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菊模様皿山奇談(きくもようさらやまきだん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:43:59  点击:  切换到繁體中文


        七

 さて權六という米搗こめつきが、東山家に数代伝わるところの重宝じゅうほう白菊の皿を箱ぐるみ搗摧つきくだきながら、自若じじゃくとして居りますから、作左衞門はひどおこりまして、顔の色は変り、唇をぶる/\ふるわし、疳癖かんぺきが高ぶって物も云われん様子で、
作「これ權六、どうもしからん奴だて手前は何か気でも違ったか、狂気致したに相違ない、此皿これは一枚こわしてさえも指一本を切るという大切な品を、二拾枚一時いちじに砕くというのは実に怪しからん奴だ、さ何ういう心得か、御先祖の御遺言状おかきものに対しても棄置かれん、只今此の処に於いて其の方の首を斬るから左様心得ろ、權六を取遁とりにがすな」
 とはげしき下知に致方いたしかたなく、家の下僕おとこたちがばら/\/\と權六の傍へ来て見ますと、權六は少しも驚く気色もなく、縁側へどっさりと腰を掛けまして作左衞門の顔をしげ/\と見て居りましたが、
權「旦那さま、貴方あんたは実にお気の毒さまでごぜえます」
作「なに……いよ/\此奴こやつは狂気致してる、手前気の毒ということを存じてるかい、此の皿を二十枚砕くと云うのは……かねて御先祖よりの御遺言状おかきものの事も少しは聞いているじゃアないか、仮令たとえ気違でも此の儘には棄置かんぞ」
權「はい、わしア気も違いません、もとより貴方あんたさまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事でえじのお皿を悉皆みんな打毀ぶちこわしました、もし旦那さま、私ア生国もとおし行田ぎょうだの在で生れた者でありやすが、ちいさい時分に両親ふたおやなくなってしまい、知る人に連れられて此の美作国みまさかのくにめえって、何処どこと云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年あと当家こゝへ奉公にめえりまして、なげえ間お世話になり、たけえ給金も戴きました、お側にいて見れば、誠にどうも旦那さまは衆人ひとにも目をかけ行届きも能く、どうも結構な旦那さまだが、此の二十枚の皿が此処こゝうちげえだ、いや腹アお立ちなさるな、私は逃匿にげかくれはしねえ、もとより斬られる覚悟でした事だが、旦那さま、あんた此の皿はまア何で出来たものと思召おぼしめします、私ア土塊つちっころで出来たものとかんげえます、それを粗相で毀したからとって、此の大事でえじな人間の指い切るの、足い切るのと云って人を不具かたわにするような御遺言状おかきもののこしたという御先祖さまが、如何いかにも馬鹿気た訳だ」
作「黙れ、先祖の事を悪口あっこう申し、尚更棄置かんぞ」
權「いや棄置かねえでも構わねえ、もとより斬られる覚悟だから、しかわしだって斬られめえと思えば、あんた方親子二人がゝりで斬ると云っても、指でも附けさせるもんじゃアねえ、でっけい膂力ちからが有るが、御当家こちらへ米搗奉公をしていて、私ア何も知んねえ在郷ざいごもんで、何の弁別わきめえも有りやしねえが、村の神主さまのお説教を聴きにくと、人はあめが下の霊物みたまもので、万物の長だ、是れよりとうといものは無い、有情物いきあるもの主宰つかさだてえから、ず禁裏さまが出来ても、お政治をなさる公方様が出来ても、此の美作一国の御領主さまが出来やしても、勝山さまでも津山さまでも、皆人間が御政治ごせいじるのかと私はかんげえます、皿が政治を執ったてえ話は昔から聞いた事がねえ、何様どん器物ものでも人間が発明してこしらえたものだ、人間が有ればこそ沼ア埋めたり山ア掘崩したり、河へ橋を架けたり、田地田畠でんじでんばた開墾けえこんするから、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、168-6]も実って、貴方様あんたさまも私も命いつないで、物を喰って生きていられるだア、其の大事でえじなこれ人間が、粗相で皿ア毀したからって、指を切って不具かたわにするという御先祖様の御遺言ごゆいごんを守るだから、私ア貴方あんたを悪くは思わねえ、物堅ものがてえ人だがあんまり堅過ぎるだ、馬鹿っ正直というのだ、これ腹ア立っちゃアいけねえ/\、どうせ一遍腹ア立ってしまって、うして私を打斬ぶっきるが宜うがすが、それを貴方が守ってるから、此の村ばっかりじゃアない、近郷の者までが貴方の事を何と云う、あゝ東山は偉い豪士ごうしだが、いえに伝わる大事でえじ宝物たからものだって、それを打毀ぶちこわせば指い切るの足い切るのって、人を不具かたわにする非道な事をする、東山てえ奴は悪人だと人にわせるように、御先祖さまが遺言状かきつけのこしたアだね、然うじゃアごぜえませんか、そこでどうも私も奉公してるから、人に主人の事を悪党だ非道だと謂われゝばあんまり快くもごぜえません、御先祖さまの遺言が有るから、貴方はそれを守り抜いてゝ、証文を取って奉公させると、中には又喰うや喰わずで仕様がねえ、なに指ぐらい打切ぶちきられたって、たけえ給金を取って命いつなごう、なに指い切ったってはア命には障らねえからって、得心して奉公に来て、つい粗相で皿を打毀ぶちこわすと、親から貰った大切でえじな身体に疵うつけて、不具かたわになるものが有るでがす、実にはアなさけねえ訳だね、それもみんな此の皿のとがで、此の皿のうちは末代までも止まねえ、此の皿さえ無ければいと私は考えまして、とうから心配しんぺえしていました、所で聞けば、お千代どんはとしもいかないのにかゝさまが塩梅あんばいわりいって、い薬を飲まねば癒らない、どうか母さまを助けたい、仮令たとえ指を切られるまでも奉公して人参を買うだけの手当をしてえと、親子相談の上で証文を貼り、奉公に来た者を今指い切られる事になって、誠にはア可愛そうにと思ったから、私が此の二十枚の皿を悉皆みんな打砕ぶっくだいたが、二十人に代って私が一人死ねば、あとの二十人は助かる、それに斯うやって大切でえじな皿だって打砕ぶちくだけばもと土塊つちッころだ、金だって銀だって只形を拵えて、此の世の中の手形同様に取遣とりやりをするだけの物とかんげえます、金だって銀だって人間程大切たいせつな物でなえから、おかみでも人間を殺せば又其の人を殺す、それでもお助けてえと思う心があるので、何とやらさまの御法事と名を付けて助かる事もありやす、首を打斬ぶっきる奴でも遠島で済ませると云うのも、詰り人間が大切だから、お上でも然うして下さるのだ、それを無闇に打斬ぶちきるとは情ねえ話だ、あなたの御先祖さまは東山将軍義政さまから戴いた、東山という大切な御苗字だという事は米を搗きながら蔭で聞いて知って居ますが、あの東山は非道だ、土塊つちッころと人間と同じ様に心得ていると云われたら、其の東山義政のお名前までもけがすような事になって、貴方あんたは済むめえかとかんげえますが、何卒どうかして此の風儀を止めさせてえと思っても、他に工夫がえから、いっわざわいの根を絶とうと打砕ぶっくだいてしまっただ、私一人死んで二十人助かれば本望でがす、私もわけえ時分には、心得違こころえちげえもエラ有りましたが、ようやく此の頃本山寺ほんざんじさまへ行って、お説法を聞いて、此の頃少し心も直ってめえりましたから、大勢の人に代って私一人死にます、どうか其の代り、お千代さんを助けてやって下せえまし、親孝行な此様こんな人は国の宝で土塊つちッころとは違います、さ私を斬って下せえまし、親戚みより兄弟親も何もえ身の上だから、別に心を置く事もありません、さ、斬っておくんなせえまし」
 と沓脱石くつぬぎいしへピッタリ腰をかけ、えりの毛を掻上げて合掌を組み、首を差伸ばしまして、口の中で、
權「南無阿弥陀仏/\/\/\/\/\/\」
 かゝ殊勝しゅしょうていを見て、作左衞門は始めて夢の覚めたように、茫然として暫く考え、
作「いや權六許してくれ、どうも実に面目次第もない、く毀してくれた、あゝかたじけない、真実な者じゃ、なアる程左様……これは先祖が斯様な事を書遺かきのこしておいたので、わし祖父じゞいより親父も守り、幾代となく守りきたっていて、中指を切られた者が既に幾人いくたり有ったか知れん、誠に何とも、ハヤ面目次第もない、權六其方そなたが無ければ末世末代東山の家名はもとより、其方の云う通り慈昭院じしょういん殿(東山義政公の法名)を汚す不忠不義になる所であった、あゝ誠に辱ない、許してくれ、權六此の通り……作左衞門両手を突いて詫るぞ、宜くマ思い切って命を棄て、私の家名を汚さんよう、衆人ひとに代って斬られようという其の志、実に此の上もない感服のことだ、あゝ恥入った、実に我が先祖は白痴たわけだ、斯様な事を書遺すというは、許せ/\」
 と縁先へ両手をついて詫びますと、傍に聞いて居りました忰の長助が、何と思ったかポロリと膝へ涙を落して、權六の傍へ這ってまいりました。
長「權六、あゝー誠に面目次第もない、中々其方そなたを殺すどころじゃアない、わしが生きてはられん、お千代親子の者へ対しても面目ないから、私が死にます」
 とあわてゝ短刀を引き抜き自害をしようとするから、權六が驚いて止めました。

        八

 權六は長助の顔をつめまして、
權「貴方あんた何をなさりやアす」
長「いや面目ないが、実は此の皿を毀したのはお父様とっさま、此の長助でございます」
作「なに……」
長「唯今此の權六に当付けられ、実に其の時は赤面致しましたけれども、たれも他に知る気遣いは有るまいと思いましたが、実はお千代に恋慕を云いかけたをはじしめられた恋の意趣いし、お千代の顔に疵を付け、縁付えんづきの出来ぬようにと存じまして、家の宝を自分で毀し、其の罪を千代に塗付けようとした浅ましい心の迷い、それを權六が存じて居りながら、罪を自分の身に引受けて衆人しゅうじんを助けようという心底、実に感心致しました、それに引換えわたくしの悪心面目もない事でございますから……」
