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業平文治漂流奇談(なりひらぶんじひょうりゅうきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:54:35  点击:  切换到繁體中文

 

  十七

 文治は予(かね)て大伴の道場に斬入(きりい)るは義によっての事でございまして、身を棄て、義を採ります。命を棄てゝも信を全くする其の志がどう云う所から起りましたか、文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識(ものしり)が仰しゃったことがございます、余り人の為の情(なさけ)と云うものが深くなると、人を害することがあります[#欄外に「玉葉集巻十八、雑五、従三位爲子」の校注あり]「心ひく方(かた)ばかりにてなべて世の人に情(なさけ)のある人ぞなき」と云う歌の通り「情(なさけ)を介(さしはさ)んで害を為(な)す」と云う古語がございます。大伴を討って衆人を助け、殊には友之助を欺いて女房を奪い、百両の金も取上げて仕舞い、彼を割下水の溝(どぶ)の中へ打込み、半殺しにしたは実に大逆非道な奴で、捨置かれぬと云う其の癇癖を耐(こら)え/\て六月の晦日(みそか)まで待ちました。昼の程から様子を聞くと、今日は大伴兄弟も他(た)へ用達(ようたし)に行(ゆ)くことなし、晦日のことで用もあるから払方(はらいかた)を済ませ、家(うち)で一杯飲むということを聞きましたから、今宵(こよい)こそ彼を討たんと、昼の中(うち)から徐々(そろ/\)身支度を致します。お町は其の様子を知って居りますから、暮方(くれがた)になると段々胸が塞(ふさが)りまして、はら/\致し、文治郎の側に附いて居りました。四(よ)つを打つと只今の十時でございますから、何所(どこ)でも退(ひ)けます。母にもお酒を飲ませ、安心させるよう寝かし付け、彼是(かれこれ)九つと思う時刻になると、読みかけた本を投げ棄て、風呂敷包みを持出しましたから、お町はあゝ又風呂敷包みが出たかと思うと、包を解(ほど)いて前(ぜん)申し上げた通り南蛮鍛えの鎖帷子、筋金の入(い)ったる鉢巻を致しまして、無地の眼立たぬ単衣(ひとえもの)に献上の帯をしめて、其の上から上締(うわじめ)を固く致して端折(はしおり)を高く取りまして、藤四郎吉光の一刀に兼元の差添(さしぞえ)をさし、國俊(くにとし)の合口(あいくち)を懐に呑み、覗き手拭で面部を深く包みまして、ぴったりと床(とこ)の上へ坐りまして、
 文「お町やこれへお出で」
 町「はい、お呼び遊ばしましたか」
 文「毎夜云う通り今晩は愈々(いよ/\)行(ゆ)かんければならぬことになりました、多分今宵は本意(ほんい)を遂(と)げて立帰る心得、明け方までには帰るから、どうか頼むぞよ、若し帰らぬことがあったらば文治郎亡き者と思い、私(わし)に成り代って一人のお母様(っかさま)へ孝行を頼みますぞよ」
 町「はい、旦那様、私(わたくし)が此方(こちら)へ縁付いて参りましてから、毎夜々々荒々しいお身姿(みなり)でお出向(でむき)になりますが、どうしてのことか、余程深い御遺恨でもありますことか、果し合とやら云うようなお身姿でございますが、お出(で)遊ばすかと思えば又直ぐお早くお帰りのこともあり、誠に私(わたくし)には少しも理由(わけ)が分りません、元より此方(こちら)へ嫁に参りたいと願いました訳でもございませず、どうか便り少い者ゆえ貴方様へ御飯炊奉公(ごぜんたきぼうこう)に参って居りますれば、不調法を致しましても、お情深い旦那様、行(ゆ)き所もない者と無理に出て行(ゆ)けとお暇(いとま)も出まいと思い、旦那様をお力に親の亡い後(のち)には唯(た)だ此方様(こなたさま)ばかりを命の綱と取縋(とりすが)って、御無理を願いましたことで、思い掛けなくお母様が嫁にと御意遊ばして、冥加に余ったことなれど、実は旦那様は嘸(さぞ)お嫌(いや)であろうと存じて居りました処が、御孝心深いあなた様、お母様の云うことをお背き遊ばさずに、親が云うからと不束(ふつゝか)な私(わたくし)を嫁にと仰しゃって下さりまして、私(わたくし)は実に心が切のうございます、何卒(どうぞ)女房と思し召さず御飯炊の奉公人と思召してお置き遊ばして下さるよう願いとう存じます」
