
「すこし白髪(しらが)を取って進げましょうネ」
「沢山」
「叔父さんは今日はどうかなすって?」
「どうもしない――叔父さんを関わずに置いておくれ――お前達はお前達の為(す)ることを為(し)ておくれ――」
 例(いつ)になく厭(いと)い避けるような調子で言って、叔父が机に対(むか)っていたので、お俊はまた何か機嫌を損(そこ)ねたかと思った。手持不沙汰(てもちぶさた)に、勝手の方へ引返して行った。
「お俊姉様――兄様が御出(おいで)たぞなし」
 とお延が呼んだ。
 直樹が来た。相変らず温厚で、勤勉なのは、この少壮(としわか)な会社員だ。シッカリとした老祖母(おばあさん)が附いているだけに、親譲りの夏羽織などを着て、一寸訪ねて来るにも服装(みなり)を崩(くず)さなかった。三吉のことを「兄さん、兄さん」と呼んでいるこの青年は年寄にも子供にも好かれた。
 叔父は娘達を直樹と遊ばせようとしていた。こうして郊外に住む三吉は、自分で直樹の相手に成って、この弟のように思う青年の口から、下町の変遷を聞こうと思うばかりでは無かった。彼は二人の姪を直樹の傍へ呼んだ。黒い土蔵の反射、紺の暖簾(のれん)の香(におい)――そういうものの漂う町々の空気がいかに改まりつつあるか、高い甍(いらか)を並べた商家の繁昌(はんじょう)がいかに昔の夢と変りつつあるか、曾(かつ)て三吉が直樹の家に書生をしている時分には、名高い大店(おおだな)の御隠居と唄われて、一代の栄華を極(きわ)め尽したような婦人も、いかに寄る年波と共に、下町の空気の中へ沈みつつあるか――こういう話を娘達にも聞かせた。
「俊、大屋さんの庭の方へ、直樹さんを御案内したら可(よ)かろう」
 と叔父に言われて、お俊は花の絶えない盆栽棚(だな)の方へ、植木好な直樹を誘った。お延も一緒に随(つ)いて行った。
 若々しい笑声が庭の樹木の間から起った。三吉は縁側に出て聞いた。無垢(むく)な心で直樹や娘達の遊んでいる方を、楽しそうに眺めた。彼は、自分の羞恥(はじ)と悲哀(かなしみ)とを忘れようとしていた。
 やがて娘達は、庭の鳳仙花(ほうせんか)を摘(と)って、縁側のところへ戻って来た。白いハンケチをひろげて、花や葉の液を染めて遊んだ。鳳仙花は水分が多くて成功しなかった。直樹は軒の釣荵(つりしのぶ)の葉を摘って与えた。お俊は鋏(はさみ)の尻でトントン叩(たた)いた。お延の新しいハンケチの上には、荵の葉の形が鮮明(あざやか)に印(いん)された。
 暮れてから直樹は帰って行った。三吉は二人の姪に吩咐(いいつ)けて、新宿近くまで送らせた。


「俊は?」
 ある日の夕方、三吉は台所の方へ行って尋ねた。お延は茄子(なす)の皮を剥(む)いていた。
「姉様かなし、未だ帰って来ないぞなし」とお延は流許(ながしもと)に腰掛けながら答えた。
 一寸お俊は自分の家まで行って来ると言って、出た。帰りが遅かった。
「何とかお前に云ったかい」と叔父が心配そうに聞いた。
 お延は首を振って、復(ま)た庖丁(ほうちょう)を執(と)り上げた。茄子の皮は爼板(まないた)の上へ落ちた。
 待っても待ってもお俊は帰らなかった。夕飯が済んで、燈火(あかり)が点(つ)いても帰らなかった。八時、九時に成っても、未だ帰らなかった。
必(きっ)と今夜は泊って来る積りだ」
 と言って見て、三吉は表の門を閉めに行った。掛金(かけがね)だけは掛けずに置いた。十時過ぎまで待った。到頭お俊は帰らなかった。
 次第に三吉は恐怖(おそれ)を抱(いだ)くように成った。いつもお俊が風呂敷包の置いてあるところへ行ってみると、着物だの、書籍(ほん)だのは、そのままに成っているらしい。三吉はすこし安心した。自分の部屋へ戻った。
