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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:43:59  点击:  切换到繁體中文


        三十五

 此方こなたは例の早四郎が待ちに待った今宵こよいと、人の寝静ねしずまるをうかごうてお竹の座敷へやって参り、
早「ねぶったかね/\、お客さん眠ったかえ……居ねえか……約束だから来ただ、※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かやの中へひえってもいかえひえるよ、入っても宜いかえ」
 と理不尽に※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かやまくって中へ入り。
早「ねぶったか……あれやア居ねえわ、何処どけえ行っただな、わしが来る事を知っているから逃げたか、それとも小便垂れえ行ったかな、ア小便垂れえ行ったんだ、逃げたって女一人で淋しい道中は出来ねえからな、わしア此の床の中へひえって頭から掻巻けえまきかぶって、ウフヽヽつくなんでると、女子おなごは知んねえからこけえ来る、中へおひえんなさいましと云ったところで、男が先へひえっていりゃアを悪がってひえれめえから、ちっさくなってると、誰もいねえと思ってすっとひえって来ると、おらアこゝにいたよって手をつかめえて引入れると、おめえ来ねえかと思ったよ、なに己ア本当に是まで苦労をしたゞもの、だからなけひえるがい、ひえってもいかえと引張込ふっぱりこめば、其の心があってもだ年い行かないから間を悪がるだ、屹度きっとうだ、こりゃア息いこらしてねぶった真似えしてくれべえ」
 と止せばいのに早四郎はお竹の寝床の中で息をこらして居りました。しばらつとそっ抜足ぬきあしをして廊下をみしり/\と来る者があります。古いうちだからどんなに密と歩いても足音が聞えます、早四郎は床の内で来たなと思っていますと、密と障子を開け、スウー。早四郎は障子を開けたなと思っていますと、ぷつり/\と、吊ってありました※(「巾+廚」、第4水準2-12-1)かや吊手つりてを切落し、寝ている上へフワリと乗ったようだから、
早「何だこれははてな」
 と考えて居りますと、片方かたっぽでは片手でさぐり、此処こゝあたり喉笛のどぶえと思う処を探り当てゝ、懐から取出したぎらつく刄物を、逆手さかてに取って、ウヽーンと上から力に任せて頸窩骨ぼんのくぼ突込つッこんだ。
早「あゝ」
 と悲鳴を上げるのを、ウヽーンと※(「宛+りっとう」、第4水準2-3-26)えぐりました。苦しいから足をばた/\やる拍子にふすまが外れたので、和尚が眼を覚して、
僧「はゝ、夜這よばいが来たな」
 と思いましたから起きて来て見ると、灯火あかりが消えている。
僧「困ったな」
 とあわてゝ手探りに枕元にある小さな鋼鉄くろがね如意にょいを取ってすかして見ると、判然はっきりは分りませんが、頬被ほうかぶりをした奴が上へしかゝっている様子。
僧「泥坊」
 と声をかける大喝一声だいかついっせい、ピイーンと曲者のきもへ響きます。
曲者「あっ」
 と云って逃げにかゝる所へ如意で打ってかゝったからたまらんと存じまして、刄物で切ってかゝるのを、たんすわった坊さんだから少しも驚かず、刄物の光が眼の先へ見えたから引外ひっぱずし、如意で刄物を打落し、猿臂えんぴのばして逆におさえ付け、片膝を曲者の脊中へ乗掛のっかけ、
僧「やい太い奴だ、これかりそめにも旅籠はたごを取れば客だぞ、其の客へ対して恋慕を仕掛けるのみならず、刄物などを以て脅して情慾をげんとは不埓至極の奴だ、これ宿屋の亭主は居らんか、灯火あかりを早く……」
 という処へ帰って来ましたのはお竹で。
竹「おや何で」
僧「む、お怪我はないか」
竹「はい、わたくしは怪我はございませんが、何でございます」
僧「恋慕を仕掛けた宿屋の忰が、刄物を持って来て貴方に迫り、わっという声に驚いて眼をさまして来ました、早く灯火あかりを……廊下へ出れば手水場ちょうずばに灯火がある」
 といううち雇婆やといばあさんが火をとぼして来ましたから、見ると大の男が乗掛のッかゝってとこが血みどりになって居ります。
僧「此奴こいつかぶものれ」
 と被っている手拭を取ると、早四郎ではありませんで、此処こゝ主人あるじ胡麻塩交ごましおまじりのぶっつり切ったようなまげ髪先はけさきちらばった天窓あたまで、お竹の無事な姿を見て、えゝと驚いてしかみつらをして居ります。
僧「お前は此の宿屋の亭主か」
五「はい」
竹「何うしてお前は刄物を持って私の部屋へ来て此様こんな事をおしだか」
五「はい/\」
 とお竹に向って、
五「あ…貴方はお達者でいらっしゃいますか、そうして此の床の中には誰がいますの」
 と布団を引剥ひっぱいで見ますと、今年二十五になります現在おのれの実子早四郎が俯伏うつぷしになり、のりに染って息が絶えているのを見ますと、五平は驚いたのなんのではございません、真蒼まっさおになって、
五「あゝ是は忰でございます、わしの忰が何うして此の床の中に居りましたろう」
僧「何うして居たもないものだ、お前が殺して置きながら、お前はまア此者これような悪い事をしたか知らんが、本当の子か、仮令たとえ義理の子でも無闇に殺して済む理由わけではない、何ういう理由じゃ」
五「はい/\、お嬢さま、あなたは今晩こゝにお休みはございませんのですか」
竹「私はこゝに寝ていたのだが、不図ふと起きて洪願寺様へ墓参りに行って、今帰って来ましたので」
五「何うして忰が此処こゝへ参って居りましたろう」
僧「いや、お前の忰は此のねえさんのとこへ毎晩来てしからんことを云掛け、云う事をきかんければ、鉄砲で打つの、刄物で斬るのと云うので、娘さんも誠に困ってわしへお頼みじゃ、娘さんが墓参りに行ったあとへお前の子息むすこが来て、床の中に入ってるとも知らずお前が殺したのじゃ」
