車が門の前で停(とま)った。正太はそれから飛降りて、閉めてあった扉(と)を押した。「延ちゃん、皆な帰って来ましたよ」正太が入口の格子戸を開けて呼んだ。それを聞きつけて、お延は周章(あわ)てて出た。丁度森彦も来合せていて、そこへ顔を顕(あら)わした。
「到頭房もいけなかったかい」
「ええ、今朝……払暁(あけがた)に息を引取ったそうです……皆な、今、そこへ来ます」
森彦と正太とは、こう言合って、互に顔を見合せた。
間もなく三台の車が停った。お雪は乳呑児(ちのみご)を抱いて二週間目で自分の家へ帰って来た。下婢(おんな)も荷物と一緒に車を降りた。つづいて、三吉が一番年長(うえ)の兄の娘、お俊も、降りた。
三吉の車は一番後に成った。日の映(あた)った往来には、お房の遊友達が立留って、ささやき合ったり、眺(なが)めたりしていた。黒い幌(ほろ)を掛けて静かに引いて来た車は、その娘達の見ている前で停った。
「叔父さん、手伝いましょうか」
と正太が車の側へ寄った。
お房は茶色の肩掛に包まれたまま、父の手に抱かれて来た。グタリとした子供の死体を、三吉は車から抱下(だきおろ)して、門の内へ運んだ。
仏壇のある中の部屋の隅には、人々が集って、お房の為に床を用意した。そこへ冷くなった子供を寝かした。顔は白い布で掩(おお)うた。
「ホウ、こうして見ると、思いの外(ほか)大きなものだ……どうだネ、膝(ひざ)は曲げて遣(や)らなくても好かろうか」と森彦が注意した。
「子供のことですから、このままで棺に納まりましょう」と正太を眺めた。
「でも、すこし曲げて置いた方が好いかも知れません」
こう三吉は言ってみて、娘の膝を立てるようにさせた。氷のようなお房の足は最早自由に成らなかった。それを無理に折曲げた。お俊やお延は、水だの花だのを枕頭(まくらもと)へ運んだ。丁度、お雪が二番目の妹のお愛も、学校の寄宿舎から訪ねて来た。この娘は姉の傍へ寄って、一緒に成って泣いた。
午後には、裏の女教師が勝手口から上って、子供の死顔を見に来た。
「真実(ほんと)に、何とも申上げようが御座いません……小泉さんは、まだそれでも男だから宜(よ)う御座んすが、こちらの叔母さんが可哀そうです」と女教師は言った。
お房が病んだ熱は、腸から来たもので無くて、実際は脳膜炎の為であった。それをお雪は女教師に話し聞かせた。白痴児(はくちじ)として生き残るよりは、あるいはこの方が勝(まし)かも知れない、と人々は言合った。
黄色く日中に燃(とぼ)る蝋燭(ろうそく)の火を眺めながら、三吉は窓に近い壁のところに倚凭(よりかか)っていた。
「叔父さん、お疲れでしょう」と正太は三吉の前に立った。
「なにしろ、君、初(はな)の一週間は助けたい助けたいで夜も碌(ろく)に眠らないでしょう。後の一週間は、子供の側に居るのもこれかぎりか、なんと思って復た起きてる……終(しまい)には、半分眠りながら看護をしていましたよ。すこし身体を横にしようものなら、直にもう死んだように成って了って……」
「私なぞも、どうかすると豊世に子供でも有ったら、とそう思うことも有りますが、しかし叔父さんや叔母さんの苦むところを見ていますと、無い方が好いかとも思いますネ」
「正太さん、煙草を持ちませんか。有るなら一本くれ給えな」
正太は袂(たもと)を探った。三吉は甥がくれた巻煙草に火を点(つ)けて、それをウマそうに燻(ふか)してみた。葬式の準備やら、弔辞(くやみ)を言いに来る人が有るやらで、家の内は混雑(ごたごた)した。三吉は器械のように起(た)ったり坐ったりした。
葬式の日は、親類一同、小さな棺の周囲(まわり)に集った。三吉が往時(むかし)書生をしていた家の直樹も来た。この子息(むすこ)は疾(とっく)に中学を卒業して、最早少壮(としわか)な会社員であった。
お俊も来た。
「叔父さん、今日は吾家(うち)の阿父(おとっ)さんも伺う筈(はず)なんですが……伺いませんからッて、私が名代(みょうだい)に参りました」とお俊は三吉に向って、父の実が謹慎中の身の上であることを、それとなく言った。
その日は、お愛も長い紫の袴(はかま)を着けて来た。こうして東京に居る近い親類を見渡したところ、実を除いての年長者は、さしあたり森彦だ。森彦は、若い人達の発達に驚くという風で、今では学校の高等科に居るお俊や、優美な服装をしたお愛などに、自分の娘を見比べた。
正太は花を買い集めて来た。眠るようなお房の顔の周囲(まわり)はその花で飾られた。「お雪、房ちゃんの玩具(おもちゃ)は一緒に入れて遣ろうじゃないか」と三吉が言えば、「そうです、有ると反(かえ)って思出して不可(いけない)」と正太も言って、毬(まり)だの巾着(きんちゃく)だのを棺の隅々(すみずみ)へ入れた。
