十六
大伴蟠龍軒の家に連なる者、或(あるい)は朋輩(ほうばい)などは目の寄る処へ玉と云って悪い奴ばかり寄ります。其の中に阿部忠五郎という奴は、見掛けは弱々しい奴で、腹の中は良くない奴で、大伴に諛(へつら)いまして金でも貰おうという事ばかり考えて居ります。丁度七つ下(さが)りになりまして大伴の処へ参りますと、幸い蟠作も居りません、蟠龍軒独りで小野庄左衞門を殺して取った刀へ打粉(うちこ)を振って楽しんで居ります。
蟠「誰(たれ)だえ」
忠「阿部でございます、只今お玄関へ参った処が誰(たれ)も居りません、中の口へ参っても御門弟も居りませんから通りました、何(なん)です、お磨きですか」
蟠「さア此方(こっち)へ来な、誰(たれ)も居らぬが、これは先達(さきだっ)てお茶の水で小野を殺害(せつがい)致して計らず手に入(い)った脇差だが、彦四郎貞宗だ、極(ご)く性(しょう)が宜しい」
忠「はア、彼(あ)の時の……又先達ては多分の頂戴物(ちょうだいもの)をいたしまして有難うございます」
蟠「縁頭(ふちかしら)は赤銅七子(しゃくどうなゝこ)に金で千鳥が三羽出ている、目貫(めぬき)にも千鳥が三羽出ている、後藤宗乘(ごとうそうじょう)の作だ」
忠「大した物ですなア」
蟠「柄糸(つかいと)も悪くもない、鍔(つば)は金家(かねいえ)だ」
忠「あの伏見の金家、結構でございますな」
蟠「鞘は蝋色(ろいろ)で別に見る処もないが、小柄(こづか)はない、貧乏して小柄を売ったと見える」
忠「思い掛けない物がお手に這入るもので」
蟠「久しく来ないからどうしたかと思った」
忠「時に先生、申し兼(かね)ましたが、市ヶ谷の親類の者に子供が両人あって、亭主が暫らく煩(わずろ)うて、別に便(たよ)る者もない、義理ある親類で嘆いて参って、助けてくれぬかと、拠(よんどころ)なく金子を貸してやらなければなりません、手前も貧乏でございますから貸すどころではございません、誠に申上げ兼ますが、先生五十金拝借を願います」
蟠「フーン、つい此の間廿金やった上に、又三十金というのでお前の云う通り五十両からやってある」
忠「それは存じて居ります、再度お手数(てかず)を掛けて、こんなことを申し上げるのではございません、拠(よんどころ)ない訳で一時(いちじ)のことで、九月……遅くも十月までには御返金致します、これは別に御返済致します」
蟠「フン/\、今手許に金がない、お前にも穗庵にもやってある」
忠「お貸し下さらぬか」
蟠「はい」
忠「宜しゅうございます、無理に拝借致そうという訳ではございませんが、先生拝借を願います、足元を見て申上げるように思召(おぼしめ)すか知りませんが、左様な訳ではありません、此の度(たび)は困るからでございますが、手前共のような者でお役には立ちますまいが、手前にこうしてくれぬかという時は先生に御懇命を蒙(こうむ)って居りますから嫌(いや)とは申しません、はいと申します、事露顕致せば命にも係わることでもいやとは申しません、義理というものは仕方がございません、手前も義理だから先方に貸してやらなければならぬ、出来なければ仕方はございませんが、彼(あ)の時命懸けの事をして、其の上ならず貞宗の刀がお手に入(い)れば二百金ぐらいのものがあります、お金が出来なければ其の刀を拝借して質に入れましょう」
蟠「無礼な事を云ってはならぬ、人の腰の物を借りて質に置くというのは無礼至極だろう」
忠「そうですか、貴方の刀ではございますまい、小野庄左衞門の」
蟠「これ/\大きな声をしてはならぬ」
忠「お貸し下さらんければ宜しゅうございます、一旦金などを貸して下さいと云って貸して下さらぬというと来悪(きにく)くなりますから、御無沙汰になります、手前も一杯飲みますから、うっかり飲んで、口が多うございますから、打敲(ぶちたゝ)きをされゝばお茶の水の事や何か喋(しゃべ)れば貴方の御迷惑になろうと思います」