五「へえ、あゝー、お嬢さま真平まっぴら御免なすって下さいまし、実は悪い事は出来ないもんでございます、たちまちのうちに悪事が我子わがこに報いました、斯う覿面てきめんばちの当るというのは実に恐ろしい事でございます、わたくしは他に子供はございません、此様こん[#「此様こんの」は「此様こんな」の誤記か]田舎育ちの野郎でも、たっ一粒者ひとつぶものでございます、人間は馬鹿でございますが、私の死水しにみずを取る奴ゆえ、母がなくなりましてから私の丹誠で是までにした唯た一人の忰を殺すというのは、みんな私の心の迷い、強慾非道の罰でございます」
僧「土台呆れた話じゃが、何ういう訳でお前は我子を殺した」
五「はい、申上げにくい事でございますが、此の甲州屋も二十年前までは可なりな宿屋でございました処が、わたくしは年をりましても、酒や博奕ばくちが好きでございまして、身代を遂に痛め、此者これの母も苦労して亡りました、斯うやって表をはっては居りますが、実は苦しい身代でございます、ところが此のお嬢様が先達せんだって宿賃をお払いなさる時に、懐から出した胴巻には、金が七八十両あろうと見た時は、面皰にきびの出る程欲しくなりました、あゝ此の金があったら又一山ひとやまおこして取附く事もあろうかと存じまして、無理に七日までお泊め申しましたが、愈々いよ/\明日みょうにちお立ちと聞きましたゆえ、思い切って今晩そっと此のお嬢様を殺して金をろうとたくみました、死骸は田圃伝えに背負出しょいだして、墓場へ人知れず埋めてしまえば、誰にも知れる気遣きづかいないと存じまして、忍んで参りました、道ならぬ事をいたした悪事は、たちまち報い、一人の忰を殺しますとは此の上もない業曝ごうさらしで、実に悪い事は出来ないと知りました、わたくしう五十九でございます、お嬢さま何とも申し訳がございませんから、私は死んでしまい、貴方に申訳をいたします」
 と云切るが早いか、出刄庖丁を取って我がのどに突立てんとするから、
僧「あゝ暫く待ちなさい、まア待ちなさい、お前がこれ死んだからって言訳が立つじゃアなし、命を棄てたって何の足しにもなりゃアせん、嬢さんの御迷惑にこそなれ、いか先非せんぴを悔い、あゝ悪い事をした、たった一人の子を殺したお前の心の苦しみというものは一通りならん事じゃ、是もみなばちだ、一念の迷いから我子を殺し、其の心の苦しみを受け、一旦の懺悔ざんげによって其の罪は消えている、見なさいお嬢様の一命は助かり、お前の子はお嬢様の身代りになったんじゃ、誠に気の毒なは此の息子さん、嬢さん何事も此の息子さんに免じてお前さんも堪弁かんべんなさい、何日いつまでもあだに思っているとかえってお前さんの死んだ御家来さんの為にもならん、いか、又御亭主は客に対して無礼をしたとか、道楽をして棄置すておかれん、親に苦労をかけてたまらんから殺しましたと云って尋常に八州へ名告なのって出なさい、なれども一人の子をわたくしに殺すのは悪い事じゃから髪の毛を切って役所へ持ってけば、是には何か能々よく/\の訳があって殺したというかどで、お前さんにひどく難儀もかゝるまいと思う、うして出家をげ、息子さんの為に四国西国を遍歴して、其の罪滅つみほろぼしをせんければ、ても尋常なみの人に成れんぞ」
五「はい/\」
僧「是から陰徳を施し、善事を行うが肝心、今までの悪業を消すは陰徳を積むより他に道はないぞ」
五「有難うございます」
僧「あゝ何うも気の毒な事じゃなア、お嬢さん」

        三十六

 お竹は不思議な事と心の内で忠平の霊に回向をしながら、
竹「ま、わたくしは助かりましたが、誠に思い掛けない事で」
僧「いや/\世間は無常のもので、実に夢幻泡沫でじつなきものと云って、実はまことに無いものじゃ、世の人は此のらんによって諸々もろ/\貪慾執心どんよくしゅうしんが深くなって名聞利養みょうもんりように心をいらってむさぼらんとする、是らは只今生こんじょうの事のみをおもんぱかり、旦暮あけくれ妻子眷属さいしけんぞく衣食財宝にのみ心を尽して自ら病を求める、人には病は無いものじゃ、思う念慮ねんりょが重なるによって胸に詰って来ると毛孔けあなひらいて風邪を引くような事になる、人間元来もと病なく、薬石やくせきこと/″\く無用、自ら病を求めて病がおこるのじゃ、其の病を自分手にこしらえ、遂に煩悩という苦悩なやみも出る、これを知らずに居って、今死ぬという間際の時に、あゝ悪いことをした、あゝせつない何う仕よう、此の苦痛を助かりたいと、始めて其の時に驚いて助からんと思っても、それはても何の甲斐もない事じゃ、此のを知らずして破戒無慚むざん邪見じゃけん放逸ほういつの者を人中じんちゅうの鬼畜といって、鬼の畜生という事じゃ、それ故に大梅和尚たいばいおしょう馬祖大師ばそだいしに問うて如何いかなるかれ仏、馬祖答えて即心即仏という、大梅が其の言下ごんか大悟だいごしたという、其の時に悟ったじゃ、此の世は実に仮のものじゃ、只四縁しえんの和合しておるのだ、幾らお前が食物たべものが欲しい著物きものが欲しい、金が欲しい、斯ういう田地が欲しいと云った処が、ぴたりと息が絶えれば、何一つ持ってくことは出来やアしまい、四縁とは地水火風ちすいかふう、此の四つで自然に出来ておる身体じゃ、仮に四大(地水火風)が和合して出来てるものなれば、自分の身体も有りはせん、実は無いものじゃ、自然に是は斯うする物じゃという処へ心が附かんによって、わが心があると思われ、わが身体を愛し、自分に従うて来る人のみを可愛がって、う訪ねて来てくれたと悦び、自分にそむく者は憎い奴じゃ、彼奴あいつはいかんと云うようになる、人を憎む悪い心が別にあるかというに、別にあるものでもない、即仏じゃ、親父が娘を殺して金子をろうとした