七
さて權六という米搗が、東山家に数代伝わるところの重宝白菊の皿を箱ぐるみ搗摧きながら、自若として居りますから、作左衞門は太く憤りまして、顔の色は変り、唇をぶる/\顫わし、疳癖が高ぶって物も云われん様子で、
作「これ權六、どうも怪しからん奴だて手前は何か気でも違ったか、狂気致したに相違ない、此皿は一枚毀してさえも指一本を切るという大切な品を、二拾枚一時に砕くというのは実に怪しからん奴だ、さ何ういう心得か、御先祖の御遺言状に対しても棄置かれん、只今此の処に於いて其の方の首を斬るから左様心得ろ、權六を取遁すな」
と烈しき下知に致方なく、家の下僕たちがばら/\/\と權六の傍へ来て見ますと、權六は少しも驚く気色もなく、縁側へどっさりと腰を掛けまして作左衞門の顔をしげ/\と見て居りましたが、
權「旦那さま、貴方は実にお気の毒さまでごぜえます」
作「なに……いよ/\此奴は狂気致して居る、手前気の毒ということを存じて居るかい、此の皿を二十枚砕くと云うのは……予て御先祖よりの御遺言状の事も少しは聞いているじゃアないか、仮令気違でも此の儘には棄置かんぞ」
權「はい、私ア気も違いません、素より貴方さまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事のお皿を悉皆打毀しました、もし旦那さま、私ア生国は忍の行田の在で生れた者でありやすが、少さい時分に両親が亡なってしまい、知る人に連れられて此の美作国へ参って、何処と云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年前当家へ奉公に参りまして、長え間お世話になり、高え給金も戴きました、お側にいて見れば、誠にどうも旦那さまは衆人にも目をかけ行届きも能く、どうも結構な旦那さまだが、此の二十枚の皿が此処の家の害だ、いや腹アお立ちなさるな、私は逃匿れはしねえ、素より斬られる覚悟でした事だが、旦那さま、あんた此の皿はまア何で出来たものと思召します、私ア土塊で出来たものと考えます、それを粗相で毀したからとって、此の大事な人間の指い切るの、足い切るのと云って人を不具にするような御遺言状を遺したという御先祖さまが、如何にも馬鹿気た訳だ」
作「黙れ、先祖の事を悪口申し、尚更棄置かんぞ」
權「いや棄置かねえでも構わねえ、素より斬られる覚悟だから、併し私だって斬られめえと思えば、あんた方親子二人がゝりで斬ると云っても、指でも附けさせるもんじゃアねえ、大けい膂力が有るが、御当家へ米搗奉公をしていて、私ア何も知んねえ在郷もんで、何の弁別も有りやしねえが、村の神主さまのお説教を聴きに行くと、人は天が下の霊物で、万物の長だ、是れより尊いものは無い、有情物の主宰だてえから、先ず禁裏さまが出来ても、お政治をなさる公方様が出来ても、此の美作一国の御領主さまが出来やしても、勝山さまでも津山さまでも、皆人間が御政治を執るのかと私は考えます、皿が政治を執ったてえ話は昔から聞いた事がねえ、何様な器物でも人間が発明して拵えたものだ、人間が有ればこそ沼ア埋めたり山ア掘崩したり、河へ橋を架けたり、田地田畠を開墾するから、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、168-6]も実って、貴方様も私も命い継いで、物を喰って生きていられるだア、其の大事なこれ人間が、粗相で皿ア毀したからって、指を切って不具にするという御先祖様の御遺言を守るだから、私ア貴方を悪くは思わねえ、物堅え人だが余り堅過ぎるだ、馬鹿っ正直というのだ、これ腹ア立っちゃアいけねえ/\、どうせ一遍腹ア立ってしまって、然うして私を打斬るが宜うがすが、それを貴方が守ってるから、此の村ばっかりじゃアない、近郷の者までが貴方の事を何と云う、あゝ東山は