「俊は最早帰って来ないんじゃないか」
 夜が更(ふ)けるに随(したが)って、こんなことまで考えるように成った。
 壁には、お房の引延した写真が額にして掛けてある。洋燈(ランプ)の光がその玻璃(ガラス)に映った、三吉は火の影を熟(じっ)と視(み)つめて、何をお俊が母親に語りつつあるか、と想像してみた。近づいて見れば、叔父の三吉も、従兄弟(いとこ)の正太とそう大した変りが無い……低い鋭い声で、こう語り聞かせているだろうか。それは唯(ただ)考えてみたばかりでも、暗い、遣瀬(やるせ)ない心を三吉に起させた。
「俊はまた、何を間違えたんだ。俺はそんな積りじゃ無いんだ」
 臆病(おくびょう)な三吉は、こうすべてを串談(じょうだん)のようにして、笑おうと試みた。「叔父さん、叔父さん」と頼みにして来て、足の裏を踏んでくれるとか、耳の垢(あか)を取ってくれるとか、その心易(こころやす)だてを彼はどうすることも出来なかったのである。「結婚しない前は、俺もこんなことは無かった」こう嘆息して、三吉は寝床に就(つ)いた。
 翌朝(よくあさ)、お俊は帰って来た。彼女は別に変った様子も見えなかった。
「どうしたい」
 と叔父はお延の居るところで聞いた。彼は心の中で、よく帰って来てくれたと思った。
「なんだか急に父親(おとっ)さんや母親(おっか)さんの顔が見たく成ったもんですから……突然(だしぬけ)に家へ帰ったら、皆な驚いちゃって……」
 こう答えるお俊の手を、お延は娘らしく握った。お俊は皆なに心配させて気の毒だったという眼付をした。
 漸く三吉も力を得た。日頃義理ある叔父と思えばこそ、こうして働きに来てくれると、お俊の心をあわれにも思った。
 その日から、三吉はなるべく姪を避けようとした。避けようとすればするほど、余計に巻込まれ、蹂躙(ふみにじ)られて行くような気もした。彼は最早、苦痛なしに姪の眼を見ることが出来なかった。どうかすると、若い女の髪が蒸されるとも、身体(からだ)が燃えるともつかないような、今まで気のつかなかった、極(ご)く極く幽(かす)かな臭気(におい)が、彼の鼻の先へ匂って来る。それを嗅ぐと、我知らず罪もないものの方へ引寄せられるような心地がした。この勢で押進んで行ったら、自分は畢竟(つまり)どうなる……と彼は思って見た。
「俺は、もう逃げるより他に仕方が無い」
 到頭、三吉はこんな狂人(きちがい)じみた声を出すように成った。


 二人の前垂を持った商人(あきんど)らしい男が、威勢よく格子戸を開けて入って来た。一人は正太だ。今一人は正太が連れた来た榊(さかき)という客だ。
今日(こんにち)は」
 と正太はお俊やお延に挨拶して置いて、連(つれ)と一緒に叔父の部屋へ通った。
 お俊は茶戸棚の前に居た。客の方へ煙草盆を運んで行った従姉妹は、やがて彼女の側へ来た。
「延ちゃん、貴方(あなた)持って行って下さいな――私が入れますからネ」
 と言って、お俊は茶を入れた。
 客の榊というは、三島の方にある大きな醤油屋(しょうゆや)の若主人であった。不図(ふと)したことから三吉は懇意に成って、この人の家へ行って泊ったことも有った。十年も前の話。榊なら、それから忘れずにいる旧(ふる)い相識(しりあい)の間柄である。唯、正太と一緒に来たのが、不思議に三吉には思えた。そればかりではない、醤油蔵の白壁が幾つも並んで日に光る程の大きな家の若主人が、東京に出て仮に水菓子屋を始めているとは。加(おまけ)に、若い細君が水菓子を売ると聞いた時は、榊が戯れて言うとしか三吉には思われなかった。
