六
文治が友之助を助けた翌日、お村の母親の所へ掛合(かけあい)に参りまして、帰り掛(がけ)に大喧嘩の出来る、一人の相手は神田(かんだ)豊島町(としまちょう)の左官の亥太郎(いたろう)と申す者でございます。其の頃婀娜(あだ)は深川、勇みは神田と端歌(はうた)の文句にも唄いまして、婀娜は深川と云うのは、其の頃深川は繁昌で芸妓(げいぎ)が沢山居りました。夏向座敷へ出ます姿(なり)は絽(ろ)でも縮緬(ちりめん)でも繻袢(じゅばん)なしの素肌(すはだ)へ着まして、汗でビショ濡(ぬれ)になりますと、直ぐに脱ぎ、一度切(ぎ)りで後(あと)は着ないのが見えでございましたと申しますが、婀娜な姿(なり)をして白粉気(おしろけ)なしで、潰(つぶ)しの島田に新藁(しんわら)か丈長(たけなが)を掛けて、笄(こうがい)などは昔風の巾八分長さ一尺もあり、狭い路地は頭を横にしなければ通れないくらいで、立派を尽しましたものでございます。又勇みは神田にありまして皆腕力があります、ワン力と云うから犬の力かと存じますとそうではない、腕に力のあるものだそうでございます。腕を突張(つッぱ)り己(おれ)は強いと云う者が、開けない野蛮の世の中には流行(はやり)ましたもので、神田の十二人の勇(いさみ)は皆十二支を其の名前に付けて十二支の刺青(ほりもの)をいたしました。大工の卯太郎(うたろう)が兎(うさぎ)の刺青を刺(ほ)れば牛右衞門(うしえもん)は牛を刺り、寅右衞門(とらえもん)は虎を刺り、皆紅差(べにざ)しの錦絵(にしきえ)のような刺青を刺り、亥太郎は猪の刺青を刺りましたが、此の亥太郎は十二人の中(うち)でも一番強く、今考えて見れば馬鹿々々しい訳ですが、実に強い男で「これは亥太郎には出来まい」と云うと腹を立(たっ)て、「何でも出来なくって」と云い、人が蛇や虫を出して、「これが食えるか」と云うと「食えなくって」と云って直ぐに食い、「亥太郎幾ら強くってもこれは食えめえ」と云うと「食えなくって」と云いながら小室焼(こむろやき)の茶碗や皿などをぱり/\/\と食って仕舞い、気違いのようです。或(ある)時亥太郎が門跡様(もんぜきさま)の家根(やね)を修復(しゅふく)していると、仲間の者が「亥太郎何程(なにほど)強くっても此の門跡の家根から転がり堕(おち)ることは出来めえ」と云うと「出来なくって」と云って彼(あ)の家根からコロ/\/\と堕ちたから、友達は減ず口を利いて飛んだ事をしたと思って冷々して見ていると、ひらりっと体(たい)をかわして堕際(おちぎわ)で止ったから助かりましたが危い事でした。門跡様では驚いて、これから屋根へ金網を張りました。あれは鴻(こう)の鳥が巣をくう為かと思いました処が、そうではない亥太郎から初まった事だそうでございます。此の亥太郎が大喧嘩をいたしますのは後のお話にいたしまして、さて文治はお村を助けました翌日、友之助の主人芝口三丁目の紀伊國屋善右衞門(ぜんえもん)の所へ参り、友之助は柳橋の芸者お村と云うものに馴染み、主人の金を遣(つか)い込み、申訳がないから切羽詰って、牛屋の雁木からお村と心中するところを、計らずも私(わし)が通り掛って助けたが、何処までもお前さんが喧(やか)ましく云えば、水の出花の若い両人(ふたり)、復(ま)た駈出して身を投げるかも計られないから、何(ど)うか私(わし)に面じて勘弁してくれまいか、そうすれば思い合った二人が仲へ私(わし)が入り、媒妁(なこうど)となって夫婦にして末永く添遂(そいと)げさせてやりたいから、と事を分けて話しました処が、紀の善も有難うございます、左様仰(おっし)ゃって下さるなら遣い込の金子は、当人が見世を出し繁昌の後少々宛(ずつ)追々に入金すれば宜しい、併(しか)し暖簾(のれん)はやる事は出来ないが、貴方(あなた)が仰しゃるなら此の紀伊國屋の暖簾も上げましょう、代物(しろもの)も貸してやりますが、当人の出入(でいり)は外(ほか)の奉公人に対して出来ませんから止める。