偉い豪士だが、家に伝わる大事な宝物だって、それを打毀せば指い切るの足い切るのって、人を不具にする非道な事をする、東山てえ奴は悪人だと人に謂わせるように、御先祖さまが遺言状を遺したアだね、然うじゃアごぜえませんか、乃でどうも私も奉公して居るから、人に主人の事を悪党だ非道だと謂われゝば余まり快くもごぜえません、御先祖さまの遺言が有るから、貴方はそれを守り抜いてゝ、証文を取って奉公させると、中には又喰うや喰わずで仕様がねえ、なに指ぐらい打切られたって、高え給金を取って命い継ごう、なに指い切ったってはア命には障らねえからって、得心して奉公に来て、つい粗相で皿を打毀すと、親から貰った大切な身体に疵うつけて、不具になるものが有るでがす、実にはア情ねえ訳だね、それも皆な此の皿の科で、此の皿の在る中は末代までも止まねえ、此の皿さえ無ければ宜いと私は考えまして、疾から心配していました、所で聞けば、お千代どんは齢もいかないのに母さまが塩梅が悪いって、良い薬を飲まねば癒らない、どうか母さまを助けたい、仮令指を切られるまでも奉公して人参を買うだけの手当をしてえと、親子相談の上で証文を貼り、奉公に来た者を今指い切られる事になって、誠にはア可愛そうにと思ったから、私が此の二十枚の皿を悉皆打砕いたが、二十人に代って私が一人死ねば、余の二十人は助かる、それに斯うやって大切な皿だって打砕けば原の土塊だ、金だって銀だって只形を拵えて、此の世の中の手形同様に取遣りをするだけの物と考えます、金だって銀だって人間程大切な物でなえから、お上でも人間を殺せば又其の人を殺す、それでも尚お助けてえと思う心があるので、何とやらさまの御法事と名を付けて助かる事もありやす、首を打斬る奴でも遠島で済ませると云うのも、詰り人間が大切だから、お上でも然うして下さるのだ、それを無闇に打斬るとは情ねえ話だ、あなたの御先祖さまは東山将軍義政さまから戴いた、東山という大切な御苗字だという事は米を搗きながら蔭で聞いて知って居ますが、あの東山は非道だ、土塊と人間と同じ様に心得ていると云われたら、其の東山義政のお名前までも汚すような事になって、貴方は済むめえかと考えますが、何卒して此の風儀を止めさせてえと思っても、他に工夫が無えから、寧そ禍の根を絶とうと打砕いてしまっただ、私一人死んで二十人助かれば本望でがす、私も若え時分には、心得違えもエラ有りましたが、漸く此の頃本山寺さまへ行って、お説法を聞いて、此の頃少し心も直って参りましたから、大勢の人に代って私一人死にます、どうか其の代り、お千代さんを助けてやって下せえまし、親孝行な此様な人は国の宝で土塊とは違います、さ私を斬って下せえまし、親戚兄弟親も何も無え身の上だから、別に心を置く事もありません、さ、斬っておくんなせえまし」
と沓脱石へピッタリ腰をかけ、領の毛を掻上げて合掌を組み、首を差伸ばしまして、口の中で、
權「南無阿弥陀仏/\/\/\/\/\/\」
斯る殊勝の体を見て、作左衞門は始めて夢の覚めたように、茫然として暫く考え、
作「いや權六許してくれ、どうも実に面目次第もない、能く毀してくれた、あゝ辱けない、真実な者じゃ、なアる程左様……これは先祖が斯様な事を書遺しておいたので、私の祖父より親父も守り、幾代となく守り来っていて、中指を切られた者が既に幾人有ったか知れん、誠に何とも、ハヤ面目次第もない、權六其方が無ければ末世末代東山の家名は素より、其方の云う通り慈昭院殿(東山義政公の法名)を汚す不忠不義になる所であった、あゝ誠に辱ない、許してくれ、權六此の通り……作左衞門両手を突いて詫るぞ、宜くマ思い切って命を棄て、私の家名を汚さんよう、衆人に代って斬られようという其の志、実に此の上もない感服のことだ、あゝ恥入った、実に我が先祖は白痴だ、斯様な事を書遺すというは、許せ/\」