「現に、私が買いに行きました」と正太が言出した。「私もネ、しばらく気分が悪くて、伏枕(ふせ)っていましたから、何か水気のある物を食べたいと思って買わせに遣(や)るうちに……どうも話の様子では、普通(ただ)の水菓子を売る家の内儀(おかみ)さんでは無い。聞いてみると、御名前が榊さんだ。小泉の叔父の話に、よく榊さんということを聞くが……もしや……と思って、私が自分で買いに行ってみました。果して叔父さんの御馴染(おなじみ)の方だ。それから最早こんなに御懇意にするように成っちゃったんです」
「橋本君とはスッカリお話が合って了って」と言って、榊は精悍(せいかん)な眼付をして、「先生――何処でどういう人に逢うか、全く解りませんネ」
 榊の「先生」は口癖である。
 正太は時々お俊の方を見た。「叔父さん、種々(いろいろ)御心配下さいましたが、裏の叔父さんから頼んで頂いた方はウマく行きませんでした。そのかわり、他の店に口がありそうです。実は榊君も私と同じように兜町を狙(ねら)っているんです」
 その日の正太は元気で、夏羽織なぞも新しい瀟洒(さっぱり)としたものを着ていた。「今にウンと一つ働いて見せるぞ」と彼の男らしい、どこか苦味(にがみ)を帯びた眼付が言った。彼は勃々(ぼつぼつ)とした心を制(おさ)えかねるという風に見えた。
 話の最中、三吉はこの甥(おい)の顔を眺めていると、
「あれ、兄さんがいけません」
 と鋭く呼ぶ姪の声を耳の底の方で聞くような気がした。
「丁度ここに同じような人間が二人揃(そろ)ったというものです」と榊は三吉と正太の顔を見比べた。「そう言っちゃ失敬ですが、橋本君だっても……御国の方で大きくやっていらしッたんでしょう……僕も、まあ、言って見れば、似たような境遇なんです」
 正太は良家に育った人らしい手で、膝の前垂を直して見た。
「ねえ、橋本君、そうじゃ有りませんか」と榊は言葉を継いで、「これから二人で手を携えて大に行(や)ろうじゃ有りませんか。僕もネ、今の水菓子屋なぞはホンの腰掛ですから、あの店は畳みます。いずれ家内は郷里の方へ帰します」
「多分、榊君の方が、私よりは先にある店へ入ることに成りましょう」と正太は叔父に話した。
 三島にある城のような家、三吉が寝た二階、入った風呂、上って見た土蔵、それから醤油を醸(かも)す大きな桶(おけ)が幾つも並んでいた深い倉――そういうものはどう成ったか。榊はそれを語ろうともしなかった。唯、前途を語った。やがて、若々しい、爽快(そうかい)な笑声を残して、正太と一緒に席を立った。
 玄関のところで、正太はお俊から帽子を受取りながら、
「延ちゃん、頭脳(あたま)の具合は?」
「ええ、もうスッカリ癒(なお)った」とお延は無邪気に笑った。
「お医者様が病気でも何でも無いッて、そう仰(おっしゃ)ったら、延ちゃんは薬を服(の)むのもキマリが悪く成ったなんて」とお俊は笑って、正太の方を見ずに、お延の方を見た。
「静かな田舎(いなか)から、こういう刺激の多い都会へ出て来るとネ」と正太も庭へ下りてから言った。
 叔父、甥、姪などの交換(とりかわ)した笑声は、客の耳にも睦(むつ)まじそうに聞えた。お延は自分が笑われたと思ったかして、袖で顔を隠した。お俊は着物の襟(えり)を堅く掻合(かきあわ)せていた。


 郊外の道路には百日紅(さるすべり)の花が落ちた。一夏の間、熱い寂しい思をさせた花が、表の農家の前には、すこし色の褪(さ)めたままで未だ咲いていた。実が住む町のあたりは祭の日に当ったので、お俊はお延を連れて、泊りがけに行く仕度をした。