時の心は実に此の上もない極重悪人なれども、たちま輪回応報りんえおうほうして可愛い我子を殺し、あゝ悪い事をしたと悔悟かいごして出家になるも、即ち即心即仏じゃ、えゝ他人を自分の身体と二つあるものと思わずに、欲しい惜しいの念を棄てゝしまえば、争いもなければおこる事もない、自他の別を生ずるによって隔意かくいが出来る、隔意のある所から、物の争いが出来るものじゃ、先方むこうに金があるから取ってやろうとすると、先方むこうではわしの物じゃかららん用を勤めたら金を遣るぞ、勤めをして貰うのは当然あたりまえだから、先方さきへくれろ、それを此方こっちゃで只取ろうとする、先方さきでは渡さんとする、是が大きゅうなると戦争いくさじゃ、実に仏も心配なされて西方極楽世界阿弥陀仏を念じ、称名しょうみょうして感想をこらせば、臨終の時に必ず浄土へ往生すと説給ときたまえり、南無阿弥陀仏/\」
 圓朝が此様こんなことを云ってもお賽銭さいせんには及びません、悪くすると投げる方があります。段々と有難い事をの宗達という和尚さんが説示ときしめしたからお竹も五平を恨む念は毛頭ありません。
竹「お前此の金が欲しければみんな上げよう」
五「いえ/\金はりません、わたくし剃髪ていはつして罪滅しの為に廻国かいこくします」
 というので剃刀かみそりを取寄せて宗達が五平をくり/\坊主にいたしました。早四郎の死骸は届ける所へ届けて野辺の送りをいたし、あとは他人へ譲り、五平は罪滅しのため四国西国へ遍歴に出ることになり、お竹は是より深い事は話しませんが、
わたくしは粂野美作守の家来渡邊という者の娘で、弟は祖五郎と申して、只今は美作国みまさかのくにへまいって居ります、弟にも逢いたいと存じますし、江戸屋敷の様子も聞きたし、弟もお国表へまいって家老に面会いたし、事の仔細が分りますれば江戸屋敷へまいるはずで、の道便りをするとは申して居りましたが、案じられてなりませんから、家来の忠平という者を連れてまいるみちで長く煩いました上、遂に死別しにわかれになりまして、心細い身の上で、旅慣れぬ女のこと、どうか御出家様私を助けると思召おぼしめし、江戸までお送り遊ばして下さいますれば、ようにもお礼をいたしましょう、お忙しいお身の上でもございましょうが、お連れ遊ばして下さいまし」
 と頼まれて見ると宗達も今更見棄てる事も出来ず、
宗「それは気の毒なことで、それならばわしと一緒に江戸まできなさるがわしは江戸には別に便たよる処もないが、谷中の南泉寺へ寄って已前いぜん共に行脚あんぎゃをした玄道げんどうという和尚がおるから、それでも尋ねたいと思う、ま兎も角もお前さんを江戸屋敷まで送って上げます」
 と云うのでようようの事にて江戸表へまいりましたが、上屋敷へも下屋敷へもまいる事が出来んのは、かねてお屋敷近い処へ立寄る事はならんと仰せ渡されて、おいとまになった身の上ゆえ、本郷春木町の指物屋岩吉方へまいり、様子を聞くと、岩吉は故人になり、職人が家督あとを相続して仕事を受取って居りますことゆえ、とて此処こゝの厄介になる事は出来ません。仕方がないので、どうか様子を下屋敷の者に聞きたいと谷中へ参りますと、い塩梅に佐藤平馬さとうへいまという者に会って、様子を聞くと、平馬の申すには、
平「弟御おとゝご此方こっちへおいでがないから、此の辺にうろ/\しておいでになるはお宜しくない、全体お屋敷近い処へ入らっしゃるのは、そりゃアお心得違いな事で、ま貴方は信州においでゞ、時節を待ってござったら御帰参のかなう事もありましょう、御舎弟も春部殿も未だ江戸へはおいでがない、仮令たとえ御家老にんなお頼みがありましても無駄な話でございます」
 と撥付はねつけられ、
竹「左様なら弟は此方こちらへまいっては居りませんか」
平「左様、御舎弟はたしかにお国においでだという話は聞きましたが、多分お国へ行って、お国家老へ何かお頼みでもある事でございましょう、しか大殿様おおとのさまは御病気の事であるが、事に寄ったら御家老の福原様ふくはらさま御出府ごしゅっぷになる時も、お暇になった者を連れておいでになる筈がないから、是は音信たよりを待ってお国においででございましょう、殿様は御不快で、中々御重症だという事でございまして、私共わたくしどもは下役ゆえ深い事は分りませんが、此のお屋敷近い処へ立廻るはお宜しくない事で」
 という。此の佐藤平馬という奴は、内々ない/\神原五郎治四郎治の二人から鼻薬をかわれて下に使われる奴、提灯持ちょうちんもちの方の悪い仲間でございますから、く訳の分らんように云いましたのは、お竹にお屋敷の様子が聞かしたくないから、真実まことしやかに云ってお屋敷近辺へ置かんように追払おっぱらいましたので、お竹はどうも致方いたしかたがない、旧来馴染の出入町人の処へまいりましても、長く泊ってもられません、又一緒にまいった宗達も、長くはられません理由わけがあって、或時お竹に向い、
宗「わしは何うしても美濃の南泉寺へ帰らんければならず、それに又私はと懇意なものが有って、田舎寺に住職をしている其の者を尋ねたいと思うが、貴方は是から何処どこへ参らるゝ積りじゃ」
竹「何処へも別にまいる処もありませんが、お国へまいれば弟が居ります、成程御家老も弟を連れて、おいでは出来ますまい、御帰参の叶う吉左右きっそうを聞くそれまではお国表にいる事でございましょうから、わたくしもどうかお国へ参りとうございます」