と縁先へ両手をついて詫びますと、傍に聞いて居りました忰の長助が、何と思ったかポロリと膝へ涙を落して、權六の傍へ這ってまいりました。
長「權六、あゝー誠に面目次第もない、中々其方を殺すどころじゃアない、私が生きては居られん、お千代親子の者へ対しても面目ないから、私が死にます」
と慌てゝ短刀を引き抜き自害をしようとするから、權六が驚いて止めました。
八
權六は長助の顔を視つめまして、
權「貴方何をなさりやアす」
長「いや面目ないが、実は此の皿を毀したのはお父様、此の長助でございます」
作「なに……」
長「唯今此の權六に当付けられ、実に其の時は赤面致しましたけれども、誰も他に知る気遣いは有るまいと思いましたが、実はお千代に恋慕を云いかけたを恥しめられた恋の意趣、お千代の顔に疵を付け、他へ縁付の出来ぬようにと存じまして、家の宝を自分で毀し、其の罪を千代に塗付けようとした浅ましい心の迷い、それを權六が存じて居りながら、罪を自分の身に引受けて衆人を助けようという心底、実に感心致しました、それに引換え私の悪心面目もない事でございますから……」
作「暫く待て/\」
權「若旦那様、まゝお待ちなせえまし、貴方が然う仰しゃって下されば、權六は今首を打斬られても名僧智識の引導より有難く受けます、何卒お願えでごぜえますから私が首を……」
作「どう致して、手前は世の中の宝だ、まゝ此処へ昇ってくれ」
と是れから無理やりに權六の手を把って、泥だらけの足のまゝ畳の上へ上げ、段々お千代母子にも詫びまして、百両(此の時だから大したもので)取り出して台に載せ、
作「何卒此の事を世間へ言わんよう、内聞にしてくれ」
と云うと、母子とも堅いから金を受けません、それでは困ると云うと。
權「そんなら私が志しが有りますから、此のお金をお貰い申し、昨年から引続きまして、当御領地の勝山、津山、東山村の辺は一体に不作でごぜえまして、百姓も大分困っている様子でございますから、何うか施しを出したいものでがす、それに此の皿のために指を切られたり、中には死んだ者も有りましょうから、どうか本山寺様で施餓鬼を致し、乞食に施行を出したいと思います」
作「あゝ、それは感心な事で、入費の処は私も出そう」
と云うので、本山寺という寺へまいりまして、和尚さまに掛合いますと、方丈も大きに感心して、そんならばと、是れから大施餓鬼を挙げました。多分に施行も出しました事でございまして、彼の砕けた皿を後世のためにと云うので、皿山の麓方のこんもりとした小高き処へ埋めて、標しを建て、これを小皿山と[#「小皿山と」は底本では「小皿山を」]名づけました。此の皿山は人皇九十六代後醍醐天皇、北條九代の執権相摸守高時の為めに、元弘二年三月隠岐国へ謫せられ給いし時、美作の国久米の皿山にて御製がありました「聞き置きし久米の皿山越えゆかん道とはさらにおもひやはせむ」と太平記に出てありますと、講談師の放牛舎桃林に聞きましたが、さて此の事が追々世間に知れて来ますと、他人が尊く思い、尾に尾を付けて云い囃します。時に明和の元年、勝山の御城主にお成りなさいました粂野美作守さまのお城普請がございまして、人足を雇い、お作事奉行が出張り、本山寺へ入らっしゃいまして方々御見分が有ります。其の頃はお武家を大切にしたもので、名主年寄始め役人を鄭重に待遇し、御馳走などが沢山出ました。話の序に彼の皿塚の事をお聞きになりまして、山川廣という方が感心なされて、
山「妙な奴もあるものだ、其の權六という者は何処に居る」
とお尋ねになりますと、名主が、
名「へえ、それは当時遠山と申す浪人の娘のお千代と云う者と夫婦になりまして、遠山の家名を相続して居ります、至って醜男で、熊のような、毛だらけな男でございますが、女房はそれは/\美くしい女で、權六は命の親なり、且其の気性に惚れて夫婦になりたいと美人から望まれ、即ち東山作左衞門が媒妁人で夫婦になり親子睦ましく暮して居ります、東山のつい地面内へ少しばかりの家を貰って住んで、農業を致し、親子の者が東山のお蔭で今日では豊かに暮して居ります」