 文「それはお前分らぬことを云う、いやならいやと男だから云います、又気に入らぬ女房は持っている訳にはいかぬもの、一旦婚姻を致したからには決して飯炊奉公人とは思いません、文治郎何処(どこ)までも女房と心得ればこそ母の身の上を頼むではないか、何(な)ぜ左様なことを云う」
 町「ひょっと旦那様は他(ほか)にお母様に御内々(ごない/\)でお約束遊ばした御婦人でもございまして、お母様の前をお出(で)遊ばすにお間(ま)が悪いから、私(わたくし)のようなものでも嫁と定(き)めれば、まさか打明けて斯(こ)うだとお話も出来ないから、其の御婦人の方(かた)へお逢い遊ばしに夜分お出向(でむき)になる事ではないかと、私(わたくし)は悋気(りんき)ではございませんけれども、貴方のお身をお案じ申しますから、思い違えを致すこともございます、何卒(どうぞ)そう云う事でございますならばお母様に知れませぬように、どのようにも私(わたくし)が執(と)り繕いますから、其の女中をお部屋までお呼び遊ばすようになすって下されば、お母様に知れないよう計(はから)います、実は斯うと打明けて御意(ぎょい)遊ばして下さる方が却(かえ)って私(わたくし)は有難いと存じます」
 文「つまらぬことを云うね、妾や手掛の所へ行(ゆ)くに鎖帷子を着て行(ゆ)く者はありません、併(しか)しお前が来てから盃をしたばかりで一度も添寝(そいね)をせぬから、それで嫌うのだと思いなさるだろうが、なか/\左様な女狂いなどをして家を明けるような人間ではございません、言うに云われぬ深い理由(わけ)があって、どうも棄て置かれぬ、お前が左様に疑(うた)ぐるから話すが、私は義に依(よ)って夜(よ)な/\忍び込んで、若し其の悪人を討てば、幾千人の人助けになる、天下のお為になる事もあろう、それ故に母に心配を掛けないよう隠して斯うやって参る、文治郎元より一命を抛(なげう)っても人の為だ、私(わし)がお前と一度でも添臥(そいぶし)すればお前はもう他(た)へ縁付くことは出来ぬ、十七八の若い者、生先(おいさき)永き身の上で後家を立てるようなことがあっては如何(いか)にも気の毒、私(わし)が死んでお母様がお前に養子なさると云えば、一旦文治郎の女房になったと他人(ひと)は思おうとも、お前の身に私(わし)と添臥(そえぶし)をせぬと云う心に力があるから、どのような養子も出来る、添寝をせぬのは実は文治郎がお前を思う故に、情(なさけ)の心からだ、又首尾能(よ)く為終(しおお)した上では、縁あって来た者故添い遂げらるゝこともあろうかと考える、何事も右京太夫の家来の藤原と相談してお母様を頼む、何卒(どうぞ)情(つれ)ない男と思いなさるな、天下のため命を棄てるかも知れぬから」
 町「はい能く打明けて仰しゃって下すった」
 と袖(そで)を噛んだなりで泣き倒れましたが、暫くあって漸々(よう/\)顔を上げまして、
 町「旦那様、そう云うことなら決してお止め申しませんが、何卒(どうぞ)私(わたくし)の申しますこともお聞き遊ばして下さいまし」
 文「何(なん)でも聞きます、どう云うこと」
 町「はい、私(わたくし)が此方(こちら)へ参りましてから、貴方はお癇癖が起って居(お)る御様子、寛々(ゆる/\)お話も出来ませんが、貴方にお恵みを受けました親父(ちゝ)庄左衞門は桜の馬場で何者とも知れず斬殺(きりころ)されましたことは御存じございますまい」
 文「えー……それは知らねど……どうも思い掛けない、何時(いつ)のことで……フーン後月(あとげつ)二十七日の夜(よ)に桜の馬場に於(おい)て何者に」
 町「はい、何者とも知れません、お検死の仰しゃるには余程手者(てしゃ)が斬ったのであろうと、それに親父(ちゝ)がたしなみの脇差を佩(さ)して出ましたが、其の脇差は貞宗でございますから、それを盗取(ぬすみと)りました者を探(たず)ねましたら讐(かたき)の様子も分ろうかと存じますが、仮令(たとえ)讐が知れましてもかぼそい私(わたくし)が親の讐を討つことは出来ませんから、旦那様へ御奉公に上って居りましたら、讐の知れた時はお助太刀も願われようかと存じ、御飯炊の御奉公に願いましたことでございます、貴方のお身の上に若しもの事がありますれば、親の讐を討ちます望(のぞみ)も遂げられまいかと存じます……そればっかりが残念でございます」