「余程毛糸が気に入ったものと見えて、眼が見えなく成っても、未だ毛糸のことを言っていました」とお雪は、病院に居る間、子供に買ってくれた物を取出した。
「それも入れて遣れ」
一切が葬られた。やがてお房は二人の妹の墓の方へ送られた。お雪は門の外へ出て、小さな棺の分らなくなるまでも見送った。「最早お房は居ない」こう思って、若葉の延びた金目垣(かなめがき)の側に立った時は、母らしい涙が流れて来た。お雪は家の内へ入って、泣いた。
山から持って来た三吉の仕事は意外な反響を世間に伝えた。彼の家では、急に客が殖(ふ)えた。訪ねて来る友達も多かった。しかし、主人(あるじ)は居るか居ないか分らないほどヒッソリとして、どうかすると表の門まで閉めたままにして置くことも有った。
三吉は最早、子供なぞはどうでも可いと言うことの出来ない人であった。多くの困難を排しても進もうとした努力が、どうしてこんな悲哀(かなしみ)の種に成るだろう、と彼の眼が言うように見えた。「彼処(あすこ)に子供が三人居るんだ」――この思想(かんがえ)に導かれて、幾度(いくたび)か彼の足は小さな墓の方へ向いた。家から墓地へ通う平坦(たいら)な道路(みち)の両側には、すでに新緑も深かった。到る処の郊外の日あたりに、彼は自分の心によく似た憂鬱(ゆううつ)な色を見つけた。しかし彼は、寺の周囲(まわり)を彷徨(さまよ)って来るだけで、三つ並んだ小さな墓を見るに堪(た)えなかった。それを無理にも行こうとすれば、頭脳(あたま)がカッと逆上(のぼ)せて、急に倒れかかりそうな激しい眩暈(めまい)を感じた。いつでも寺の前まで行きかけては、途中から引返した。
「父さんは薄情だ。子供の墓へ御参りもしないで……」
とお雪はよくそれを言った。
寄ると触ると、家では子供の話が出た。何時の間にか三吉の心も、家のものの話の方へ行った。
お雪は姪(めい)をつかまえて、夫の傍で種夫に乳を呑ませながら、
「繁ちゃんの亡くなった時は、まだ房ちゃんは何事(なんに)も知りませんでしたよ。でも、菊ちゃんの時には最早よく解っていましたッけ――あの時は皆な一緒に泣きましたもの」
「なアし」とお延も思出したように、「あれを思うと、房ちゃんが眼に見えるようだ」
「真実(ほんと)に、繁ちゃんの時は皆な夢中でしたよ――私が、『御覧なさいな、繁ちゃんはノノサンに成ったんじゃ有りませんか』と言えば、房ちゃんと菊ちゃんとも平気な顔して、『死んじゃったのよ、死んじゃったのよ』と言いながら、棺の周囲(まわり)を踊って歩きましたよ。そして、死んだ子供の側へ行って、噴飯(ふきだ)すんですもの」
「まあ」
「しかし、二人とも達者でいる時分には、よく繁ちゃんの御墓へ連れて行って、桑の実を摘(と)って遣(や)りましたッけ。繁ちゃんの桑の実だからッて教えて置いたもんですから、行くと――繁ちゃん桑の実頂戴(ちょうだい)ッて断るんですよ。そうしちゃあ、二人で頂くんです……あの御墓の後方(うしろ)にある桑の樹は、背が高いでしょう。だもんですから、母さん摘って下さいッて言っちゃあ……」
「オイ、何か他の話にしようじゃないか」
と三吉が遮(さえぎ)った。子供の話が出ると、必(きっ)と終(しまい)には三吉がこう言出した。
「種ちゃん」お延はアヤすように呼んだ。
「この子は又、どうしてこんなに弱いんでしょう」とお雪は種夫の顔を熟視(みまも)りながら言った。
蹂躙(ふみにじ)られるような目付をして、三吉も種夫の方を見た。その時、夫婦は顔を見合せた。「ひょッとかすると、この児も?」この無言の恐怖が互の胸に伝わった。三人の娘達を見た目で弱い種夫を眺めると、十分な発育さえも気遣(きづか)われた。
急に日が強く映(あた)って来た。すこし湿った庭土は、熱い、黄ばんだ色を帯びた。木犀(もくせい)の葉影もハッキリと地にあった。三吉は帽子を手にして、そこいらを散歩して来ると言って、出て行った。
「そう言えば、繁ちゃんの肉体(からだ)は最早腐って了ったんでしょうねえ」
とお雪は姪に言って、歎息(たんそく)した。彼女は乳呑児を抱きながら縁側のところへ出て眺めた。日光は輝いたり、薄れたりするような日であった。お延は庭へ下りた。菫(すみれ)の唱歌を歌い出した。それはお房やお菊が未だピンピンしている時分に、二人して家の周囲(まわり)をよく歌って歩いたものである。お雪は、死んだ娘の声を探すような眼付して、一緒に低い声で歌って見た。勝手口の方でも調子を合せる声が起った。
夕方に三吉はボンヤリ帰って来た。
「何だか俺は気でも狂(ちが)いそうに成って来た。一寸磯辺(いそべ)まで行って来る」
こう家のものに話した。その晩、急に彼は旅行を思い立った。そして、そこそこに仕度を始めた。山にある友人の牧野からは休みに来い来いと言って寄(よこ)すが、その時は唯(ただ)一人で、世間を忘れるようなところへ行きたかった。翌朝(よくあさ)早く、彼は磯辺の温泉宿を指して発(た)って行った。
「あれ、叔父さんは最早(もう)帰って御出(おいで)たそうな」
とお延は入口の庭に立って言った。
お雪が生家(さと)の方で老祖母(おばあさん)の死去したという報知(しらせ)は、旅にある三吉を驚かした。二三日しか彼は磯辺に逗留(とうりゅう)しなかった。電報を受取ると直ぐ急いで家の方へ引返して来た。
「種ちゃん、父さんの御帰りだよ」とお雪も乳呑児を抱きながら、夫を迎えた。
「よく、こんなに早く帰られましたネ、皆な貴方のことを心配しましたよ」
「道理で、森彦さんからも見舞の電報を寄した。どうも変だと思った――俺は又、お前の方を案じていた」
ホッと溜息(ためいき)を吐(つ)いて三吉は老祖母の話に移った。
この老祖母の死は、今更のように名倉(なくら)の大きな家族のことを思わせた。別に竈(かまど)を持った孫娘だけでも二人ある。まだ修業中の孫から、多勢の曾孫(ひいまご)を加えたら、余程の人数に成る。お雪ばかりは、その中でも、遠く嫁(かたづ)いて来た方であるが、この葬式は是非とも見送りたかった。三吉は又、種夫に下婢(おんな)を附けて一緒に遣るつもりで帰って来た。
「さあ、今度はお前が出掛ける番だ」と三吉が言った。「でも、俺の仕事が済んだ後で好かった……買う物があったら買ったら可(よ)かろう。何か土産(みやげ)も用意して行かんけりゃ成るまい」
「土産なんか要(い)りません。一々持って行った日にゃ大変です」
お雪は妹だの、姪だのを数えてみた。
久し振で生家(さと)へ帰る妻の為にと思って、三吉は名倉の娘達の許(もと)へ何か荷物に成らない物を見立てようとした。旅費を用意したり、買物したりして、夫が町から戻って来る頃は、妻は旅仕度に忙しかった。
あわただしい中にも、種々なことがお雪の胸の中を往来した。長い年月の間、夫と艱難(かんなん)を共にした後で、彼女は自分の生家を見に行く人である。今まで殆んど出なかった家を出、遠く夫を離れて、両親や姉妹(きょうだい)やそれから友達などと一緒に成りに行く人である。光る帆、動揺する波、鴎(かもめ)の鳴声……可懐(なつか)しいものは故郷の海ばかりでは無かった。曾(かつ)て、彼女が心を許した勉(つとむ)――その人を自分の妹の夫としても見に行く人である。
「叔母さん、御郷里(おくに)へ御帰り?……御取込のところですネ」
こう言って、翌朝(よくあさ)正太が訪ねて来た頃は、手荷物だの、子供の着物だのが、部屋中ごちゃごちゃ散乱(とりちら)してあった。
「正太さん、御免なさいまし」とお雪は帯を締めながら挨拶(あいさつ)した。
「どれ、子供をここへ連れて来て見ナ」
と三吉に言われて、下婢はそこに寝かしてあった種夫を抱いて来た。
「余程気をつけて連れて行かないと、不可(いけない)ぜ」
「よくああして温順(おとな)しく寝ていたものだ」と正太も言った。
「まだ、君、毎日浣腸(かんちょう)してますよ。そうしなけりゃ通じが無い……玩具(おもちゃ)でも宛行(あてが)って置こうものなら、半日でも黙って寝ています。房ちゃん達から見ると、ずっとこの児は弱い」
「これで御郷里(おくに)の方へでも連れていらしッたら、また壮健(じょうぶ)に成るかも知れません」
「まあ、一夏も向(むこう)に居て来るんです」
「真実(ほんと)に叔母さんも御苦労様――女の旅は容易じゃ有りませんネ」
お雪は二人の話を聞きながら、白足袋(しろたび)を穿(は)いた。「私が留守に成ったら、父さんも困るでしょうから、お俊ちゃんにでも来ていて頂くつもりです」と彼女は言った。そのうちに仕度が出来た。お雪は夫や正太と一緒に旅立の茶を飲んだ。
「種ちゃんにも、一ぱい飲まして」
とお雪は懐(ふところ)をひろげて、暗い色の乳首を子供の口へ宛行(あてが)った。お延は車宿を指して走って行った。
甥(おい)に留守を頼んで置いて、一寸三吉は新宿の停車場(ステーション)まで妻子を送りに行った。帰って見ると、正太は用事ありげに叔父を待受けていた。
「正太さん、君はまだ朝飯前じゃなかったんですか。僕は言うのを忘れた」
「いえ、早く済まして来ました」
「めずらしいネ」
「私のような寝坊ですけれど、めずらしく早く起きました。下宿の膳(ぜん)に対(むか)って、つくづく今朝は考えました……なにしろ一年の余にも成るのに、未だこうしてブラブラしているんですからネ……」