と事を分けての話に文治も大(おおい)に悦んで、帰り掛けに柳橋の同朋町(どうぼうちょう)に居るお村の母親お崎婆(ばゞあ)の所へ参りました。
文「森松、己(おれ)は斯(こ)う云う所へ来たことはないから手前が先へ往(ゆ)け、此処(こゝ)じゃアないか」
森「此処です……御免ない、お村さんの宅(うち)は此方(こっち)かえ」
文「なんだ愚図々々分らんことを云って、丁寧に云えよ」
森「丁寧に云い付けねえから出来ねえ……お村さんの処は此方(こちら)かね」
さき「はい、誰だえ、お入りよ、栄(えい)どんかえ」
森「箱屋と間違えていやアがらア」
と云いながら、栂(つが)の面取格子(めんとりごうし)を開けると、一間(けん)の叩きに小さい靴脱(くつぬぎ)がありまして、二枚の障子が立っているから、それを開けて文治が入りました。其の姿(なり)は藍微塵(あいみじん)の糸織の着物に黒の羽織、絽色鞘(ろいろざや)に茶柄(ちゃつか)の長脇差を差して、年廿四歳、眼元のクッキリした、眉毛(まゆげ)の濃い、人品骨柄(こつがら)賤(いや)しからざる人物がズーッと入りましたから、婆(ばゞあ)はお客様でも来たのかと思って驚き、
婆「さア此方(こちら)へ、何(ど)うも穢(きたな)い処へ能く入っしゃいました」
文「御免なさい、始めてお目に懸りました、お前さんがお村さんのお母(っか)さんですか」
さ「はい、お村の母でございますよ、毎度御贔屓(ごひいき)さまになりまして有難うございます、宅にばかり居りますから、お座敷先は分りませんで、お母(っか)さん斯う云う袂落(たもとおと)しを戴いたの、ヤレ斯う云う指環(ゆびわ)を戴いたのと云いましても、私(わたくし)にはお顔を存じませんから一向お客様の事は存じませんが、彼(あ)の通りの奴で何時(いつ)までも子供のようですから、冗談でもおっしゃる方がありますと駈け出して仕舞う位で、お客様に戴いた物でも持栄(もちばえ)がございません、指環を嵌(は)めてお湯などへ往ってはげるといけないと云うと、はげやアしない真から金(きん)だものなどと申して誠に私(わたくし)も心配致します、オホヽヽヽヽ、貴方様(あなたさま)は番町の殿様で」
文「いや手前は本所業平橋に居(お)る浪島文治郎と申す至って武骨者、以後幾久しくお心安く」
さ「はい、業平橋と云う所は妙見様(みょうけんさま)へ往(ゆ)く時通りましたが、あゝ云う処へお住いなすっては長生(ながいき)をいたしますよ、彼処(あすこ)がお下屋敷(しもやしき)で」
文「いえ/\、私(わし)は屋敷などを持つ身の上ではありません、無禄の浪人です、お母(っか)さん実はお村さんのことに就(つ)いて話があって来ましたが、お村さんは私(わし)の処へ泊めて置きましたが、お知らせ申すのが遅くなりましたから、嘸(さぞ)お案じでございましょうと存じまして」
さ「おや、お村があなたの所に、そんなら案じやしませんが、朝参りに平常(ふだん)の姿(なり)で出ました切(ぎ)り帰りませんから、方々探しても知れませんでしたが、貴方様の所へ往(い)っていると知れゝば着替えでも届けるものを、何時(いつ)までもお置きなすって下さいまし、安心して居りますから」