作「暫く待て/\」
權「若旦那様、まゝお待ちなせえまし、貴方あんたう仰しゃって下されば、權六は今首を打斬ぶっきられても名僧智識の引導より有難く受けます、何卒どうぞねげえでごぜえますからわしが首を……」
作「どう致して、手前は世の中の宝だ、まゝ此処これあがってくれ」
 と是れから無理やりに權六の手をって、泥だらけの足のまゝ畳の上へ上げ、段々お千代母子おやこにも詫びまして、百両(此のころだから大したもので)取り出して台に載せ、
作「何卒どうぞ此の事を世間へ言わんよう、内聞にしてくれ」
 と云うと、母子おやことも堅いから金を受けません、それでは困ると云うと。
權「そんならわしこゝろざしが有りますから、此のお金をお貰い申し、昨年から引続きまして、当御領地の勝山、津山、東山村の辺は一体に不作でごぜえまして、百姓も大分だいぶ困っている様子でございますから、何うか施しを出したいものでがす、それに此の皿のために指を切られたり、中には死んだ者も有りましょうから、どうか本山寺様で施餓鬼せがきを致し、乞食こつじき施行せぎょうを出したいと思います」
作「あゝ、それは感心な事で、入費の処はわしも出そう」
 と云うので、本山寺という寺へまいりまして、和尚さまに掛合いますと、方丈も大きに感心して、そんならばと、是れから大施餓鬼おおせがきを挙げました。多分に施行も出しました事でございまして、の砕けた皿を後世のためにと云うので、皿山の麓方ねがたのこんもりとした小高き処へうずめて、しるしを建て、これを小皿山こざらやま[#「小皿山と」は底本では「小皿山を」]名づけました。此の皿山は人皇にんのう九十六代後醍醐天皇ごだいごてんのう、北條九代の執権しっけん相摸守高時さがみのかみたかときの為めに、元弘げんこう二年三月隠岐国おきのくにてきせられ給いし時、美作の国久米の皿山にて御製ぎょせいがありました「聞き置きし久米の皿山越えゆかん道とはさらにおもひやはせむ」と太平記に出てありますと、講談師の放牛舎桃林ほうぎゅうしゃとうりんに聞きましたが、さて此の事が追々世間に知れて来ますと、他人ひととうとく思い、尾に尾を付けて云いはやします。時に明和めいわの元年、勝山の御城主にお成りなさいました粂野美作守さまのお城普請しろぶしんがございまして、人足を雇い、お作事さくじ奉行が出張でばり、本山寺へ入らっしゃいまして方々御見分が有ります。其の頃はお武家を大切にしたもので、名主年寄始め役人を鄭重ていちょう待遇もてなし、御馳走などが沢山出ました。話のついでの皿塚の事をお聞きになりまして、山川廣やまかわひろしという方が感心なされて、
山「妙な奴もあるものだ、其の權六という者は何処どこる」
 とお尋ねになりますと、名主が、
名「へえ、それは当時遠山と申す浪人の娘のお千代と云う者と夫婦になりまして、遠山の家名を相続して居ります、至って醜男ぶおとこで、熊のような、毛だらけな男でございますが、女房はそれは/\美くしい女で、權六は命の親なり、かつ其の気性に惚れて夫婦になりたいと美人から望まれ、すなわち東山作左衞門が媒妁人なこうどで夫婦になり親子睦ましく暮して居ります、東山のつい地面内へ少しばかりの家を貰って住んで、農業を致し、親子の者が東山のお蔭で今日では豊かに暮して居ります」
 と聞いて廣は猶々なお/\ゆかしく思い、会いたいと申すのを名主が、
名「いえ中々一国いっこくもので、少しも人にこびる念がありませんから、今日こんにちすぐと申す訳には参りません」
 というので、是非なく山川も一度ひとたびお帰りになりまして、美作守さまの御前において、自分が実地をんで、何処どこに何ういう事があり、此処こゝに斯ういう事があったとお物語を致し、の權六の事に及びますと、美作守さま殊のほか御感心遊ばされて、左様な者なら一大事のお役に立とうから召抱えて宜かろうとの御意がござりましたので、山川は早速作左衞門へかゝってまいりました。其の頃は御領主さまのお抱えと云っては有難がったもので、作左衞門はすぐに權六を呼びにつかわし、
作「是れは權六、来たかえ、さア此方こっちはいんな」
權「はい、ちょっくらあがるんだが、誠に御無沙汰アしました、わしも何かと忙しくってね」
作「此の間中おっかさんが塩梅が悪いと云ったが、いかね」
權「はい、此の時候の悪いので弱え者は駄目だね、あなた何時いつもお達者で結構でがす」
作「て權六、まア此の上もない悦び事がある」
權「はい、わしもお蔭で喰うにゃア困らず、彼様あんな心懸のい女をかゝあにして、おまけに旦那様のお媒妁なこうどで本当はのお千代もいやだったろうが、仕方なしに私の嚊に成っているだアね」
作「なにいやどころではない、貴様の心底を看抜みぬいての上だから、人は容貌みめよりたゞ心じゃ、何しろ命を助けてくれた恩人だから、否応なしで」
