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業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:54:35  点击:  切换到繁體中文

 

  八

 業平文治が安永の頃小笠原島(おがさわらじま)へ漂流致します其の訳は、文治が人殺しの科(とが)で斬罪(ざんざい)になりまする処を、松平右京(まつだいらうきょう)様が御老中(ごろうじゅう)の時分、其の御家来藤原喜代之助(ふじわらきよのすけ)と云う者を文治が助けました処から、其の藤原に助けられまするので、実に情(なさけ)は人の為ならでと云う通り、人に情はかけたいものでございます。男達(おとこだて)などは智慧もあり又身代(しんだい)も少しは好(よ)くなければなりませんし無論弱くては出来ませぬが、文治の住居(すまい)は本所業平村の只今植木屋の居ります所であったと云うことでございます。文治の居ります裏に四五軒の長屋があります、此処(こゝ)へ越(こし)て来ましたのは前(ぜん)申上げました右京様の御家来藤原喜代之助で、若気(わかげ)の至りに品川のあけびしのおあさと云う女郎に溺(はま)り、御主人のお手許金(てもときん)を遣(つか)い込み、屋敷を放逐(ほうちく)致され、浪人して暫(しばら)く六間堀(ろっけんぼり)辺に居りました其の中(うち)は、蓄えもあったから何(ど)うやら其の日を送って居りましたが、行(ゆ)き詰って文治の裏長屋へ引越(ひきこ)し、毎日弁当をさげては浅草の田原町(たわらまち)へ内職に参ります。留守は七十六歳になる喜代之助の老母とおあさと云う別嬪(べっぴん)、年は廿六ですが一寸(ちょっと)見ると廿二三としか見えない、うすでの質(たち)で色が白く、笑うと靨(えくぼ)がいります。此の靨と云うものは愛敬のあるもので私(わたくし)などもやって見たいと思って時々やって見ましたが、顔が皺(しわ)くちゃだらけになります。おあさは小股(こまた)の切り上った、お尻(しり)の小さい、横骨の引込(ひっこ)んだ上等物で愛くるしいことは、赤児(あかご)も馴染むようですが、腹の中は良くない女でございますけれど、器量のよいのに人が迷います。所で森松が岡惚(おかぼれ)をしましてちょく/\家(うち)の前を通りまして、
 森「えー今日(こんち)は」
 などと辞(ことば)をかけたり水を汲んでやったり致しますが、妙なもので若い女が手桶(ておけ)を持って行(ゆ)くと「姉さん汲んで上げましょう」と云いますが、これがお婆(ばあ)さんが行って「一つ汲んでおくんなさい」と云うと、井戸を覗いて見て「好(い)い塩梅(あんばい)に水があればいゝが」と云うくらいなことで。森松がちょく/\水を汲んでくれたり、買物や何かして遣(や)りますから、おあさは手拭の一筋もやったりなどして居りますと、或日のことおあさが云うに、
 あさ「お母(っか)さんが煩っていてじゞ穢(むさ)くって仕様がないよ、何かする側で御膳を喫(た)べるのは厭(いや)だから、森さんお前さんの知っている所でお飯(まんま)を喫べよう」
 と云われた時は森松は嬉しくって、
 森「参りやすとも、角の立花屋へ往って待っておいでなせえ」
 と約束して、これから森松は借物の羽織で小瀟洒(こざっぱり)した姿(なり)をして出掛けて往(ゆ)き、立花屋の門口から、
 森「親方今日(こんちや)あ」
 立[#「立」は底本では「五」と誤記]「いや森さんかえ」
 森「二階に(こゆびを見せる)こりゃアいやアしませんか」
 立「なんだい小指を出して、お前さんのお連(つれ)かえ、先刻(さっき)から来ているよ」
