七
偖(さて)前回に演(の)べました文治郎と亥太郎の見附前の大喧嘩は嘘らしい話ですが、神田川(かんだがわ)の近江屋(おうみや)と云う道具屋の家(うち)に見附前の喧嘩の詫証文(あやまりじょうもん)と、鉄拵(ごしら)えの脇差と、柿色の単物が預けてあります。これは現に私(わたくし)が見たことがございますので、左官の棟梁亥太郎の書いたものであります。幾ら乱暴でも公儀のお道具を持出すと云うのはひどい奴で、此の乱暴には文治郎も驚きましたが、鉄砲を持って来られては何分(なにぶん)逃げる訳にもゆかんから、關兼元(せきかねもと)の無名擦(むめいす)りあげの銘剣の柄(つか)へ手を掛け、居合腰(いあいごし)になって待って居りましたが、これは何(ど)うしても喧嘩にはなりません。見付の役人が捨(すて)ておきません。馬鹿だか気違いだか盗賊だか分りませんが、飾ってある徳川政府のお道具を持出しては容易ならんから、見附に詰め合せたる役人が、突棒(つくぼう)刺股(さすまた)※(もじり)などを持って追掛(おっか)けて来て、折り重り、亥太郎を俯伏(うつぶせ)に倒して縄を掛け、直(すぐ)に見附へ連れて来て調べると、亥太郎の云うには、
亥「私(わっち)が黙って持って往ったら泥坊でしょうが、喧嘩をするのに棒がねえから貸しておくんねえって断って持って往ったから縛られるこたアねえ、天下(てんが)の道具だから貸しても宜(い)いだろう、私(わっち)も天下(てんか)の町人だ」
と云って訳が分らないが、天下の町人と云う廉(かど)で見附から町奉行(まちぶぎょう)へ引渡しになって、別に科(とが)はないが、天下の飾り道具を持出した廉で吟味中入牢(じゅろう)を申し付けると云うので、暮の廿六日に牢行(ゆき)になりました。此の事を聞いて文治郎は気の毒に思い、段々様子を聞くに、亥太郎には七十に近い親父(おやじ)があると云う事が分り、義のある男ですから何(ど)うか親父を助けてやりたい、稼人(かせぎにん)が牢へ往(ゆ)き老体の身で殊に病気だと云うから嘸(さぞ)困るだろう、見舞に往ってやろうと懐中へ十両入れて出掛けました。其の頃の十両は大(たい)した金です。森松を供に連れて神田豊島町二丁目へ参り、大坂屋(おおさかや)と云う粉屋(こなや)の裏へ入り、
文「森松こゝらかな」
森「へえこゝでしょう、腰障子に菱左(ひしさ)に「い」の字が小さく角(すみ)の方に書いてあるから」
文「こゝに違いない、手前先へ入れ」
森「御免なさい」
と腰障子を開けると漸(やっ)と畳は五畳ばかり敷いてあって、一間(いっけん)の戸棚(とだな)があって、壁と竈(へッつい)は余り漆喰(じっくい)で繕って、商売手だけに綺麗に磨いてあります。此処(こゝ)に寝ているのが亥太郎の親父(おやじ)長藏(ちょうぞう)と申して年六十七になり、頭は悉皆(すっかり)禿げて、白髪の丁髷(ちょんまげ)で、頭痛がすると見え手拭で鉢巻(はちまき)をしているが、時々脱(ぬ)け出すのを手ではめるから桶(おけ)のたがを見たようです。
森「御免なせえ」
長「へえお出(いで)なせえ、何(なん)です長屋なら一番奥の方が一軒明いている、彼所(あすこ)は借手(かりて)がねえようだが、それから四軒目の家(うち)が明いているが、些(ちっ)とばかり造作があるよ」
森「なんだ、長屋を借りに来たのだと思ってらア、旦那お上(あが)んねえ」
文「初めてお目に懸りました、貴方(あなた)が亥太郎さんの御尊父さまですか」