正太は激昂(げっこう)するように笑った。暗い前途にいくらかの明りを見つけたと言出した。その時彼は叔父の思惑(おもわく)を憚(はばか)るという風であったが、やや躊躇(ちゅうちょ)した後で、自分の行くべき道は兜町(かぶとちょう)の方角より外に無い――尤(もっと)も、これは再三再四熟考した上のことで、いよいよ相場師として立とうと決心した、と言出した。
何か冒険談でも聞くように、しばらく三吉は正太の話に耳を傾けていたが、やがて甥の顔を眺めて、
「しかし君、――実さんにせよ、森彦さんにせよ、皆な儲(もう)けようという人達でしょう。そういう人達が揃(そろ)っていても、容易に儲からない世の中じゃ有りませんか。兜町へ入ったからッて、必ず儲かるとは限りませんぜ」
「実叔父さん達と、私とは、時代が違います」と正太は力を入れた。
「まあ僕のような門外漢から見ると、商売なり何なりに重きを置いてサ、それから儲けて出るというのが、実際の順序かと思うネ。名倉の阿爺(おやじ)を見給え。あの人は事業をした。そして、儲けた。どうも君等のは儲けることばかり先に考えて掛ってるようだ……だから相場なんて方に思想(かんがえ)が向いて行くんじゃ有りませんか」
「そこです。私は相場を事業として行(や)ります。一寸手を出してみて、直ぐまた止(や)めて了うなんて、そんな行き方をする位なら、初から私は関係しません……先(ま)ず店員にでも成って、それから出発するんです……私は兜町に骨を埋(うず)める覚悟です……」
「それほどの決心があるなら、君の思うように行(や)って見るサ。僕は君、何でも行(や)りたか行れという流儀だ」
「そう叔父さんに言って頂くと、私も難有(ありがた)い――森彦叔父さんなぞは何と言うか知らないが……」
森彦の方へ行けば森彦のように考え、三吉の許(ところ)へ来れば三吉のように考えるのが、正太の癖であった。丁度、この植木屋の地内に住む女教師の夫というは、兜町方面に明るい人である。で、正太は話を進めて叔父からその人に口を利(き)いて貰うように、こう頼んだ。
何となく不安な空気を残して置いて、甥は帰って行った。「正太さんも本気で行(や)る積りかナア」と三吉は言ってみて、とにかく甥のために、頼めるだけのことは頼もうと思った。その日の午後、三吉は庭伝いに女教師の家の横を廻って、沢山盆栽鉢(ばち)の置並べてあるところへ出た。植木屋の庭の一部は、やがて女教師の家の庭であった。子息(むすこ)の中学生は三脚椅子に腰掛けて、何かしきりと写生していた。
女教師の旦那(だんな)というは、官吏生活もしたことの有るらしい人で、今では兜町に隠れて、手堅くある店を勤めていた。三吉は一ぱい物の散乱(ちらか)してある縁側のところへ行って、この阿爺(おとっ)さんとも言いたい年配の人の前に立った。
「アアそうですか。宜(よろ)しい。承知しました」と女教師の旦那は、心易(やす)い調子で、三吉から種々(いろいろ)聞取った後で言った。「橋本さんなら、私も御見掛申して知っています。御年齢(おとし)は何歳(いくつ)位かナ」
「私より三つ年少(した)です」
「むむ、未だ御若い。これから働き盛りというところだ。御気質はどんな方ですか――そこも伺って置きたい」
「そうですナア。ああして今では浪人していますが、一体華美(はで)なことの好きな方です」
「それでなくッちゃ不可(いけない)――相場師にでも成ろうという者は、人間が派手でなくちゃ駄目です。では、私の許(ところ)まで簡単な履歴書をよこして下さい。宜しい。一つ心当りを問合せてみましょう」
女教師の旦那は引受けてくれた。
甥のことを頼んで置いて、自分の家へ引返してから、三吉は不取敢(とりあえず)正太へ宛(あ)てて書いた。その時は姪のお延と二人ぎりであった。
「叔母さん達も、最早余程(よっぽど)行ったわなアし」とお延は、叔父の傍へ来て、旅の人達の噂をした。
「こんな機会でもなければ、叔母さんだって置いて行かれるもんじゃない――今度出掛けたのは、叔母さんの為にも好い」
こう三吉は姪に言い聞かせた。彼は、自分でも、何卒(どうか)して子を失った悲哀(かなしみ)を忘れたいと思った。
二
諸方の学校が夏休に成る頃、お俊は叔父の家を指して急いで来た。妹のお鶴も姉に随(つ)いて来た。叔父が家の向側には、農家の垣根(かきね)のところに、高く枝を垂れた百日紅(さるすべり)の樹があった。熱い、紅(あか)い、寂しい花は往来の方へ向って咲いていた。
お俊は妹と一緒に格子戸を開けて入った。
「あら、お俊姉さま――」
とお延は飛立つように喜んで迎えた。お俊姉妹(きょうだい)と聞いて、三吉も奥の方から出て来た。
「叔父さん。もっと早く御手伝いに伺う筈(はず)でしたが、つい学校の方がいそがしかったもんですから――」とお俊が言った。「延ちゃん一人で、さぞ御困りでしたろう」
