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嵐(あらし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-8 10:44:14  点击:  切换到繁體中文


 しかし、こういう旅疲れも自然とぬけて行った。そして、そこから私が身を起こしたころには、過ぐる七年の間続きに続いて来たような寂しいあらしの跡を見直そうとする心を起こした。こんな心持ちは、あの太郎の家を見るまでは私に起こらなかったことだ。
 留守宅には種々な用事が私を待っていた。その中でも、さしあたり次郎たちと相談しなければならない事が二つあった。一つは見つかったという借家の事だ。さっそく私は次郎と三郎の二人ふたりを連れて青山方面まで見に行って来た。今少しで約束するところまで行った。見合わせた。帰って来て、そんな家を無理して借りるよりも、まだしも今の住居すまいのほうがましだということにおもい当たった。いったんは私の心も今の住居すまいを捨てたものである。しかし、もう一度この屋根の下に辛抱しんぼうしてみようと思う心はすでにその時に私のうちにきざして来た。
 今一つは、次郎の事だ。私は太郎から聞いて来た返事を次郎に伝えて、いよいよ郷里のほうへ出発するように、そのしたくに取り掛からせることにした。
「次郎ちゃん、番町ばんちょうの先生のところへも暇乞いとまごいに行って来るがいいぜ。」
「そうだよ。」
 私たちはこんな言葉をかわすようになった。「番町の先生」とは、私より年下の友だちで、日ごろ次郎のような未熟なものでも末たのもしく思って見ていてくれる美術家である。
「今ある展覧会も、できるだけ見て行くがいいぜ。」
「そうだよ。」
 と、また次郎が答えた。
 五月にはいって、次郎は半分引っ越しのような騒ぎを始めた。何かごとごと言わせて戸棚とだなを片づける音、画架や額縁がくぶちを荷造りする音、二階の部屋を歩き回る音なぞが、毎日のように私の頭の上でした。私も階下の四畳半にいてその音を聞きながら、七年の古巣からこの子を送り出すまでは、心も落ちつかなかった。仕事の上手じょうずなお徳は次郎のために、郷里のほうへ行ってから着るものなぞを縫った。裁縫の材料、材料で次ぎから次ぎへと追われている末子が学校でのけいこに縫った太郎の袷羽織あわせばおりもそこへでき上がった。それを柳行李やなぎごうりにつめさせてなどと家のものが語り合うのも、なんとなく若者の旅立ちの前らしかった。
 次郎の田舎いなか行きは、よく三郎の話にものぼった。三郎は研究所から帰って来るたびに、その話を私にして、
「次郎ちゃんのことは、研究所でもみんな知ってるよ。僕の友だちが聞いて『それだけの決心がついたのは、えらい』――とサ。しかし僕は田舎へ行く気にならないなあ。」
「お前はお前、次郎ちゃんは次郎ちゃんでいい。広い芸術の世界だもの――みんながみんな、そう同じような道を踏まなくてもいい。」
 と、私は答えた。
 子供の変わって行くにも驚く。三郎も私に向かって、以前のようには感情を隠さなくなった。めまぐるしく動いてやまないような三郎にも、なんとなく落ちついたところが見えて来た。子供の変わるのはおとなの移り気とは違う、子供は常に新しい――そう私に思わせるのもこの三郎だ。
 やがて次郎は番町の先生の家へも暇乞いとまごいに寄ったと言って、改まった顔つきで帰って来た。餞別せんべつのしるしに贈られたという二枚の書をも私の前に取り出して見せた。それはみごとな筆で大きく書いてあって、あの四方木屋よもぎやの壁にでも掛けてながめ楽しむにふさわしいものだった。
「とうさん、番町の先生はそう言ったよ。いろいろな人の例を僕に引いてみせてね、田舎いなかへ引っ込んでしまうとがかけなくなるとサ。」
 と、次郎はやや不安らしく言ったあとで、さらに言葉を継いで、
「それから、こういうものをくれてよこした。田舎いなかへ行ったら読んでごらんなさいと言って僕にくれてよこした。何かと思ったら、『扶桑陰逸伝ふそういんいつでん』サ。の本でもくれればいいのに、こんな仙人せんにんの本サ。」
「仙人の本はよかった。」と、私も吹き出した。
「これはとうさんでも読むにちょうどいい。」
「とうさんだって、まだ仙人には早いよ。」
「しかしお餞別せんべつと思えばありがたい。きょうは番町でいろいろな話が出たよ。ヴィルドラックという人の持って来たマチスのの話も出たよ。きょうの話はみんなよかった。それから先生の奥さんも、御飯を一緒に食べて行けと言ってしきりに勧めてくだすったが、僕は帰って来た。」
 先輩の一言一行も忘れられないかのように、次郎はそれを私に語ってみせた。
 いよいよ次郎の家を離れて行く日も近づいた。次郎はその日を茶の間の縁先にある黒板の上にしるしつけて見て、なんとなくなごりが惜しまるるというふうであった。やがて、荷造りまでもできた。この都会から田舎へ帰って行く子を送る前の一日だけが残った。
