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業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:54:35  点击:  切换到繁體中文

 

  十

 藤原喜代之助は女房おあさより文治に送った文(ふみ)を見詰めて居りましたが、真に口惜(くや)しかったと見えます。
 文「何(なん)と書いてありますかな」
 喜「何(なん)ともかとも重々面目次第もない、斯様(かよう)なる不埓(ふらち)な奴とも心得ず、三年以来(このかた)連れ添って居(お)る手前へ対し、斯様などうも何(なん)とも申そうようござらぬ不人情な奴でござる、母へ食(しょく)を与えず、打ち打擲致したに相違ござらぬ、手前は兎角貧乏にかまけ留守がちゆえ、其の不孝も存じませんでした、手前の殺せん処を見抜いて天が殺したとは能く仰(おっし)ゃって下すった、成程これは天が捨て置きません、私(わたくし)に殺せませんから貴方様が天になり代り、一命を捨てゝも喜代之助を助けて下さると云う其の御親切は驚き入りました、あなたは天下の英雄だ、人の女房を手込めに殺すなどと云うことは他人には出来る訳のものでない、善(よ)く殺して下すった、忝(かたじけ)ない、宜しい手前是れから女房おあさが母に食を与えず、面部へ傷を付けたる廉(かど)を以(もっ)て捨置き難(がた)く手打に致したと、手前引受けて訴え出(い)で、あなたのお名前はこればかりも出しません、誠に善く殺して下さいました、忝けない」
 と女房を殺した人に礼を云って居りますから、母は気の毒に思い、五十両の金を内済として贈ると、喜代之助はどうしても受けませんで、
 喜「どうして私(わたくし)の為に命を掛けて助けて下すったに、金子を戴く訳はありません、実に文治郎殿の気性には手前感服致した、此の様(よう)なる方と御懇意にしたら此方(こっち)の曲った心も直ろうと思いますから、以後御別懇に願いたい、就(つい)ては母も老体で私(わたくし)が内職に行(ゆ)くことが出来ませんから、文治郎殿の鑑識(めがね)に適(かな)った女房を世話をして下さい、成るべくお親戚(みより)なれば尚更忝けない」
 との頼みに文治郎も捨置かれませんから、母の姪(めい)のおかやと云う年二十六になる、器量は余り宜しくないが屋敷育ちで人柄な心掛のよい女を嫁にやろうと云うと、喜代之助は大きに喜びまして、何しろおあさを殺したことを届けようと云うので届出ますと、岡ッ引(ぴき)御用聞などが段々探索になりましたなれども、彼(あ)の女は元より母親に食物を与えず、不孝邪慳の女で悪い者だということが明白になったから、何事もなく相済み、おあさの死骸(しがい)は野辺の送りを済ませた上で、文治郎の母は内済金五十両をおかやの持参金として贈りましたから、以前と違っておかやは母親を大切に致しますから、喜代之助は喜び、夫婦中睦(なかむつま)しく、倶(とも)に文治郎の宅へ出入りをするようになりました。すると何(ど)う云う訳か文治郎の母がお飯(まんま)を食べなくなりましたから、文治もこれには驚きまして、
 文「これ森松」
 森「へい」
 文「お母様(っかさま)は御膳を食(あが)らんではないか」
 森「へー喰いませんよ」
 文「喰いませんよではない、昨日(きのう)も食べないではないか」
 森「一昨日(おとゝい)も喰いません」
 文「何故三日も食(あが)らんのに私(わし)に知らせん」
 森「それでも喰いたくねえって」
 文「馬鹿を云え、三日も食(あが)らずに居(お)られるものか、お加減が悪いのだから医者を呼ばなければならん、医者を呼んで来い」
 森「何(なん)だか腹が充(くち)いって」
 文「三日も召上らんでは困ります…御免下さい」
 と障子を開(あけ)ると母親は座蒲団の上に行儀正しく坐っているのを見て、
