五月の末に、三吉は正太が名古屋の病院に入ったという報知(しらせ)を受取った。間もなく、彼は病院からの電報を手にした。
「ゼヒアイタイ、スグキテクレ」
としてあった。
それほど正太の病が急に重く成ったとは、三吉には思えなかった。手放しかねる仕事もあり、様子も分りかねたので、名古屋に居る森彦へ宛(あ)てて、病人のことを電報で問合せた。都合して来いという返事が来た。何を措(お)いても、彼は名古屋の方へ行こうと思い立った。それをお雪にも話した。
正太を見舞いに行く前の晩、三吉は種々なことで多忙(いそが)しい思をした。甥(おい)が病んでいることを、せめて向島の女にも知らせて遣(や)りたいと思った。言伝(ことづけ)でもあらばと思って、人を通して、電話で伝えさせた。小金も、その母親も、共に病床にあるということが、その時解った。
こうして三吉は復(ま)た名古屋行の汽車に揺られて行くように成ったのである。彼が森彦の旅舎(やどや)へ着いたのは、日暮に近い頃であった。
東京から見ると暑い空気の通う二階の窓のところで、兄弟は正太の病状を語り合った。病院の方へはお種も来ているとのことであった。森彦は片端から用務を処理するような口調で、橋本の姉が近年にない静粛な調子の人であることや、幸作からも便りがあって、もし彼の行商中に万一の事でもあったら、死体は名古屋で焼くように、そして遺骨として郷里の方へ送るように、と頼んで来たことなぞを話した。
「いかに言っても、これは早手廻しだ――しかし、好く書いてある」
と森彦は幸作からの書面を弟に見せて、高い調子で笑った。
翌朝、三吉は兄に伴われて病院の方へ行った。玻璃戸(ガラスど)のはまった長い廊下に添うた二階の一室に、橋本正太とした札が掲(か)けてあった。二間つづきに成って、一方に窓のある明るい室が患者の寝台(ねだい)の置いてあるところ、その手前が看護するものの部屋であった。そこで三吉は、お種や豊世とも一緒に成った。
正太は、叔父達の来たことも知らずに、暗く黒ずんだ顔を敷布に埋めながら眠っていた。そのうちに大きな眼を開いて、驚いたように三吉の方を見た。
「オオ、眼が覚(さ)めたそうな。いくらかでも寝られて反(かえ)って可かった。三吉叔父さんも被入(いら)しって下すったよ」
とお種は正太の枕許(まくらもと)へ行って、母らしい調子で言った。正太は半ば身を起して、叔父達に一礼したが、復た寝台の上に倒れた。痩(や)せ細った手で豊世を招いて、自分の口を指して見せる。やがて豊世が勧める水薬で乾き粘った口を霑(うるお)して、
「是非一度叔父さんに御目に掛って置きたいと思いまして……電報はすこし大袈裟(おおげさ)かとも思いましたが、わざわざ御出を願ったような訳です……」
こう正太は三吉に言った。彼は又、豊世を顧みて、「叔父さん達に倚子(いす)でも上げたら可かろう」と注意した。
豊世は倚子を寝台の側へ持って来た。森彦、三吉の二人はそれに腰掛けて話した。お種はなるべく正太を休ませたいという風で、三吉に向って、
「お前さんが来るか来るかと言って、彼(あれ)は昨日から待っていた……この名古屋に、彼の御友達で油絵を描く人がある、その人の描いた画をこの部屋で眺められて、三吉叔父さんに御目に掛れれば、もう他に彼は思い残すことが無いのだそうな……で、そのことを御友達に御話したら、それは造作もないことだ、同じ絵ばかりでも倦(あ)きるだろうによって、時々別なのを持って来て取替えて進(あ)げる、そう言ってあんなのを掛けて下すった……」
彼女は、寝ながら病人が眺められるようにしてある小さな風景画の額を弟に指してみせた。
森彦はお種や豊世に看護の注意を与えて置いて、一歩先(ひとあしさき)に旅舎の方へ帰って行った。午後まで三吉は正太の傍に居た。時とすると、正太はウトウトした眠に陥入った。その度に三吉は病室の外へ出て、夏めいた空の見える玻璃戸(ガラスど)のところで巻煙草を燻(ふか)した。白い制服を着けた看護婦は長い廊下を往来(ゆきき)していた。
森彦は旅舎(やどや)の方で、看護する人達のことを心配していた。共進会も終った頃で、二階には泊り客も少かった。部屋々々は風通しよく明けひろげてあった。そこへ三吉はお種と一緒に、病院から戻って来た。