「叔父さん、晩召上る物は用意して置きましたから」とお俊が言った。
「よし、よし、二人とも早くおいで。叔父さんが御留守居する――俺は独(ひと)りでノンキにやる」
 こう答えて、三吉はいくらかの小使を娘達にくれた。
 二人の姪は明日の七夕(たなばた)にあたることなどを言合って、互に祭の楽しさを想像しながら、出て行った。娘達を送出して置いて、三吉はぴッたり表の門を閉めた。掛金も掛けて了った。
 窓のところへ行くと、例の紅(あか)い花が日に萎(しお)れて見える。そのうちに三吉は窓の戸も閉めて了った。家の内は、寺院(おてら)にでも居るようにシンカンとして来た。
「これで、まあ、漸く清々(せいせい)した」
 と手を揉(も)みながら言ってみて、三吉は庭に向いた部屋の方へ行った。
 九月の近づいたことを思わせるような午後の光線は、壁に掛かった子供の額を寂しそうに見せた。そこには未だお房が居る。白い蒲団(ふとん)を掛けた病院の寝台(ねだい)の上に横に成って、大きな眼で父の方を見ている。三吉はその額の前に立った。光線の反射の具合で、玻璃(ガラス)を通して見える子供の写真の上には、三吉自身が薄く重なり合って映った。彼は自分で自分の悄然(しょんぼり)とした姿を見た。
 三吉は独りで部屋の内を歩いた。静かに過去ったことを胸に浮べた。この一夏の留守居は、夫と妻の繋(つな)がれている意味をつくづく思わせた。彼は、結婚してからの自分が結婚しない前の自分で無いに、呆(あき)れた。由緒(ゆいしょ)のある大きな寺院(おてら)へ行くと、案内の小坊主が古い壁に掛った絵の前へ参詣人(さんけいにん)を連れて行って、僧侶(ぼうさん)の一生を説明して聞かせるように、丁度三吉が肉体から起って来る苦痛は、種々な記憶の前へ彼の心を連れて行ってみせた。そして、家を持った年にはこういうことが有った、三年目はああいうことが有った、と平素(ふだん)忘れていたようなことを心の底の方で私語(ささや)いて聞かせた。それは殊勝気な僧侶の一代記のようなものでは無かった。どれもこれも女のついた心の絵だ。隠したいと思う記憶ばかりだ。三吉は、深く、深く、自分に呆れた。
 遠く雷の音がした。夏の名残(なごり)の雨が来るらしかった。


只今(ただいま)」
 お雪は種夫を抱きながら、車から下りた。下婢(おんな)も下りた。
「叔父さん、叔母さんが御帰りですよ」
 と二人の姪は、叔父を呼ぶやら、叔母の方へ行くやらして、門の外まで出て迎えた。二つの車に分けて載せてある手荷物は、娘達が手伝って、門の内へ運んだ。
「どうも長々難有(ありがと)う御座いました」
 と娘達に礼を言いながら、お雪は入口のところで車代を払って、久し振で夫や姪の顔を見た。
「種ちゃんもお腹(なか)が空(す)いたでしょう。先(ま)ず一ぱい呑みましょうネ」
 とお雪が懐をひろげた。三吉は子供のウマそうに乳を呑む音を聞きながら、「ああ、好いところへお雪が帰って来てくれた」と思った。
 娘達は茶を入れて持って来た。お雪は乾いた咽喉(のど)を霑(うるお)して、旅の話を始めた。やがて、汽船宿の扱い札などを貼付(はりつ)けた手荷物が取出された。
「父さん、済みませんが、この鞄(かばん)を解(ほど)いてみて下さいな。お俊ちゃん達に進(あ)げる物がこの中に入っている筈(はず)です――生家(うち)の父親さんはこんなに堅く荷造りをしてくれて」
 こうお雪が言った。
 幾年振かで生家(さと)の方へ行ったお雪は、多くの親戚から送られた種々な土産物(みやげもの)を持って帰って来た。これは名倉の姉から、これは※の姉からこれは※の妹から、とそこへ取出した。※は彼女が二番目の姉の家で※は妹のお福の家である。「名倉母より」とした土産がお俊やお延の前にも置かれた。