 と云われ、森松はニコ/\しながらとん/\/\と二階へ上(あが)ると、種々(いろ/\)な酒肴(さけさかな)を取っておあさが待って居りまして、
 あ「ちょいと遅いことねえ、お前(ま)はんが来ないから私は極りが悪くって仕様がないよ」
 森「宅(うち)を胡麻化して来ようと思ってつい遅くなりやした」
 あ「あら髪なんぞを結って来るんだものを」
 森「なアに家(うち)を出る時髪を結って来ると云って出ねえと極りが悪いから」
 あ「気にも入るまいが色か何かの積りで緩(ゆっ)くり飲んでおくれな」
 森「大層お肴がありやすねえ」
 あ「さアお喫(あが)りよ」
 森「戴きやす、御新造(ごしんぞ)のお酌で酒を飲むなんて勿体(もってえ)ねえことです、えーどうも旨いねえ」
 あ「ちょいと種々(いろ/\)森さんのお世話になり、買物をするにも勝手が知れないから聞くと、私が買って上げようと云ってお世話になるから、何か買って上げようと思ったが、宅(うち)へ知れると年寄に訝(おか)しく思われるから思うようにいけないが、これは少しだがお前さんに上げるから」
 森「こんな事をなすっちゃアいけませんよ」
 あ「ちょいと私が、お前さんに袷(あわせ)の表を上げたいと思って持って来たよ、じゃがらっぽいがねえ銘仙(めいせん)だよ、ぼつ/\して穢(きたな)らしいけれども着ておくれでないか」
 森「戴く物は夏もお小袖と云うから結構でござえやす」
 あ「斯うしよう、お前の着物の寸法を書いておよこし、良人(うち)の留守の時縫って上げよう」
 森「こりゃア有難い、これはどうもお前さんのような御気性な人はねえや、ちょくで人を逸(そら)さないようにして…あなたの所(とこ)の旦那はお堅うござえやすねえ」
 あ「屋敷者だもの、だから不意気(ぶいき)だよ」
 森「朝ね、黒い羽織を着て出る時、何時(いつ)も路地で逢うから、旦那お早うと云うと、好(い)い天気でござるなんかんて云うが、あんな堅い方はありません、一杯戴きやしょう、好い酒だ、私(わっち)アね何時でも宅(うち)を出る時、極りが悪いからちょっと往って来(き)やすよと云うと、旦那ア知ってるから森やア酔わねえように飲めよと云われるが、宅じゃア気が詰って飲めねえし、どうも酔えねえようには出来ねえが、宅の旦那は妙ですねえ…どうも有難うござえやす」
 あ「私(わたし)アあねえ気が合わないから宅(うち)の藤原と別れ話にして、独り暮しになるからちょく/\遊びに来ておくれよ」
 森「へー往(ゆ)くくらいじゃア有りやせん、へえ別れるねえ」
 あ「別れると宅(うち)のも屋敷へ帰るし、私もいゝから別れようと思うのさ」
 森「成程気が合わねえ、へえ成程、へえお前さんが独りになればポカ/\遊びに往(ゆ)きますよ」
 あ「こんな事を云って、私が一生懸命の事を云うが、お前叶(かな)えておくれか」
 森「何(なん)の事ですか、あなたの云う事なら聴きますともさ」
 あ「女の口からこんな事を云って聴かないと恥をかくからさ」
 森「聴きますよ、えゝ聴きますとも」
 あ「蔑(さげす)んじゃアいけないよ」
 森「蔑すむ処(どころ)か上げ濁(にご)しますよ」
 あ「本当に無理な事を云って蔑んではいけないよ」
 森「それとも…私(わっち)のような者に惚れる訳はないもの」
 あ「あれさお前じゃアないよ」
 森「私(わっち)じゃアねえ、然(そ)うだろうと思った」
 あ「お前の処(とこ)の文治さんにさ」
 森「こりゃア呆(あき)れたねえ、こりゃア惚れらア、男でも惚れやすねえ」
 あ「男振(おとこぶり)ばかりじゃアないよ、世間の様子を聞くと、お前の所の旦那は下(しも)の者へ目をかけ、親に孝行を尽すと云うことだから私アつく/″\惚れたよ、何(ど)うせ届かないが森さん、私が一人で暮すようになれば旦那を連れて来ておくれ、お酒の一杯も上げたいから」