「真実(ほんと)に、鶴(つう)ちゃんもよく来て下すった」とお延は嬉しそうに。
「今日は一緒に連れて参りました、学校が御休だもんですから」
「へえ、鶴ちゃんの方は未だ有るのかい」と三吉が聞いた。
「この娘(こ)の学校は御休が短いんです……あの、吾家(うち)の阿父(おとっ)さんからも叔父さんに宜しく……」
「お俊姉さまが来て下すったんで、真実(ほんと)に私は嬉しい」とお延はそれを繰返し言った。
長い長い留守居の後で、お俊姉妹は漸(ようや)く父の実と一緒に成れたのである。この二人の娘は叔父達の力と、母お倉(くら)の遣繰(やりくり)とで、僅(わず)かに保護されて来たようなものであった。三吉がはじめて家を持つ時分は、まだお俊は小学校を卒業したばかりの年頃であった。それがこうして手伝いなぞに来るように成った。お俊は幾年振かで叔父の側に一夏を送りに来た。
「鶴ちゃん、お裏の方へ行って見ていらっしゃい」とお俊が言った。
「鶴ちゃんも大きく成ったネ」
「あんなに着物が短く成っちゃって――もうズンズン成長(しとな)るんですもの」
お鶴はキマリ悪そうにして、笑いながら庭の方へ下りて行った。
「俊、お前のとこの阿父(おとっ)さんは何してるかい」
「まだ何事(なんに)もしていません……でも、朝なぞは、それは早いんですよ。今まで家のものにサンザン苦労させたから、今度は乃公(おれ)が勤めるんだなんて、阿父さんが暗いうちから起きてお釜(かま)の下を焚付(たきつ)けて下さるんです……習慣に成っちゃって、どうしても寝ていられないんですッて……阿母(おっか)さんが起出す時分には、御味噌汁(おみおつけ)までちゃんと出来てます……」
「それを思うと気の毒でもあるナ」
「阿母さん一人の時分には、家の内だってそう関(かま)わなかったんですけれど、阿父さんが帰っていらしッたら、何時の間にか綺麗(きれい)に片付いちまいました――妙なものねえ」
庭の方で笑い叫ぶ声がした。お鶴は滑(すべ)って転(ころ)んだ。お延は駈出(かけだ)して行った。お俊も笑いながら、妹の着物に附いた泥を落してやりに行った。
その晩、三吉の家では、めずらしく賑(にぎや)かな唱歌が起った。娘達は楽しい夏の夜を送る為に集った。暗い庭の方へ向いた部屋には、叔父が冷(すず)しい夜風の吹入るところを選んで、独(ひと)り横に成っていた。叔父は別に燈火(あかり)も要(い)らないと言うので、三人の姪(めい)の居るところだけ明るい。一つにして隅(すみ)の方に置いた洋燈(ランプ)の光は、お鶴が白い単衣(ひとえ)だの、お俊が薄紅い帯だのに映った。
「鶴ちゃん、叔父さんに遊戯をしてお見せなさいよ」とお俊がすすめた。
「何にしましょう……」とお鶴は考えて、「もしもし亀よにしましょうか」
「浦島が好いわ」
旧(ふる)い小泉の家――その頽廃(たいはい)と零落との中から、若草のように成長した娘達は、叔父に聞かせようとして一緒に唱歌を歌い出した。お鶴は編み下げた髪のリボンを直して、短い着物の皺(しわ)を延しながら起立(たちあが)った。姉や従姉妹(いとこ)が歌う種々な唱歌につれて、この娘は部屋の内を踊って遊んだ。
三吉は縁側の方から眺(なが)めながら、
「ウマい、ウマい――何か、御褒美(ごほうび)を出さんけりゃ成るまい」
「鶴ちゃん、もう沢山よ」
と姉に言われても、妹は遊戯に夢中に成った。一つや二つでは聞入れなかった。
一晩泊ってお鶴は帰って行った。翌日から勝手の方では、若々しい笑声が絶えなかった。四五日降ったり晴れたりした後で、烈(はげ)しい朝日が射して来た。暑く成らないうちに、と思って、お俊は井戸端へ盥(たらい)を持出した。お延も手桶(ておけ)を提(さ)げて、竹の垣を廻った。長い袖(そで)をまくって、洗濯物を始めたお俊の側には、お延が立って井戸の水を汲(く)んだ。
「ああ、今日は朝から身体(からだ)が菎蒻(こんにゃく)のように成っちゃった。牛蒡(ごぼう)のようにピンとして歩けん――」
こんなことをお延が言って、年長(としうえ)の従姉妹を笑わせた。お俊は釣瓶(つるべ)の水を分けて貰って復(ま)たジャブジャブ洗った。
庭には物を乾(ほ)す余地が可成(かなり)広くあった。やがてお俊は洗濯した着物を長い竿(さお)に通して、それを高く揚げた。
「うれしい!」
思わず彼女は叫んだ。お延は立って眺めていた。
「学校の先生が、夏休の間に考えていらッしゃいという問題を、ひょいと思出してよ」
こうお俊が話し聞かせて、お延と一緒に勝手口から上った。二人は意味もなく起って来る微笑(えみ)を交換(とりかわ)した。互に、濡(ぬ)れた、あらわな手を拭(ふ)いた。