と聞いて廣は猶々床しく思い、会いたいと申すのを名主が、
名「いえ中々一国もので、少しも人に媚る念がありませんから、今日直と申す訳には参りません」
というので、是非なく山川も一度お帰りになりまして、美作守さまの御前に於て、自分が実地を践んで、何処に何ういう事があり、此処に斯ういう事があったとお物語を致し、彼の權六の事に及びますと、美作守さま殊の外御感心遊ばされて、左様な者なら一大事のお役に立とうから召抱えて宜かろうとの御意がござりましたので、山川は早速作左衞門へ係ってまいりました。其の頃は御領主さまのお抱えと云っては有難がったもので、作左衞門は直に權六を呼びに遣わし、
作「是れは權六、来たかえ、さア此方へ入んな」
權「はい、ちょっくら上るんだが、誠に御無沙汰アしました、私も何かと忙しくってね」
作「此の間中お母さんが塩梅が悪いと云ったが、最う快いかね」
權「はい、此の時候の悪いので弱え者は駄目だね、あなた何時もお達者で結構でがす」
作「扨て權六、まア此の上もない悦び事がある」
權「はい、私もお蔭で喰うにゃア困らず、彼様心懸の宜い女を嚊にして、おまけに旦那様のお媒妁で本当は彼のお千代も忌だったろうが、仕方なしに私の嚊に成っているだアね」
作「なに否どころではない、貴様の心底を看抜いての上だから、人は容貌より唯心じゃ、何しろ命を助けてくれた恩人だから、否応なしで」
權「併し夫婦に成って見れば、仕方なしにでも私を大事にしますよ」
作「今此処で惚けんでも宜い兎に角夫婦仲が好ければ、それ程結構な事はない、時に權六段々善い事が重なるなア」
權「然うでございます」
作「知っているかい」
權「はい、あのくらい運の宜い男はねえてね、民右衞門さまでございましょう、無尽が当って直に村の年寄役を言付かったって」
作「いや左様じゃアない、お前だ」
權「え」
作「お前が倖倖[#「倖倖」は「僥倖」の誤記か]だと云うは粂野美作守様からお抱えになりますよ、お召しだとよ」
權「へえ有難うごぜえます」
作「なにを」
權「まだ腹も空きませんが」
作「なに」
權「お飯を喰わせるというので」
作「アハ……お飯ではない、お召抱えだよ」
權「えゝ然うでござえますか、藁の中へ包んで脊負って歩くのかえ」
作「なにを云うんだ、勝山の御城主二万三千石の粂野美作守さまが小皿山の一件を御重役方から聞いて、貴様を是非召抱えると云うのだが、人足頭が入るというので、貴様なら地理も能く弁えて居って適当で有ろうというのだ、初めは棒を持って見廻って歩くのだが、江戸屋敷の侍じゃアいかないというので、お召抱えになると、今から直に貴様は侍に成るんだよ」
權「はゝゝそりゃア真平御免だよ」
作「真平御免という訳にはいかん、是非」
權「是非だって侍には成れませんよ、第一侍は字い知んねえば出来ますめえ、また剣術も知らなくっちゃア出来ず、それに私ゃア馬が誠に嫌えだ、稀には随分小荷駄に乗かって、草臥休めに一里や二里乗る事もあるが、それでせえ嫌えだ、矢張自分で歩く方が宜いだ、其の上いろはのいの字も書くことを知らねえ者が侍に成っても無駄だ」
作「それは皆先方さまへ申し上げてある、山川廣様というお方に貴様の身の上を話して、学問もいたしません、剣術も心得ませんが、膂力は有ります、人が綽名して立臼の權六と申し、両手で臼を持って片附けますから、あれで力は知れますと云ってあるが、其の山川廣と云うのはえらい方だ」
權「へえ、白酒屋かえ」
作「山川廣(口の中にて)山川白酒と聞違えているな」
權「へえー其の方が得心で、粂野さまの御家来になるだね」