長「へえお出(いで)なさい、誠に有難う、御苦労様です、なに大(たい)したことはありませんが、何(ど)うもお寒くなると腰が突張(つっぱっ)ていけません、奥の金(きん)さんが私(わっち)の懇意のお医者様があるから診て貰ったら宜かろうと云ったから、なアにお医者を頼む程じゃアねえと云っておいたが、それで来ておくんなすったのだろう、早速ながら脈を診ておくんなさい」
森「何を云ってるんでえ」
文「医者ではない、お前さんは亥太郎さんの親父(おとっ)さんかえ」
長「へえ、私(わし)は亥太郎の親父(おやじ)です」
文「私(わし)は本所の業平橋にいる浪島文治郎と云う至って粗忽者(そこつもの)、此の後(ご)とも御別懇に願います」
長「なに、そう云う訳ですか、生憎(あいにく)亥太郎が居りませんが、もう蔵は冬塗る方が保(もち)がいゝが、今からじゃア遅い、土が凍りましょう」
森「何を云うのだ、聾(つんぼ)だな…そうじゃアねえ、お前(めえ)さんは左官の亥太郎さんの親父(おとっ)さんかと聞くのだ、此方(こなた)は本所の旦那で浪島文治郎と云うお方だ」
長「なに、江島(えじま)の天神さまがどうしたと」
森「分らねえ爺(と)っさんだ、旦那が声が小せいから尚お分らねえのだ、最(もっ)と大きな声でお話なせえ」
文「私(わし)は本所業平橋の浪島文治郎と申すものです」
長「はア、本所業平橋の浪島文治郎と仰(おっし)ゃるのか、亥太郎の親父(おやじ)長藏と申します、お心易(やす)く」
文「此の度(たび)は誠にお前さんにお気の毒で」
長「なアに此の度ばかりじゃアない、これは時々起るので、腰が差込んでいけません」
森「そうじゃアねえ、旦那がお前に近付(ちかづき)に来たのだよ」
文「亥太郎さんと私(わし)と見附前で喧嘩を致しましてねえ」
長「へえ五時(いつゝ)前に癲癇(てんかん)が起りましたえ」
森「そうじゃアねえ、亥太郎兄(あにい)と此の旦那と見附前で喧嘩をして、牢行(ゆき)になったから気の毒だって、爺(とっ)さんお前の所へ此の旦那が見舞(みめえ)に来たのだ」
長「はあお前さん、何(ど)うも貴方の様に人柄の優しい人と喧嘩をするとは馬鹿な野郎で、大方食(くれ)え酔(よっ)て居たのでございましょう、子供の時分から喧嘩早(けんかッぱよ)うございまして、番毎(ばんごと)人に疵(きず)を付け、自分も疵だらけになって苦労ばかりさせるが、貴方は能くまア腹立もなく見舞(みめえ)に来て下すって、誠に有難うございます、亥太郎が牢から出れば是非お詫事に連れて出ますから、何うか私(わし)に免じて勘弁しておくんなさい」
文「何う致しまして、これは心計りですが、亥太郎さんも御気性だから健(すこや)かで速(すみやか)に御出牢になりましょうが、それまでの助けにもなるまいが、真(ほん)の土産のしるしに上げますから、何か温(あったか)い物でも買って喫(あが)って下さい」
長「これはなんです」
森「これは亥太郎さんが牢へ行っているから、旦那が見舞に下すったのだ、金が十両あるのだ」
文「そんなことは云わんでも宜しい」
森「聾的(つんてき)で分らねえな、お前(めえ)に土産にやるんだよ」