 文「フーン、能く親の讐を討ちたいと云った、流石(さすが)は武士の娘だ、あゝそれでこそ文治郎の女房だ、宜しい、私(わし)が附いていて、探(さが)し当て屹度(きっと)討たせます、仮令(たとえ)今晩為終(しおお)せて来ようとも、窃(ひそ)かに立帰ってお前の親の讐を討ったる上で名告(なの)って出ても宜(い)い……併(しか)し直ぐと手掛りもなかろう、彦四郎の刀を取られたのを手掛りとしても、それさえ他(た)に類のあるものでもあり、脇差の拵(こしら)えや何かも女のことだから知るまい」
 町「いゝえ、親父(おやじ)が自慢に人様が来ると常々見せましたが、縁頭(ふちがしら)は赤銅七子(しゃくどうなゝこ)に金の三羽千鳥が附きまして、目貫(めぬき)も金の三羽千鳥、これは後藤宗乘の作で出来の好(よ)いのだそうで、鰐(さめ)はチャンパン、柄糸(つかいと)は濃茶(こいちゃ)でございます、鍔(つば)は伏見の金家(かねいえ)の作で山水に釣(つり)をして居(お)る人物が出て居ります、鞘は蝋色(ろいろ)でございまして、小柄(こづか)は浪人中困りまして払いましたが、中身は彦四郎貞宗でございます」
 文「能く覚えて居(お)る、それが手掛りになりますから心配せぬが宜しい、屹度(きっと)敵(かたき)を討たせましょうが……今夜はどうしても私(わし)は行(ゆ)かなければならぬ、お母様に何卒(どうぞ)知れぬようにして下さい、決して心配するな、直(じ)き往って来るから」
 町「はい、お止め申しませぬ……御機嫌宜しゅうお帰り遊ばして」
 と縁側まで送り出し、御機嫌宜しゅうと袖に縋(すが)って文治郎の顔を見上げる。文治郎は情深い者でございますから、あゝ可愛そうに、己は帰れるやら帰れぬやら知れぬに、気の毒なことゝ思うが、仕方がないから袖を払って三尺の開きをあけて、庭から出まして、これから北割下水へ掛って来ますると、夜(よ)は森々(しん/\)と致して鼻を抓(つま)まれるのも知れません。大伴蟠龍軒の門前まで来ると、締りは厳重で中へ這入る事は出来ません、文治郎は細竹を以(もっ)てズーッと突きさえすれば、ヒラリと高い屋根へ飛上(とびあが)る妙術のある人でございますから、何(なん)ぞ竹はないかと四辺(あたり)を見ると、蚊を取ります袋の付きました竹の棒がある「本所に蚊が無くなれば師走(しわす)かな」と云う川柳の通り、長柄(ながえ)に袋を付けて蚊を取りますが、仲間衆(ちゅうげんしゅう)が忘れでもしたか、そこに置いてありましたから、其の袋を取ってぱっと投げますると、風が這入って袋の拈(より)が戻ったから、中からブウンと蚊が飛び出しました。文治郎は情深い人で、蚊まで助けましたから、今でもブウン/\と云って忘れずに文治郎の名を呼んで飛んで居ります。竹を突いて身軽に門番の家根へ飛上り、又竹を突いてさっと身軽に庭へ下りて、音のせぬように潜み、勝手を知った庭続き、檜(ひのき)の植込(うえご)みの所から伝わって随竜垣(ずいりゅうがき)の脇に身を潜めて様子を窺(うかゞ)うと、長(なが)四畳で、次は一寸(ちょっと)広間のようの所がありまして、此方(こちら)に道場が一杯に見えます。酒を飲んでグダ/\に酔って弟の蟠作が、和田原安兵衞と云う内弟子と二人で話をして居りますが、話をする了簡だけれども、食(くら)い酔って舌が廻りませんから些(ちっ)とも分りません、酒の相手は仕倦(しあ)きて妾のお村が浴衣(ゆかた)の姿(なり)で片手に団扇(うちわ)を持って庭の飛石(とびいし)へ縁台を置き、お母(ふくろ)と二人で涼んで居ります。
 崎「さアお休みなさいよう、お村が早く寝たいと云いますよう……御舎弟様大概に遊ばせよう、お村が怒(おこ)って居りますよ」
 村「若旦那お休みなさいよう」