文「いやそう云う訳ではない、お母さんが聞いたら嘸お腹立でしょうが、実は芝口の紀の善の番頭友之助がお村さんと昨年来深くなり、其の友之助もお村さんゆえ多くの金を遣い果し、お村さんも借財が出来、互いに若い同士で心得違いをやって、実は昨夜牛屋の雁木で心中する所を、計らず私(わし)が助けたから、直ぐにお村さんばかり連れて来ようとも存じましたが、若い者が何か両人(ふたり)でこそ/\話をしているのを、無理に生木(なまき)を裂くのも気の毒だから、昨夜は私(わし)の家(うち)へ両人を泊めて置いて、相談に参った訳です」
さ「あらまア呆れますよ、心中するなんて親不孝な餓鬼ですねえ、まアなんてえ奴でしょう、そうとも存じませんで方々探して居りました、何卒(どうぞ)直ぐにお村を帰して下さい」
文「それは帰すことは帰すが、そこが相談です、それ程までに思い合った二人だから、夫婦にしないと又二人とも駈出して身を投げるかも知れないから、私(わし)が中へ入って二人共末長く夫婦にしてやりたい心得だから、何(ど)うか唯(たっ)た一人のお娘子だが、友之助にやっては下さらんか、私(わし)が媒妁(なこうど)になります、紀の善でも得心して私(わし)が様(よう)な者でもお前さんに任せると云って、見世を出し、代物(しろもの)まで紀の善から送ってくれるから、商売を始めれば当人も出世が出来、お前さんがお村さんをやってくれゝば、事穏(おだや)かに治(おさま)りますから何(ど)うか遣(や)って下さいな」
さ「いえ/\、飛んでもない事を云う、お気の毒だが遣れません、唯(たっ)た一人の娘です、それを遣っては食うことに困ります」
文「それは遣り切りではない、嫁にやるのだからお前さんは何処までも姑(しゅうと)だによって引取っても宜しいのだが、お前さんも斯う云う処に粋(すい)な商売をしている人だから、矢張り隠居役に芸者屋をして抱えでもして楽にお暮しなさい、其の手当として友之助の方からは一銭も出来ませんが、私の懐から金子五十両出して上げますから、それで抱えでもして気楽にお在(い)でなさる方が宜しかろうと考える、又毎月(まいげつ)の小遣(こづかい)も多分は上げられないが、友之助に話して月々五両宛(ずつ)送らせるようにするから何(ど)うか得心して下さい」
さ「お気の毒だが出来ません、能く考えて下さい、何(なん)だとえお前さんなんぞは斯う云う掛合を御存じないのだねえ、お前さんは生若いお方だから、斯う云う中へ入ったことがないから知らないのだろうが、お村はこれから私が楽をする大事の金箱娘(かねばこむすめ)です、それを他所(よそ)へ遣って代りを置けなんて、流行(はや)るか流行らないか知れもしない者に芸を仕込んだり、いゝ着物を着せておかれるものか、それで僅(わず)か五両ばかりの小遣を貰って私が暮されると思いますかえ、お前さんは柳橋の相場を御存じがありませんからサ、朝戸を開ければ会の手拭の五六本も投げ込(こま)れて交際(つきあい)の張る事は知らないのだろう、お前さんじゃア分らないから、分る者をおよこしなさい、お村は直ぐに帰しておくれ」
文「だがお母(っか)さん、五両と極めても当人が店を出して繁昌すれば、十両でも廿両でも多く上げられるようになるのが友之助の仕合せと申すもの、無理に二人の中を裂いて、又駈出して身でも投げると、却(かえ)ってお前さんの心配にもなるから、昨夜(ゆうべ)牛屋の雁木で心中したと思って諦めて下さい」