 文「此の程はお食(しょく)が頓(とん)とおすゝみにならぬそうで、文治郎も驚き入りました、三日も食(あが)らんと云うことはさっぱり存じませんでした、お加減が悪ければそれ/″\医者を呼びますものを、大層お窶(やつ)れの御様子、何か御意(ぎょい)に入らんことがござれば、これ/\と仰(おっし)ゃり聞けまするように願います」
 母「はい、私は喰(た)べません、餓死致します、お前の様な匹夫の勇を奮って浪島の家名を汚(けが)す者の顔を見るのが厭だから私は餓死致します、親父(おとっ)さまは早く此の世をお逝(なくな)り遊ばし、母親が甘う育てたからお前が左様なる身持になり、親分とか勇肌(いさみはだ)の人と交際(つきあい)をして喧嘩の中へ入り、男達(おとこだて)とか何(なん)とか実にどうも怪(け)しからん致方(いたしかた)、不埓者め、手前も天下の禄を食(は)んだ浪島の子ではないか、左様なる不孝不義の子の顔を見るのは厭でございますから喫(た)べずに死にますが、私が死ぬのは私が勝手に餓死致すのではなく、手前が乱暴を働くのを見て居(お)るのが辛いから食(しょく)を止(とゞ)めて死ぬのじゃによって、仮令(たとえ)手を下さずとも其方(そなた)が親を乾(ほ)し殺すも同じじゃによって左様心得ろ」
 文「へえ、それは重々恐れ入りました、お母様(っかさま)真平(まっぴら)御免遊ばして下さいまし、是れまで余儀ない人に頼まれ、喧嘩の中へ入りましたのは宜しくないとは心得ながら、止(や)むを得ず人の為に身を擲(なげう)って事を致しましたことが再度ございましたが、お母様の只今の御一言で文治郎実に何(なん)ともかともお詫の致し様がございません、只今のお小言に懲りまして決して他(た)へ出ません、お母様のお側を離れません、喧嘩のけの字も申しませんゆえ何卒(どうぞ)お許し遊ばして、御飯(ごぜん)を喰(あが)って下さいまし、手を下さずとも親を乾し殺すも同様であるとの御一言は、文治郎身を斬られるより辛(つろ)うございます」
 母「喰(た)べんと云ったら喰べん、文五右衞門(ぶんごえもん)殿の亡い後(のち)は私(わし)が親父様(おとっさま)の代りでございます、武士に二言はない、決して勧めるときかんぞ」
 文「へえ/\/\/\」
 森「お母(っか)さん食べておくんなせい、お願いだ、旦那も心配していらア、旦那だって喧嘩はしたくはねえが拠(よんどころ)なく頼まれて人を助けるのだから、まア堪忍して食(く)っておくんねえ」
 母「なんの、手前まで喧嘩があると悦んで飛出す癖に、其方(そっち)へ行(ゆ)け」
 森「お母さん、じれちゃアいけませんよ」
 母「手前の知ったことではない」
 と叱られて、文治郎と一緒に次の間へ来まして、
 森「どうしたのでござえますね」
 文「はて私(わし)を仕置(しおき)のため御膳をあがらんのだわ」
 森「へえ変ですねえ、仕置にお飯(まんま)を喰わせねえというのは聞きやしたが、自分の方で喰わねえのは妙だねえ」
 文「お母さまは茶椀蒸がお好(すき)だが、いつでも、料理屋で拵(こしら)えたのよりは、文治郎の拵えたのが宜しいと仰ゃって喰(あが)るから、蒸(むし)を拵えましょう…蒲焼(かばやき)の小串(こぐし)の柔かいのと蒲鉾(かまぼこ)の宜しいのを取ってこい、御膳は私(わし)がといで炊くから」
 とこれから文治郎自分で料理をして膳を持って障子を開け、
 文「お母様、先程の御一言は文治郎の心魂に銘じました、御一命を捨てゝの御意見何(なん)とも申そう様ござらぬ、此の後(ご)は慎みますから何卒(どうぞ)御勘弁遊ばして召上って下さいまし、三日も召上らんから大分(だいぶ)お窶(やつ)れも見えまして誠に心配致します、文治郎手づから茶椀蒸を拵え、御飯も自分で炊きましたから、何卒召上って下さいまし、お母さま、これからは決してお側を離れません、何卒御勘弁を」
 と文治郎涙を浮べ茶椀蒸の蓋(ふた)を取って恐る/\母の前へ窃(そ)っと差出しました。
 母「喰(た)べんと云うのに何故面前へ膳を突附(つきつ)けたのじゃ、手前は母へ逆らうか、喰べんと云ったら喰べやアしません、其方(そっち)へ持って行(ゆ)け」