宗「しかしどうも女一人ではかれんことで、何ともお気の毒な事だ、じゃアまア美作の国といえばれ百七八十里へだった処、わしが送る訳にはいかんが、今更見棄てることも出来ないが、美濃の南泉寺までは是非かんければならん、東海道筋も御婦人の事ゆえ面倒じゃ、手形がなければならんが、何うか工風くふうをして私がお送り申したいが、困った事で、兎に角南泉寺まで一緒にきなさい、彼方あっちの者は真実があって、随分俗の者にも仏心ぶっしんがあってな、寺へ来て用やなんかするからそいらに頼んだら美作の方へ用事があってまいる者があるまいとも云えぬ、其の折に貴方を頼んでお国へかれるようだと私も安心をします、私は坊主の身の上で、婦人と一緒に歩くのは誠に困る、衆人ひとにも見られて、いやな事でも云われると困る、けれども是も仕方がないから、まきなさるがい、私は本庄宿ほんじょうじゅく海禅寺かいぜんじへ寄って一寸ちょっと玄道という者に会って、それから又美濃まで是非きますから御一緒にまいろう、それには木曾路の方が銭が要らん」
 と御出家はおごらんから、寒くなってから木曾路を引返し本庄宿へまいりまして、婦人ではあるけれどもこれ/\の理由わけだ、と役僧にお竹の身の上話をして、其の寺に一泊いたし、段々日数ひかずを経てまいりましたが、元より貯え金は所持している事で、ようやく碓氷を越して軽井沢かるいざわと申す宿しゅくへまいり、中島屋なかじまやという宿屋へ宿やどを取りましたは、十一月の五日でござります。

        三十七

 木曾街道でも追分おいわけ沓掛くつがけ軽井沢などは最も寒い所で、たれやらの狂歌に、着て見れば綿がうすい(碓氷)か軽井沢ゆきたけ(雪竹)あってすその寒さよ、丁度碓氷の山のふもとで、片方かた/\は浅間山の裾になって、ピイーという雪風で、暑中にまいりましても砂をとばし、随分半纒はんてんでも着たいような日のある処で、恐ろしい寒い処へ泊りました。もう十一月になるとの辺は雪でございます、初雪でも沢山降りますから、出立をすることが出来ません、詮方せんかたがないから逗留とうりゅうという事になると、お竹は種々いろ/\心配いたしている。それを宗達という和尚さまが真実にしてくれても何とのう気詰り、便りに思う忠平には別れ、おとゝ祖五郎の行方は知れず、お国にいる事やら、たゞしは途中でわずらってゞもいやアしまいか、などと心細い身の上で何卒どうぞして音信たよりをしたいと思っても何処どこにいるか分らず、御家老様の方へ手紙を出していか分りませんが、心配のあまり手紙を出して見ました。只今の郵便のようではないから容易には届かず、返事も碌に分らんような不都合の世の中でございます。お竹は過越すぎこし方を種々思うにつけ心細くなりました、これが胸に詰ってしゃくとなり、折々差込みますのを宗達が介抱いたします、相宿あいやどの者も雪のために出立する事が出来ませんから、多勢おおぜい囲炉裡いろり周囲まわりかたまって茫然ぼんやりして居ります。中には江戸子えどっこで土地を食詰くいつめまして、旅稼ぎに出て来たというような職人なども居ります。
○「おいてつう」
鐵「えゝ」
○「からまア毎日めいにち/\降込められて立つことが出来ねえ、江戸子が山の雪を見ると驚いちまうが、飯を喰う時にずうと並んで膳が出ても、誰も碌に口をきかねえな」
鐵「そうよ、黙っていちゃア仕様がないから挨拶えゝさつをして見よう」
○「えゝ」
鐵「挨拶えゝさつをして見ようか」
○「してもいが、きまりが悪いな」
鐵「えゝ御免ねえ……へえ……どうも何でごぜえやすな、お寒いことで」
△「はア」
鐵「おめえさん方は何ですかえ、相宿のお方でげすな」
△「はア」
鐵「何を云やアがる……がア/\って」
○「手前てめえが何か云うからはアというのだ、いじゃアねえか」
鐵「変だな、えゝゝ毎日めえにち膳が並ぶとおたげえに顔を見合せて、御飯おまんまを喰ってしまうと部屋へへいってごろ/\寝るくれえの事で仕様がごぜえやせんな、夜になると退屈てえくつで仕様が有りませんが、なんですかえおまえさん方は何処どこかえお出でなすったんでげすかえ」
△「わしはその大和路の者であるが、少し仔細あって、えゝ長らく江戸表にいたが、故郷こきょうぼうがたく又帰りたくなって帰って来ました」
鐵「へえーうで……其方そちらのお方はお三人連で何方どちらへ」
□「わし常陸ひたちりゅうヶ崎さきで」
鐵「へえ」
□「常陸の竜ヶ崎です」
鐵「へえー何ういう訳で此様こんな寒い処へ常陸からおいでなさったんで」
□「種々いろ/\信心がありまして、全体毎年まいねん講中こうじゅうがありまして、五六人ぐらいで木曾の御獄様おんたけさま参詣さんけいをいたしますが、村の者の申し合せで、先達せんだつさんもおいでになったもんだから、同道してまいりやした、実は御獄さんへ参るにも、雪を踏んで難儀をしてくのが信心だね」
鐵「へえー大変でげすな、御獄さんてえのは滅法けえたけえ山だってね」
□「高いたって、それは富士より高いと云いますよ、あなた方も信心をなすって二度もお登りになれば、少しは曲った心も直りますが」
鐵「えへゝゝゝわっちどもは曲った心が直っても、側から曲ってしまうから、旨く真直まっすぐにならねえので……えゝ其方そちらにおいでなさる方は何方どちらで」
 此の客は言葉が余程鼻にかゝり、
×「わしは奥州仙台しんでい
鐵「へえ…仙台しんでいてえのは」
×「奥州で」
鐵「左様でがすか、えゝ衣を着ておつむりが丸いから坊さんでげしょう」
×「いしやでがす」
鐵「へ何ですと」
×「医者いしやでがす」
鐵「石工いしやだえ」
×「いゝや医道いどうでがす」
鐵「へえー井戸掘にア見えませんね」
×「井戸掘ではない、医者いしゃでがす」
鐵「へえーお医者で、わっちどもはいけぞんぜえだもんだから、お医者と相宿になってると皆も気丈夫でごぜえます、ちっとばかり薄荷はっかがあるならめたいもんで」
×「左様な薬は所持しない、なれども相宿の方に御病気でお困りの方があって、薬をくれろと仰しゃれば、なおる癒らないは、それはまた薬がしょうに合うと合わん事があるけれども、盛るだけは盛って上げるて」
鐵「へえー、斯う皆さんが大勢寄って只茫然ぼんやりしていても面白くねえから、何か面白おもしれえ百物語でもして遊ぼうじゃアありやせんか、大勢寄っているのですから」
