十五
扨(さて)文治郎とお町の婚礼は別に媒妁(なこうど)も親もない。藤原喜代之助が親里なり媒妁なり致して、ほんの内輪だけでございまして、國藏夫婦が連なり、森松も末席に坐り、目出度(めでたく)三三九度の盃も済み、藤原が「四海浪(なみ)しずかに」と謡(うた)い、媒妁は霄(よい)の中(うち)と帰りました。母も悦び、大いに酒を過(すご)して寝ます。夏のことでございますから八畳の間へ一杯に蚊帳(かや)を釣りまして夫婦の寝る処がちゃんと極(きま)って居ります。娘お町は思掛(おもいがけ)ないことで、飯炊きの奉公に来ようと云ったのが嫁となり、世に類(たぐ)いなき文治郎のような夫を持つのは冥加(みょうが)に余ったことと嬉しいが一杯で、側へも寄ることが出来ず、行燈(あんどう)の側に蚊に食われるのも知らず小さくなって居ります。文治郎は蚊帳の中に風呂敷包を持って来ました。
文「お町/\」
町「はい」
文「此処(こゝ)へおいでなさい、其処(そこ)にいると蚊がさしていかない、なか/\蚊の多い処だから蚊を能く逐(お)うて這入んなさい、少しお前に話す事がある」
お町は嬉しゅうございますから飛立つ程に思いましたが、しとやかに扇(あお)いで、ずっと横に這入らぬと蚊が這入ります。これが行儀の悪いものはそうは行きません。ばた/\と扇いで立ってひょいと蚊帳をまくって這入りますから蚊が飛込んでいけません。蚊帳の中に這入りましても蒲団の上に乗りませんで蚊帳の側にぴったり坐って居ります。
文「此方(こっち)へ来なさい、縁あってお前は私(わし)の処に嫁に来ようというは実におもいきや、今日(こんにち)三々九度の盃をすれば生涯(しょうがい)死水(しにみず)を取合う深い縁、お前は来たばかりであるが少し申し聞けることがある、浪島の家風がある、家風は背きはしまい」
町「恐入りますことを御意遊ばす、私(わたくし)は元より嫁に参りたいと願いました訳ではございません、御膳炊きに参りましたのでございます、親一人子一人の其の父が亡くなりまして、別に頼るべき親族もございませず、何処(どこ)へか奉公に参りましょうと思いましても、不束(ふつゝか)もの逐出されても行(ゆ)き処がございません、心細う思うて居りました、旦那様へ御奉公に参ればお情深い旦那さま、見捨(みすて)ては下さるまい、御膳炊きにでもと思うて居りましたに、思い掛なくお盃を下さいまして冥加に余りましたことでございます、何ごともお辞(ことば)は背きませんが、一々斯(こ)うしろ彼(あ)ア致せと御意遊ばせば、届かぬながらも心に掛けて何ごとでも致し、お母様(っかさま)にも御孝行を尽します、どうか身寄り頼りのない不憫の者と思召して、旦那さまお情を掛けて下さるようお見捨なさらぬように」
とポロリと溢(こぼ)す一(ひ)と雫(しずく)、文治郎はこれを見て、あゝ嫁に来た晩に荒々しい身なりをして出て行(ゆ)くのを見れば驚くであろうと思いましたけれども、癇癖が高ぶって居りますから気を取直(とりなお)して、
文「夫婦は其の初見(しょけん)に在りと、初見参(しょけんざん)の折(おり)に確(しか)と申し聞ける事は、私(わし)より母の機嫌を取り能く勤めてくれんではならぬ、又人間は老少不定(ろうしょうふじょう)ということがある、明日にも親に先立ち私(わし)が死ぬまい者でもない、其の折は私(わし)になり代って母に孝行を尽してくれられるだろう、亭主が死んで姑(しゅうと)の機嫌を取るのがいやだと云って此の家を出る志はあるまい、念のため夫婦の道じゃに依(よ)って教え置きます」
町「それは御意遊ばすまでもございません、貴方はそんなことはございますまいが、お母(っか)さまの御機嫌を取り、御介抱を致しますのは私(わたくし)の役でございまするで、決して粗略には致しません」
