私たちの心はすでに半分今の住居を去っていた。
私は茶の間に集まる子供らから離れて、ひとりで自分の部屋を歩いてみた。わずかばかりの庭を前にした南向きの障子からは、家じゅうでいちばん静かな光線がさして来ている。東は窓だ。二枚のガラス戸越しに、隣の大屋さんの高い塀と樫の樹とがこちらを見おろすように立っている。その窓の下には、地下室にでもいるような静かさがある。
ちょうど三年ばかり前に、五十日あまりも私の寝床が敷きづめに敷いてあったのも、この四畳半の窓の下だ。思いがけない病が五十の坂を越したころの身に起こって来た。私はどっと床についた。その時の私は再び起つこともできまいかと人に心配されたほどで、茶の間に集まる子供らまで一時沈まり返ってしまった。
どうかすると、子供らのすることは、病んでいる私をいらいらさせた。
「とうさんをおこらせることが、とうさんのからだにはいちばん悪いんだぜ。それくらいのことがお前たちにわからないのか。」
それを私が寝ながら言ってみせると、次郎や三郎は頭をかいて、すごすごと障子のかげのほうへ隠れて行ったこともある。
それからの私はこの部屋に臥たり起きたりして暮らした。めずらしく気分のよい日が来たあとには、また疲れやすく、眩暈心地のするような日が続いた。毎朝の気分がその日その日の健康を予報する晴雨計だった。私の健康も確実に回復するほうに向かって行ったが、いかに言ってもそれが遅緩で、もどかしい思いをさせた。どれほどの用心深さで私はおりおりの暗礁を乗り越えようと努めて来たかしれない。この病弱な私が、ともかくも住居を移そうと思い立つまでにこぎつけた。私は何かこう目に見えないものが群がり起こって来るような心持ちで、本棚がわりに自分の蔵書のしまってある四畳半の押入れをもあけて見た。いよいよこの家を去ろうと心をきめてからは、押入れの中なぞも、まるで物置きのようになっていた。世界を家とする巡礼者のような心であちこちと提げ回った古い鞄――その外国の旅の形見が、まだそこに残っていた。
「子供でも大きくなったら。」
私はそればかりを願って来たようなものだ。あの愛宕下の宿屋のほうで、太郎と次郎の二人だけをそばに置いたころは、まだそれでも自由がきいた。腰巾着づきでもなんでも自分の行きたいところへ出かけられた。末子を引き取り、三郎を引き取りするうちに、目には見えなくても降り積もる雪のような重いものが、次第に深くこの私を埋めた。
しかし私はひとりで子供を養ってみているうちに、だんだん小さなものの方へ心をひかれるようになって行った。年若い時分には私も子供なぞはどうでもいいと考えた。かえって手足まといだぐらいに考えたこともあった。知る人もすくない遠い異郷の旅なぞをしてみ、帰国後は子供のそばに暮らしてみ、次第に子供の世界に親しむようになってみると、以前に足手まといのように思ったその自分の考え方を改めるようになった。世はさびしく、時は難い。明日は、明日はと待ち暮らしてみても、いつまで待ってもそんな明日がやって来そうもない、眼前に見る事柄から起こって来る多くの失望と幻滅の感じとは、いつでも私の心を子供に向けさせた。
そうは言っても、私が自分のすぐそばにいるものの友だちになれたわけではない。私は今の住居に移ってから、三年も子供の大きくなるのを待った。そのころは太郎もまだ中学へ通い、婆やも家に奉公していた。釣りだ遠足だと言って日曜ごとに次郎もじっとしていなかった時代だ。いったい、次郎はおもしろい子供で、一人で家の内をにぎやかしていた。夕飯後の茶の間に家のものが集まって、電燈の下で話し込む時が来ると、弟や妹の聞きたがる怪談なぞを始めて、夜のふけるのも知らずに、皆をこわがらせたり楽しませたりするのも次郎だ。そのかわり、いたずらもはげしい。私がよく次郎をしかったのは、この子をたしなめようと思ったばかりでなく、一つには婆やと子供らの間を調節したいと思ったからで。太郎びいきの婆やは、何かにつけて「太郎さん、太郎さん」で、それが次郎をいらいらさせた。
この次郎がいつになく顔色を変えて、私のところへやって来たことがある。
「わがままだ、わがままだって、どこが、わがままだ。」
見ると次郎は顔色も青ざめ、少年らしい怒りに震えている。何がそんなにこの子を憤らせたのか、よく思い出せない。しかし、私も黙ってはいられなかったから、
「お前のあばれ者は研究所でも評判だというじゃないか。」
「だれが言った――」
「弥生町の奥さんがいらしった時に、なんでもそんな話だったぜ。」
「知りもしないくせに――」