長「なに十両私に下さるとは何たる慈悲深(なさけぶけ)いお方ですかねえ、亥太郎は交際(つきあい)が広いから牢へ差入れ物をしてくれる人は幾らもありますが、老耄(ろうもう)している親爺(おやじ)の所へ見舞に来て下さる方はありません、本当に貴方はお若いに似合(にあわ)ない親切な方です、暮に差掛(さしかゝ)って忰(せがれ)はいず、何(ど)う為(し)ようかと思っている処へ、十両と纒(まと)まった金を下さるとは有難いことで、御恩の程は忘れません、旦那様何卒(どうぞ)御勘弁なすって下さい」
文「なに誠に聊(いさゝ)かですよ」
長「赤坂へお出(いで)なさるとえ」
森「聾(つんぼ)だからしょうがねえ、行(ゆ)きましょう/\」
文「さア帰ろう」
と森松を連れて宅へ帰りまして、其の年の内にお村と友之助に世帯を持たせなければならんから、諸方を探すと、浅草駒形(こまかた)に小さい家(うち)だが明家(あきや)がありましたから之(こ)れを借受け、造作をして袋物屋の見世を出しました。袋物屋と云うものは店が小さくても金目の物が置けますから好(い)い商売でございます。友之助は荷を脊負出(しょいだ)して出入先を歩く、宅(うち)にはお村が留守居ながら商売が出来ます。お村が十九で友之助が二十六ですから飯事(まゝごと)暮しをするようでございます。其の年も暮れ、翌年になり、安永九年二月の中旬(なかば)に、文治郎の母が成田山(なりたさん)へ参詣に参りますに就(つ)き、おかやと云う実の姪(めい)と清助(せいすけ)と云う近所の使早間(つかいはやま)をする者を供に連れて出立(しゅったつ)しました。跡には文治郎と森松の両人切(ふたりぎ)りで、男世帯に蛆(うじ)がわくという譬(たとえ)の通り台所なども手廻りませんで、お飯(まんま)を炊くと柔かくってお粥(かゆ)のようなのが出来たり、硬(こわ)くって焦げたのなどが出来たりします。友之助はお村に云い付けて、斯う云う時に御恩を返さなければならん、お前お菜(かず)を拵(こしら)えるのが面倒なら、料理屋から買(かっ)てゞもいゝから毎日何か旦那の所へ持っていってお上げ。と云うので毎日昼頃になると、お村が三組(みつぐみ)の葢物(ふたもの)に色々な物を入れて持って参ります。文治は「お前がそうやって毎日長い橋を渡って持って来るのは気の毒だから来てくれないように」と断っても此方(こちら)は友之助に云い付けられたから、毎日々々雨が降っても風が吹いても吾妻橋を渡って参ります。或日の事文治郎は森松を使(つかい)に出して独りで居りますと、空はどんよりとして、梅も最(も)う散り掛って暖(あった)かい陽気になって来ました。お村の姿(なり)は南部の藍の乱竪縞(らんたつじま)の座敷着[#「着」は底本では「看」と誤記](ざしきぎ)を平常着(ふだんぎ)に下(おろ)した小袖(こそで)に、翁格子(おきなごうし)と紺繻子(こんじゅす)の腹合せの帯をしめ、髪は達摩返しに結い、散斑[#「斑」は底本では「班」と誤記](ばらふ)の櫛(くし)に珊瑚珠(さんごじゅ)五分玉(ごぶだま)のついた銀笄(ぎんかん)を挿(さ)し、前垂(まえだれ)がけで、
村「旦那、今日(こんにち)は遅くなりまして」
文「また来たか、誠に心にかけて毎度旨い物を持って来てくれて気の毒だ、商売をしていれば嘸(さぞ)忙(せわ)しかろうから態々(わざ/\)持って来てくれなくもいゝのに」
村「おいしくなくっても私(わたくし)が手拵(てごしら)えにして持って参りますが、其の代りには甘ったるい物が出来たり塩っ辛い物が出来たりしますが、旦那に上げたい一心で持って参りますのですから召上って下さいまし」