医「それも宜うがすが、まく大勢寄ると阿弥陀の光りという事を致します、鬮引くじびきをして其の鬮に当った者が何か買って来るので、夜中でもいといなく菓子をけえくとか、酒をけえくとかして、客の鬮を引いた者は坐ってゝ少しも動かずに人の買って来る物をしょくして楽しむという遊びがあるのです」
鐵「へえーそれは面白おもしれえが、珍らしい話か何かありませんかな」
医「左様でげす、別に面白い話もありませんですな」
鐵「気のねえ人だな何か他に」
○「手前てめえ出て先へしゃべるがいゝ」
鐵「喋るたっておれア喋る訳にはかねえ、何かありませんかな、お医者さまは奥州仙台だてえが、面白おもしろおっかねえ化物ばけものが出たてえような事はありませんかな」
医「左様で別に化物が出たという話もないが、奥州は不思議のあるところでな」
鐵「へえー左様でござえやすかな」
医「貴方は何ですかえ、松島見物においでになった事がありますかえ」
鐵「いや何処どこへも行ったことはねえ」
医「松島は日本三景の内でな、随分江戸のお方が見物に来られるが此のくらい景色のい所はないと云ってな、船で八百八島を巡り、歌をえいじ詩を作りに来る風流人が幾許いくらもあるな」
鐵「へえー松島に何か心中でもありましたかえ」
医「情死などのあるところじゃアないが、差当さしあたって別にどうも面白い話もないが、医者は此様こんきたな身装みなりをして居てはいけません、医者はなりと云うて、玄関が立派で、身装がよくって立派に見えるよう、風俗が正しく見えるようでなければ病者びょうしゃが信じません、随って薬もおのずから利かんような事になるですが、医者は頓知頓才と云ってず其の薬より病人の気をはかる処が第一と心得ますな」
鐵「へえー何ういう……気を料る処がありますな」
医「先年乞食が難産にかゝって苦しんでいるのを、所の者が何うかして助けて遣りたいと立派な医者を頼んでて貰うと、是はどうも助からん、片足出ていなければいが、片手片足出て首が出ないから身体が横になってつかえてゝ仕様がない、細かに切って出せば命がないと途方に暮れ、立合った者もな可愛そうだと云っている処へ通りかゝったのが愚老でな」
鐵「へえ……それからお前さんがうましたのかえ」
医「それから療治にかゝろうとしたが、道具をたくへ置いて来たので困ったが、此処こゝが頓智頓才で、出ている片手を段々と斯う撫でましたな」
鐵「へえ」
医「撫でているうちを開けました」
鐵「成程」
医「それから愚老が懐中から四文銭を出して、赤児あかごの手へ握らせますと、すうと手を引込ひっこまして頭の方から安々やす/\と産れて出て、お辞儀をしました」
鐵「へえまじないでげすか」
医「いや乞食のだから悦んで」
鐵「ふゝゝ人を馬鹿にしちゃアいけねえ、本当だと思ってたのに洒落者しゃれもんだね、田舎者だって迂濶うっかりした事は云えねい……えゝ其方そちらの隅においでなさるお方、あなたは何ですかえ、矢張お医者さまでごぜえやすか」
僧「いや、わしは斯ういう姿で諸方を歩く出家でござる」
鐵「えゝ御出家さんで、御出家なら幽霊なぞを御覧なすった事がありましょう」
僧「幽霊は二十四五たび見ました」
鐵「へえ、此奴こいつ面白おもしれえ話だ、二十四五度……どんなのが出ました」
僧「種々いろ/\なのが出ましたな、嫉妬やきもちの怨霊は不実な男に殺された女が、口惜くちおしいと思った念がって出るのじゃが、世の中には幽霊は無いという者もある、じゃが是はある」
鐵「へえ、ど何んな塩梅あんばいに出るもんですな」
僧「形は絵にいたようなものだ、朦朧ぼんやりとして判然はっきり其の形は見えず、只ぼうと障子やからかみへ映ったり、上の方だけ見えて下の方はけむのようで、どうも不気味なものじゃて」
鐵「へえー貴方の見たうちで一番怖いと思ったのはどういう幽霊で」
僧「えゝ、左様さ先年美濃国みののくにから信州の福島在の知己しるべの所へ参った時の事で、此の知己はなりの身代で、山も持っている者で、其処そこしばらく厄介になっていた、其の村に蓮光寺れんこうじという寺がある、其の寺の和尚が道楽をしていかんあれは放逐せねばならんと村中が騒いで、急に其の和尚を追出すことになったから、お前さん住職になってくれないかと頼まれましたが、わしは住職になる訳にはゆかん、行脚あんぎゃの身の上で、しかし葬式でもあった時には困ろうから、後住ごじゅうきまるまで暫くいて上げようと云うんで、其の寺に居りました」
鐵「へえー」
僧「するとわし知己しるべの山持の妾が難産をして死んだな」
鐵「へえー」
僧「それがそれ、ま主人あるじが女房に隠して、うちにいた若い女に手を附け、それがま懐妊したによって何時いつか家内の耳に入ると、悋気深りんきぶかい本妻が騒ぐから、知れぬうちに堕胎おろしてしまおうと薬を飲ますと、まい塩梅にりましたが、其の薬の余毒よどくのため妾は七転八倒の苦しみをして、うーんうんと夜中にうなるじゃげな」
鐵「へえー此奴こいつこわえなア」
僧「怨みだな、斯う云う事になったのも、わたしは奉公人の身の上相対あいたいずくだから是非もないが、内儀おかみさんが悋気深いためにわしに斯ういう薬を飲ましたのじゃ、内儀さんさえ悋気せずば此の苦しみは受けまい、あゝ口惜くやしい、わたしは死に切れん、初めて出来た子は堕胎おろされ、私も死に、親子諸共に死ぬような事になるも、内儀さんのお蔭じゃ、口惜くやしい残念と十一日の間云い続けて到頭死にました、その死ぬ時な、うーんと云って主人の手を握ってな」
鐵「へえ」
僧「目を半眼にして歯をむき出し、旦那さまわたくしは死に切れませんよ」
○「やア鐵う、もっと此方こっちへ寄れ……気味が悪い、どうもへえー成程……そこを閉めねえ、風がぴゅー/\入るから……へえー」
僧「気の毒な事じゃが、仕方がない、そこでわしがいた蓮光寺へ葬りました、他に誰も寺参りをするものがないから、主人が七日までは墓参りに来たが、七日後は打棄うっちゃりぱなしで、花一本げず、寺へ附届つけとゞけもせんという随分不人情な人でな」