「御風呂を御馳走(ごちそう)してくれるそうだで、一寸呼ばれに来ました」とお種は森彦に言った。
「ええ、貴方がたは看病にばかり夢中に成ってるが、各自(めいめい)注意しないと不可(いかん)。湯にでも入って、すこし休んでお出。今日は一つ――三吉も来たし――夕飯を奢(おご)ろう」
と言って、森彦は女中を呼んだ。
「三吉は何が好い。鳥肉(とり)でも食うか」と復た彼は弟を顧みて言った。
一風呂浴びた後、姉弟三人は一緒に集って茶を飲んだ。「今度は、姉さんも非常に成績が好い――その点は感心した」と森彦が面と向って姉に言う位で、橋本の家で三吉が一緒に成った時のお種とは別の人のように見えた。狂人(きちがい)にでも成るかと思われたお種の晩年に、こうした静かさが来ようとは、実に三吉には思いもよらないことで有った。
他の兄弟の話が引出された。お種は、満洲から来た実の便りに、漸く彼も信用のある身(からだ)に成って、東京に留守居するお倉へ月々の生活費を送るまでに漕付(こぎつ)けたことを話し出した。
「三吉にその手紙を見せずと思って……つい郷里(くに)を出る時に忘れて来た」ともお種が言った。
宗蔵の噂も出た。「ああ捨身に成れば、人間は生きて行かれるものだ――彼(あれ)は彼で食える」と森彦は森彦らしいことを言って、笑った。
やがて、女中は誂(あつら)えて置いた鳥の肉を大きな皿に入れて運んで来た。紅(あか)くおこった火、熱した鉄鍋(てつなべ)、沸き立つ脂(あぶら)などを中央(まんなか)にして、まだ明るいうちに姉弟は夕飯の箸(はし)を取った。
「熱い御馳走だが、さあ、やっとくれ」
と森彦は腕まくりして始めた。
肉は焼けてジュウジュウ音がした。見る間に葱(ねぎ)も柔く成った。お種も、三吉も、口をホウホウ言わせながら、甘(うま)そうに汗を流して食った。
「豊世にも食わせてやると好かった」と森彦は懐をひろげて、胸のあたりに流れる汗を押拭(おしぬぐ)った。
「彼女(あれ)は病人を引受けてるで……俺がまた入替りに成って、彼女をも寄(よこ)すわい……御風呂にでも入れてやって御くれ」
こうお種は物静かな調子で答えた。
病院の方へ心が引かれて、お種はそこそこに別れて行ったが、燈火(あかり)の点く頃には、豊世が入替ってやって来た。豊世は行末のことまでも考えるという風で、沈み勝ちに見えた。その晩は遅く成って、豊世の兄、幸作の二人が郷里の方からこの旅舎へ着いた。
翌日の午前は、小泉兄弟を始め、ここへ来て脚絆(きゃはん)を解いた人達が一つ部屋に集って、正太が亡く成った後のことまでも話し合った。
「や、名古屋へ来て、ここの家の娘の踊を見ないということは無い」
と森彦が款待顔(もてなしがお)に言出した。彼は宿の小娘を呼んで、御客様に踊を御目に掛けよ、老婆(おばあ)さんにも来て、三味線(しゃみせん)を引くように、と笑い興じながら勧めた。
こういう中で、正太は病みつつあった。午後に一同が病院を訪ねた時は、正太は興奮した気味で、皆なの見ている前で手足なぞを拭かせたが、股(もも)のあたりの肉はすっかり落ちていた。嘔気(はきけ)があるとかで、滋養物も咽喉(のど)を通らなかった。正太は、豊世の兄と三吉の二人を特に寝台の側へ呼んで、母や妻の聞いているところで、種々と後事を托した。おそらく彼亡き後には、彼が家の為に尽したことに就(つ)いて、同情を寄せる人もあるであろう、と話した。豊世には、長く家に居て、母や幸作を助けるように――何一つ幸福な思もさせなかったことを気の毒に思う、とも話した。どうかすると彼の調子は制(おさ)えることの出来ないほど激昂(げっこう)したものと成って行った。それが戯曲的にすら聞えた。両手で顔を押えながら聞いていた豊世は、夫の口唇(くちびる)を霑(うるお)してやった。
「正太さん、どんな心地(こころもち)がしてるものかネ」
三吉は甥(おい)の寝台の側へ寄って尋ねた。名古屋へ着いて三日目の午前の事である。
「私は今、何事(なんに)も思いません」と正太は両手を白い掛蒲団(かけぶとん)の上へ力なげに載せて、大きく成った眼で三吉の方を見た。「唯……どうかするとこう、脆(もろ)く行って了うようなものじゃないか……そんなような気はしています……」
幾干(いくばく)もない自己の生命を、正太は自覚するもののように見えた。その日は沈着(おちつ)いて、言うことも平常(いつも)と変らなかった。