「どっこいしょ。」
 私がそれをやるのに不思議はないが、まだ若いさかりのお徳がそれをやった。お徳も私の家に長く奉公しているうちに、そんなことが自然と口に出るほど、いつのまにか私の癖に染まったと見える。
 このお徳は茶の間と台所の間をったり来たりして、次郎の「送別会」のしたくを始めた。そういうお徳自身も遠からず暇を取って、代わりの女中のあり次第に国もとのほうへ帰ろうとしていた。
旦那だんなさん、お肴屋さかなやさんがまいりました。旦那さんの分だけ何か取りましょうか。次郎ちゃんたちはライス・カレエがいいそうですよ。」
「ライス・カレエの送別会か。どうしてあんなものがそう好きなんだろうなあ。」
「だって、皆さんがそうおっしゃるんですもの。――三ちゃんでも、末子さんでも。」
 私はお徳の前に立って、肴屋さかなやの持って来た付木つけぎにいそがしく目を通した。それには河岸かしから買って来たさかなの名が並べしるしてある。長い月日の間、私はこんな主婦の役をも兼ねて来て、好ききらいの多い子供らのために毎日の総菜そうざいを考えることも日課の一つのようになっていた。
「待てよ。おれはどうでもいいが、送別会のおつきあいにあゆ一尾いっぴきももらって置くか。」
 と、私はお徳に話した。
「末ちゃん、おまいか。」
 と、私はまた小さな娘にでも注意するように末子に言って、白の前掛けをかけさせ、その日の台所を手伝わせることも忘れなかった。
「ほんとに、太郎さんのようなおとなしい人のおよめさんになるものは仕合わせだ。わたしもこれでもっと年でも取ってると――もっとおばあさんだと――台所の手伝いにでも行ってあげるんだけれど。」
 それが茶の間に来てのお徳の述懐だ。
 茶の間には古い柱時計のほかに、次郎が銀座まで行って買って来た新しいのも壁の上に掛けてあった。太郎への約束の柱時計だ。今度次郎がげて行こうとするものだ。それが古い時計と並んで一緒に動きはじめていた。
「すごい時計だ。」
 と、見に来て言うものがある。そろそろ夕飯のしたくができるころには、私たちは茶の間に集まって新しい時計の形をいろいろに言ってみたり、それを古いほうに比べたりした。私の四人の子供がまだ生まれない前からあるのも、その古いほうの時計だ。
 やがて私たちは一緒に食卓についた。次郎は三郎とむかい合い、私は末子とむかい合った。
「送別会」とは名ばかりのような粗末な食事でも、こうして三人の兄妹きょうだいの顔がそろうのはまたいつのことかと思わせた。
「いよいよ明日あすは次郎ちゃんも出かけるかね。」と、私は古い柱時計を見ながら言った。「かあさんがくなってから、ことしでもう十七年にもなるよ。あのおかあさんが生きていて、お前たちの話す言葉を聞いたら驚くだろうなあ。わざと乱暴な言葉を使う。『時計を買いやがった――動いていやがらあ』――お前たちのはその調子だもの。」
「いけねえ、いけねえ。」と、次郎は頭をかきながら食った。
「とうさんがそんなことを言ったって、みんながそうだからしかたがない。」と、三郎も笑いながら食った。
「そう言えば、次郎ちゃんも一年に二度ぐらいずつは東京へ出ておいでよ。なにも田舎いなかに引っ込みきりと考えなくてもいいよ。二三年は旅だと思ってごらんな。とうさんなぞも旅をするたびに自分の道が開けて来た。田舎へ行くと、友だちはすくなかろうなあ。ことにのほうの友だちが――それだけがとうさんの気がかりだ。」
 こう私が言うと、今まで子供の友だちのようにして暮らして来たお徳も長い奉公を思い出し顔に、
「次郎ちゃんが行ってしまうと、急にさびしくなりましょうねえ。人を送るのもいいが、わたしはあとがいやです。」
 と、給仕きゅうじしながら言った。
「あゝ、食った。食った。」
 間もなくその声が子供らの間に起こった。三郎は口をふいて、そこにある箪笥たんすを背に足を投げ出した。次郎は床柱とこばしらのほうへ寄って、自分で装置したラジオの受話器を耳にあてがった。細いアンテナの線を通して伝わって来る都会の声も、その音楽も、当分は耳にすることのできないかのように。
 その晩は、お徳もなごりを惜しむというふうで、台所を片づけてから子供らの相手になった。お徳はにぎやかなことの好きな女で、戯れに子供らから腕押しでも所望されると、いやだとは言わなかった。ふとって丈夫そうなお徳と、やせぎすで力のある次郎とは、おもしろい取り組みを見せた。さかんな笑い声が茶の間で起こるのを聞くと、私も自分の部屋へやにじっとしていられなかった。
「次郎ちゃんとねいやとは互角ごかくだ。」
 そんなことを言って見ている三郎たちのそばで、また二人ふたりは勝負を争った。健康そのものとも言いたいお徳がふとったひざを乗り出して、腕に力を入れた時は、次郎もそれをどうすることもできなかった。若々しい血潮は見る見る次郎の顔にのぼった。堅く組んだ手も震えた。私はまたハラハラしながらそれを見ていた。