○「へえーひどい奴だね、其奴そいつア怨まア、すぐ幽的ゆうてきが出ましたかえ」
僧「わしも可愛そうじゃアと思うた、斯ういう仏は血盆地獄けっぽんじごくおちるじゃ、早く云えば血の池地獄へ落るんじゃ」
○「へえー」
僧「斯ういう亡者もうじゃには血盆経けっぽんきょうを上げてやらんと……」
○「へえー……けつ……なんて……けつを……棒で」
僧「いや血盆経というお経がある、七日目になア其の亥刻こゝのつ[#「亥刻こゝのつ」はママ、「子刻こゝのつ」か「亥刻よつ」であるかの判別付かず]前じゃったか、下駄をいて墓場へき、線香を上げ、其処そこりんならし、長らく血盆経を読んでしもうて、わしがすうと立って帰ろうとすると」
○「うん、うん」
僧「前が一面乱塔場らんとうばで、裏はずうと山じゃな」
○「うん/\」
僧「其の山の藪の所が石坂の様になってるじゃ、其の坂をりに掛ると、うしろでぼーずと呼ぶじゃて」
○「ふーん、これはこわえな、鐵もっと此方こっちへ寄れ、成程お前さんを呼んだ」
僧「何もわしに怨みのある訳はない、縁無き衆生しゅじょうがたしというが、わしは此の寺へ腰掛ながら住職の代りに回向えこうをしてやる者じゃ、それを怨んで坊主とは失敬な奴じゃと振向いて見た、此方こちらいきおいが強いのでう声がせんな」
○「へえー度胸が宜うごぜえやすな、強いもんだね、始終死人の側にばかりいるから怖くねえんだ、うーん」
僧「それから又きにかゝると、また皺枯しわがれた声での底の方でぼーずと云うじゃて」
○「早桶はやおけうめちまった奴が桶の中でお前さんを呼んだのかね」
僧「誰だと振向いた」
○「へえ……先方せんぽうで驚いて出ましたか、穴の中から」
僧「振向いて見たがんにも居ないから、墓原はかはらへ立帰って見たが、墓には何も変りがない、はて何じゃろうと段々探すと、山の根方の藪ん中に大きな薯蕷やまいもが一本あったのじゃ、これが世に所謂いわゆる坊主/\山のいもじゃて」
○「何のこった、人を馬鹿にして、しか面白おもしれえ、何か他に、あゝ其方そっちにいらっしゃるお侍さん、えへゝゝ、旦那何か面白おもしろえお話はありませんか」
侍「いや最前から各々方おの/\がたのお話を聞いていると、可笑おかしくてたまらんの、拙者も長旅で表向おもてむき紫縮緬むらさきちりめん服紗包ふくさづゝみはす脊負しょい、裁着たッつけ穿いて頭を結髪むすびがみにして歩く身の上ではない、形はかくの如く襤褸袴ぼろばかまを穿いている剣道修行の身の上、早く云うと武者修行で」
○「これはどうも、左様ですか、武者修行で、へえーう聞けばお前さんの顔に似てえる」
侍「何が」
○「いえ、そら久しい以前あと絵に出た芳年よしとしいたんで、鰐鮫わにざめを竹槍で突殺つッころしている、鼻が柘榴鼻ざくろッぱなで口が鰐口で、眼が金壺眼かなつぼまなこで、えへゝゝ御免ねえ」
侍「しからん事をいう、人の顔を讒訴ざんそをして無礼至極」
○「なに、お前さんは左様そんなでもねえけれども、ちっと似てえるという話だ」
侍「貴公らは江戸のものか、職人か」
○「へえ」
侍「成程」
○「旦那、みんなは嘘っぺいばかしでいけませんが、なん面白おもしろえ話はありませんかね」
侍「貴公あんた先にやったら宜かろう」
○「わっちどもはい話がえんで、火事のあった時に屋根屋のとくの野郎め、路地を飛越しそくなやアがって、どんと下へ落ると持出した荷の上へ尻餅をき、睾丸きんたまを打ち、目をまわし、ふくろほころびて中からたまが飛出して」
侍「ういう尾籠びろうの話はいけんなア」
○「それから乱暴勝らんぼうかつてえ野郎が焚火たきび※(「火+共」、第3水準1-87-42)あたって、金太きんたという奴を殴るはずみにぽっぽと燃えてる燼木杭やけぼっくいを殴ったからたまらねえ、其の火が飛んで金太の腹掛の間へへいって、苦しがって転がりやアがったが、余程よっぽど面白うござえました」
侍「其様そんな事は面白くない」
○「そんなら旦那何ぞ面白え話を」
侍「先刻せんこくから空話そらばなしばかり出たので、拙者の話を信じて聞くまいから、どうもやりにくい」

        三十八

 向座敷むこうざしきにてぽん/\と手を打ち、
宗「たれも居ぬかな」
下婢「はい」
 此の座敷に寝ているのは渡邊お竹で、宗達が看病を致して居りますので、
婢「お呼びなさいましたかえ」
宗「一寸ちょっとこゝへ入ってくれ」
婢「はい」
宗「ついでに水を持って来ておくれ、病人がうと/\眠附ねつくかと思うと向座敷で時々大勢がわアと笑うので誠に困る」
婢「誠におやかましゅうござりやしょう」
宗「其処そこをぴったり閉めておくれ」
婢「かしこまりやした」
 と立って行って大勢の所へ顔を出しまして、
「どうかあの皆さん相宿の方に病人がありやすから、あんまでけえ声をして、わア/\笑わないように、喧しいと病人が眠り付かねえで困るだから、しずかになさえましよ」
侍「はい/\宜しい……病人がいるなら止しましょう」
○「小声でやってくだせえ、みんなそらっぺえばなしで面白くねえ、旦那が武者修行をした時の、蟒蛇うわばみ退治たいじたとか何とかいうきついのを聞きたいね」
侍「左様さ拙者は是迄恐ろしい怖いというものに出会った事はないが、※(「鼬」の「由」に代えて「吾」、第4水準2-94-68)のぶすまに両三度出会った時は怖いと思ったね」
○「ど何処どこで」
侍「南部なんぶ恐山おそれざんから地獄谷のむこうへ抜ける時だ」
○「へえー名からしておっかねえね恐山地獄谷なんて」