權「しかし夫婦に成って見れば、仕方なしにでもわしを大事にしますよ」
作「今此処こゝのろけんでもい兎に角夫婦仲がければ、それ程結構な事はない、時に權六段々善い事が重なるなア」
權「うでございます」
作「知っているかい」
權「はい、あのくらい運のい男はねえてね、民右衞門たみえもんさまでございましょう、無尽むじんが当ってすぐに村の年寄役を言付かったって」
作「いや左様そうじゃアない、お前だ」
權「え」
作「お前が倖倖しあわせ[#「倖倖」は「僥倖」の誤記か]だと云うは粂野美作守様からお抱えになりますよ、お召しだとよ」
權「へえ有難うごぜえます」
作「なにを」
權「まだ腹もきませんが」
作「なに」
權「おめしを喰わせるというので」
作「アハ……お飯ではない、お召抱えだよ」
權「えゝうでござえますか、藁の中へ包んで脊負しょって歩くのかえ」
作「なにを云うんだ、勝山の御城主二万三千石の粂野美作守さまが小皿山の一件を御重役方から聞いて、貴様を是非召抱えると云うのだが、人足頭がるというので、貴様なら地理もわきまえて居って適当で有ろうというのだ、初めは棒を持って見廻って歩くのだが、江戸屋敷の侍じゃアいかないというので、お召抱えになると、今からすぐに貴様は侍に成るんだよ」
權「はゝゝそりゃア真平まっぴら御免だよ」
作「真平御免という訳にはいかん、是非」
權「是非だって侍には成れませんよ、第一侍は字い知んねえば出来ますめえ、また剣術も知らなくっちゃア出来ず、それにわしゃア馬が誠にきれえだ、たまには随分小荷駄こにだのっかって、草臥くたびれ休めに一里や二里乗る事もあるが、それでせえ嫌えだ、矢張やっぱり自分で歩く方がいだ、其の上いろはのいの字も書くことを知らねえ者がさむれえに成っても無駄だ」
作「それは皆先方むこうさまへ申し上げてある、山川廣様というお方に貴様の身の上を話して、学問もいたしません、剣術も心得ませんが、膂力ちからは有ります、人が綽名あだなして立臼たてうすの權六と申し、両手で臼を持って片附けますから、あれで力は知れますと云ってあるが、其の山川廣と云うのはえらい方だ」
權「へえ、白酒屋しろざけやかえ」
作「山川廣(口のうちにて)山川白酒と聞違えているな」
權「へえー其の方が得心で、粂野さまの御家来になるだね」
作「うん、下役したやくのお方だが、今度の事に就いては其の上役うわやくお作事奉行が来て居ますよ、有難い事だのう」
權「有難い事は有難いけんども、わしゃア無一国むいっこくな人間で、いやにおさむれえへ上手をつかったり、窮屈におっつわる事が出来ねえから、矢張やっぱり胡坐あぐらをかいて草臥くたびれゝば寝転び、腹がったら胡坐を掻いて、塩引のしゃけで茶漬を掻込かっこむのがうめえからね」
作「其様そんなことを云っては困る、是非承知して貰いたい」
權「兎に角母にも相談しましょう、お千代はいやと云いますめえが、おふくろも有りますし、年いっているから、貴方あんたから安心のくように話さんじゃア承知をしません、だから其の前にわしがお役人さまにも会って、是れだけの者だがそれで勤まる訳なら勤めますとお前さまも立会って証人に成って、三人鼎足みつがなわゆっくら話しをした上にしましょう」
作「鼎足という事はありませんよ、宜しい、それではおふくろにはわしが話そうから、すぐに呼んだら宜かろう」
 とこれから母を呼んで段々話をしましたが、もと遠山龜右衛門という立派な侍の御新造に娘ゆえ大いに悦び、
母「お屋敷へお抱えに成るとは此の上ない結構な事で」
 と早速承知を致しましたので、是れからお抱えに成りましたが、わたくしは頓と心得ませんが、棒を持って見廻って歩き、大した高ではございません、十石三人扶持、御作事方まかない役と申し、少禄では有りますが、段々それから昇進致す事になるので、わずかでも高持たかもちに成りました事で、毎日棒を持って歩きますが、一体勉強家でございまして、少しも役目に怠りはございません、誠に宜く働き、人足へも手当をして、骨の折れる仕事は自分が手伝いを致して居りました。此の事が御重役秋月喜一郎あきづききいちろうというお方の耳に入りどうか權六を江戸屋敷へ差出して、江戸詰の者に見せて、なまけ者の見手本みでほんにしたいとひそかに心配をいたして居ります。

        九