文「お前の手拵えとは辱(かたじけ)ない、日々(にち/\)の事で誠に気の毒だ、今日は丁度森松を使(つかい)にやったから、今自分で膳立(ぜんだて)をして酒をつけようと思っていた処で、丁度いゝから膳を拵えて燗(かん)をつけておくれ、手前と一杯やろう」
と云うので、お村は立って戸棚から徳利(とくり)を出して、利休形の鉄瓶(てつびん)へ入れて燗をつけ、膳立をして文治が一杯飲んではお村に献(さ)し、お村が一杯飲んで又文治に酬(さ)し、さしつ押えつ遣取(やりとり)をする内、互いにほんのり桜色になりました。色の白い者がほんのりするのは誠にいゝ色で、色の黒い人が赤くなると栗皮茶のようになります。
文「お村や、手前は柳橋でも評判の芸者であったが、私(わし)は無意気(ぶいき)もので芸者を買ったことはないが、手前に恩にかける訳ではないが、牛屋の雁木で心中する処を助けて、海老屋へ連れて来て顔を見たのが初めてゞ、あゝ美しい芸者だと思った其の時の姿は今に忘れねえが、彼(あ)の時の乱れた姿は好(よ)かったなア」
村「おや様子のいゝ事を仰しゃること、家(うち)にいると私のような無意気者はないと姉さんに云われましたのを、美くしいなどと仰っては間がわるくって気がつまりますよ」
文「いや真に美くしい女だ、手前が毎日路地を入って来ると、文治郎の家(うち)には母が留守だから隠し女でも引入れるのではないかと、長屋で噂をするものがあるから、それで手前に来てくれるなと云うのだ、友之助も母の留守へ度々来るのは快くあるまいから、もう今日切(ぎ)り来てくれるなよ」
村「あら、参りませんと叱られますから来ない訳には参りません、旦那様は大恩人ですから斯う云う時に御恩返しをして上げろと申し、私(わたくし)も来たいから甘(おいし)くなくっても何か拵えてお邪魔に上ります」
文「手前が来てくれゝば己は有難いが、心中する程思い込んだ同士が夫婦になり、女房が無闇に一人で出歩けば亭主の心持は余りよくあるまい、己は独り者でいる所へ手前が毎日来て、ひょっと悋気(りんき)でも起しはしないかと思って、それが心配だ」
村「彼様(あん)なことを仰(おっし)ゃる、悋気などはございません、何時(いつ)でも往って来い、彼様(あゝ)やって心中する処を旦那のお蔭で助かったのだから、浪島の旦那がお前を妾(てかけ)に遣(よこ)せと仰ゃれば直ぐに上げると云って居ります」
と一寸(ちょっと)云う口も商売柄だけに愛敬に色気を含んで居ります。まさか友之助がお村を妾(めかけ)にやるとも申しますまいが、自然と云いように色気があるので、何(ど)んなものでも酒を飲むと少しは気が狂って来るものと見え、文治もお村を美(い)い女だと思った心が失せないか、
文「手前と斯うやって酒を飲むのが一番いゝ心持だが、若(も)し己が冗談を云いかけた時は手前は何(ど)うする」
村「おや旦那旨いことばかり仰(おっし)ゃって私などに冗談を仰ゃる気遣(きづか)いはありませんが、本当に旦那様の仰ゃることなら私は死んでも宜しい、有難いことだと思って居ります」
文「それだから手前は世辞を云ってはいかんと云うことよ」
村「お世辞でも何(なん)でもありません、有難いことゝ思っても仕方がないが、旦那様のような凛々(りゝ)しくって優しいお方はありませんよ」
文「それそう云うことを云うから男が迷うのだ、罪作りな女だのう」
と常にない文治郎は微酔(ほろよい)機嫌(きげん)で、お村の膝へ手をつきますから、お村は胸がどき/\して、平常(ふだん)からお村は文治郎に惚れて居りましたが、何時(いつ)でも文治はきりりっとしているから云い寄る術(すべ)もなくっていたのが、常に変って色めきました文治郎の様子に、