文「はい、私(わし)は性質癇癖持ちで、詰らぬことに怒りを生じて打ち打擲することがある、弱い女や子供を打擲することは嫌いだが、意に逆らうと癇癖に障ります、決して逆らってくれまい」
町「どう致しまして、お辞(ことば)は背きません」
文「それは辱(かたじ)けない、それでは申し聞けるが、文治郎今晩これから直ぐに出て行(ゆ)きます、今晩はお前が嫁に来たばかりだから留(とゞま)りたいが、出て行(ゆ)かなければならぬ、私(わし)が出て往った後(あと)で、お母様(っかさま)がお目が覚めて文治郎はとお問い遊ばした時、文治郎は能く眠り付いて居ります、御用なれば私(わたくし)へ仰せ聞けられて下さいと云って、お前が引受けてくれぬでは困る」
町「何処(どこ)へお出(いで)になります、何時(いつ)お帰りになります」
文「帰りは明方(あけがた)でございます、若し是非ない訳で帰れんければ四五十年は帰れぬ、たった一人の大切のお母様(っかさま)、私(わし)になり代って孝行を尽してくれぬでは困る」
町「はい四五十年お帰り遊ばされぬというのは其りゃどういう訳でございますか」
文「深く問われては困る、義に依って行(ゆ)かなければならぬ処がある、辞返(ことばがえ)しをすることはなりませんよ」
町「はい」
とおど/\して見て居りますと、風呂敷包のなかから南蛮鍜(なんばんきた)えの鎖帷子(くさりかたびら)に筋金(すじがね)の入りたる鉢巻をして、藤四郎吉光(とうしろうよしみつ)の一刀に關(せき)の兼元(かねもと)の無銘摺(むめいす)り上げの差添(さしぞえ)を差し、合口(あいくち)を一本呑んで、まるで讐討(かたきうち)か戦争にでも出るようだから恟(びっく)りいたしまして、
町「旦那さま、どういう御立腹のことがございますか存じませんが、お母(っか)さまも取る年、あなたのお身にひょんな[#「ひょんな」に傍点]ようなことでもございますれば、お母様(っかさま)はどのくらいお嘆きなさるか知れません、どうか私(わたくし)に面じてお許し下さいまし」
文「あーれ、それだから困る、それだから辞(ことば)を返すことはならぬと申し聞けたではないか」
町「お辞は返しません」
文「そんなら宜しい」
と庭へ下りて、無地の手拭を取って面部を包み、跣足(はだし)で出て行(ゆ)きますからお町はおど/\しながら袖(たもと)に縋(すが)り、
町「申し、旦那さま、御機嫌よう」
文「うん頼むぞ」
三尺の開きを開けて出て行(ゆ)きました。跡を閉(た)てゝお町はあゝ情(なさけ)ないことだと耐(こら)え兼て覚えず声が出ます。泣声がお母(っか)さまに知れてはならぬと袂を噛(か)みしめて蚊帳の外に泣(なき)倒れます。彼(か)れ此れ明(あけ)七つ頃に庭の開きをかち/\と静かに敲(たゝ)きます。
文「お町/\」
町「はい、お帰り遊ばしたか」
と其の儘飛石(とびいし)伝いに下りて行(ゆ)きます。其の晩は大伴を斬り損ないまして癇癖に障ってなりません。これから風呂敷を解いて衣服(きもの)を着替え、元のように風呂敷包を仕舞って寝ようと思いましたが、これまで思い付いた宿志(しゅくし)を遂げないから、目は倒(さか)さまに釣(つる)し上り、手足は顫(ふる)え、バターリッと仰向(あおむけ)さまに寝て仕舞いました。仰向に寝たが寝られませんから、又此方(こっち)を向くと、それでも寝られませんから又起上(おきあが)って見たりいろ/\して居ります。お町はハラ/\して其の儘寝る事もなりませず居(お)る中(うち)に、カア/\と黎明(しののめ)告(つぐ)る烏と共に文治郎は早く起きて来まして、
文「お母(っか)さまお早う、好(よ)い天気になりました、お町やお母さまのお床を上げて手水盥(ちょうずだらい)へ水を汲むのだよ」