作「うん、下役のお方だが、今度の事に就いては其の上役お作事奉行が来て居ますよ、有難い事だのう」
權「有難い事は有難いけんども、私ゃア無一国な人間で、忌にお侍へ上手を遣ったり、窮屈におっ坐る事が出来ねえから、矢張胡坐をかいて草臥れゝば寝転び、腹が空ったら胡坐を掻いて、塩引の鮭で茶漬を掻込むのが旨えからね」
作「其様ことを云っては困る、是非承知して貰いたい」
權「兎に角母にも相談しましょう、お千代は否と云いますめえが、お母も有りますし、年い老っているから、貴方から安心の往くように話さんじゃア承知をしません、だから其の前に私がお役人さまにも会って、是れだけの者だがそれで勤まる訳なら勤めますとお前さまも立会って証人に成って、三人鼎足で緩くら話しをした上にしましょう」
作「鼎足という事はありませんよ、宜しい、それではお母には私が話そうから、直に呼んだら宜かろう」
とこれから母を呼んで段々話をしましたが、もと遠山龜右衛門という立派な侍の御新造に娘ゆえ大いに悦び、
母「お屋敷へお抱えに成るとは此の上ない結構な事で」
と早速承知を致しましたので、是れからお抱えに成りましたが、私は頓と心得ませんが、棒を持って見廻って歩き、大した高ではございません、十石三人扶持、御作事方賄い役と申し、少禄では有りますが、段々それから昇進致す事になるので、僅でも先ず高持に成りました事で、毎日棒を持って歩きますが、一体勉強家でございまして、少しも役目に怠りはございません、誠に宜く働き、人足へも手当をして、骨の折れる仕事は自分が手伝いを致して居りました。此の事が御重役秋月喜一郎というお方の耳に入りどうか權六を江戸屋敷へ差出して、江戸詰の者に見せて、惰け者の見手本にしたいと窃かに心配をいたして居ります。
九
粂野美作守さまの御舎弟に紋之丞前次さまと云うが有りまして、当時美作守さまは御病身ゆえ御控えに成って入らっしゃるが、前殿さまの御秘蔵の若様でありましたから、御次男でも中々羽振りは宜うございますが、誠に武張ったお方ゆえ武芸に達しておられますので、馬を能く乗るとか、槍を能く使うとか云う者があると、近付けてお側を放しません。所で件の權六の事がお耳に入りますと、其の者を予が傍へ置きたいとの御意ゆえ、お附の衆から老臣へ申し立て、上へも言上になると、苦しゅうないとの御沙汰で、至急に江戸詰を仰付けられたから、母もお千代も悦びましたが、悦ばんのは遠山權六でございます。窮屈で厭だと思いましたが、致し方がありませんから、江戸谷中三崎の下屋敷へ引移ります。只今は開けまして綺麗に成りましたが、其の頃梅を大層植込み、梅の御殿と申して新らしく御普請が出来て、誠にお立派な事でございます。前次様は權六が江戸着という事をお聞きになると、至急に会いたいから早々呼出せという御沙汰でございます。是れから物頭がまいりまして、段々下話をいたし、權六は着慣れもいたさん麻上下を着て、紋附とは云え木綿もので、差図に任せお次まで罷り出で控えて居ります。外村惣江と申すお附頭お納戸役川添富彌、山田金吾という者、其の外御小姓が二人居ります。侍分の子で十三四歳ぐらいのが附いて居り、殿様はきっと固く鬢を引詰めて、芝居でいたす忠臣蔵の若狭之助のように眼が吊し上っているのは、疳癪持というのではありません。髪を引詰めて結うからであります、誠に活溌な良い御気象の御舎弟さまで、
小姓「えゝ、お召によりまして權六お次まで控えさせました」
前「あゝ富彌、早速其の者を見たいな、ずっと連れてまいって予に見せてくれ、余程勇義なもので、重宝の皿を一時に打砕いた気象は実に英雄じゃ、感服いたした早々此処へ」
富「えゝ、田舎育ちの武骨者ゆえ、何とお言葉をおかけ遊ばしても御挨拶を申し上ぐる術も心得ません無作法者で、実に手前どもが会いましても、はっと思います事ばかりで、何分にも御前体へ罷出でましたら却って御無礼の義を……」