 この荷物のゴチャゴチャした中で、お雪は往復(いきかえり)の旅を混合(とりま)ぜて夫に話した。
「私が生家(うち)へ着きますとネ、しばらく父親さんは二階から下りて来ませんでしたよ。そのうちに下りて来て、台所へ行って顔を洗って、それから挨拶しました。父親さんは私の顔を見ると、碌(ろく)に物も言えませんでした……」
「余程嬉しかったと見えるネ」
「よくこんなに早く仕度して来てくれたッて、後でそう言って喜びました。私が行くまで、老祖母(おばあ)さんの葬式も出さずに有りましたッけ」
 お雪の話は帰路(かえり)のことに移って行った。出発の日は、姉妹(きょうだい)から親戚の子供達まで多勢波止場に集って別離(わかれ)を惜んだこと、妹のお福なぞは船まで見送って来て、漕ぎ別れて行く艀(はしけ)の方からハンケチを振ったことなぞを話した。お雪は又、やや躊躇(ちゅうちょ)した後で、帰路(かえり)の船旅を妹の夫と共にしたことを話した。
「へえ、勉さんが一緒に来てくれたネ」と三吉が言った。
商法(あきない)の方の用事があるからッて、※が途中まで送って来ました」
 お雪が勉のことを話す場合には、「福ちゃんの旦那(だんな)さん」とか、「※」とか言った。なるべく彼女は旧(ふる)いことを葬ろうとしていた。唯、親戚として話そうとしていた。それを三吉も察しないでは無かった。彼の方でも、唯、親戚として話そうとしていた。
 旅の荷物の中からは、お雪が母に造って貰った夏衣(なつぎ)の類が出て来た。ある懇意な家から餞別(せんべつ)に送られたという円(まる)みのある包も出て来た。
 まだ客のような顔をして、かしこまっていた下婢は、その包を眺めて、
※さんがそれを間違えて、『何だ、これは、水瓜(すいか)なら食え』なんて仰有(おっしゃ)って、船の中で解(ほど)いて見ましたッけ……」
「青い花瓶(かびん)……」
 とお雪は笑った。
 勉には、三吉も直接に逢(あ)っていた。以前彼が名倉の家を訪ねた時に、既に名のり合って、若々しい、才気のある、心の好さそうな商人を知った。
「どれ、御線香を一つ上げて」
 とお雪は仏壇の方へ行って、久し振で小さな位牌(いはい)の前に立った。土産の菓子や果物(くだもの)などを供えて置いて、復た姪の傍へ来た。
真実(ほんと)にお俊ちゃんも、御迷惑でしたろうねえ――さぞ、東京はお暑かったでしょうねえ――」
「ええ、今年の暑さは別でしたよ」
彼地(あちら)もお暑かったんですよ」 
 こんな言葉を親しげに交換(とりかわ)しながら、お雪は家の内を可懐(なつか)しそうに眺め廻した。彼女は、左の手の薬指に、細い、新しい指輪なども嵌(は)めていた。
 そのうちにお雪は旅で汚(よご)れた白足袋(たび)を脱いだ。彼女は台所の方へ見廻りに行って、自分が主に成って働き始めた。
 お俊が叔父や叔母に礼を述べて、自分の家をさして帰って行ったのは、それから二三日過ぎてのことであった。「すっかり私は叔父さんの裏面(うら)を見ちゃってよ――三吉叔父さんという人はよく解ってよ」こう骨を刳(えぐ)るような姪の眼の光を、三吉は忘れることが出来なかった。それを思う度(たび)に、人知れず彼は冷い汗を流した。彼は最早以前のように、苦痛なしに自分を考えられない人であった。同時に、他(ひと)をも考えられなく成って来た。家の生活で結び付けられた人々の、微妙な、陰影(かげ)の多い、言うに言われぬ深い関係――そういうものが重苦しく彼の胸を圧して来た――叔父姪、従兄妹(いとこ)同志、義理ある姉と弟、義理ある兄と妹…… 