乾燥した空気は病室の壁に掛けてある額の油絵まで明るく見せた。微(かす)かな心地の好い風も通って来た。玻璃窓の外には、遠く白い夏雲を望んだ。三吉は窓の方へ行って、静かな病院の庭を眺めて、復た甥の枕許へ来た。
「正太さん、君の一生を書いて見ようかネ――何だか書いて置きたいような気もするネ」
「何卒(どうぞ)、叔父さん、御書きなすって下さい――是非御書きなすって下さい――好かれ、悪(あ)しかれ――」
正太は微かな笑(えみ)を口元に浮べながら、力を入れて答えた。
こうして正太と二人ぎりで居ることは、病院に来ては得難い機会(おり)であった。豊世は濯(すす)ぎ物(もの)か何かに出て居なかった。幸作も見えなかった。その時、三吉は向島の言伝(ことづて)を齎(もたら)そうとして、電話で聞かせたことを話しかけた。お種が廊下の方から入って来た。
「姉さん、一寸彼方(あっち)へ行ってて下さい。すこし私は正太さんに話したいことが有る」
と三吉に言われて、姉は笑いながら出て行った。
「しばらく私の方へは便りが有りません……」と正太は向島親子が病んでいることを叔父から聞いた後で、言った。「この春あたりまでは文通もしましたが、それからはサッパリ手紙も来なく成りました……」
「駒形にあった額が三枚僕の家へ来てる。いずれ僕が東京へ帰ったら、あの中をどれか一枚、君の記念として送りましょう」
「何卒(どうぞ)、宜しく……」
正太は意外な音信(おとずれ)を聞いたという顔付で話した。
何気なく三吉は廊下の方へ出て見た。そこで豊世と幸作とに逢った。三吉は姉の様子が好さそうなのを悦(よろこ)んで、それを二人に話した。「母親さんも気を張って被入(いら)っしゃるからでしょうよ。私の方が反(かえ)って励まされる位です」と豊世は言った。「どうして、心(しん)はあれで弱っているんです」と彼女は附添えた。
幸作に伴われて、三吉は二階の昇降口(のぼりぐち)の人の居ないところへも行った。
「満洲の父親(おとっ)さんの方へは知らせたものでしょうか……」
「さあねえ……もし万一のことでも有ったら、その時は知らせるサ」
「私も、まあ、それに賛成だ……」
二人は欄(てすり)に倚(よ)りながらこんな立話をした。その時幸作は、豊世の一身に就いて、行末の方針に苦むということを話した。正太の看護はしても、再び橋本の家へ帰る心は、豊世には無いらしいとのことで有った。
三吉も、そう長く名古屋に逗留(とうりゅう)することは出来なかった。午後まで、皆なと一緒に正太の側に居た。甥の病勢もまだ旦夕(たんせき)に迫ったという程では無いらしいので、看護を人々に頼んで置いて、東京の方へ帰ることにした。
別れる時が来た。つと三吉は正太の枕許へ行った。
「正太さん。僕はこれで失敬します」
と言いながら、熱い汗ばんだ手を差出して、握手を求めた。
長いこと叔父甥は手を握り合っていた。やがて三吉が別れを告げて行こうとすると、正太は周章(あわ)てて叔父の解(ほど)いた手に取縋(とりすが)るようにして、
「僕も勇気を奮(ふる)い起して、是非もう一度叔父さんに御目に掛ります……」
と言いながら、堅く堅く叔父の手を握り〆(しめ)た。一度に込上げて来るような涙が正太の暗い顔を流れた。
「オオ、そうだとも……」
側に居たお種は吾児(わがこ)を励ますように言って、思わず両手で顔を掩(おお)うた。次の部屋には、幸作が坐って、頭を垂れていた。
長い廊下の突当りには消毒する場所があった。三吉はそこで自分の手をよく洗って、それから姉にも別れを告げた。正太は寝ながら、よく見て置こうとするような眼付をして、叔父を見送った。その時は豊世は室に居なかった。幸作は病院の出口まで随(つ)いて送って来た。門を離れて、三吉は激しく泣いた。
「どうして、十日や二十日で死ぬようなものでは無いぞ。でも、正太も、下手(へた)に遺言なぞをしないところは、一寸彼も考えてる」こう森彦の旅舎(やどや)で人々が言い合うのを聞き捨てて、その晩三吉は名古屋を発った。夜行汽車の窓は暗かった。遠い空には稲妻(いなずま)が光って、それが窓の玻璃に映ったり消えたりした。
「叔父さん――叔父さん――」