空は青い海のように光った。イヤというほど照りつけて来た日光は、白い干物に反射して、家の内に満ち溢(あふ)れた。午後から、娘達は思い思いの場所を選んで足を投出したり、柱に倚凭(よりかか)ったりした。三吉は、南の窓に近く、ハンモックを釣った。そこへ蒸されるような体躯(からだ)を載せた。熱い地の息と、冷(すず)しい風とが妙に混り合って、窓を通して入って来る。単調な蝉(せみ)の歌は何時の間にか彼の耳を疲れさせた。
憂鬱(ゆううつ)な眼付をして、三吉が昼寝から覚(さ)めた時は、虻(あぶ)にでも刺されたらしい疼痛(いたみ)を覚えた。お俊は髪に塗る油を持って来て、それを叔父に勧めた。
「延ちゃん――まあ、来て御覧なさいよ」とお俊が笑いながら呼んだ。「三吉叔父さんはこんなに白髪(しらが)が生(は)えてよ」
お延は勝手の方から手を振ってやって来た。
「オイ、オイ」と三吉は自分の子供にでも戯(たわむ)れるように言った。「そうお前達のように馬鹿にしちゃ困るぜ……これでも叔父さんは金鵄(きんし)勲章の積りだ」
「あんな負惜みを言って」とお延は訳も無しに笑った。
「ねえ、延ちゃん、有れば仕方が無いわ」と言って、お俊は叔父の傍へ寄って、「叔父さん、ジッとしていらッしゃい――抜いて進(あ)げましょうネ。前の方はそんなでも無いけれど、鬢(びん)のところなぞは、一ぱい……こりゃ大変だ……容易に取尽せやしないわ」
お俊は叔父の髪に触れて、一本々々択(え)り分けた。凋落(ちょうらく)を思わせるような、白い、光ったやつが、どうかすると黒い毛と一緒に成って抜けて来た。
「叔父さん、どうしてこんなに髪がこわれるんでしょう」
勝手の方から来たお俊は、叔父の傍へ寄って、親しげな調子で言った。この姪は三吉を頼りにするという風で、子が親に言うようなことまで話して聞かせようとした。
「どうして夏はこんなに――」
と復たお俊は言って、うしろむきに身を斜にして見せた。彼女は、乾きくずれた束髪の根を掴(つか)んで、それを叔父に動かして見せたりなぞした。
庭の洗濯物も乾いた。二人の姪は屋外(そと)に出て着物や襦袢(じゅばん)を取込みながら、互に唱歌を歌った。この半分夢中で合唱しているような、何となく生気のある、浮々とした声は、叔父の心を誘った。三吉は縁側のところに立って、乾いた着物を畳んでいる娘達の無心な動作を眺めた。そして、お雪や正太(しょうた)の細君なぞに比べると、もっとずっと嫩(わか)い芽が、最早(もう)彼の周囲(まわり)に頭を持ち上げて来たことを、めずらしく思った。
蘇生(いきかえ)るような空気が軒へ通って来た。夕方から三吉は姪を集めて、遠く生家(さと)の方に居るお雪の噂(うわさ)を始めた。表の方の農家でも往来へ涼台(すずみだい)を持出して、夏の夜風を楽しむらしかった。ジャン拳(けん)で負けて氷を買いに行ったお延は、やがて戻って来た。お俊はコップだの、砂糖の壺(つぼ)だのを運んだ。
「皆なに御馳走(ごちそう)するかナ」
と三吉は、赤い葡萄酒(ぶどうしゅ)の残りを捜出(さがしだ)して、それを砕いた氷にそそいだ。
お俊の娘らしい話は、手紙のことに移って行った。切手を故意に倒(さかさ)まに貼(は)るのは敵意をあらわすとか、すこし横に貼るのは恋を意味するとか、そんなことを言出す。敵意のあるものなら、手紙を遣取(やりとり)するのも少し変ではないか、こう叔父が混返(まぜかえ)したのが始まりで、お俊は負けずに言い争った。
「叔父さんなんか、そういうことはよく知っていらッしゃるくせに」
と軽く笑って、それからお俊は彼女が学校生活を叔父に語り始めた。三吉は時々、手にしたコップを夜の燈火(あかり)に透かして見ながら、「そうかナア」という眼付をして、耳を傾けていた。
「私は涅槃(ねはん)という言葉が大好よ」とお俊は冷そうに氷を噛(か)んで言った。
「あら、いやだ」とお延はコップの中を掻廻(かきまわ)して、「それじゃ、お俊姉さまのことを、これから涅槃と……」
「涅槃ッて、何だか音(おん)からして好いわ」
こんなことからお俊の話は解けて、よく学校の裏手にある墓地へ遊びに行くことを言出した。そこの古い石に腰掛け、落葉の焼けるにおいを嗅(か)ぎながら、読書するのが彼女の楽みであると言出した。
「学校の先生が――小泉さん、貴方(あなた)は誰にも悪(にく)まれないが、そのかわり人に愛される性質(たち)で反(かえ)って不可(いけない)――貴方は余程シッカリしていないといけません、その為に苦労することが有るからッて……」
こう言いかけて、お俊は癖のように着物の襟(えり)を掻合せて、