        四

 三吉が家の横手にある養鶏所の側(わき)から、雑木林の間を通り抜けたところに、草地がある。緩慢(なだらか)な傾斜は浅い谷の方へ落ちて、草地を岡の上のように見せている。雑木林から続いた細道は、コンモリとした杉の木立の辺(ほとり)で尽きて、そこから坂に成った郊外の裏道が左右に連なっている。馬に乗った人なぞがその道を通りつつある。
 武蔵野(むさしの)の名残(なごり)を思わせるような、この静かな郊外の眺望の中にも、よく見れば驚くべき変化が起っていた。植木畠(ばたけ)、野菜畠などはドシドシ潰(つぶ)されて了(しま)った。土は掘返された。新しい家屋が増(ふ)えるばかりだ。
 三吉はこの草地へ来て眺(なが)めた。日のあたった草の中では蟋蟀(こおろぎ)が鳴いていた。山から下りて来たばかりの頃には、お菊はまだ地方に居る積りで、「房ちゃん、御城址(ごじょうし)へ花摘(と)りに行きましょう」などと言って、姉妹で手を引き合いながら、父と一緒に遊びに来たものだった。お繁は死に、お菊は死に、お房は死んだ。三吉は、何の為に妻子を連れてこの郊外へ引移って来たか。それを思わずにいられなかった。つくづく彼は努力の為(な)すなきを感じた。
 遠い空には綿のような雲が浮んだ。友人の牧野が住む山の方は、定めし最早(もう)秋らしく成ったろうと思わせた。三吉は眺め佇立(たたず)んで、更に長い仕事を始めようと思い立った。
 新宿の方角からは、電車の響が唸(うな)るように伝わって来る。丁度、彼が寂しい田舎(いなか)に居た頃、山の上を通る汽車の音を聞いたように、耳を※立(そばだ)てて町の電車の響を聞いた。山から郊外へ、郊外から町へ、何となく彼の心は響のする方へ動いた。それに、子供等の遊友達を見ると、思出すことばかり多くて、この静かな土地を離れたく成った。彼は町の方へ家を移そうと考えた。そのゴチャゴチャした響の中で、心を紛(まぎらわ)したり、新規な仕事の準備(したく)に取掛ったりしようと考えた。
 家を指して、雑木林(ぞうきばやし)の間を引返して行くと、門の内に家の図を引いている人がある。やはりこの郊外に住む風景画家だ。お雪は入口のところに居て、どの窓がどの方角にあるなどと話し聞かせていた。
 風景画家は洋服の袖隠(かくし)から磁石(じしゃく)を取出した。引いた図の方角をよく照らし合せて見て、ある家相を研究する人のことを三吉に話した。あまり子が死んで不思議だ、家相ということも聞いてみ給え、これから家を移すにしても方角の詮議(せんぎ)もしてみるが可(い)い、こう言って、猶(なお)この家の図は自分の方から送って置く、と親切な口調で話して行った。
「ああいう画を描く人でも、方角なぞを気にするかナア」
 と三吉は言ってみたが、しかし家の図までも引いて行ってくれる風景画家の志は難有(ありがた)く思った。
 お雪は夫の方を見て、
「貴方のように関(かま)わなくても困る。人の言うことも聞くもんですよ。山を発(た)つ時にも、日取が悪いから、一日延ばせというものを無理に発ったりなんかして、だからあんな不幸が有るなんて、後で近所の人に言われたりする……それはそうと、何だか私はこの家に居るのが厭(いや)に成った」
 こう言う妻の為にも、三吉は家を移そうと決心した。
 信心深い植木屋の人達は又、早く三吉の去ることを望んだ。何か、彼が禍(わざわい)を背負って、折角(せっかく)新築した家へケチを付けにでも来たように思っていた。それを聞くにつけても、三吉は早く去りたかった。