村「旦那、本当に左様(そう)なら私は死んでも宜(よ)うございますよ」
と云いながら窃(そ)っと文治郎の手を下へ置いて立上り、外を覘(のぞ)いて見てぴったり入(いり)□□□□□□□、□□□□□□□□、□□□□□□閉(た)て、薄暗くなった時、文治の側へぴったり坐って、
村「旦那、貴方は本当に私の様なものをそう云って下されば、私は友之助に棄てられても本望(ほんもう)でございますが、其の時は貴方私のような者でも置いて下さいますか」
と文治郎の□□□□□□□□□□□が、こんな美しい女に手を取られて凭(もた)れ掛(かゝ)られては何(ど)んな者でもでれすけになりますが、文治郎はにやりと笑い、お村の手を払って立上り、九尺四枚の襖を開け、小窓の障子を開け、表の障子も残らず開け払って元の席へ坐り、
文「お村もう己の所へ来てくれるな、能く考えて見ろ、去年の暮友之助と牛屋の雁木から心中する所を計らずも助けて、両人(ふたり)の主人と親に掛合い、世帯(しょたい)を持たせ、己が媒妁(なこうど)になって夫婦にした処、友之助も手前も働き、店が繁昌すると云うから目出たいと思い、蔭ながら悦んでいた処、母が留守になり、毎日旨い物を持って来てくれるから、友之助の云い付けもあろうが斯うやって一人でいる文治郎の所へ若い女が毎日来ては、世間に悪評を立てられるかも知れんし、友之助にも済まんと云うのを肯(き)かずに毎日来るが、今手前の云った言葉は何(ど)うしたのだ、命を助けられた文治郎の云うことだから否(いや)と云うことが出来ず、世辞に云ったか知らんが、仮令(たとえ)世辞にもそれは宜しくない、手前がそう云う心得違いでは友之助に言訳が立つまい、今日のは手前が世辞で云ったのであろうけれども宜しくないことだ、此の程も噂に聞けば、友之助の留守には芸者や幇間(たいこもち)が遊びに来るのをよいことゝし、酒を飲んで三味線(さみせん)などを弾いて遊んでいると云うことだが、それは廃(よ)せよ、商人(あきんど)の女房になって其様(そん)なことをしては宜しくない、今までの芸者屋とは違うぞ、世間の評も宜(よろし)くないから、友之助の留守には何(ど)んな男が来ても留守だから上げることは出来んと云って速(すみやか)に帰せよ、必ず浮いた心を出すな、手前は今のような世辞を云うのが持前であるが、若し誰か手前に惚れて今のように凭(もた)れ掛り、手前のような挨拶(あいさつ)をすれば、それは男だから何(ど)んな間違いが出来るか知れん、其の時は友之助に対して操(みさお)を破らなければなるまい、己が冗談を云ったら己の手を払い除(の)け、旦那貴方は宜(よ)くないお方だ、私共(わたくしども)両人(ふたり)を助けて夫婦にして下すった恩人でありながら、苟(かりそ)めにも宜くない、此の後(のち)は貴方の所へは参りませんときっぱり云ってくれるくらいな心があれば、己も嬉しく思う、今日の処は冗談にするが以後はならんぞ、さ一杯飲んで帰えれ/\」
と云われてお村は間(ま)が悪いから真赤になって、猫が紙袋(かんぶくろ)を被(かぶ)ったように逡巡(あとびさり)にして、こそ/\と台所から抜出して仕舞いましたが、さアもう文治郎の所へ行(ゆ)くことは出来ません。友之助はそんなことは少しも知りませんから、