 粂野美作守さまの御舎弟に紋之丞前次もんのじょうちかつぐさまと云うが有りまして、当時そのころ美作守さまは御病身ゆえ御控えに成って入らっしゃるが、ぜん殿さまの御秘蔵の若様でありましたから、御次男でも中々羽振りは宜うございますが、誠に武張ったお方ゆえ武芸に達しておられますので、馬をく乗るとか、槍を能く使うとか云う者があると、近付けてお側を放しません。所でくだんの權六の事がお耳に入りますと、其の者を予がそばへ置きたいとの御意ゆえ、お附の衆から老臣へ申し立て、かみへも言上ごんじょうになると、苦しゅうないとの御沙汰ごさたで、至急に江戸詰を仰付けられたから、母もお千代も悦びましたが、悦ばんのは遠山權六でございます。窮屈でいやだと思いましたが、致し方がありませんから、江戸谷中やなか三崎さんさき下屋敷しもやしきへ引移ります。只今は開けまして綺麗に成りましたが、其の頃梅を大層植込み、梅の御殿と申して新らしく御普請が出来て、誠にお立派な事でございます。前次様は權六が江戸着という事をお聞きになると、至急に会いたいから早々呼出せという御沙汰でございます。是れから物頭ものがしらがまいりまして、段々下話したばなしをいたし、權六は着慣れもいたさん麻上下あさがみしもを着て、紋附とは云え木綿もので、差図さしずに任せお次までまかで控えて居ります。外村惣江とのむらそうえと申すお附頭つきがしら納戸役なんどやく川添富彌かわぞいとみや山田金吾やまだきんごという者、其のほか御小姓が二人居ります。侍分さむらいぶんの子で十三四歳ぐらいのが附いて居り、殿様はきっと固くびん引詰ひッつめて、芝居でいたす忠臣蔵の若狭之助わかさのすけのように眼がつるし上っているのは、疳癪持かんしゃくもちというのではありません。髪を引詰めて結うからであります、誠に活溌な良い御気象の御舎弟さまで、
小姓「えゝ、お召によりまして權六お次まで控えさせました」
前「あゝ富彌、早速其の者を見たいな、ずっと連れてまいって予に見せてくれ、余程勇義なもので、重宝じゅうほうの皿を一時いちじに打砕いた気象は実に英雄じゃ、感服いたした早々此処これへ」
富「えゝ、田舎育ちの武骨者ゆえ、何とお言葉をおかけ遊ばしても御挨拶を申し上ぐるすべも心得ません無作法者で、実に手前どもが会いましても、はっと思います事ばかりで、何分にも御前体ごぜんてい罷出まかりいでましたらかえって御無礼の義を……」
前「いや苦しゅうない、無礼が有っても宜しい、早く会いたいから呼んでくれ、無礼講じゃ、呼べ/\」
富「はっ/\權六/\」
權「はい」
富「お召しだ」
權「はい、おめしと云うのは御飯おまんまを喰うのではない、呼ばれる事だと此の頃覚えました」
富「其様そんな事を云ってはいかん、ごく御疳癖が強くいらっしゃる、其の代り御意にれば仕合せだよ」
權「詰り気に入られるようにと思ってやる仕事は出来ましねえ」
富「其様なことを云ってはいかん、何でも物事を慇懃いんぎんに云わんければなりませんよ」
權「えゝ彼処あすこ隠元小角豆いんげんさゝぎを喰うとえ」
富「丁寧に云わんければならんと云うのだ」
權「そりゃア出来ねえ、此の儘にやらして下せえ」
富「此の儘、困りましたなア、上下かみしもの肩が曲ってるから此方こっちへ寄せたら宜かろう」
權「之れを寄せると又此方へ寄るだ、懐へこれをれると格好がいと、お千代が云いましたが、何にもへいっては居ません」
富「此の頃は別して手へ毛が生えたようだな」
權「なにせんから斯ういう手で、毛が一杯いっぺいだね、足から胸から、わしの胸の毛を見たら殿様ア魂消たまげるだろう」
富「其様な大きな声をするな、是から縁側づたいにまいるのだ、間違えてはいかんよ、彼処あれへ出るとすぐにお目見え仰せ付けられるが、不躾ぶしつけに殿様のお顔を見ちゃアなりませんよ」
權「えゝ」
富「いやさ、お顔を見てはなりませんよ、かしらあげろと仰しゃった時に始めて首を上げて、殿様のお顔をしげ/″\見るのだが、※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)ぞんざいにしてはなりませんよ」
權「そんならばわしを呼ばねえばいんだ」
富「さ、わしの尻に尾付くッついてまいるのだよ曲ったら構わずに……其方そっちをきょと/\見て居ちゃアいかん、あ痛い、何だって私の尻へ咬付くいついたんだ」
權「だっておめえさん尻へ咬付くッつけって」
富「困りますなア」
 と小声にて小言を云いながら御前へ出ました。富彌は慇懃に両手を突き、一礼して、
富「へい、お召に依って權六罷出まかりでました、お目見え仰付けられ、權六身に取りまして此の上なく大悦たいえつつかまつり、有難く御礼おんれい申上げ奉ります」
殿「うん權六、もっと進め/\」
 と云いながら見ると、肩巾の広い、筋骨のたくましい、色が真黒まっくろで、毛むくじゃらでございます。実に鍾馗しょうきさまか北海道のアイノじんが出たような様子で有ります。前次公は見たばかりで大層御意に入りました。
殿「どうも骨格が違うの、是は妙だ、權六其の方は国で衆人の為めに宝物たからものを打砕いた事を予も聞いておるが、感服だのう、かしらげよ、おもてを上げよ、これ權六、權六、如何いかゞ致した、何も申さん、返答をせんの」
富「はっ、これ御挨拶を/\」
權「えゝ」
富「御挨拶だよ、お言葉をくだし置かれたから御挨拶を」
權「御挨拶だって……」
 と只きょと/\して物が云えません。
殿「もっと前へ進め、遠くては話が分らん、ずっと前へ来て、大声で遠慮なく云え、かしらを上げよ」
權「上げろたって顔を見ちゃアなんねえと云うから誠に困りますなア、何うか此の儘で前の方へ押出してもれいてえ」