 森「こりゃア惚れますねえ、宅(うち)の旦那には女ばかりじゃアねえ男が惚れやすが、堅いからねえ、何(ど)うとかして連れて往(ゆ)きましょう、私(わっち)が旦那を連れて新道(しんみち)を通る時、お前さんが森さんお寄んないと云うと、私(わっち)が旦那こゝは先(せん)に宅(うち)の裏にいた藤原の御新造(ごしんぞ)の家(うち)だから鳥渡(ちょっと)寄りましょうと云うので連れ込むから」
 あ「私ア素人っぽい事をするようだが、手紙を一本書いておいたから、旦那の機嫌の好(い)い時届けておくれ」
 森「大形(おおぎょう)になりやしたなア、こりゃアお前さんが書いたのかね」
 あ「艶書(いろぶみ)が人に頼まれるものかね」
 森「それじゃア機嫌の好い時に届けやしょう」
 と云って互いに別れて宅(うち)へ帰って、森松は文治に云おうかと思ったが、正しい人ゆえ、家(うち)にいても品格を正しくしているから口をきく事が出来ません。或日の事母が留守で、文治が縁側へ出て庭を眺(なが)めて居りますから、
 森「旦那え」
 文「何(なん)だの」
 森「今日(こんち)は誠に結構なお天気で」
 文「何だ家(うち)の内で常にない更(あらた)まってそんな事を云うものがあるものか」
 森「何時(いつ)でも御隠居さんが、文治に好(い)い女房(にょうぼ)を持たせて初孫(ういまご)の顔を見てえなんて云うが、あんたは御新造をお持ちなせえな」
 文「御新造を持てと云っても己(おれ)のような者には女房(にょうぼ)になってくれ人(て)がないや」
 森「えゝ、旦那が道楽の店でも出せば娘っ子がぶつかって来ますが、旦那は未(いま)だに女の味を知らねえのだから仕方がねえや、何(どん)なのが宜(よ)うごぜえやすえ、長いのが宜うがすかえ、丸いのが宜うがすかえ」
 文「それは長いのが宜(い)いと思っても丸いのを女房(にょうぼ)にするか皆縁ずくだなア」
 森「裏へ越して来た藤原の御新造は何(ど)うです」
 文「左様々々、彼(あれ)は美人だの」
 森「なアに、そうじゃアありやせん、彼は何(ど)うです」
 文「大層世辞がいゝの」
 森「彼は何うです、彼になせえな」
 文「彼になさいと云っても彼は藤原の女房(にょうぼう)だ」
 森「女房じゃアありません、来月別れ話になって、これから孀婦(やもめ)暮しにでもなったら、旦那を連れて来てくれってんです」
 文「嘘をいうな」
 森「嘘じゃアねえ私(わっち)を立花屋へ連れて往って御馳走をして、金を二分(ぶ)くれて、旦那を斯(こ)うと云うのです」
 文「嘘を吐(つ)け」
 森「嘘じゃアありやせん、この文(ふみ)を出して、何(ど)うか返事を下さいってんでさア、返事が面倒なら発句(ほっく)とか何(な)んとか云うものでもおやんなせえ」
 文「これは彼(あ)の女の自筆か」
 森「痔疾(じしつ)なんざアありやせんや、瘡毒(とや)に就(つい)て仕舞っているから」
 文「そうじゃアない彼の女の書いたのか」
 森「先(せん)にゃア人に頼んだろうが、今じゃア人には頼めやせんや」
 文「何(なん)だってこれを持って来た」
 森「何(なん)だってって旦那に返事を書いて貰ってくれと云うから」
 文「痴漢(たわけ)め」
 森「あゝ痛(いて)い、何をするんで」
 文「苟(かりそめ)にも主(ぬし)ある人の妻(もの)から艶書を持って来て返事をやるような文治と心得て居(お)るか、何(なん)の為に文治の所へ来て居る、汝(わりゃ)ア畳の上じゃア死(しね)ねえから、これから真人間になって曲った心を直すからと云うので、己の所へ来ているのじゃアないか、人の女房から艶書を貰うような不義の文治郎の所に居ては貴様の為にもならん、さア大事は小事より起るの譬(たとえ)で、片時(かたとき)も置くことは出来ん、出て往(ゆ)け」