と呼ぶような別れ際(ぎわ)の正太のことを胸に浮べながら、三吉は自分の妻子の方へ帰って行った。それは最早六月の初であった。家では、お雪や親戚の娘達が名古屋の方の話を聞こうとして、彼の周囲(まわり)に集った。
六月九日の夕、三吉は甥の死去したという電報に接した。その夜、火葬に附するともして有った。それを彼はお雪に見せて、互に顔を見合せた。
「今年は私も三十三の厄年です……ひょっとすると今度の御産では、正太さんの後を追うかも知れない……」
心細そうに言って、お雪は二階の戸棚(とだな)にある写真箱の中から、正太の兜町(かぶとちょう)時代に撮(と)った半身で横向のを探し出して来た。それを亡くなった三人の娘の位牌(いはい)の前に置いて、燈明も進(あ)げた。
「なんだか急にそこいらが寂しく成った」
と三吉も、今更のように家の内を眺め廻した。正太や豊世がかわるがわるやって来て、長火鉢の側でよく話したことは、何となく急に過去(うしろ)に成った。三吉夫婦の周囲(まわり)には、お俊夫婦、お愛夫婦などの若い一対が幾組も出来たばかりでなく、お福まで、勉と一緒に子供を連れて出て来て、東京に世帯を持つように成った。
その晩は暑苦しい上に、風も無かった。七度目の懐妊した身(からだ)でいるお雪に取っては、この遽(にわ)かにやって来た暑気が殊(こと)に堪え難かった。蒸されるような身体の熱で、三吉も眠ろうとして眠られなかった。夫婦は子供等のごろごろ寝ている側で、話しつづけた。正太のことを語り合った。勉やお福の噂もした。終(しまい)には、自分等の過去ったことの話までも、それからそれと引出された。
お雪は横に成りながら、
「……私は、自分のことを考えますと、なんですかこう三人別のものがそこへ出て来るような気がします――極く幼少(ちいさ)い時分と、学校に居た娘の頃と、それからお嫁に来てからと――三つずつ別々の自分じゃないかと思うような、まるでその間が切れちゃってるようなものです……私は子供の時分には、真実(ほんと)に泣いてばかりいるような児でしたからねえ……」真に心の底から出て来たような調子で、彼女は話した。
すこしトロトロしたかと思うと、復た二人とも眼が覚めた。
「お雪、何時だろう――そろそろ夜が明けやしないか――今頃は、正太さんの死体(からだ)が壮(さか)んに燃えているかも知れない」
こう言いながら、三吉は雨戸を一枚ばかり開けて見た。正太の死体が名古屋の病院から火葬場の方へ送られるのも、その夜のうちと想像された。屋外(そと)はまだ暗かった。
底本:「家(下)」新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年5月10日発行
1968(昭和43)年4月30日第18刷改版
1998(平成10)年9月5日50刷
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:(株)モモ
校正:藤田禎宏
ファイル作成:野口英司
2000年12月5日公開
2000年12月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
●表記について
本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。
願い申上げ※(まいらせそろ)。 |
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これは※の姉から ※は彼女が二番目の姉の家で ※の兄さんから御言伝(おことづけ)がありましたが、 ※の兄と連立って、 ※の兄が連れて来てくれた |
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これは※の妹から ※は妹のお福の家である。 ※が途中まで 「※」とか言った。 ※さんがそれを間違えて、 ※が見えました ※がお別れに参りました。 「ああ、※さんだ」
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耳を※立(そばだ)てて |
第3水準1-85-9 |
※(もが)き悶(あが)いていた |
第3水準1-92-36 |
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