次郎が私に向かって、こんなふうに強く出たことは、あとにも先にもない。急に私は自分を反省する気にもなったし、言葉の上の争いになってもつまらないと思って、それぎり口をつぐんでしまった。
次郎がぷいと表へ出て行ったあとで、太郎は二階の梯子段を降りて来た。その時、私は太郎をつかまえて、
「お前はあんまりおとなし過ぎるんだ。お前が一番のにいさんじゃないか。次郎ちゃんに言って聞かせるのも、お前の役じゃないか。」
太郎はこの側杖をくうと、持ち前のように口をとがらしたぎり、物も言わないで引き下がってしまった。そういう場合に、私のところへ来て太郎を弁護するのは、いつでも婆やだった。
しかし、私は子供をしかって置いては、いつでもあとで悔いた。自分ながら、自分の声とも思えないような声の出るにあきれた。私はひとりでくちびるをかんで、仕事もろくろく手につかない。片親の悲しさには、私は子供をしかる父であるばかりでなく、そこへ提げに出る母をも兼ねなければならなかった。ちょうど三時の菓子でも出す時が来ると、一人で二役を兼ねる俳優のように、私は母のほうに早がわりして、茶の間の火鉢のそばへ盆を並べた。次郎の好きな水菓子なぞを載せて出した。
「さあ、次郎ちゃんもおあがり。」
すると、次郎はしぶしぶそれを食って、やがてきげんを直すのであった。
私の四人の子供の中で、三郎は太郎と三つちがい、次郎とは一つちがいの兄弟にあたる。三郎は次郎のあばれ屋ともちがい、また別の意味で、よく私のほうへ突きかかって来た。何をこしらえて食わせ、何を買って来てあてがっても、この子はまだ物足りないような顔ばかりを見せた。私の姉の家のほうから帰って来たこの子は、容易に胸を開こうとしなかったのである。上に二人も兄があって絶えず頭を押えられることも、三郎を不平にしたらしい。それに、次郎びいきのお徳が婆やにかわって私の家へ奉公に来るようになってからは、今度は三郎が納まらない。ちょうど婆やの太郎びいきで、とかく次郎が納まらなかったように。
「三ちゃん、人をつねっちゃいやですよ。ひどいことをするのねえ、この人は。」
「なんだ。なんにもしやしないじゃないか。ちょっとさわったばかりじゃないか――」
お徳と三郎の間には、こんな小ぜり合いが絶えなかった。
「とうさんはお前たちを悪くするつもりでいるんじゃないよ。お前たちをよくするつもりで育てているんだよ。かあさんでも生きててごらん、どうして言うことをきかないような子供は、よっぽどひどい目にあうんだぜ――あのかあさんは気が短かかったからね。」
それを私は子供らに言い聞かせた。あまり三郎が他人行儀なのを見ると、時には私は思い切り打ち懲らそうと考えたこともあった。ところが、ちいさな時分から自分のそばに置いた太郎や次郎を打ち懲らすことはできても、十年他に預けて置いた三郎に手を下すことは、どうしてもできなかった。ある日、私は自分の忿りを制えきれないことがあって、今の住居の玄関のところで、思わずそこへやって来た三郎を打った。不思議にも、その日からの三郎はかえって私になじむようになって来た。その時も私は自分の手荒な仕打ちをあとで侮いはしたが。
「十年他へ行っていたものは、とうさんの家へ帰って来るまでに、どうしたってまた十年はかかる。」
私はそれを家のものに言ってみせて、よく嘆息した。
私たちが住み慣れた家の二階は東北が廊下になっている。窓が二つある。その一つからは、小高い石垣と板塀とを境に、北隣の家の茶の間の白い小障子まで見える。三郎はよくその窓へ行った。遠い郷里のほうの木曽川の音や少年時代の友だちのことなぞを思い出し顔に、その窓のところでしきりに鶯のなき声のまねを試みた。
「うまいもんだなあ。とても鶯の名人だ。」
三郎は階下の台所に来て、そこに働いているお徳にまで自慢して聞かせた。
ある日、この三郎が私のところへ来て言った。
「とうさん、僕の鶯をきいた? 僕がホウヽホケキョとやると、隣の家のほうでもホウヽホケキョとやる。僕は隣の家に鶯が飼ってあるのかと思った。それほど僕もうまくなったかなあと思った。ところがねえ、本物の鶯が僕に調子を合わせていると思ったのは、大間違いサ。それが隣の家に泊まっている大学生サ。」
何かしら常に不満で、常にひとりぼっちで、自分のことしか考えないような顔つきをしている三郎が、そんな鶯のまねなぞを思いついて、寂しい少年の日をわずかに慰めているのか。そう思うと、私はこの子供を笑えなかった。
「かあさんさえ達者でいたら、こんな思いを子供にさせなくとも済んだのだ。もっと子供も自然に育つのだ。」
と、私も考えずにはいられなかった。
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