 と云いながらポーンと膳を片手で突きましたから、膳は転覆(ひっくりかえ)る、茶椀蒸は溢(こぼ)れる。
 文「これ/\森松や雑巾(ぞうきん)を持ってこい」
 森「へえこれは大変々々、お母さん堪忍して食っておくんなせい、旦那がお前さんに喰(た)べさせていと云って拵えたのだ、食わなければ食わないで宜しいじゃアねえか、私(わっち)が食いやす、斯(こ)うやって旦那が詫るのだから好加減(いゝかげん)に勘忍しておくんねえ、親孝行だって相手が悪くっちゃア仕様がねえなア」
 文「これ何を云う、其方(そっち)へ行(ゆ)け、なぜお母さまの前でそんな事を云うのだ」
 森「それだってあんまりだア、旦那自暴(やけ)を起しちゃアいけねえ、お前さんの様な親孝行な人はねえ、旦那が自分でお飯(まんま)を炊いてお菜(かず)までこせえて食わせようと云うに…そんな人がある訳のものじゃアねえ、私(わっち)なんぞが道楽をする時分にゃア、お母(ふくろ)が飯を炊いてお菜をこせえて、さア森やお飯が出来たから起ろよ、と云われて膳に向い、お菜が気に入らねえと膳を足で蹴ったものだ、それを一軒の立派な旦那がお飯を炊いて食わせるのは一と通りの訳じゃアねえ、怒(おこ)らねえでも宜(い)いじゃアねえか」
 文「これ/\手前の知ったことではない、此のお詫ごとは藤原喜代之助に限るな」
 森「へえ/\」
 文「藤原の女房を殺したことが今出て来たのだな」
 森「へえ/\成程、藤原の先(せん)の女房は彼(あ)の婆さんに飯を食わせずにいて殺されたから、それでお母さんが食わなくなったのだ」
 文「そうじゃアないわ、喜代之助でなければ」
 と文治郎は直(すぐ)に藤原の宅へ参り。
 文「はい御免」
 喜「おや/\さア此方(こっち)へお上り、おかやや文治郎殿がお出(いで)なすった、鳥渡(ちょっと)お茶を入れて」
 か「はい」
 喜「鳥渡上(あが)ろうと存じて居りましたが、今日は内職を休んで家(うち)にいた処で、丁度宜しい、まア此方へ」
 文「少々お願(ねがい)があって参りました、母が立腹を致して三日程食事をしません、種々(いろ/\)詫を致しても肯(き)きません、手前が喧嘩の中へ入り、匹夫の勇を奮い、不孝の子を見るのが厭だから餓死して意見をすると申して肯きません、此の詫ことは貴方(あなた)より外(ほか)にない、どうか貴方お詫ことを願います」
 喜「いやそれは、お母様(っかさま)が御膳が進まんと云う事はきゝましたが全くですか、昨日(きのう)お見舞に出た時、お食は如何(いかゞ)ですと申した処が、なに御飯(ごはん)は三椀(ばい)も喫(た)べられて旨いと仰ゃったが、それでは嘘ですか、命を捨てゝも浪島の苗字(みょうじ)が大切と思召(おぼしめ)し、御老体の身の上で我子(わがこ)を思う処から、餓死しても貴方の身を立てさせたいと思召す、それに貴方が御孝心ゆえ左様に御心配なさるのでしょう、宜しい、お詫に出ましょう、かやがお母様の御意(ぎょい)に叶(かな)って居りますから、かやも同道致してお詫に上りましょう」
 と直ぐに羽織を引掛(ひきか)け、一刀帯(さ)して女房おかやを連れ、文治郎の台所口から、
 喜「はい御免なさい」
 森「藤原さんですか、お母さんが膳を転覆(ひっくりけえ)して旦那もお困りですが、お母さんは※(たが)がゆるんだのだ」
 喜「これ大きな声をしてはいけません」
 と母親の居間へ通り、
 喜「お母様御機嫌宜しゅう」
 母「おやお揃(そろ)いで」
 喜「只今承わりましたが、文治郎殿がお失策(しくじり)で中々お聞入れがないから、手前に代ってお詫をしてくれと、何事にも恐れぬ文治郎殿が驚かれ、顔色(かおいろ)変えて涙を浮べ頼みに参ったから直様(すぐさま)出ましたが、どうか御了簡遊ばして、御飯を召上るように願います」
 母「決して詫などをして下さるな」
 か「お母様、そんなことを御意遊さずに御免下さい、彼(あ)の文治郎さまの御気性でお驚き遊ばしたのはよく/\のことでございますから、何卒(どうぞ)お許し遊ばして、御飯を召上って下さいまし」