「オヽ、痛い。御覧なさいな、私の手はこんなにあかくなっちゃったこと。」
 と、お徳は血でもにじむかと見えるほど紅く熱した腕をさすった。
「三ちゃんもねいやとやってごらんなさいな。」
 と、末子がそばから勧めたが、三郎は応じなかった。
「僕はよす。左ならやってみてもいいけれど。」
 そういう三郎は左を得意としていた。腕押しに、骨牌かるたに、その晩は笑い声が尽きなかった。
 翌日はもはや新しい柱時計が私たちの家の茶の間にかかっていなかった。次郎はそれを厚い紙箱に入れて、旅にげて行かれるように荷造りした。
 その時になってみると、太郎はあの山地のほうですでに田植えを始めている。次郎はこれから出かけようとしている。お徳もやがては国をさして帰ろうとしている。次郎のいないあとは、にわかに家も寂しかろうけれど、日ごろせせこましく窮屈にのみ暮らして来た私たちの前途には、いくらかのゆとりのある日も来そうになった。私は私で、もう一度自分の書斎を二階の四畳半に移し、この次ぎは客としての次郎をわがに迎えようと思うなら、それもできない相談ではないように見えて来た。どうせ今の住居すまいはあの愛宕下あたごしたの宿屋からの延長である。残る二人の子供に不自由さえなくば、そうおもってみた。五十円や六十円の家賃で、そう思わしい借家のないこともわかった。次郎の出発を機会に、ようやく私も今の住居すまい居座いすわりと観念するようになった。
 私はひとりで、例の地下室のような四畳半の窓へ近く行った。そこいらはもうすっかり青葉の世界だった。私は両方のこぶしを堅く握りしめ、それをうんと高く延ばし、大きなあくびを一つした。
「大都市は墓地です。人間はそこには生活していないのです。」
 これは日ごろ私の胸をったり来たりする、あるすぐれた芸術家の言葉だ。あの子供らのよく遊びに行った島津山しまづやまの上から、芝麻布しばあざぶ方面に連なり続く人家の屋根を望んだ時のかつての自分の心持ちをも思い合わせ、私はそういう自分自身の立つ位置さえもが――あの芸術家の言い草ではないが、いつのまにか墓地のような気のして来たことを胸に浮かべてみた。過ぐる七年のさびしいあらしは、それほど私の生活を行き詰まったものとした。
 私が見直そうと思って来たのも、その墓地だ。そして、その墓地から起き上がる時が、どうやら、自分のようなものにもやって来たかのように思われた。その時になって見ると、「父は父、子は子」でなく、「自分は自分、子供は子供ら」でもなく、ほんとうに「私たち」への道が見えはじめた。
 夕日が二階の部屋へやに満ちて来た。階下にある四畳半や茶の間はもう薄暗い。次郎の出発にはまだ間があったが、まとめた荷物は二階から玄関のところへ運んであった。
「さあ、これだ、これが僕の持って行く一番のおみやげだ。」
 と、次郎は言って、すっかり荷ごしらえのできた時計をあちこちと持ち回った。
「どれ、わたしにも持たせてみて。」
 と、末子は兄のそばへ寄って言った。
 遠い山地も、にわかに私たちには近くなった。この新しい柱時計が四方木屋よもぎやの炉ばたにかかって音のする日をおもいみるだけでも、楽しかった。日ごろ私が矛盾のように自分の行為を考えたことも、今はその矛盾が矛盾でないような時も来た。子のために建てたあの永住の家と、旅にも等しい自分の仮の借家ずまいの間には、にじのような橋がかかったように思われて来た。
「次郎ちゃん、停車場まで送りましょう。末子さんもわたしと一緒にいらっしゃいね。」
 と、お徳が言い出した。
「僕も送って行くよ。」
 と、三郎も言った。すると、次郎は首を振って、
「だれも来ちゃいけない。今度はだれにも送ってもらわない。」
 それが次郎の望みらしかった。私は末子やお徳を思いとまらせたが、せめ三郎だけをやって、飯田橋いいだばしの停車場まで見送らせることにした。
 やがて、そこいらはすっかり暗くなった。まだよいの口から、家の周囲はひっそりとしてきて、坂の下を通る人の足音もすくない。都会に住むとも思えないほどの静かさだ。気の早い次郎は出発の時を待ちかねて、住み慣れた家の周囲を一回りして帰って来たくらいだ。
「行ってまいります。」
 茶の間の古い時計が九時を打つころに、私たちはその声を聞いた。植木坂の上には次郎の荷物を積んだ車が先に動いて行った。いつのまにか次郎も家の外の路地ろじを踏むくつの音をさせて、静かに私たちから離れて行った。





底本:「嵐 他二編」岩波文庫、岩波書店
   1956(昭和31)年3月26日第1刷発行
   1969(昭和44)年9月16日第13刷改版発行
   1974(昭和49)年12月20日第18刷発行
入力:紅邪鬼
校正:林幸雄
2001年1月15日公開
2005年11月20日修正
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