「叔父さんやなんかのことは、自分の身に近い人ですから解りませんがネ……私の知ってる人で、一人も心から敬服するという人は無いのよ。あの人はエライ人だとか、何だとか言われる人でも、私は直にその人の裏面(うら)を見ちゃってよ――妙に、私には解るの――解るように成って来るの」
お延は叔父と従姉妹の顔を見比べた。
「私は二十五に成ったら、叔父さんに自分の通過(とおりこ)して来たことを話しましょう。よく小説にいろいろなことが書いてあるけれど、自分の一生を考えると、あんなことは何でも無いわ。私の遭遇(であ)って来たことは、小説よりも、もっともっと種々(いろいろ)なことが有る」
「そんなら、今ここで承りましょう」と三吉は半分串談(じょうだん)のように。
「いいえ」
「二十五に成って話すも、今話すも、同じことじゃないか」
「もっと心が動かないように成ったら、その時は話します……今はまだ、心が動いてて駄目よ」
しばらくお俊の話は途切れた。暗い、静かな往来の方では、農家の人達が団扇(うちわ)をバタバタ言わせる音がした。
「しかし、叔父さんが私を御覧なすッたら、さぞ馬鹿なことを言ってると御思いなさるでしょうねえ」
「どういたして」
「必(きっ)とそうよ」
「しかし」と三吉は姪の方を眺めながら、「お前がそんなオシャベリをする人だとは、今まで思わなかった――今夜、初めて知った」
「私はオシャベリよ――ねえ、延ちゃん」と言って、お俊はすこし羞(は)じらった顔を袖で掩(おお)うた。
両国(りょうごく)の花火のあるという前の日は、森彦からも葉書が来て、お俊やお延は川開(かわびらき)に行くことを楽みに暮した。
翌日の新聞は、隅田川(すみだがわ)の満潮と、川開の延期とを伝えた。水嵩(みずかさ)が増して危いという記事は、折角(せっかく)翹望(まちもう)けた娘達をガッカリさせた。そうでなくても、朝から冷(すず)しい夏の雨が降って、出掛けられそうな空模様には見えなかった。
「延は?」と三吉がお俊に聞いた。
「裏の叔母さんのとこでしょう」
女教師の通う小学校も休に成ってからは、「叔母さん、叔母さん」と言って、毎日のようにお延は遊びに行った。
庭の草木も濡れて復活(いきかえ)った。毎日々々の暑(あつさ)で、柔軟(かよわ)い鳳仙花(ほうせんか)なぞは竹の垣のもとに長い葉を垂れて、紅く咲いた花も死んだように成っていたが、これも雨が来て力を得た。三吉は縁側に出て、ションボリと立っていた。
「叔父さん――何故(なぜ)私が墓場が好きですか、それを御話しましょうか」
こうお俊が言出した。三吉は部屋へ戻って、心地(こころもち)の好い雨を眺めながら、姪の話を聞いた。
お俊の言おうとすることは、彼女の若い、悲しい生涯を思わせるようなものであった。十六の年に親しい友に死別れて、それから墓畔(ぼはん)のさまよいを楽むように成ったことや、ある時はこの世をあまり浅猿(あさま)しく思って、死ということまで考えたが、母と妹のある為に思い直したこと、自分は苦労というものに逢いにこの世へ生れて来たのであろう、というようなことなぞが、この娘の口からきれぎれに出て来た。
「私は、どんなことがあっても、自分の性質だけは曲げたくないと思いますわ……でも、ヒネクレて了(しま)やしないか、とそればかり心配しているんですけれど……」
と言って、ややしばらく沈思した後で、
「しかし、私が今まで遭遇(であ)って来たことの中で、唯(たった)一つだけ叔父さんに話しましょうか」
こんなことを言出した。
お俊は、附添(つけた)して、母より外(ほか)にこの事件を知るものがないと言った。その口振で、三吉には、親戚の間に隠れた男女(おとこおんな)の関係ということだけ読めた。誰がこの娘に言い寄ろうとしたか、そんな心当りは少しも無かった。
「大抵叔父さんには解りましたろうネ」
「解らない」三吉は首を振った。「何か又、お前が誤解したんだろう――雲を烟(けぶり)と間違えたんじゃないか」
お俊の眼からは涙が流れて来た。彼女は手で顔を掩(おお)うて、自分の生涯を思い出しては半ば啜泣(すすりな)くという風であった。一寸(ちょっと)縁側へ出て見て、復た叔父の方へ来た。
「叔父さんは……正太兄さんをどういう人だとお思いなすって……兄さんは叔父さんが信じていらッしゃるような人でしょうか」
三吉は姪の顔を熟視(みまも)った。「――お前の言うのは正太さんのことかい」
「私が二十五に成ったら、叔父さんに御話しましょうって言いましたろう。それよ。その一つよ。豊世姉さんがこんな話を御聞きなすったら、どんな顔を成さるでしょう……可厭(いや)だ、可厭だ……私は一生かかって憎んでも足りない……」
「ああ、なんだか変な気分に成って来た。何だって、そんな可厭な話をするんだ」
「だって、叔父さんが鑿(ほじ)って聞くんですもの」
三吉は「そうかナア」という眼付をして、黙って了った。