友「お村、此の頃は旦那の所へ往(ゆ)かないが何(ど)うしたのだえ」
村「旦那は機嫌かいで、機嫌のいゝ時と悪い時とは大変違いますよ、そうして幾ら堅いと云っても若いから、時々厭なことを云うから余(あんま)り近く往(ゆ)かない方がいゝよ、何処(どこ)か離れた所へ越そうじゃないか」
と云われ、友之助は素(もと)より気のいゝ人だから、
友「そうか、そんなことがあるのか、それなら他へ越そう」
と女房の云いなり次第になり、遂に文治郎に無沙汰(むさた)で銀座三丁目へ引越しましたが、後に文治郎が無名国へ漂流するのもお村の悪い為でありますから、女と云う者は恐るべきものでございます。さてお話二つに岐(わか)れまして、彼(か)の喧嘩の裁判は亥太郎が入牢(じゅろう)を仰せ付けられ、翌年の二月二十六日に出牢致しましたが、別に科(とが)はないから牢舎(ろうや)の表門で一百の重打(おもたゝ)きと云うので、莚(むしろ)を敷き、腹這(はらんばい)に寝かして箒尻(ほうきじり)で脊中を打(ぶ)つのです。其の打人(うちて)は打(たゝ)き役小市(こいち)と云う人が上手です。此の人の打(う)つのは痛くって身体に障らんように打ちますが、刺青(ほりもの)のある者は何(ど)うしても強そうに見えるから苛(ひど)く打ちまして、弱そうな者は柔かに打(ぶ)ちます。亥太郎は少しも恐れないで「早く打(ぶ)ってお呉(く)んねえ」などと云い、脊中に猪の刺青が刺(ほ)ってあり、悪々(にく/\)しいからぴしーり/\と打(う)ちます。大概(たいがい)の者なら一百打つとうーんと云って死んで仕舞うから五十打つと気付けを飲まして、又後(あと)を五十打つが、亥太郎は少しも痛がらんから、
獄吏「気付けを戴くか」
亥「気付なんざア入らねえ、さっさとやって仕舞ってくんねえ」
と云うから尚お強く打つが、少しも疲(よわ)りませんで、打って仕舞うとずーっと立って衣服(きもの)をぽん/\とはたいて、
亥「小市さん誠にお蔭様で肩の凝(こり)が癒(なお)りました」
と云ったが、脊中の刺青が腫(は)れまして猪(しゝ)が滅茶(めっちゃ)になりましたから、直ぐ帰りに刺青師(ほりものし)へ寄って熊に刺(ほり)かえて貰い、これから猪(い)の熊(くま)の亥太郎と云われました。其の後(のち)小市さんの所へ酒を二升持って礼に参り「あなたのお蔭で脊中の刺青が熊になった」と云われた時は流石(さすが)の小市も驚いたと云う程強い男ですから、牢から出ると、喧嘩の相手の文治郎のどてっ腹を抉(えぐ)らなければならんと云うので胴金(どうがね)造りの脇差を差して直ぐに往(ゆ)こうと思ったが、そんな乱暴の男でも親の事が気に掛ると見えまして、家(うち)へ帰って見ると、親父はすや/\と能く寝て居りますから、
亥「爺(ちゃん)能く寝ているな、勘忍してくんねえ、己(おら)ア復(ま)た牢へ往(ゆ)くかも知れねえ、業平橋の文治を殺して亥太郎の面(つら)を磨くから、己(おれ)が牢へ往って不自由だろうが勘忍して呉んねえ」
と云われ長藏は目を覚し、
長「手前(てめえ)は牢から出て来ても家(うち)に一日も落付いていず、やれ相談だの、やれ何(なん)だのと云ってひょこ/\出歩きやアがって、何(なん)だ権幕(けんまく)を変えて脇差なんどを提(さ)げて、また喧嘩に往(ゆ)くのだろうが、喧嘩に往くと今度は助かりゃアしねえぞ、喧嘩に往くのなら己(おら)ア見るのが辛(つれ)えから、手前(てめえ)今度出たら再び生きて帰(けえ)るな」