 母「いや喫(た)べんと云ったら二言(ごん)とは申しません」
 喜「宜しい、あなたの御気性で、食を止(とゞ)め餓死しても文治郎殿の為に遊ばすと云うのは、子が可愛いからでしょうが、何(ど)うか文治郎殿に代ってお詫を申上げます、お赦(ゆる)し下さい」
 母「いゝえ、お置き下さい」
 か「どうか私(わたくし)に免じて御飯を食(あが)って下さいまし」
 母「なりません、侑(すゝ)めると肯(き)きません」
 喜「それではどうも致し方がない、死を極めておいでなすって見れば仕方がないによって、手前此の場で割腹致しお先供(さきとも)を致す」
 か「私(わたくし)も供(とも)にお先供致します」
 と云いながら鞘(さや)を払って已(すで)に斯(こ)うと覚悟致しますから、
 母「まアお待ちなさい」
 喜「いゝえ待ちません」
 母「これかや、まア待ちな……命を捨てゝ詫ことをして下さる、赦し難い奴なれども、お前方両人に免じて一とたびは赦しますから、文治郎をこれへお呼び下さい」
 喜「なに、御勘弁下さると、それは有難い、文治郎殿、お詫ごとが叶(かな)いましたから此方(こっち)へ入っしゃい」
文「はい、能(よ)う御勘弁下され文治郎誠に有難く心得ます」
母「赦し難いやつなれども御両人に免じて赦すから此方へ来なさい、仕置を申付けるから」
 文「どの様なるお仕置でも遊ばして下さいまし、文治郎聊(いさゝ)かもお怨(うら)みとは心得ません」
 母「手を出しなさい、二の腕を出しな」
 文「へい」
 と腕をまくって出すと母は文治郎の腕を確(しっ)かり押え、
 母「かやや、其処(そこ)に硯(すゞり)があるから朱墨(しゅずみ)を濃く磨(す)って下さい、そうして木綿針(もめんばり)の太いのを三十本ばかり持って来(き)な」
 喜「お母様何をなさる」
 母「仕置を致す」
 と云いながら文治郎の二の腕へ筆太(ふでぶと)に「母」と云う字を書きまして、針でズブ/\突き、刺青(ほりもの)を初めましたが、素人彫りで無闇に突きますから痛いの痛くないのって、
 母「さア、これで宜しい、私が父親(てゝおや)なれば疾(とく)に手打にして命はないのだから、手前の命は亡いものと心得ろ。これからは母の身体(からだ)だによって、若(も)し私の意見に背き、喧嘩をして身体へ傷を付ければ母の身体へ傷を付けたも同じだから、左様心得て以後はたしなめ」
 文「はゝ畏(かしこま)りました」
 喜「成程、お母様の御意見感服致した、文治郎殿、以後は気をお付けなさい、万一湯に行って転んで傷を付けても、お母様の身体へ傷を拵えたのも同じになるから気を付けないといけません、さア、それではお母様御飯を上るように願います」
 と云われ、そこは親子の情(じょう)でございますから、喜代之助夫婦と四人で一と口飲んで食事も済ませ、藤原夫婦も嬉しく思って帰りましたが、これより後(のち)は文治郎は親の慈悲を反故(ほご)にしてはならんと云うので、頓(とん)と他(た)へ出ません。母の側に附き限(き)りで居りまして、母の機嫌を取るばかりでなく、足腰を撫擦(なでさす)り、又は枕元に本を持って参りまして、読んで聞かせたりして、外出(そとで)を致しませんから、また母も心配して、
 母「文治郎、此の頃は久しく外出(そとで)をしないのう」
 文「左様でございます、お母様も私(わたくし)をお案じなすってお外出をなさいませんが、偶(たま)には御遊歩(ごゆうほ)遊ばした方がお身体の為にも宜しゅうございます」
 母「左様さ、今日は幸い天気も好(よ)いからお父様(とっさま)のお墓詣(まい)りに行(ゆ)きましょう」
 文「へえお供いたしましょう」