と云って少しも平生(へいぜい)と変りはありませんから、夕べは玉つばきの八千代(やちよ)までと深く契ったようだと思い、お母さんも安心して居ります。唯気遣(きづか)いなのは嫁でございます。婚礼の晩に早くお床にはいらぬと縁が薄いという其の夫が夜中に出て行って荒々しくして居ります。其の日も暮れ、お母様もお静まりになると、又風呂敷包を持って来まして、
文「町、昨夜(ゆうべ)云った通りお母さまのことは頼むぞ」
町「はい、何時(いつ)頃お帰りになりましょう」
文「多分明方までに帰る、若し明方までに帰らぬと頼むぞよ」
と間違えば斬死(きりじに)するつもりでございます。大伴の道場には弟子子(でしこ)もあります、飛道具もあります、危いから若し夫婦の交りをすれば、此の女は生涯操(みさお)を立って後家(ごけ)で通さなければならぬから、情(なさけ)を掛けて一つ寝をしないのでございます。お町は夫にお怪我がなければ良いと案じて居りますと、今度は直ぐに帰って来ました。
文「明けろ」
前のように鎖帷子を取って風呂敷に包んで寝ました。其の晩も大伴の道場へ斬込むことが出来ぬと見えてバターリッと仰向になって、又起上り、又寝て見たり、癇癖に障って寝られません。斯(か)くすること五日ばかり続けました。其の中(うち)にお町の心配は一(ひ)と通りでございません、五日目の朝でございます。
文「お母さま御機嫌宜しゅう、お町/\」
と云って居ります。藤原喜代之助も朝飯(あさはん)を食べて文治郎の家へ参り、お町の様子を文治郎に聞くと、心掛も良し、女も良し、結構だと云うから、昼飯(ひるはん)を食べて暑うございますから涼しい処へでも参ろうと云う処へ、森松が駈込んで参りまして、
森「旦那、大変でございます」
藤「どうした」
森「だって大騒ぎでございます」
藤「何(なん)だあわたゞしい」
森「表へ馬に乗った士(さむらい)が参りました」
藤「どんな姿をして来た」
森「抜身の槍で鎧(よろい)を着て藤原喜代之助の宅は此の裏かと云いました」
藤「どういう訳で…其の者はどうした」
森「今来ますよ」
藤「槍は鞘(さや)を払ってあるか」
森「抜身ではありません、鞘を取ると抜身になります」
藤「誰が来たのだ」
と覗(のぞ)いて見ると、行儀霰(ぎょうぎあられ)の麻上下(あさがみしも)を着て居ります、中原岡右衞門(なかはらおかえもん)と云う物頭役(ものがしらやく)を勤めた藤原と従弟(いとこ)同士でございます、別当も付きまして立派な士(さむらい)がつか/\と来ました。
中「藤原殿、思い掛けない訳でございます」
藤「どうして、これは」
中「存外御無沙汰今日(こんにち)は思いも掛けない吉事(きちじ)で、早く知らせようと思って、重野(しげの)の叔父(おじ)も殊(こと)の外(ほか)悦んで居りました」
藤「どう云う訳で……森、彼(あれ)は親族の者だ……此の通り見苦しい訳でお許し下さい」
中「宜しい、番内(ばんない)は路地に待って居れ」
藤「それへお上げ下さい」
中「いや彼方(あっち)へやります、馬の手当を致せ」
藤「御家来を此方(こちら)へ」
余り狭くて親類の家というのは間(ま)が悪いから遠ざけまして、
中「誠に暫く、御壮健のことは下屋敷(しもやしき)に於(おい)て聞いて居りましたが、お尋ね申すは上(かみ)へ憚(はゞか)りがありますからお尋ね申しません、いやお懐かしゅうございました」
藤「いや面目次第もございません、一時の心得違いから屋敷を出まして、尾羽(おは)打ち枯らした身の上、斯(かゝ)る処へ中原氏(うじ)が参ろうとは存じません、面目次第もございません」
中「御先妻のあさという婦人がお母(っか)さまに不孝を致し、彼(あ)の婦人の為に屋敷を出る位であったが、其の妻なる者が歿(ぼっ)して二度目の妻(さい)は此の近辺に居(お)る浪島とか云う者の妹が参ったとか、それが叔母さまを大事にするという説が屋敷へも聞(きこ)え、それこれお悦び申す」