 外濠線(そとぼりせん)の電車は濠に向った方から九月の日をうけつつあった。客の中には立って窓の板戸を閉めた人もあった。その反対の側に腰掛けた三吉は、丁度家を探し歩いた帰りがけで、用達(ようたし)の都合でこの電車に乗合わせた。彼は森彦の旅舎(やどや)へも寄る積りであった。
 昇降(のりおり)する客に混って、二人の紳士がある停留場から乗った。
「小泉君」
 とその紳士の一人が声を掛けた。三吉は幾年振かで、思いがけなく大島先生に逢った。
 割合に込んだ日で、大島先生は空(す)いたところへ行って腰掛けた。三吉と反対の側に乗ったが、連があるのと、客を隔てたのとで、互に言葉も替(かわ)さなかった。二人は黙って乗った。
 大島先生は、一夏三吉が苦しんだ熱い思を、幾夏も経験したような人であった。細君に死別れてから、先生は悲しい噂(うわさ)ばかり世に伝えられるように成った。改革者のような熱烈な口調で、かつて先生が慷慨(こうがい)したり痛嘆したりした声は、皆な逆に先生の方へ戻って行った。正義、愛、美しい思想――そういう先生の考えたことや言ったことは、残らず葬られた。正義も夢、愛も夢、美しい思想も夢の如(ごと)くであった。唯(ただ)、先生には変節の名のみが残った。昔親切によく世話をして遣(や)った多くの後輩の前にも、先生は黙って首を垂れて、「鞭韃(むちう)て」と言わないばかりの眼付をする人に成った。旧(ふる)い友達は大抵先生を捨てた。先生も旧い友達を捨てた。
 以前に比べると、大島先生はずっと肥った。服装(みなり)なども立派に成った。しかし以前の貧乏な時代よりは、今日の方が幸福(しあわせ)であるとは、先生の可傷(いたま)しい眼付が言わなかった。
 この縁故の深い、旧時(むかし)恋しい人の前に、三吉は考え沈んで、頭脳(あたま)の痛くなるような電車の響を聞いていた。先生の書いたもので思出す深夜の犬の鳴声――こんな突然(だしぬけ)に起って来る記憶が、懐旧の情に混って、先生のことともつかず、自分のことともつかず、丁度電車の窓から見える人家の窓や柳の葉のように、三吉の胸に映ったり消えたりした。
 そのうちに、三吉は大島先生の側へ行って腰掛けることが出来た。先生は重い体躯(からだ)を三吉の方へ向けて、手を執(と)らないばかりの可懐(なつか)しそうな姿勢を示したが、昔のようには語ろうとして語られなかった。
「オオ、鍛冶橋(かじばし)に来た」
 と先生はあわただしく起立(たちあが)って、窓から外の方の市街を見た。
「もう御降りに成るんですか」と三吉も起上った。
「小泉君、ここで失敬します」
 という言葉を残して置いて、大島先生は電車から降りた。
吾儕(われわれ)に媒酌人(なこうど)をしてくれた先生だったけナア」
 こう思って、三吉が見送った時は、酒の香にすべての悲哀(かなしみ)を忘れようとするような寂しい、孤独な人が連の紳士と一緒に柳の残っている橋の畔(たもと)を歩いていた。
 電車は通り過ぎた。


「小泉さんはおいでですか」
 三吉は森彦の旅舎(やどや)へ行って訪ねた。そこでは内儀(おかみ)さんが変って、女中をしていた婦人が丸髷(まるまげ)に結って顔を出した。
 電話口に居た森彦は、弟の三吉と聞いて、二階へ案内させた。部屋にはお俊も来合せていた。森彦は電話の用を済まして、別の楼梯(はしごだん)から上って来た。
 三吉はお俊と不思議な顔を合せた。殊(こと)に厳格な兄の前では、いかにも姪(めい)の女らしい黙って視ているような様子がツラかった。彼は、夏中手伝いに来ていて貰った時のような、親しい、楽々とした気分で、この娘と対(むか)い合うことが出来なかった。何となく堅くなった。