 森「何(ど)うか御勘弁を」
 文「ならん、二言(ごん)は返さん、只今出て往け」
 森「大失策(おおしっさく)をやった、大違(おおちげ)えをやったなア、考えて見りゃア成程何(ど)うも主(ぬし)ある女の処から艶書(ふみ)なんぞを持って来(き)ちゃア済まねえ、旦那には御恩になっても居りますし、人中(ひとなか)へ出て森兄(あに)いと云われるのも旦那のお蔭でござえやすから何(ど)うか人間になりてえと思って、旦那の側に居りやすが、御恩送りは出来ねえから身体のきくだけは稼(かせ)いで御恩返(ごおんげえ)しをしようと思って、親爺(おやじ)の葬式(とむらい)まで出してくだすった旦那の側を離れたくねえから、若(も)し知らねえ御新造が来て、森松なんぞのような働きのねえものを置いちゃアいけねえと云われて、逐出(おいだ)されでもするかと思うから、何(ど)うかいゝ御新造をお持たせ申してえと思っている処へ、話があったからうっかりやったんで、今逐出されると往(ゆ)き処がねえから、仕方なく又悪い事を始めて元の森松になるとしょうがねえから、堪忍して置いておくんなせえ、これから気を注(つ)けやすから」
 文「往き処のない者を無理に出て往けとは云わんが、能(よ)く考えて見ろ、藤原の女房を私(わし)が家内にして為になると心得て居(お)るか、それが分らんと云うのだ、藤原が右京の屋敷を出たのも彼(あ)の女の為に多くの金を遣(つか)い果し今は困窮して旦(あした)に出て夕(ゆうべ)に帰る稼ぎも、女房(にょうぼ)や母を糊(すご)したいからだ、其の夫の稼いだ金銭を窃(くす)ねて置けばこそ、手前に酒を飲ませたりすると云う事が分らんかえ、痴漢(たわけ)め」
 森「分らねえから泡(あわ)アくって仕舞ったので、その文(ふみ)を返(けえ)しましょうか」
 文「これは己が心あるから取り置く」
 と文治の用箪笥(ようだんす)の引出へ仕舞い置きましたのは親切なのでございます。左様なことは知らんから、おあさの方では返事が来るかと思って何をするにも手に付かず、母に薬もやらず、お飯(まんま)も碌々食べさせないから饑(ひも)じくなって、私にお飯(まんま)を食べさせておくれと云うと皿小鉢(さらこばち)を叩き付ける。藤原が帰って来て其の事を母が話すと、
 あ「いゝえお母(っか)さんは今日は五度(いつたび)御膳を食(あが)って、終(しま)いにはお鉢の中へ手を突込(つッこ)んで食(あが)って、仕損(しそこ)ないを三度してお襁褓(しめ)を洗った」
 などと云うと、元より誑(たぶら)かされているから、
 藤「お母(っか)さん、そんな事をなすっては宜しくありません、えゝ」
 と云って少しも構いませんから、隣近所から恵んでくれる食物(たべもの)で漸(ようや)く命を繋(つな)いで居ります。或日の事、おあさが留守だから隣にいる納豆売の彦六(ひころく)が握飯(むすび)を拵(こしら)えて老母の枕許(まくらもと)へ持って来て、
 彦「御隠居さま、長らく御不快で嘸(さぞ)お困りでしょう、今お飯(まんま)を炊いた処が、焦(こげ)が出来たから塩握飯(しおむすび)にして来ましたからお食(あが)んなさい」
 母「有難うございます、あなた様、彼(あれ)が私を※(ほし)殺そうと思って邪慳(じゃけん)な奴でございます、藤原も彼(あ)んな奴ではございませんでしたが、此の頃は馴合(なれあ)いまして私を責め折檻(せっかん)致します、余(あんま)り残念でございますから駈け出して身でも投げたいと思っても足腰が利かず、匕首(あいくち)を取出して自害をしようと思いましても、私の匕首までも質に入れてございません、舌を食い切って死のうと思っても歯はございませんし、こんな地獄の責(せめ)はございませんから私は喫(た)べずに死にます」