さ「死んで見れば諦めるかもしれねえが、あのおむらが生きている中(うち)は上げられません、七歳(なゝつ)のときに金を出して貰い、芸を仕込んで今になってポーンと取られて堪(たま)るものかね、出来ません、お帰(けえ)しなすって下さい、いけ太(ぶて)い餓鬼だ、私を棄てゝ心中するなんて、そんな奴なら了簡があります、愚図々々すれば女郎(じょうろ)にでも打(たゝ)き売って金にして埋合(うめあわ)せをするのだ」
文「それじゃア私(わし)の顔に障るからどうか私(わし)に面じて」
さ「出来ませんよ、お前さんなんざア掛合をしらねえ小僧子(こぞっこ)だア、青二才(あおにせい)だ、もっと年を取った者をお遣(よこ)し、何(なん)だ青二才の癖に、何だ私の目から見りゃアお前(めえ)なんざア雛鳥(ひよっこ)だア、卵の殻が尻(けつ)に付いてらア、直ぐに帰(けえ)してくんな、帰(けえ)しようが遅いと了簡があるよ、親に無沙汰で何故娘を一晩でも泊めた、その廉(かど)で勾引(かどわかし)にするからそう思え」
森「旦那黙っておいでなせえ、此の婆(ばゞあ)こん畜生、今聞いていりゃア勾引だ、誰の事を勾引と云やアがるんだ、娘の命を助けて話を付けてやるに勾引たア何(なん)だ」
さ「ぐず/\云わずに黙って引込(ひっこ)んでいろ、兵六玉屁子助(ひょうろくだまへごすけ)め」
森「おや此の畜生屁子助たアなんだ」
文「これさ黙っていろ、それでは何(ど)うあっても聞入れんか」
さ「肯(き)かれなけりゃアどうするのだ」
文「肯かれんければ斯(こ)うする」
と云いながら、婆(ばゞあ)の胸ぐらを取ってギューッと締めましたから、
婆「あ痛(い)た/\どうするのだ」
文「何うもしない、手前のような強慾(ごうよく)非道な者を生かして置くと、生先(おいさき)長き両人の為にならん、手前一人を縊(くび)り殺して両人を助ける方が利方(りかた)だからナ、此の文治郎が縊り殺すから左様心得ろ」
さ「あ痛(いた)た/\恐れ入りました、上げますよ/\、上げますから堪忍して下さい、娘の貰引(もらいひき)に咽(のど)を締る奴がありますか、軍鶏(しゃも)じゃアあるまいし、上げますよ」
文「屹度(きっと)くれるか、これ/\森松、此の婆の云う事はグル/\変るから店受(たなうけ)か大屋を呼んで来い」
と云うから森松は急いで大屋を呼んで来ました。
大「道々御家来様から承りますれば、お村を助けて下すった其の御恩人の貴方様へ此の婆が何か分らんことを申すそうで、此奴(こいつ)は苛(ひど)い婆です、貴方様の御立腹は御尤(ごもっと)もの次第です」
と此の家主(いえぬし)が中へ入りまして五十両の金子を渡しまして、娘を確かに友之助に嫁に遣ったと云う証文を取り、懐中へ入れて文治はお村の宅を出まして、
文「森松何(ど)うだ、苛(ひど)い婆だなア」
森「苛い奴です、咽を締めたから死ぬかと思って婆が驚きやアがった」
文「なアにあれは威(おど)したのサ、あゝ云う奴は懲(こら)さなければいかん、併(しか)し大分(だいぶ)空腹になった」
森「くうふく[#「くうふく」に傍点]てえなア何(な)んで」
文「腹が減ったから飯を喰おうと云う事よ、何処(どこ)か近い処にないか」
森「馬喰町(ばくろちょう)三丁目の田川(たがわ)へ往(い)きましょう」