「ね、もっと他(ほか)の好い話をしましょう」
とお俊は微笑(ほほえ)んで見せて、窓のある部屋の方へ立って行った。そこから手紙を持って来た。
「多分叔父さんはこの手紙を書いた人を御存じでしょう」
姪が出して来て見せたものは、手紙と言っても、純白な紙の片(きれ)にペンで細く書いた僅かな奥床(おくゆか)しい文句であった。「君のように香(か)の高い人に遭遇(であ)ったことは無い、これから君のことを白い百合(ゆり)の花と言おう」唯それだけの意味が認(したた)めてある。サッパリしたものだ。別に名前も書いて無いが、直樹の手だ。
「今までも兄さんでしたから、だから真実(ほんと)の兄さんになって頂いたの――それでおしまい」とお俊は言葉を添えた。
この「それでおしまい」が三吉を笑わせた。
正太でも、直樹でも娘達は同じように「兄さん」と呼んでいた。一方は従兄弟(いとこ)。一方は三吉が恩人の子息(むすこ)というだけで、親戚同様にしていたが、血統(ちすじ)の関係は無かった。区別する為に正太兄さんとか、直樹兄さんとか言った。三吉も、その時に成って、いろいろ知らなかったことを知った。
三
実――お俊の父は、三吉とお雪とが夫婦に成ってから、始めて弟の家に来て見た。旧(ふる)い小泉を相続したこの一番年長(うえ)の兄が、暗い悲酸な月日を送ったのも、久しいものだ。彼が境涯の変り果てたことは、同じ地方の親しい「旦那衆(だんなしゅう)」を見ても知れる。一緒に種々な事業を経営した直樹の父は、彼の留守中に亡くなった。意気相投じた達雄は、最早拓落失路(たくらくしつろ)の人と成った。
とは言え、留守中彼の妻子が心配したほど、実は衰えて見えなかった。彼は兄弟中で一番背の高い人で、体格の強壮なことは父の忠寛に似ていた。小泉の家に伝って、遠い祖先の慾望を見せるような、特色のある大きな鼻の形は、彼の容貌(おもばせ)にもよく表れていた。顔の色なぞはまだ艶々(つやつや)としていた。
この兄が三吉の部屋へ通った。丁度、娘達は家に居なかった。三吉は長火鉢(ながひばち)の置いてあるところへ行って、自分で茶を入れた。それを兄の前へ持って来た。
一生の身の蹉跌(つまずき)から、実は弟達に逢(あ)うことを遠慮するような人である。未だ森彦には一度も逢わずにいる。三吉に逢うのは漸(ようや)く二度目である。
「俊は?」と実が自分の娘のことを聞いた。
「一寸(ちょっと)新宿まで――延と二人で買物に行きました」
「御留守居がウマク出来るかナ」
「ええ、好く遣(や)ってくれます。今日は二人に、浴衣(ゆかた)を一枚ズツ奢(おご)ってやることにしました」
「それは大悦(おおよろこ)びだろう。お前のとこでも、子が幾人(いくたり)も死んで、随分不幸つづきだったナ。しかし世の中のことは、何でも深く考えては不可(いけない)。淡泊に限る。乃公(おれ)はその主義サ――家内のことでも――子供のことでも――自分のことでも」
こんな調子で、あだかも繁華な街衢(ちまた)を歩く人が、右に往き、左に往きして、他(ひと)を避けようとするように、実はなるべく弟に触るまい触るまいとしていた。彼は弟の手を執(と)って過去の辛酸を語ろうともしなければ、留守中何程(どれほど)の迷惑を掛けたろうと、深くその事を詫(わ)びるでもなかった。唯(ただ)、旧家の家長が目下の者に対するような風で、冷飯(ひやめし)の三吉と向い合っていた。
金の話は余計に兄の矜持(ほこり)を傷(きずつ)けた。病身な宗蔵――三吉などが「宗さん、宗さん」と言っている兄――この人は今だに他所(よそ)へ預けられていて、実が世話すべき家族の一人ではあるが、その方へも三吉には金を出させていた。種々(いろいろ)余分な工面もさせた上に、復(ま)た兄は金策を命じに来た。
「実(じつ)はNさんのところから、四十円ばかり借りた。いずれ三吉の方で返しますから、と言って、時に借りて来た。これは是非お前に造って貰わにゃ成らん」
当惑顔な弟が何か言おうとしたのを実は遮(さえぎ)った。彼は細(こまか)く書いた物を取出した。これだけの家具を四十円で引取ると思ってくれ、と言出した。それには、箪笥(たんす)、膳(ぜん)、敷物、巻煙草入、その他徳利、盃洗(はいせん)などとしてあった。
「頼む」
と兄は無理にも承諾させて、そこそこに弟の家を出た。
「留守中は御苦労だったとか、何とか……それでも一言ぐらい挨拶(あいさつ)が有りそうなものだナア」
こう三吉は、独語(ひとりごと)のように言って、嘆息した。尤(もっと)も、兄が言えないことは、三吉も承知していた。
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