 彦「そんなことを云ってはいけません、さアお食(あが)んなさい」
 と云われ元は二百六十石も取りました藤原の母ががつ/\して塩握飯を食べて居ります処へ、帰って来たのはおあさで、
 あ「お出(いで)なさい」
 彦「いやこれは」
 あ「お母(っか)さん又お鉢の中へ手を突込んで仕損(しそこな)いをすると私が困りますから」
 彦「あゝ御新造さんこれは私(わし)が持って来たので、お母(っか)さんがお鉢から食べたのではありません」
 あ「へえお前さんは能く持って来て下さるが、仕損いをするとしょうがないから上げないのに、何故(なぜ)持って来て食わせるんだえ、私共は浪人しても武士だよ、納豆売風情(ふぜい)で握飯(にぎりめし)を母へくれるとは失礼な人だ」
 彦「これは失礼しました、斯(こ)うやって同じ長屋にいれば、節句銭(せっくせん)でも何(なん)でも同じにして居ります、お前さんの所が浪人様でも、引越(ひっこ)して来た時は蕎麦(そば)は七つは配りゃアしない、矢張(やっぱ)り二つしか配りはしないじゃないか、お母さんは仕損いも何もなさりはしないのに、旦那が知らないと思って、種々(いろ/\)な事を云って旦那を困らして、お前さんはお顔に似合わない方です」
 あ「顔に似合うが似合うまいが大きにお世話だ、さっさと持ってお帰り」
 と云いながら、握飯(むすび)をポカーリッと投(ほう)り付けました。
 彦「何をするんです、勿体(もってえ)ねえや、ムニャ/\/\持って来たってなんでえ」
 あ「お母様(っかさま)、あなたは納豆売風情に握飯を貰って食(あが)りとうございますか、それ程食りたければ皿ごと食れ」
 と云いながら入物(いれもの)ごと投(ほう)り付けましたが、此の皿は度々(たび/\)焼継屋(やきつぎや)の御厄介になったのですから、お母(ふくろ)の禿頭(はげあたま)に打付(ぶッつか)って毀(こわ)れて血がだら/\出ます。口惜(くやし)くって堪(たま)らないからおあさの足へかじり付きますと、ポーンと蹴(け)られたから仰向(あおむけ)に顛倒(ひっくりかえ)ると、頬片(ほっぺた)を二つ三(み)つ打(ぶ)ちました。
 彦「あゝ驚いた、こんな奴を見たことはない、鬼だ/\」
 と云いながら彦六は迯(にげ)帰って此の事を長屋中へ話して歩きまして、長屋中で騒いでいるのが文治の耳へ入ると、聞捨てになりませんから、日の暮々(くれ/″\)に藤原の所へ来て、
 文「はい御免なさい」
 と云われおあさは惚れている人が来たから、母を折檻した事を取隠(とりかく)そうと思って、急に優しくなって、
 あ「お母(っか)さん浪島の旦那様が入っしゃいましたよ、能く入っしゃいました、能くどうも、さア此方(こちら)へ」
 と云うおあさの方を見返りも致さんで、老母の枕許(まくらもと)へ来て、
 文「御老母様、手前は浪島文治でございます、あなたは鬼のような女に苛(ひど)い目に遇(あ)って、嘸(さぞ)御残念でございましょう、只今私が敵(かたき)を討って上げます」
 と云っておあさの方を向き、
 文「姦婦(かんぷ)これへ出ろ」
 と云う文治の権幕(けんまく)を見ると、平常(へいぜい)極(ごく)柔和の顔が、怒(いかり)満面にあらわれて身の毛のよだつ程怖い顔になりました。
 文「姦婦助けは置かん」
 と云いながらツカ/\と立って表の戸を締めたから、
 あ「アレー」
 と云って逃げようとするおあさの髻(たぶさ)を取って、二畳の座敷へ引摺(ひきず)り込み、隔(へだて)の襖(ふすま)を閉(た)てましたが、これから如何(いかゞ)なりましょうか、次回(つぎ)に述べます。

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