蟠「フン、だが此の刀を持って質に入れられては困る、他から預って居(お)る金を融通しよう、いろ/\それに付いて貴公に頼む事がある、貴公も私の悪事に左袒(さたん)して、それを喋って意趣返しをしようということもあるまい、お互いに綺麗な身体にはならないから、もう一と稼ぎしようじゃないか」
忠「どういうことでございます」
蟠「家(うち)じゃア話が出来ないから、今に舎弟が帰るから亀井戸の巴屋(ともえや)で一杯やって吉原へ行(ゆ)こう」
忠「取り急ぎますから金子を拝借します」
蟠「押上(おしあげ)の金座の役人に元手前が剣術を教えたことがある、其処(そこ)へ行(ゆ)けばどうにかなるから一緒に行(ゆ)こう」
忠「金さえ出来れば参りましょう」
とこれから巴屋へ往って酒を飲みます。元より好きだから忠五郎どっさり飲みました。
忠「もう酔いまして、帰りましょう、金子を拝借したい」
蟠「これは五十金、私(わし)が金座役人の所へ往って此の金は明日(あした)までに届けなければならぬ金だが、吉原へ行(ゆ)けば才覚が出来る、池田金太夫(いけだきんだゆう)という人を知っているだろう」
忠「河内守(かわちのかみ)の公用人の」
蟠「そうよ、内証(ないしょう)で遊びに往っている金太夫に遇うまで貴公は他(た)へ往って、赤い切れを掛けた女を抱いて寝て居(お)れば百金は才覚する」
忠「久しく遊びに参りませんよ、妻(さい)が歿して二年越し独身で居ります……参りたいな、金子を戴いて待っている間、赤い切れと寝ているなどは有難い」
蟠「金を早く持って帰らんでは市ヶ谷の親類の方はどうする」
忠「金を持って行(ゆ)けば明日(あした)でも宜しゅうございます」
蟠「現金な男だ、駕籠というのも何(なん)だからぶら/\歩こう」
と貸提灯(かしぢょうちん)を提げて雪駄穿きで、チャラリ/\と又兵衛橋(またべえばし)を渡って押上橋(おしあげばし)の処へ来ると、入樋(いりひ)の処へ一杯水が這入って居ります。向うの所は請地(うけじ)の田甫(たんぼ)でチラリ/\と農家の燈火(あかり)が見えます、真の闇夜(やみ)。
蟠「阿部」
忠「へえ」
蟠「便をしたいが、少し向うから人が来るようだから」
忠「宜しゅうございます、私(わたくし)も出たいからお附合(つきあい)をしたい」
蟠「左様(そう)か、そんなら私(わし)が提灯を持ってやろう」
と元より貸提灯でございますから、
蟠「ア、燈火(あか)りが消えるようだ」
忠「消えましたか、困りましたな、一本道だから宜しいが燈火がなくては困りますな」
蟠「うっかりしていた、困ったなア、何処(どこ)かへ往って借りよう、通り道に家(うち)があるだろう、構わず便(べん)をしなよ」
忠「左様(そう)でございますか、宜しゅうございます」
とうっかり向うを向いて便を達(た)そうとする処をシュウと抜討ちに胴腹(どうばら)を掛けて斬り、又咽元(のどもと)を斬りましたから首が半分落るばかりになったのを、足下(そっか)に掛けてドブーンと溜り水の中に落して仕舞いました。懐中から小菊(こきく)を取出して鮮血(のり)を拭い、鞘に納め、折(おり)や提灯を投げて、エーイと鞍馬(くらま)の謡(うた)いをうたいながら悠々(ゆう/\)と割下水へ帰った。其の翌日文治郎が様子を見て大伴の道場へ斬込もうと致しますと、只今なれば丁度午後二時半頃、文治郎の宅の玄関の前を往ったり来たりして居(お)るのは左官の亥太郎。
森「どうしたえ」
亥「森松か大(おお)御無沙汰をした」
森「旦那がどうしたって心配(しんぺい)をしていらア、家(うち)を間違(まちげ)えたのか、往ったり来たりしている、どうも豊島町の棟梁のようだが、どうしたのかと思っていた」
亥「家(うち)を間違(まちげ)えるような訳で、大御無沙汰」