小姓「此の儘押出せと、尋常なみの人間より大きいから一人の手際てぎわにはいかん、貴方あなたそら尻を押し給え」
權「さアもっと力を入れて押出すのだ」
殿「これ/\何を致す其様そんなことをせんでも宜しいよ、つか/\歩いてまいれ、成程立派じゃなア」
權「えゝ、まだかしらを上げる事はなんねえか」
殿「富彌、余りやかましく云わんがい、窮屈にさせるとかえって話が出来ん、成程立派じゃなア、昔の勇士のようであるな」
權「へえー、なんですと」
殿「いにしえの英雄加藤清正とも黒田長政とも云うべき人物じゃ、どうも顔が違うのう」
權「へえーどうも誠に違います」
富「誠に違いますなんて、自分の事を其様な事を云うもんじゃア有りませんよ」
殿「これ/\小声でうぐず/\云わんがい」
權「衆人みんなが然う云います、へえかゝあは誠に器量がいって」
富「これ/\家内の事はお尋ねがないから云わんでもい」
權「だって話のついでだから云いました」
富「話の序という事がありますか」
殿「其の方生国しょうこく何処どこじゃ、美作ではないという事を聞いたが、左様さようか」
權「何でごぜえます」
殿「生国」
權「はてな……何ですか、あの勝山在にいる医者の木村章國きむらしょうこくでがすか」
殿「左様ではない、生れは何処だと申すのじゃ」
權「生れは忍の行田でごぜえますが、ちいせえ時分に両親が死んだゞね、それから仕様がなくって親戚みより頼りもえもんでがすが、懇意な者が引張ひっぱってくれべえと、引張られて美作国みまさかのくにめえりまして、十八年のなげえ間えかくお世話さまでごぜえました」
富「これ/\お世話さまなんぞと云う事は有りませんよ」
權「だってお世話になったからよ」
殿「これ富彌控えて居れ、一々咎めるといかん、うん成程、武州の者で、長らく国許くにもとへ参って居ったか、其の方は余程力は勝れてるそうじゃの」
權「わしが力はの位あるか自分でも分りませんよ、何なら相撲でも取りましょうか」
富「これ/\かみと相撲を取るなんて」
權「だって、力が分らんと云うからさ」
殿「誠にうい奴だ、予が近くにいてくれ、予が側近くへ置け」
富「いえ、それは余りなんで、此の通りの我雑がさつものを」
殿「苦しゅうない、誠に正直潔白でい、予がそばに居れ」
權「それは御免を願いてえもんで、わしには出来ませんよ、へえ、此様こんな窮屈な思いをするのは御免だと初手から断ったら、白酒屋さんの、えゝ……」
殿「山川廣か」
權「あの人よ」
富「あの人よと云う事が有るかえ、かみのお言葉に背く事は出来ませんよ」
權「背くたってられませんよ」
富「られんという事は有りません、御無礼至極じゃアないか」
權「御無礼至極だってられませんよ」
殿「マ富彌控えて居れ、然う一々小言を申すな、面白い奴じゃ」
權「わしもと米搗こめつきなんも知んねえ人間で、剣術も知んねえし、学問もした事アねえから何うにも斯うにもおさむれえには成れねえ人間さ、力はえらく有りますが、何でも召抱えてえと御領主さまが云うのを、無理に断れば親や女房に難儀が掛るというから、そりゃア困るが、これ/\で宜くばとおらがいうと、それでいから来いと云われ、それからめえっただねおめえさま…」
 富彌ははら/\いたしまして、
富「おめえさまということは有りませんよ、御前様ごぜんさまと云いなさい」
權「なに御前と云うのだえ、飯だの御膳だのって何方どっちでもいじゃアないか」
殿「これ富彌止めるな、宜しいよ、おまえも御前も同じことじゃのう」
權「然うかね、其様な事は存じませんよ、それからわし此処こゝ家来けれえになっただね、して見るとお前様めえさま、私のためには大事でえじなお人で、私は家来けらいでござえますから、永らく居る内にはおたげえに心安立こゝろやすだてが出て来るだ」
富「これ/\心安立てという事がありますか」
權「するとお大名でえみょうは誠に疳癪持だ」
富「これ/\」
殿「富彌又口を出すか、宜しい、控えよ、実に大名は疳癪持だ、疳癪がある、それから」
權「殿様に我儘がおこれば、わしにも疳癪が有りますから、主人に間違った事を云われると、ついそれから仲が悪くなります、時々逢うようにすれば、人は何となく懐かしいもので、あゝ会いたかった、宜く来たとたげえに大騒ぎをやるが、毎日めえにち傍にいると、私が殿様の疳癪をうん/\と気に障らねえように聞いていると、私が胡麻摺になり、※(「言+滔のつくり」、第4水準2-88-72)へつれえになっていけねえ、此処にいる人にたまにはちっとぐれえ腹の立つ事があっても、主人だから仕方がねえと諦め、御前さまとか御飯おまんまとかいう事になって、実の所をいうと然ういう人は横着者だね」
殿「成程左様じゃ、至極左様じゃ、正道せいどう潔白な事じゃ、これ權六、以来予に悪いことが有ったら其の方諫言かんげんを致せ、是が君臣の道じゃ、宜しい、許すから居てくれ」
權「尊公あんたがそれせえ御承知なら居ります」
殿「早速の承知で過分に思う、併し其の方は剣道も心得ず、文字もんじも知らんで、予の側にるのは、何を以て君臣の道を立て奉公を致す心得じゃ」