と二人連れで馬喰町四丁目へ掛ると、其の頃吉川(よしかわ)と申す居酒屋がありました。其の前へ来ると黒山のように人立(ひとだち)がしているのは、彼(か)の左官の亥太郎ですが、此の亥太郎は変った男で冬は柿色の※袍(どてら)を着、夏は柿素(かきそ)の単物(ひとえもの)を着ていると云う妙な姿(なり)で、何処で飲んでも「おい左官の亥太郎だよ、銭は今度持って来るよ」と云うと、棟梁(とうりょう)さん宜しゅうございますと云って何処でも一文なしで酒を飲ませる。其の代りには堅いから十四日晦日に作料を取れば直ぐにチャンと払いまして、今度又借りて飲むよと云うから、何時(いつ)でも棟梁さん宜しいと云われ、随分売れた人でした。それが吉川では番頭が代って亥太郎の顔を知らなかったのが間違いの出来る原(もと)で、
亥「番頭さん相変らず銭がないから今度払いを取った時だぜ」
番「誠に困りやす、代を戴かなくちゃア困りますなア」
亥「困るって左官の亥太郎だからいゝじゃアねえか」
番「亥太郎さんと仰(おっし)ゃるか知れませんが銭がなくっては困ります」
亥「左官の亥太郎だよ」
番「誰様(どなたさま)かは存じませんが、飲んで仕舞ってから払いをしなければ食逃げだ」
亥「ナニ食逃げとは何をぬかす」
と云いながら職人で癇癖(かんぺき)に障ったから握り拳(こぶし)を以(もっ)て番頭を撲(なぐ)りましたが、右の腕に十人力、左の手に十二人力あります、何(ど)うして左の手に余計力があるかと云うに、これは左官のせいで、左官と云う者は刺取棒(さいとりぼう)で土を出すのを左の手の小手板で受けるのは何貫目(なんがんめ)あるか知れません、それゆえに亥太郎の左手が力が多いので、その大力無双(だいりきぶそう)の腕で撲られたから息の根が止るばかりです。
亥「これ、能く己(おれ)の顔を見て覚えて置け、豊島町の亥太郎だぞ」
と云う騒ぎに亭主が奥から駈出して来て、
主人「申し棟梁さん、腹を立たないでおくんなさい、これは一昨日(おとゝい)来た番頭でお前さんの顔を知らないのですから」
亥「己は弱い者いじめは嫌(きれ)えだが食逃げとはなんでえ」
主「棟梁さん勘忍しておくんなさい」
と頻(しき)りに詫をしている。只今なれば直(じ)きに棒を持って来てこれ/\と人を払って、詰らぬものを見ていて時間を費(ついや)すより早く往ったが好かろうと保護して下さるが、其の頃は巡査がありませんから追々人立がして往来が止るようになりました。文治は斯う云う事を見ると捨てゝ置かれん気性でございますから心配して、
文「大分(だいぶ)人立がしているが何(なん)だえ」
森「生酔(なまよい)が銭がねえと云うのを、番頭が困るって云ったら番頭を撲りやアがって」
文「可愛そうに、商売の障りになるから其の者が銭がなければ払ってやって早く表へ引出してやれ」
森「え、御免ねえ/\、おい兄い々々爰(こゝ)でそんな事を云っちゃア商売の障りにならア表へ人が黒山のように立つから此方(こっち)へ来ねえ/\」
と引出して、今ではありませんが浅草見附(あさくさみつけ)の石垣(いしがき)の処へ連れて来て、
森「兄い々々腹ア立っちゃアいけねえ、彼処(あすこ)でごた/\しちゃア外聞(げいぶん)が悪いやア」
亥「おいよ、有難(ありがて)え、己は弱い者いじめは嫌いだが食逃と云ったから撲ったのだ、商売の妨げをして済まねえが後(あと)で訳を付ける積りだ、お前(めえ)誰だっけ」
森「己は本所の番場の森松よ」
亥「そうか、本所の人か、己(おら)ア又豊島町の若(わけ)い衆(しゅ)かと思った、見ず知らずの人に厄介(やっかい)になっちゃア済まねえ」