藤「面目次第もございません」
中「お母さまも御壮健でございますか」
藤「はい、お母さま/\……年を取りまして……中原岡右衞門が参られました」
母「おや/\誠に暫く、もうどうも年を取りまして身体もきかず、又目も悪くなり、お前の顔もはっきり分りません、お変りもなくまア/\立派なお身なりにお成りで、お前は若い時分から誠に気性が違い、正しい人だと云って褒めて居りましたが、相変らずお勤めで、お母さまも御機嫌善(よ)いかね」
中「母も無事でございます、あなたも御不自由でございましょうが、好(よ)いお嫁が参って大切にすると云うことで、中原悦んで居りましたよ」
母「誠に有難うございます、久し振りで遇(あ)いましてこんな嬉しいことはありません、久し振りで上下(かみしも)を見ましたよ、此の近所には股引(もゝひき)や腹掛(はらがけ)をかけた者計(ばか)り居(お)るから……かやや/\……これは嫁でございます」
中「左様でございますか、中原岡右衞門と申す者、以後御別懇にねがいます…時に藤原氏(うじ)、此の度(たび)は貴殿をお召し返しになります」
藤「へー手前がお召し返しになりますか」
中「はい、親族だけに手前へ此の役を仰せ付けられました、上(かみ)から仰せ付けでございますから、仰せ付けられ書(がき)を一(ひ)と通り読上げた上で緩(ゆっく)りお話し致しましょう」
藤「お召し返し/\お母さまお召し返しになります」
母「おや/\、それは有難いことでございます、もう一度お屋敷を見て死にたいと思って居りましたが、それは有難いことで」
中原は上座へ直りまして、
[#ここから引用文、3字下げ、はじめの「一」のみ2字下げ]
一其方儀(そのほうぎ)先達(さきだっ)て長(なが)の暇(いとま)差遣(さしつか)わし候処(そうろうところ)以後心掛も宜しく依(よっ)て此度(このたび)新地(しんち)二百石に召し返され馬廻り役被仰付候旨(おおせつけられそうろうむね)被仰出候事(おおせいだされそうろうこと) 重 役 判
[#ここで引用文終わり]
藤「はア」
と藤原は恐入って、思わずポロリと男泣に泣きました。
藤「あゝ此の上もない有難いことでございます」
中「誠に御恐悦、これは役だから先(ま)ず役だけ済んだ、これから緩(ゆっく)り話しましょう……時にお差支(さしつかえ)もあるまいが此の中には五十両あります、故郷へは錦を飾れという事でございますから、飾りは立派にして帰れば親族の手前も鼻が高い、茲(こゝ)にあいて居(お)る金が五十金(きん)あるから使って下さい」
藤「はゝゝゝ誠に千万辱(かたじけ)のうござる、親類なればこそ五十金という金を心掛けて御持参下さる、此の恩は忘却致しません」
中「直ぐお暇(いとま)致します」
藤「先ず/\宜しゅうございます」
中「役目でござるから、家老に此の事を申さなければならぬ」
と云って中原岡右衞門は屋敷へ帰ります。文治郎も悦びまして、母からはこれは先代浪島文吾左衞門(なみしまぶんござえもん)が差された大小でござる、これは中原岡右衞門という人の手前もあるから遣(や)ったら宜かろうという。又文治郎の方でも持合(もちあわ)せた金がこれだけあるからやる。衣服(きもの)をお母(っか)さまの古いのをおかやにやるが宜(よ)かろうと衣類を沢山に長持に詰めてやりまして、藤原喜代之助は廿八日に松岡右京太夫の屋敷へ帰りました。文治郎は藤原が屋敷へ帰れば、我(われ)が斬死(きりじに)をして母一人になっても母の身の上は安心。大伴の家へ人を廻して様子を聞くに、今夜は兄弟酒を酌(の)んで楽しむ様子だから、今夜こそ斬入(きりい)って血の雨を降らせ、衆人の難儀を断とうという、文治郎斬込(きりこみ)のお話に相成ります。
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