權「他に心得はねえが、夜夜中よるよなか乱暴な奴がへえるとなりませんから、わしゃア寝ずに御殿の周囲まわり内証ないしょうで見廻っていますよ、もし狐でも出れば打殺ぶっころそうと思ってます」
殿「うん、じゃが戦国の世になって戦争の起った時に、し味方の者が追々敗走して敵兵が旗下はたもとまで切込んでまいり、敵兵が予に槍でも向けた時は何う致す」
權「然うさね、其処そこが大切だ」
殿「さ何う致して予を助ける」
權「そりゃア尊公あんたどうも此処に一つ」
 と權六は胸をたゝき、
「忠義という刄物が有るから、剣術は知らねえでも義という鎧を着ているから、敵が槍で尊公に突掛つきかけてめえれば、わしで受けるだ、一本脇腹へ突込まして、敵をひねり倒して打殺ぶちころしてやるだ、其の内に尊公を助けて逃がすだけの仕事よ」
殿「うん成程、立派な事だ、しかし然ううまく口でいう通りにくかな」
權「屹度きっとります、其処はしゅう家来の情合だからね」
殿「うん面白い奴じゃ、しからば敵が若し斯様に致したら何うする」
 とすっと立ち上って、欄間に掛けて有りました九尺大身おおみの槍を取って、スッ/\と二三度しごいて、
「斯様に突き掛けたら何う致す」
 と真に突いてかゝった時に權六が、
權「然うすれば斯う致します」
 と少しも動かずに、ジリ/\と殿様の前へ進むという正直律義の人でございます。

        十

 粂野紋之丞前次と仰しゃる方は、未だお部屋住では有りますが、勇気の優れた方で、活溌なり学問もあり、実に文武兼備と講釈師ならほめる立派な殿様でございますなれども、そこはお大名の疳癪で、ひどく逆らって参ると、すぐ抜打ぬきうちに御家来の首がコロリなどゝいう事が有るもので、只今の華族さまはひらけていらっしゃいますから、其様そんな野蛮な刄物三昧はものざんまいなどはございませんが、前次様は御勇気のお方だけあって、九尺柄の大身の槍をすっと繰出した時に、權六は不意を打たれ、受くるものが有りませんから左ので、
權「むゝ」
 と受けましたがひどい奴で、中指と無名指くすりゆびの間をすっと貫かれたが、其の掌で槍の柄を捕まえて、ぐッと全身の力で引きました。前次公はよろめいて前へ膝を突く処を、權六が血だらけの手でおさえ付け、
權「其の時は斯う捻り倒して敵をひどえ目にわして、尊公あんたを助けるより他はねえ、何うだ、敵も魂消たまげるか」
 と大力だいりきでグックとすから前次公もえかねまして、
殿「權六ゆるせ、宥せ」
 と云うは余程苦しかったと見えます。これを見るとお側に居りました川添富彌、山田金吾も驚きましたが、御側小姓の外村惣江が次の間に至り、一刀をって立上り、
惣「棄置かれん奴」
 とバラ/\/\と二人きたって權六へ組付こうとするをにらみ付け、
權「寄付くと打殺ぶっころすぞ」
惣「斬ってしまえ、無礼至極な奴だ、御前を何と心得る、如何いかに物を心得んとは申しながら、余りと申せば乱暴狼藉」
 と立ちかゝるを、殿様は押されながら、
殿「いやなに惣江、手出しをする事は必ずならんぞ、權六放してくれ、あ痛い、放せ、予が悪かった、宥せ/\」
權「宥せと云って敵じゃア許せねえけれども、ず仕方話だから許します、さ何うだね」
殿「ハッ/\」
 と殿様はようやく起上りましたが、血だらけでございます。是は權六の血だらけの手で押付けられたから、顔から胸から血だらけで、これを見ると御家来が驚きまして、呆れて口が利けません。
殿「ハッ/\、至極道理もっともだ」
權「道理だって、わしが何も手出し仕たじゃアねえのに、おせえるの斬るのと此処にいる人が云うなア分んねえ、とがも報いもえものを殿様が手出しいして、槍で突殺つッころすと云うだから、敵が然うしたら斯うだと仕方話いしてお目に掛けたゞ、敵なら捻り殺すだが、仕方話で、ちょっくら此のくれえなものさ」
殿「至極正道しょうどう潔白な奴じゃ、勇気なものじゃ、何と申しても宜しい、予に悪い事があったら一々諫言をしてくれ、今日きょうより意見番じゃ、予が側を放さんぞ」
 と有難い御意で、それからいよ/\医者を呼び、疵の手当を致してつかわせと、殿様も急に血だらけですからお召替になる。大騒ぎでござります。御褒美として其の時の槍を戴きましたから、是ばかりでも槍一筋の侍で、五十石に取立てられ、頭取下役とうどりしたやくという事に成りましたが、更に※(「言+滔のつくり」、第4水準2-88-72)へつらいを致しませんが、堅い気象ゆえ、毎夜人知れず刀を差し、棒を提げてっと殿様のお居間の周囲まわりを三度ずつ不寝ねずに廻るという忠実なる事は、他の者に真似は出来ません立派な行いでございます。又お供の時は駕籠に附いてまいりません。
權「わし突張つッぱったものを着て、お駕籠の側へ付いてまいっても無駄でごぜえます、お側には剣術を知ってる立派なお役人が附いているだから、狼藉者がまいっても脇差を引抜いて防ぎましょうが、私ア其の警衛けいえいの方々に狼藉者が斬付けるとなんねえから、し怪しい奴が来るといかねえから私ア他の人のふりで先へめえりましょう、はかまなどア穿くのはしてもれえましょう、刀は差せと云わば仕方がねえから差しますが、私だけはお駕籠の先へぶら/\きます」