亥「爺(ちゃん)、己(おら)ア了簡があって業平橋の文治郎のどてっ腹を抉って腹癒(はらい)せをして来るのだ」
長「何だ、腹が痛(いて)えと」
亥「そうじゃアねえ、業平橋の文治郎を打(たゝ)っ斬って仕舞うのだ」
長「此の野郎とんでもねえ奴だ、業平橋の文治郎様の所へは己(おれ)がやらねえ、死んでもやらねえ、業平文治郎さまと云うのは見附前(めえ)の喧嘩の相手だろう、其の方(かた)を斬りに往(ゆ)くんなら己を殺して往け」
亥「なんだって文治郎を殺すのにお前(めえ)を殺して往くのだ」
長「何もあるものか、手前(てめえ)は知るめえが、去年の暮の廿六日に手前(てめえ)が牢へ往って其の留守に、忘れもしねえ廿八日、業平橋の文治郎様が来て金を十両見舞に持って来てくれた、手前(てめえ)が牢へ往って己が煩っていて気の毒だ、勘忍してくれと云って十両の金をくれた、其の金があったればこそ己が今まで斯うやって露命を繋(つな)いで来た、其の大恩ある文治郎様に刃物を向けて済もうと思うか、さア往(ゆ)くなら己の首を斬って往け、殺して往け、恩を仇(あだ)で返(けえ)すのは済まねえから殺して往け、さア殺せ」
亥「待ちねえ爺(ちゃん)、何か全く文治郎さんがお前(めえ)の所へ金を持って来てくれたに違(ちげ)えねえか、爺」
長「暮になって何(ど)うも仕様のねえ所へ十両の金をくれて、それで己が今まで食っていたのだよ」
亥「そうとは知らずにどてっ腹をえぐろうと思っていた」
長「なに小塚原(こづかっぱら)へ往くと、己やらねえ」
亥「そうじゃアねえ、己が知らねえからよ」
長「なに不知火関(しらぬいぜき)を頼むと」
亥「全く金を十両くれたかよ」
長「そうよ」
亥「あゝ後悔した」
長「なにそんな事を云っても己(おれ)アやらねえ」
亥「本所から度々名の知れねえ差入物が来ると云ったが、それじゃア文治郎が送ってくれたか、又己の留守に金を十両持って見舞(みめえ)に来てくれたとは己は済まねえ」
長「何をぐず/\云っている、己出さねえ、やらねえ」
亥「爺(ちゃん)、知らねえと云って済まねえなア」
長「うん済まねえ」
亥「知らねえからよ」
長「牢から出たら手前(てめえ)を連れて詫に往(ゆ)こうと思っていた」
亥「直ぐに詫に往くよ」
長「嘘をつけ、そんなことを云ってまた喧嘩に往くんだろう、己やらねえ」
亥「大丈夫だよ、案じねえように脇差をお前(めえ)に預けるから」
長「何処(どこ)でこんな物を買って来(き)やがった、詫に往かなければ己を殺せ」
亥「何か土産を持って往きてえが何がいゝだろう、本所は酒がよくねえから鎌倉河岸(かまくらがし)の豐島屋(としまや)で酒を半駄(かたうま)買って往こう」
長「なんだ、年増と酒を飲みに往く、そんなことはしねえでもいゝ」
亥「そうじゃアねえ、済まねえから詫に行(ゆ)くのだ、安心して寝ていねえ」
長「己も往きてえが腰が立たねえからとそう云ってくれ」
亥「それじゃア往って来るよ」
と正直の男だから鎌倉川岸(がし)の豐島屋へ往って銘酒を一樽(たる)買って、力があるから人に持たせずに自分で担(かつ)いで本所業平橋の文治の宅へ参り、玄関口から、
亥「御免なせえ/\」
森「おゝ、こりゃアお出(いで)なせえ」
亥「いやなんとか云ったっけ、森松さんか、誠に面目ねえ」
森「己の所の旦那が阿兄(あにき)のことを彼(あ)ア云う気性だから大丈夫だと安心していたがねえ、まア出牢で目出度(めでてえ)や」