 蟠「そんなことを云って、まア鬼のいない中(うち)の洗濯じゃアないか……なア安兵衞、兄貴は分らぬてえものだ、此のどうも脇差を弟に内証(ないしょう)で時々ズーッと鞘を払い、打粉を振って磨き、又納め、袋へ入れて楽しんでいるからひどい、今日は留守だから引摺り出したが、私(わし)に見せぬで隠して居(お)るのはひどい」
 安「何時(いつ)の間にお手に入れたか、これは大先生(おおせんせい)より貴方のお持ち遊ばした方が宜しい」
 蟠「兄貴は分らぬ、隠して置くはどうも訝(おか)しい、それに何(な)ぜ此の位の良い脇差に…小柄がないね」
 安「これは何(いず)れ取りあわせて拵(こしら)えるのでしょう」
 村「早くお休みなさいよ、お願いでございますよ、お母(ふくろ)も眠がって居りますから旦那」
 と云うのが庭へ響きます女の声、はア此処(こゝ)にいるのはお村母子(おやこ)だが、此奴(こいつ)を逃してはならぬと藤四郎吉光の鞘を払って物をも云わずつか/\と来て、誰(たれ)かと眼を着けるとお村ですから「友之助ならば斯(かく)の如く」とポーンと足を斬りました。
 村「あゝ人殺し」
 と言いながら前へ倒れる。其の刀でえいと斬るとバラリッとお母(ふくろ)の首が落ちました。随竜垣に手を掛けて土庇(どびさし)の上へ飛上って、文治郎鍔元(つばもと)へ垂れる血(のり)を振(ふる)いながら下をこう見ると、腕が良いのに切物(きれもの)が良いから、すぱり、きゃっと云うばかりで何(なん)の事か奥では酒を飲んでいて分りません。
 蟠「何(なん)だ/\」
 村「人殺し/\」
 安「それは飛んだこと」
 とひょろ/\よろけながら和田原安兵衞が来て、
 安「どう遊ばした、お母様(ふくろさま)も怪(け)しからぬ……何者でござる、確(しっか)り遊ばして」
 と言いながらお村を抱き起そうとする時、後(うしろ)から飛下りながら文治郎がプツリッと拝み討ちに斬りますと、脳をかすり耳を斬落(きりおと)し、肩へ深く斬り込みましたから、あっと仰様(のけざま)に安兵衞が倒れました。蟠作は賊ありと知って討とうと思いましたが、慌(あわ)てる時は往(ゆ)かぬもので、剣術の代稽古をもする位だから、刀を持って出れば宜(よ)いに、慌てゝ居りますから心得のない槍の鞘を払って「賊め」と突き掛る処を、はっと手元へ繰込(くりこ)み、一足踏込んでプツリと斬りましたが、殺しは致しませんで、蟠作の髻(たぶさ)とお村の髻とを結び、庭の花崗岩(みかげいし)の飛石の上へ押据(おしす)えて、
 文「やい蟠作、能くも汝(われ)は大小を差す身の上でありながら、町人風情(ふぜい)の友之助を賭碁に事寄せ金を奪い、お村まで貪(むさぼ)り取ったな、大悪非道な奴である…お村、汝(われ)は友之助と心中致す処を此の文治郎が助け、駒形へ世帯を持たせて遣(や)ったに、汝(なんじ)友之助に意地をつけ、文治郎に無沙汰で銀座三丁目へ引越(ひっこ)し、剰(あまつさ)え蟠龍軒の襟元に付き心中までしようと思った友之助を袖にして、斯様(かよう)な非道なことをしたな、汝(なんじ)は文治郎が掛合に参った時悪口(あっこう)を吐(つ)き、能くも面体(めんてい)へ疵を付けたな、汝(おの)れ」
 と七人力の力で庭の飛石へ摩(こす)り付け、友之助が居(お)ればこうであろうと、和田原安兵衞の差していた脇差を取って蟠作の顔を十文字に斬り、汝(われ)は此の口で友之助を騙(だま)したか、此の色目で男を悩(なやま)したかとお村をズタ/\に斬り、汝(われ)は此の口で文治郎に悪口を吐(つ)いたかと嬲殺(なぶりごろ)しにして、其の儘脇差を投(ほう)り出し、藤四郎吉光の一刀を提(さ)げて「蟠龍軒は何処(どこ)に居(お)るか、隠れずに出ろ、友之助になり代って己が斬るから此処(こゝ)へ出ろ」と云いながら何処を探してもいないから、台所へ来て男部屋を開けますると、紙帳(しちょう)の中へゴソ/\と潜(もぐ)って、頭の上へ手を上げて一生懸命に拝んで、
 男「何卒(どうぞ)お助け下さい、何も心得ません、命計(ばか)りはお助けなすって、御入用なれば何(なん)でも差上げます」
 文「己は賊ではない、汝(てまえ)は奉公人か、当家の家来か」
 男「へえ先月奉公に這入った何も心得ませんもので」
 文「蟠龍軒は何処に隠れて居(お)るかそれを教えろ、蟠龍軒は何処に隠れて居るかそれを言え」
 男「何処だか存じませんが、今朝程築地(つきじ)のお屋敷へ往って浮田金太夫(うきたきんだゆう)様の処へ、竹次郎というお弟子と今一人を連れて参りました」
 文「嘘を云え、何処に隠れているか云え」
 男「嘘ではございません、主人の煙草盆に手紙が挿してあります、浮田金太夫様からのお手紙が参って居ります」
 文「じゃア全く居(お)らぬか……残念な事を致したな、大伴兄弟が居(お)ると思ったに蟠龍軒だけ築地の屋敷へ参ったか……あゝ残念な事をした」
 と云いながらプツーリと癇癪紛れに下男の首を討落(うちおと)しました。奉公人はいゝ面の皮で、悪い所へ奉公をすると此様(こん)な目に遇います。文治郎は刀をさげ、隠れて居(お)るかと戸棚(とだな)を開けたり、押入を引開けて見たが、居りません。座敷の真中(まんなか)に投(ほう)り出してありますは結構な脇差で、只(と)見ると赤銅七子に金の三羽千鳥の縁頭、はてなと取上げて見ると、鍔は金家の作、目貫は三羽千鳥、是は彼(か)のお茶の水で失ったる彦四郎貞宗ではないか、中身はと抜いて見ると紛(まご)う方なき貞宗だから、あゝ残念な事をした庄左衞門を殺害(せつがい)したのは彼等兄弟の所業(しわざ)に相違ないが、是を己が持って帰れば盗賊に陥り、言訳が付かぬ、却(かえ)って刀は此所(こゝ)に置く方が調べの手懸りにもなろうと思い、此の事を早くお町にも話したいと血(のり)を拭(ぬぐ)って鞘に納め、塀を乗越えて立帰りましたが、これから災難で此の罪が友之助に係りまして、忽(たちま)ちにお役所へ引かれますのを見て、文治郎自(みず)から名告(なの)って出て、徒罪(とざい)を仰付(おおせつ)けられ、遂に小笠原島へ漂着致し、七ヶ年の間、無人島(むにんとう)に居りまして、後(のち)帰国の上、お町を連れて大伴蟠龍軒を討ち、舅(しゅうと)の無念を晴すと云う、文治郎漂流奇談のお話も楽(らく)でございます。

(拠若林※藏、酒井昇造速記)

 

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底本:「圓朝全集 巻の四」近代文芸?資料複刻叢書、世界文庫
   1963(昭和38)年9月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の四」春陽堂
   1927(昭和2)年6月28日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号はそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」は、それぞれ「其の」と「此の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※誤記等の確認に、「三遊亭円朝全集 第三巻」(角川書店、1975(昭和50)年7月31日発行)を参照しました。
※本作品中には、身体的?精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。
入力:小林 繁雄
校正:かとうかおり
ファイル作成:かとうかおり
2000年1月18日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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【表記について】

/\……二倍の踊り字(濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」)


本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

 若林※藏 
第4水準2-80-65 
※袍(どてら) 
第3水準1-90-18 
大刀の※(つか)へ 
第4水準2-13-2 
※(もじり)などを持って 
第4水準2-90-93 
※(ほし)殺そうと思って 
第4水準2-92-63 
※(たが)がゆるんだのだ 
 

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