森「己(おら)の家(うち)に嫁が来た、良(い)い女だよ」
亥「冗談じゃアねえ知らしてくれゝば嗅(くせ)え鰹節(かつぶし)の一本か酢(すっ)ぺい酒の一杯(いっぺい)でも持って、旦那お芽出度(めでと)うござえやすと云って来たものを」
森「未(ま)だ本当の祝儀をしねえから何処(どこ)へも知らせねえのだ、大丈夫だ、心配(しんぺい)しなくもよろしい、祝いものは何処からも来やしねえ、表向(おもてむき)に婚礼をすりゃアお前(めえ)の所へも知らせらア」
亥「旦那に云ってくんねえ、これは詰らねえ物だがって上げてくんねえ」
森「旦那、亥太郎が来ました」
文「そうか、此方(こっち)へお通し申せ……お母(っか)さま、亥太郎が参りました」
母「そうかえ、まア/\此方(こちら)へ」
亥「御無沙汰致しまして、お変りもございませんで」
母「お前さんも達者で、つい此の間も噂をして居りました、さア此方(こっち)へ」
文「亥太郎さん、文治郎は大きに御無沙汰をした、少し取込んだことがあって」
亥「今、森に聞けばお嫁さんが来たって、知らねえものだから、知らせておくんなされば詰らねえ祝物(いわいもの)でも持って来なければならねえ身の上で、お祝いにも来ねえで、何(な)ぜ知らせて下さらねえ」
文「いや/\未だ内輪だけのことで」
母「只今文治の云う通り内輪だけのことで、改まって婚礼をするときは貴君方(あなたがた)にも知らせる積りでございます」
亥「だって私(わっち)は内輪でございやす、なアにこれは詰らねえものでございやす、お嫁さんにお目に懸りてい」
母「町や……年が行(ゆ)きませんから」
亥「へえ、こりゃアどうも/\そんなに長くお辞儀をなすっちゃアいけねえ、私(わっち)どもは二つずつお辞儀をしなければならねえ、こんな良(い)いお嫁さんはございませんねえ、お姫様のようだ、私(わっち)はぞんぜえ者でございやす、幾久しく願いやす」
文「御尊父様は御壮健でございますか」
亥「へえ何(なん)でごぜえやすか」
文「御尊父様は御壮健でございますか」
亥「私(わっち)の近所の医者でごぜえやすか」
文「いえ貴君(あなた)の親御(おやご)さまは」
亥「私(わっち)の親父(おやじ)ですか、些(ちっ)とも知らねえ……お芽出たい処へ来て、こんな事を云っては何(なん)ですが、親父は此の二月お芽出度(めでたく)なりました」
文「おや、さっぱり存ぜんで、お悔みにも参りません、何(な)ぜ知らせて下さらぬ」
亥「私(わっち)共のような半纒着(はんてんぎ)の処へお前(めえ)さんが黒い羽織で来ちゃア気が詰って困るからお知らせ申さねえ」
文「やれ/\御愁傷さま」
母「お前さまのような薩張(さっぱ)りした御気性だから口へはお出しなさらないが、腹の中(うち)では嘸(さぞ)御愁傷でございましょう」
亥「此方(こっち)の旦那のように親孝行をして死んだのでございません、餓鬼の中(うち)から喧嘩早(けんかっぱや)くって私(わっち)故に心配して、あんな病身になって死にました、達者な中(うち)に好(すき)な物でも食わせて死んだのなれば、良(い)いがと思って、死んで仕舞ってから気がついても仕方がねえ、私(わっち)が今度泣くと友達が笑って亥太郎は鬼の目に涙だってねえ」
文「嘸々(さぞ/\)御愁傷のことで、お見送りもしなかったのは残念だ、頼母(たのも)しくない」
亥「今のお嫁入りとえんだり[#「えんだり」に傍点]にしましょう、私(わっち)共は交際(つきえゝ)が広(ひれ)いものだから裏店(うらだな)の葬(ともれ)えでありながら、強飯(こわめし)が八百人前(めえ)というので」
文「成程、嘸御立派でございましたろう」
亥「それで豊島町の八右衞門(はちえもん)さんが一人の親だから立派にしろというので、組合(くみえい)の者が皆(みんな)供に立って、富士講(ふじこう)の先達(さんだつ)だの木魚講(もくぎょこう)だのが出るという騒ぎで、寺を借りて坊主が十二人出るような訳で」