「森彦叔父さん、私は学校の帰りですから」とお俊が催促するように言った。
「そうかい。じゃ着物は宜しく頼みます。母親(おっか)さんにそう言って、可いように仕立てて貰っておくれ」
 旅舎生活(やどやずまい)する森彦は着物の始末をお俊の家へ頼んだ。お俊は長い袴(はかま)の紐(ひも)を結び直して、二人の叔父に別れて行った。
 漸(ようや)く三吉は平常(いつも)の調子に返って、一日家を探し歩いたことを兄に話した。直樹(なおき)が家の附近は、三吉も少年時代から青年時代へかけての記憶のあるところで、同じ町中を択(えら)ぶとすれば、なるべく親戚や知人にも近く住みたい。それには、旧時(もと)直樹の家に出入した人の世話で、一軒二階建の家を見つけて来た。こんな話をした。
「時に、延もお愛ちゃんの学校へ通わせることにしました」と三吉が言った。「その方があの娘(こ)の為めにも好さそうです」
 森彦は自分の娘が兄の娘に負けるようでは口惜(くや)しいという眼付をした。
「まあ、学校の方のことは、お前に任せる……俺の積りでは、延に語学をウンと遣らせて、外交官の細君に向くような娘を造りたいと思っていた。行く行くは洋行でもさせたい位の意気込だった……」
「娘の性質にもありますサ」
「俺の娘なら、もうすこし勇気が有りそうなものだ。存外ヤカなもんだ」
 と森彦は田舎訛(いなかなまり)を交えて、自分の子が自分の自由に成らないに、歎息した。
「実さんの家でも越すそうじゃ有りませんか」
「そうだそうな。どうも兄貴にも困りものだよ。一応俺に相談すればあんな真似(まね)はさせやしなかった。その為に俺の仕事まで、どれ程迷惑を蒙(こうむ)ったか知れない。ああいう兄貴の弟だ――直ぐそれを他(ひと)に言われる。実に、油断も間隙(すき)もあったもんじゃ無い。どうだ、そのうちに一度兄貴の家へ集まるまいか。どうしても東京に置いちゃ不可(いかん)……満洲の方にでも追って遣らにゃ不可……今度行ったら、俺がギュウという目に逢わせてくれる」
 小泉の家の名誉と、実の一生とを思うのあまり、森彦は高い調子に成って行った。この兄は、充実した身体(からだ)の置場所に困るという風で、思わず言葉に力を入れた。その飛沫(とばしり)が正太にまで及んで行った。兜町(かぶとちょう)で儲(もう)けようなどとは、生意気な、という語気で話した。正太は幼少の頃、この兄の手許(てもと)へ預けられたことが有るので、どうかすると森彦の方ではまだ子供のように思っていた。
 部屋の障子の開いたところから、青桐(あおぎり)の葉が見える。一寸(ちょっと)三吉は廊下へ出て、町々の屋根を眺めた。
「お前が探して来た家は、二階があると言ったネ。二階も好いが、子供にはアブナイぞ。橋本の仙(正太の妹)なぞは幼少(ちいさ)い時分に楼梯(はしごだん)から落ちて、それであんな風に成った――夫婦は二階で寝ていて知らなかったという話だ――」
「でも、お仙さんは、房ちゃんと同じ病気をしたと云うじゃ有りませんか」
「何でも俺はそういう話を聞いた」
 三吉は森彦の前へ戻って、眼に見えない二階の方を見るように、しばらく兄の顔を見た。
 間もなく三吉はこの二階を下りた。旅舎を出てから、「よく森彦さんは、ああして長く独(ひと)りで居られるナア」と思ってみた。電車で新宿まで乗って、それから樹木の間を歩いて行くと、諸方(ほうぼう)の屋根から夕餐(ゆうげ)の煙の登るのが見えた。三吉は家の話を持って、妻子の待っている方をさして急いだ。

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