 と我儘を云うてなりませんが、左様な我儘なお供はござりませんから、權六も袴を付け、大小を差し、紺足袋こんたび福草履ふくぞうりでお前駆さきともで見廻って歩きます、お中屋敷は小梅で、此処これへお出でのおりも、未だお部屋住ゆえ大したお供ではございませんが、權六がお供をして上野の袴腰はかまごしを通りかゝりました時に、明和三年正月も過ぎて二月になり、追々梅も咲きました頃ですから、人もちら/\出掛けます。只今權六が殿様のお供をして山下の浜田と申す料理屋(今の山城屋)の前を通りかゝり、山のかた観物小屋みせものごやに引張る者が出て居りますが、其方そちらへ顔も向けず四辺あたりに気を附けてまいると、向うから来ました男は、年頃二十七八にて、かっきりと色の白い、眼のきょろ/\大きい、鼻梁はなすじの通った口元の締った、眉毛の濃いい男で、無地の羽織をちゃくし、一本短い刀を差し、紺足袋雪駄穿せったばきでチャラ/\やって参りました。不図ふと出会うと中国もので、矢張と松平越後様のい役柄を勤めました松蔭大之進まつかげだいのしんの忰、同苗どうみょう大藏だいぞうというもので、浪々中互いに知って居りますから、
權「大藏さん/\」
 と呼びますから大藏は振向いて、
大「いや是れは誠に暫らく、一別已来いらい[#「已来」は底本では「己来」]……」
權「うっかり会ったって知んねえ、むお変りがなくって……此処こゝで逢おうとは思いませんだったが、何うして出て来たえ」
 と立止って話をして居りますから、他の若侍が、
若「これ/\權六殿/\」
權「えゝ」
若「お供先だから、余り知る人に会ったって無闇に声などを掛けてはなりませんよ」
權「はい、だがね国者くにものに逢って懐かしいからね、少し先へ往っておくんなせえ、直ぐに往くと殿様に然う申しておくんなせえ、まおめえ達者でい、何処どこにいるだ」
大「お前も達者で何処にらるゝか、実に立派な事で、お抱えになったことは聞いたが、立派な姿なりで、此の上もない事で、拙者に於ても悦ばしい[#「悦ばしい」は底本では「悦しばい」]
權「ま悦んでくんろ、今じゃア奉公大切に勤めているだが、おめえさんは何処にいるだ」
大「拙者は根岸の日暮ひぐれヶ岡おかる、あの芋坂いもざかを下りた処に」
權「わしの処へはちけえからちっと遊びに来なよ、其の内私も往くから」
若「これ/\其様そんなことを云っては成りません」
權「今日は大将がいるから此処で別れるとしよう、泣く子と地頭にゃアかたれねえ」
 と他の家来衆も心配して彼是云いますので、其の日は別れ、翌日大藏は權六のうちへまいりましたから、權六悦びました。此の大藏はもと越後守様の御家来で、遠山龜右衞門とは同じ屋敷にいた者ゆえ、母もお千代も見知りの事なれば、
「お互いに是は思い掛けない、縁と云うものは妙だ、国を出たのは昨年の秋で、貴方も国においでのないという事は人の噂で聞きました」
大「お前も御無事で、ことに御夫婦仲も宜し、結構で」
權「まアね、おふくろも誠に安心したし、殿様も贔屓にしてくれるだが、扶持も沢山たんとらない、親子三人喰うだけ有ればいてえに、其様な事を云わずに取って置くが宜いって、種々いろ/\な物をくれるだ、貰わねえと悪いと云うから、仕方なしに貰うけれども、何でも山盛り呉れるだ、喰物くいものなどは切溜きりだめを持ってって脊負しょってねえばなんねえだ、誠にはア有難ありがてえ事になって、勿体ねえが、他に恩返おんげえしの仕様がねえから、旦那様を大切でえじに思って、不寝ねずに奉公する心得だが、貴方あんたは今の若さで遊んでいずに、何処かへ奉公でもしたら宜かろう」
大「拙者もう思ってる、とても国へ往ったっていけんから、何処ぞへ取付こうと思うが、御当家でお羽振のいお方は何というお方だね」
權「わしア其様な事は知んねえ、お国家老の福原數馬ふくはらかずま様、寺島兵庫てらじまひょうご様、お側御用神原五郎治かんばらごろうじ様とかいう奴があるよ」
大「奴とはひどいね」
權「それに此間こねえだちょっくら聞いたが、御当家には智仁勇の三人の家来があるとよ、渡邊織江わたなべおりえさんという方は慈悲深い人だから是が仁で、秋月喜一郎あきづききいちろうかな是はえらきつい人で勇よ、えゝ何とか云いッけ……戸村主水とむらもんどとかいう人は智慧があると云いやした、此者これが羽振のい処だ、其の人らの云う事は殿様も聴くだ、御家来に失策しくじりが有っても、渡邊さんや秋月さんが取做とりなすと殿様もゆるすだ、秋月さんは槍奉行を勤めているが、成程つよそうだ、身丈せいが高くってよ」
 と手真似をして物語る内、大藏はてのひらの底に目を附けました。

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