文「立派なことでございましたなア」
亥「それも宜(よ)いが、蝋燭だの線香だの香奠(こうでん)だのと云って家(うち)の中(うち)へ一杯(いっぺい)に積んで山のようになりました、金でも持って来れば宜(い)いに、食えもしねえ蝋燭なんぞを持って来て、其の返(けえ)しに茶の角袋(かくぶくろ)でも附けなければならねえ、これが小(こ)千軒あるような訳で」
文「成程、併(しか)しながら亥太郎さん、一人のお父(とっ)さんのことだから立派になさい」
亥「へえ…何(なん)だって豊島町の富士講の先達(せんだつ)だの法印が法螺(ほら)の貝を吹くやら坊主が十二人」
文「成程」
亥「それも宜(い)いが、蝋燭だの線香だの食えもしねえ物を貰って返(けえ)しをしなければならねえ」
文「成程、御孝行の仕納めだから立派になすった方が宜しい」
亥「身に余った葬(ともれ)えで仮寺(かりでら)を五軒ばかりしなければ追付(おっつ)かねえ、酒が三樽(たる)開いて仕舞う、河岸(かし)や何かから魚を貰って法印が法螺の貝を吹く騒ぎ」
文「成程」
亥「それも仕方がねえが山のように線香だの何(なん)だの、質にも置けねえ物を貰って、それも宜(い)いが返(けえ)しに菓子と茶を附けなければならねえ」
文「成程、立派にしてお上げなさい」
亥「坊主を十二人頼むというので棺台などを二間(けん)にして、無垢(むく)も良(い)いのを懸けろというので、富士講に木魚講、法印が法螺の貝を吹く」
文「成程立派なことで」
亥「それも宜(い)いけれども食えもしねえ線香や蝋燭などを山のように積んで、菓子や茶の袋を配るのが千軒もある」
文「成程、亥太郎さん、貴方のことだからお差支(さしつかえ)もあるまいが、余程のお物いりだね」
亥「へえ、仕様がねえ」
文「外(ほか)の事とも違うから、御不足はあるまいが御入用なれば文治郎これだけ入ると、打明けて云うて下さるのが友達の信義だから、多分のことは出来まいが、少々ぐらいのことなら御遠慮なくお云いなさい」
亥「へえ/\……からビッショリ汗をかいて仕舞った……実は金を借りに参ったので」
文「道理でおかしいと思った、一つ言(こと)ばっかり仰(おっし)ゃるから、お正直です」
亥「今まで身上(みじょう)が悪いから菓子屋も茶屋も貸さねえ、仕方がねえから旦那の所へ来たが、玄関の所へ来て這入り切れねえ……旦那済みませんが貸して下せい」
文「道理で……宜しい/\あなたが道楽に遣(つか)うのでない立派なことです、何程(なにほど)御入用……それで済みますか五十金……お母(っか)さまお貸し申しましょうか」
母「御用達(ごようだて)申しなともさ」
亥「有難うごぜえやす……私(わっち)は証文を書くにも書けませんが、こういう詰らねえ物を持って居りやすが、百両の抵当(かた)に編笠ということもございやすから、これを預って下せえ」
と出したのは高麗青皮(こうらいせいひ)に趙雲(ちょううん)の円金物(まるがなもの)、後藤宗乘の作でございます。
文「立派な胴乱だ」
亥「胴乱でごぜいますか」
文「これは高麗国の亀の甲だというが、類(たぐ)い稀なる物……これは名作だ、結構な物、どうしてこれを御所持でございます」
亥「それはなに、妙な、なに泥ぼっけになっていたのを拾ったのです」
文「これはお前さんの手に在(あ)っても入(い)るまい」
亥「入りませんとも」
文「抵当(かた)も何も入らぬが、これは預って置きましょう」
文治郎の手にこれが這入るのは蟠龍軒の天運の尽きで、これが友之助の手に這入って、遂に小野庄左衞門の讎(かたき)が分るというお話、鳥渡(ちょっと)一吹(いっぷく)致しまして申し上げます。
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