 と其の日は墓詣りに行き、今日は観音(かんおん)、明日(あす)は何処(どこ)と遊歩にまいり、帰りにお汁粉でも食べて帰る位でございます。廿五六の壮年(さかりどし)のものがお母(っか)さんの手を曳いて歩き、帰りに達摩汁粉を食って帰って来る者は世間にはありませんが、文治郎は母の云うなり次第になって、五月までは決して一人(いちにん)で外出(そとで)を致しませんでしたが、安永九年に本所五目(いつゝめ)の羅漢堂(らかんどう)建立(こんりゅう)で栄螺堂(さざえどう)が出来ました。只今では本所の割下水へ引けましたが、其の頃は大(たい)した立派な堂でございました。文治郎母子(おやこ)も五百羅漢寺へ参詣して帰って参りました。丁度日の暮方(くれがた)、北割下水へ通り掛りますと、向うの岸が黒山のような人立で、剣客者(けんかくしゃ)の内弟子らしい、袴(はかま)をたくしあげ稽古着(けいこぎ)を着て、泡雪(あわゆき)の杓子(しゃくし)を見た様な頭をした者が、大勢で弱い町人を捕(つかま)えて打ち打擲致し、割下水の中へ打込(ぶちこ)んで、踏んだり蹴たりします。彼(か)の町人は口惜(くや)しいから、
 町「殺せ、さア殺して仕舞えあゝ口惜しい」
 と泣声も絶え/″\になりましたが、遠くに立って居ります者も、相手が侍で屋敷の前でございますから、逡巡(あとずさ)りをして唯騒いでいるのみでございます。
 「何(なん)でございます」
 「何ですか分りませんが、向うは大伴蟠龍軒(おおともばんりゅうけん)と云う剣客者だそうでございます、其の内弟子が町人体(ちょうにんてい)の者を捕まえて打ち打擲しますが、余程悪いことをしたのでしょう」
 「もし彼(あれ)は何(なん)でございます」
 「泥坊で縁の下に隠れていたのだそうです」
 「縁の下から刀と槍(やり)が出たそうです」
 「へー剣術遣(つか)いの家(うち)へ泥坊が入ったのですか」
 「そうじゃアない、火を放(つ)けたのだそうです、火を放けて燃え上ろうとする処を揉消(もみけ)したんだそうです」
 「火を放けたんですか、物にならなくってお互に好(い)い塩梅(あんばい)でした」
 「なアに妾(めかけ)を盗んだそうです、剣術遣いの妾を町人が盗んだのだと云うことです」
 「なアに借のある奴がしらばっくれて表を通る処を捕えたのだそうです」
 「なアに、そうじゃアない、出入の町人の女房を取られたのだとね、金を取られた上にあんな目に逢うのだとね」
 「そうじゃアない巾着切(きんちゃくき)りだと」
などと少しも分りません。処へ文治郎が通り掛りますと、向うから知って居(お)る者が参りまして、
 「旦那今日(こんち)は」
 文「これは暫(しばら)く」
 「今日(こんち)は何方(どちら)へ」
 文「母と羅漢寺へ参詣に参りました…向うに人立ちのして居(お)るのは何(なん)です」
 「彼(あれ)はたしか旦那様御存じでございましょう、もと駒形にいて今は銀座に店を出している袋物屋だそうです、彼処(あすこ)へ出入中に金の抵当(かた)に女房を取られ、金を返しに行ったところが、金を取られ、女房は返えさず打ち打擲したそうです、口惜しいから悪態を云うと門弟が引出して、彼(あ)の通り打(ぶ)ったり溝(どぶ)の中へ突込(つきこ)んだりして、丸で豚を見たようです、太(ふて)い奴ですなア」
 文「何(なん)ですか、あの紀伊國屋の友之助ですか」
 「私(わたくし)は知りませんが隣り屋敷の家来が塀へ上(のぼ)って見たら彼(あ)の男だと云う話ですが、非道(ひど)い奴ですなア」
 文「女房を取られ、彼(あ)の倒(さかさま)になっているのは友之助ですか、ふゝん」
 と怒りに堪えず二歩(ふたあし)三歩(みあし)行(ゆ)きに掛りますと、
 母「あゝ文治郎お前はまア見相(けんそう)を変えて何処(どこ)へ行(ゆ)くのだえ」
 文「へー/\……鳥渡(ちょっと)手水(ちょうず)を致そうと存じまして」
 母「フーム、少し余熱(ほとぼり)が冷(さめ)ると直(すぐ)に持った病が出ます、二の腕の刺青(ほりもの)を忘れるな」
 文「はい」
 と母と一緒だからどうにも出来ません、仕方がないから其の儘見捨てゝ母と共に宅へ帰りました。これから母の教えが守り切れず、大伴の道場へ切込む達引(たてひき)のお話、一寸(ちょっと)一と息つきまして申し上げます。

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