侍「此処こゝ一騎打いっきうち難所なんじょで、右手めてほうを見ると一筋ひとすじの小川が山のふもとめぐって、どうどうと小さい石を転がすようにすさまじく流れ、左手ゆんでかたを見ると高山こうざん峨々がゞとして実に屏風を建てたる如く、誠に恐ろしい山で、生茂おいしげり、熊笹が地をおおうている、道なき所を踏分け/\段々りて来たところが、人家はたえてなし、雨は降ってくる、困ったことだと思い、暫く考えたがみちは知らず、深更しんこうに及んで狼にでも出られちゃア猶更と大きに心配した、時は丁度秋のすえさ、すると向うにちら/\と見える」
○「へえー、出たんでござえやすか、狼の眼は鏡のように光るてえから、貴方がうんと立止って小便ちょうずをなすったろう」
侍「なに、小便ちょうずなどをやアせん」
○「それから」
侍「これは困ったものじゃ、彼処あすこに誰か焚火たきびでもして居るのじゃアないかと思った」
○「成程山賊が居て身ぐるみ脱いでけてえと、お前さんひっこぬいて斬ったんで」
侍「まゝ黙ってお聞き、そう先走られると何方どっちが話すのだか分らん、山賊が団楽坐くるまざになっていたのではない、一軒の白屋くずやがあった」
○「へえー山ん中に……問屋といやでしょう」
侍「なに茅屋あばらや
○「え、油屋あぶらや
侍「油屋じゃアない、壊れた家をあばらやという」
○「しっかりした家は脊骨屋せぼねやで」
侍「そう先走っては困る、其家そこへ行って拙者は武辺修行ぶへんしゅぎょうの者でござる、かる山中さんちゅうみちに踏み迷い、かつ此の通り雨天になり、日は暮れ、誠に難渋を致します、一樹いちじゅの蔭を頼むと云って音ずれると、奥から出て来た」
○「へえー肋骨あばらぼねが出て、歯のまばらな白髪頭しらがあたまばゞあが、片手になた見たような物を持って出たんだね、一つの婆で、上から石が落ちたんでげしょう」
侍「うじゃアない、二八余りの賤女しずのめが出たね」
○「それじゃア気がえ、雀が二三羽飛出したのかえ」
侍「賤女しずのめ
○「えゝ味噌汁おつけの中へ入れる汁の実」
侍「汁の実じゃアない、二八余り十六七になる娘が出たと思いなさい」
○「へえーうちに居たんだね、容貌おんなうごぜえやしたろうね、容貌おんなは」
侍「そんな事は何うでも宜しいが、く見るとおつな女さ」
○「へえー、おい鐵、此方こっちへ寄れ、ちょいと見るとい女だが、能く見ると眇目めっかちで横っつらばかり見た、あゝいう事があるが、矢張やっぱり其のたちなんでしょう」
侍「足下そっかが喋ってばかり居っては拙者は話が出来ぬ」
○「じゃア黙ってますから一つやって下せえ」
侍「それから紙燭しそくけて出て来て、お武家さま斯様な人も通らん山中やまなかへ何うしてお出でなさいました、拙者は武術修業の身の上ゆえ、あえて淋しい処を恐れはせぬが如何にも追々は更けるし、雨は降って来る、誠に難渋いたすによって一泊願いたいと云うと、何事も行届ゆきとゞきません、召上る物も何もございませんし、着せておかし申す物もございません、それが御承知なれば見苦しけれども御遠慮なくお泊り遊ばせと、親切な女で汚いたらいへ谷水を汲んで来て、足をお洗いなさいというので足を洗いました」
○「へえー其の娘の親父か何かいましたろう」
侍「親父もいない、娘一人で」
○「へえー……母親おふくろもいませんか」
侍「そう喋っては困りますな」
○「もう云いません、それから」
侍「ところが段々聞くと両親もなく、只一人かゝる山の中に居って、みずか自然薯じねんじょを掘って来るとか、あるいきのこるとか、たきゞを採るとか、女ながら随分荒い稼ぎをしてかすかに暮しておるという独身者ひとりものさ、見れば器量もなか/\い、色が白くて目は少し小さいが、眉毛が濃い、口元が可愛らしく、髪の毛の光艶つやし、山家やまがまれな美人で」
○「へえー、ふう成程」
侍「何とも云やアしない、まア黙ってお聞き」
○「へえ」
侍「拙者は修業の身の上で、好い女だとは思いましたけれど、いやらしい事を云い掛けるなどの念は毛頭ない」
○「それは何年頃いつごろの事ですか」
侍「丁度五年以前あとの事で」
○「あなたは幾歳いくつだえ」
侍「其様そんな事を聞かなくともい、三十九才じゃ」
○「老けているね……五年以前あと、じゃアだアさかりな時でごぜえやすな」
侍「左様」
○「へえ、それから何うしました」
侍「拙者の枕元へ水などを持って来て、のどが渇いたら召上れと種々いろ/\手当をしてくれる、蕎麦掻そばがきこしらえて出したが、不味まずかったけれども、親切の志有難く旨く喰いました」
○「蕎麦粉は宜うごぜえやしたろうが、醤油したじが悪かったにちげえねえ、ぷんと来るやつで、此方こっち醤油したじを持ってきたいね」
侍「何を云っている」
○「へえ、それから」
侍「娘は向うの方へ一人で寝る、時は丁度秋の末の事、山冷やまびえでどうも寒い、雨はばら/\降る」
○「成程/\うん/\」
侍「娘は何うしたか何時いつまでも寝ないようで」
○「うん(膝へ手を突き前へ乗出し)それから」
侍「拙者に夜具を貸してしまい、娘は夜具無しで其処そこへごろりと寝ているから、どうも其方そなたの着る物を貸して、此の寒いのに其方が夜具無しで寝るような事じゃア気の毒じゃ、風でも引かしては宜しくないというと、いえ宜しゅうございます、なに宜しい事はない、掛蒲団かけぶとんだけ持って行ってください、拙者は敷蒲団をかけて寝るから、いゝえ何う致しまして、それならば旦那さま恐入りますが、貴方のおすその方へでも入れて寝かしてくださいませんかと云った」
○「へえー、ふう鐵もっと此方こっちへ出ろ、面白い話になって来た、旦那は真面目になってるが、く見ると助平そうな顔付だ、目尻がさがってて、旨く女をごまかしたね、中々油断は出来ねえ、白状おしなさい」
侍「ま、黙ってお聞きなさい、かりそめにも男女なんにょ七才にして席を同じゅうせずで、一つ寝床へ女と一緒に寝て、ひとに悪い評でも立てられると、修行の身の上なれば甚だ困ると断ると、左様ならば御足おみあしでもさすらして下さいましと云った」
○「へえー、女の方で、えへ/\、矢張やっぱり山の中で男珍らしいんで、えへ/\/\成程うん」