森「これサ、銭があるのねえのと外聞(げいぶん)が悪いじゃアねえか、銭がなけりゃア己が払ってやるから後(あと)に構わず往って仕舞いねえ」
亥「なに、銭がなけりゃア払って置くと、何(な)んだこれ、知りもしねえ奴に銭を払って貰うような亥太郎と思ってやアがるか」
森「おや生意気な事を云うな、銭がねえってから己が払ってやろうってんだ、何(なん)でえ」
亥「なに此の野郎め」
と力に任せてポーンと森松の横面(よこっつら)を打(ぶ)ちましたから、森松はひょろ/\石垣の所へ転がりました。文治は見兼てツカ/\とそれへ参り、
文「これ/\何(なん)だ、何も此の者を打擲する事はない、これは己の子分だ、少しの云い損いがあったればとて、手前が喧嘩をしている処へ仲人に入った者を無闇に打擲すると云うのは無法ではないか、今日(こんにち)の処は許すが以後は気を注(つ)けろ、さっさと行(ゆ)け」
亥「なに手前(てめえ)なんだ、これ己の名前目(なめえもく)を聞いて肝っ玉を天上へ飛ばせるな、神田豊島町の左官の亥太郎だ、己を知らねえかい」
亥「そんな奴は知らん、己は業平橋の文治郎を知らんか」
亥「なにそんな奴は知らねえ、此の野郎」
と文治郎の胸ぐらを取って浅草見附の処へとつゝゝゝゝと押して行(ゆ)きました。廿人力ある奴が力を入れて押したから流石(さすが)の文治も踉(よろ)めきながら石垣の処へ押付けられましたが、そこは文治郎柔術(やわら)を心得て居りますから少しも騒がず、懐中から取出した銀の延煙管(のべぎせる)を以て胸ぐらを取っている亥太郎の手の上へ当てゝ、ヤッと声を掛けて逆に捻(ねじ)ると、力を入れる程腕の折れるようになるのが柔術(じゅうじゅつ)の妙でありますから、亥太郎は脆(もろ)くもばらりっと手を放すや否や、何(ど)ういう機(はずみ)か其処(そこ)へドーンと投げられました。力があるだけに尚(な)お強く投げられましたが、柔術で投げられたから起ることが出来ません。流石の亥太郎も息が止ったと見えましたが、暫(しばら)くすると、
亥「此の野郎、己を投げやアがったな、覚えていろ」
と云いながら立上ってばら/\/\と駈出しましたから、彼奴(あいつ)逃げるかと思って見て居りますと、亥太郎は浅草見附へ駈込みました。只今見附はございませんが、其の頃は立派なもので、見張所には幕を張り、鉄砲が十挺(ちょう)、鎗(やり)が十本ぐらい立て並べてありまして、此処(こゝ)は市ヶ谷長円寺谷(ちょうえんじだに)の中根大隅守様(なかねおおすみのかみさま)御出役(ごしゅつやく)になり、袴(はかま)を付けた役人がずーっと並んでいる所へ駈込んで、
亥「御免なせえ、今喧嘩をしたが、空手(からって)で打(ぶ)つ物がねえから此処にある鉄砲を貸しておくんねえ」
役人「何(なん)だ、手前狂人(きちがい)か」
亥「狂人(きちげえ)も何もねえ、貸しておくんねえ」
と云いながら突然(いきなり)鉄砲を提(ひっさ)げ飛ぶが如くに駈出しましたが、無鉄砲と云うのはこれから始まったのだそうでございます。文治郎はこれを見て驚きました。今迄随分乱暴人も見たが、見付の鉄砲を持出すとは怪(け)しからぬ奴だが、鉄砲に恐れて逃げる訳には往(ゆ)かず、拠(よんどこ)ろないから刀の柄前(つかまえ)へ手を掛け、亥太郎の下りて来るのを待って居りました。これが其の頃評判の見附前の大喧嘩でございますが、これより如何(いかゞ)相成りましょうか、次回(つぎ)に申し上げます。
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