亥「去年の暮お前(めえ)を手込(てごめ)にして済まなかった、面目次第もねえ、勘忍してくんねえ、己(おら)ア知らねえで旦那のどてっ腹をえぐりに来(き)ようと思ったら、己の所(とこ)の爺(とっ)さんの所(ところ)へ旦那が見舞(みめえ)をくれたと云うことを聞いて面目次第もねえ、旦那にそう云ってくんねえ、土産を持って来るのだが、本所には碌(ろく)な酒はあるめえと思って」
森「酷(ひど)い事を云うぜ」
亥「豐島屋の酒を持って来た、旦那に一杯(ぺい)上げて盃を貰(もれ)えてえってそう云ってくんねえ」
森「少し待っていねえ、お母様(ふくろさん)に喧嘩の事なんぞを云うと善(よ)くねえから、旦那に内証(ないしょ)で話して来るから」
と森松は奥へ往きますと、文治は母親に孝行を尽して居りますから、森松はそっと、
森「旦那え/\」
文「何(なん)だ」
森「見附前(めえ)の鉄砲が来ましたよ」
文「亥太郎が来たか」
森「来ました、驚きましたねえ、酒を一樽荷(かつ)いで来て旦那に上げてくれって来ました」
文「逢いたいが、お母様(っかさん)の前で彼(あん)な荒々しい奴が話をしては、お驚きなさるといけないから、角(かど)の立花屋(たちばなや)へ連(つれ)って往って、酒肴(さけさかな)を出して待遇(もてな)してくれ、己が後(あと)からお暇を戴いて往(ゆ)くから」
森「へー」
と云って森松は亥太郎を連れて立花屋へ参り、酒肴を誂(あつら)え待っている所へ文治郎が参りまして、
文「さア此方(こちら)へ/\」
亥「誠にどうも旦那面目次第(しでえ)もございません、去年の暮は喰(くれ)え酔って夢中になったものだから、お前(めえ)さんに理不尽なことを云いかけて嘸(さぞ)お腹立でござえやしょう、御勘弁なすって下せえ」
文「どう致して、先(ま)ず目出度(めでたく)御出牢で御祝(ごしゅく)し申す、どうしても気性だけあって達者でお目出たい」
亥「へーどうも」
文「先刻は又お土産を有難うございます」
亥「いや最(も)う何(ど)うも、誠につまらねえ品でござえやすが、本所にはいゝ酒がねえと思って豐島屋のを一本持って来て、旦那に詫をして盃を貰(もれ)えてえと思って来ました」
文「私(わし)も衆人(しゅうじん)と附合うが、お前のような強い人に出会ったことはない、どうも強いねえ」
亥「私(わっち)も旦那のような強い人に出会ったことはねえ、初めてだ」
文「見張所の鉄砲を持ち出したのはえらい」
亥「どうも面目もございません、旦那は喧嘩の相手を憎いとも思わず、私(わっち)の爺(ちゃん)の所へ金を十両持って来てくれたそうで、随分牢へは差入物をよこす人もあるが、爺の所へ見舞(みめえ)に来て下すったはお前(めえ)さんばかりで、私(わっち)のような乱暴な人間でも恩を忘れたことはねえから、旦那え、これから出入(でいり)の左官と思って末長く目をかけておくんなせえ、お前(めえ)さんに金を貰ったから有難いのじゃアねえ、お前(めえ)さんの志に感じたからどうか末長く願います」
と云うので、文治郎が盃を取って亥太郎に献(さ)して、主(しゅう)家来同様の固めの盃を致しましたが、人は助けておきたいもので、後に此の亥太郎が文治の見替りに立ってお奉行と論をすると云うお話でありますが、次回(つぎ)にたっぷり演(の)べましょう。
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