侍「どうも様子がおかしい、変だと思った」
○「なに先で思っていたんでしょう」
侍「それから拙者は此方こっちの小さい座敷に寝ていると、改めて又枕元へ来てぴたりとひざまずいて」
○「其の女が蹴躓けつまずきやアがったんで」
侍「蹴躓いたのではない、丁寧に手を突いて、先生わたくしは何をお隠し申しましょう、親のかたきを尋ねる身の上でございます」
○「うん、其の女が…成程」
侍「敵は此の一村ひとむらいて隣村に居ります、わずかに八里山を越すと、現に敵が居りながら、女の細腕で討つことが出来ません、先方は浪人者で、わたくしの父はそまをいたして居りましたが、山界やまざかいの争い事から其の浪人者が仲裁なかに入り、掛合かけあいに来ましたのをはずかしめて帰した事があります、其の争いに先方さき山主やまぬしが負けたので、礼も貰えぬ所から、それを遺恨に思いまして、其の浪人が私の父を殺害せつがいいたしたに相違ないという事は、世間の人も申せば、私も左様に存じます、其のそば扇子せんすが落ちてありました、黒骨の渋扇しぶせんへ金で山水がいて有って、たしかに其の浪人が持って居りました扇子おうぎで見覚えが有ります、どうか先生を武術修行のお方とお見受け申して、お頼み申しますが、助太刀をなすってかたきを討たして下さいませんか、始めてお泊め申したお方に何とも恐入りますが、助太刀をなすって本意を遂げさせて下されば、の様な事でも貴方のお言葉は背きません、不束ふつゝかな者で、とてもお側にいるという訳には参りませんが、御飯焚ごはんたきでもお小間使いでも、お寝間のとぎでも仕ようという訳だ」
○「へえー、此奴こいつ矢張やっぱりういう事があるんでげしょう、へえー、なア……鐵やい、左官のまつの野郎が火事の時に手伝って、それから御家様ごけさまとけ出入でへえりをし、何日いつか深い訳になったが、成程然ういう事がありましょう、それから何うしました」
侍「ういう訳なれば宜しい、助太刀をしてたしかに本意を遂げさせて遣ろうと受合うと、女は悦んで、あゝ有難う草葉の蔭において両親もさぞ悦びましょうと、綺麗な顔で真に随喜の涙を流した」
○「へえー芋売いもがら見たような涙を」
侍「なに有難涙ありがたなみだを」
○「へえ成程それから何うしました」
侍「ところで同衾ひとつに寝たんだ」
○「へえーひどいなア……成程、鐵ウもっと前へ出ろ、大変な話になって来た」
 向座敷で手をぽん/\と打つと、又候またぞろ下女がまいって、
下婢「皆さんお静かになすって、なるたけわア/\云わねえように願います」
○「へえ/\……それから何うしました、先生」
侍「いや止そう」
○「其処そこまで遣って止すてえ事はありません、おねげえだからあとを話しておくんなせえ」
侍「病人があると云うから止そう」
○「だって先生、こゝでめちゃア罪です」
侍「こゝらで止める方が宜かろう」
○「落話家はなしかや講釈師たアちげえます」
侍「此処こゝが丁度段落きりどこだ」
○「おい、よ話しておくんねえな/\」
侍「困るな…すると其の女にこう□□[#底本2字伏字]められた時には、身体しんたいしびれるような大力だいりきであった」
○「へえー、それは化物だ、面白い話だね、それから」
侍「もう止そう」
○「冗談じゃアない、これでめられてたまるものか……皆さん誰か一つ旦那に頼んでおくんなせえな、是から面白おもしろえ処なんで、今止められちゃア寝てからうなされらア」
侍「やるかなア」
○「うん成程、其の女が貴方の顔をペロ/\めたんで」
侍「なに甜めるものか、うーんと振解ふりほぐして、枕元にあった無反むそりの一刀を引抜いて、斬付けようとすると、がら/\/\と家鳴やなり震動がした」
○「ふうん」
侍「ばら/\/\表へ逃げる様子、なお追掛けて出ると、は如何に、拙者がばかされていたのじゃ、茅屋あばらやがあったと思う処が、矢張やっぱり野原で、片方かた/\はどうどうと渓間たにまに水の流れる音が聞え、片方は恐ろしい巌石がんせき峨々がゞたる山にして、ずうっと裏手は杉やもみなどの大樹だいじゅばかりの林で、其の中へばら/\/\と追込んだな」
○「へえー成程、きつねたぬきけつを出して何かに見せると云うが、貴方それから何うしました」
侍「追掛けて行って、すうと一刀あびせると、ばたり前へ倒れた…化物が…拙者も疲れてどたーり其処そこへ尻餅をいた」
○「成程是はもっともです、いとうござえましたろう、其処に大きな石があったんで」
侍「なに石も何もありゃアせん、余計な事を云わずに聞きなさい」
○「な何の化物でげす」
侍「く善く其の姿を見ると、それが伸餅のしもちの石にしたのさ」
○「へえ、何故だろうなア」
侍「だから何うしてもちぎる訳にいかん」
○「冗談じゃアない、真面目な顔をして嘘ばっかりいてる、みんそらっぺいばなしでいけねえ、おれのは本当だ、此のうちに聞いた人もあるだろう、なんの話さ、大変だな、己ア江戸の者だ、谷中の久米野美作守様の屋敷へ出入の職人だったが、其処そこに大変な悪人がいて、渡邊様てえ人を斬って、其の上に女を連れて逃げたは、えゝ何とかいう奴だっけ、うよ、春部梅三郎よ、其奴そいつひどい奴で、重役の渡邊織江様を斬殺きりころしたんで、其の子が跡を追掛おっかけて行くと、旨く言いくろめて、だまして到頭連出して、何とかいう所だっけ、然う/\、新町河原しんまちがわらわきだまうちに渡邊様の子を殺して逃げたというんだが、大騒ぎよ、八州が八方へ手配りをしたが、山越やまごしをして甲府へへいったという噂で」
鐵「止しねえ/\、うっかり喋るな、冗談じゃアねえぜ、し八州のお役人が、れは何う云う訳だ、他人に聞いたんでと云っても追付おッつくめえ」
 と一人が止めるのを、一人の男がしきりに知ったふりで喋って居ります。

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