前「いや苦しゅうない、無礼が有っても宜しい、早く会いたいから呼んでくれ、無礼講じゃ、呼べ/\」
富「はっ/\權六/\」
權「はい」
富「お召しだ」
權「はい、おめしと云うのは御飯を喰うのではない、呼ばれる事だと此の頃覚えました」
富「其様な事を云ってはいかん、極御疳癖が強く入っしゃる、其の代り御意に入れば仕合せだよ」
權「詰り気に入られるようにと思ってやる仕事は出来ましねえ」
富「其様なことを云ってはいかん、何でも物事を慇懃に云わんければなりませんよ」
權「えゝ彼処で隠元小角豆を喰うとえ」
富「丁寧に云わんければならんと云うのだ」
權「そりゃア出来ねえ、此の儘にやらして下せえ」
富「此の儘、困りましたなア、上下の肩が曲ってるから此方へ寄せたら宜かろう」
權「之れを寄せると又此方へ寄るだ、懐へこれを納れると格好が宜いと、お千代が云いましたが、何にも入っては居ません」
富「此の頃は別して手へ毛が生えたようだな」
權「なに先から斯ういう手で、毛が一杯だね、足から胸から、私の胸の毛を見たら殿様ア魂消るだろう」
富「其様な大きな声をするな、是から縁側づたいにまいるのだ、間違えてはいかんよ、彼処へ出ると直にお目見え仰せ付けられるが、不躾に殿様のお顔を見ちゃアなりませんよ」
權「えゝ」
富「いやさ、お顔を見てはなりませんよ、頭を擡ろと仰しゃった時に始めて首を上げて、殿様のお顔をしげ/″\見るのだが、粗
にしてはなりませんよ」
權「そんならば私を呼ばねえば宜いんだ」
富「さ、私の尻に尾付いてまいるのだよ曲ったら構わずに……然う其方をきょと/\見て居ちゃアいかん、あ痛い、何だって私の尻へ咬付いたんだ」
權「だってお前さん尻へ咬付けって」
富「困りますなア」
と小声にて小言を云いながら御前へ出ました。富彌は慇懃に両手を突き、一礼して、
富「へい、お召に依って權六罷出ました、お目見え仰付けられ、權六身に取りまして此の上なく大悦仕り、有難く御礼申上げ奉ります」
殿「うん權六、もっと進め/\」
と云いながら見ると、肩巾の広い、筋骨の逞しい、色が真黒で、毛むくじゃらでございます。実に鍾馗さまか北海道のアイノ人が出たような様子で有ります。前次公は見たばかりで大層御意に入りました。
殿「どうも骨格が違うの、是は妙だ、權六其の方は国で衆人の為めに宝物を打砕いた事を予も聞いておるが、感服だのう、頭を擡げよ、面を上げよ、これ權六、權六、如何致した、何も申さん、返答をせんの」
富「はっ、これ御挨拶を/\」
權「えゝ」
富「御挨拶だよ、お言葉を下し置かれたから御挨拶を」
權「御挨拶だって……」
と只きょと/\して物が云えません。
殿「もっと前へ進め、遠くては話が分らん、ずっと前へ来て、大声で遠慮なく云え、頭を上げよ」
權「上げろたって顔を見ちゃアなんねえと云うから誠に困りますなア、何うか此の儘で前の方へ押出して貰いてえ」
小姓「此の儘押出せと、尋常の人間より大きいから一人の手際にはいかん、貴方そら尻を押し給え」
權「さアもっと力を入れて押出すのだ」
殿「これ/\何を致す其様なことをせんでも宜しいよ、つか/\歩いてまいれ、成程立派じゃなア」
權「えゝ、まだ頭を上げる事はなんねえか」
殿「富彌、余り厳ましく云わんが宜い、窮屈にさせると却って話が出来ん、成程立派じゃなア、昔の勇士のようであるな」
權「へえー、なんですと」
殿「古の英雄加藤清正とも黒田長政とも云うべき人物じゃ、どうも顔が違うのう」
權「へえーどうも誠に違います」
富「誠に違いますなんて、自分の事を其様な事を云うもんじゃア有りませんよ」
殿「これ/\小声で然うぐず/\云わんが宜い」
權「衆人が然う云います、へえ嚊は誠に器量が美いって」
富「これ/\家内の事はお尋ねがないから云わんでも宜い」
權「だって話の序だから云いました」
富「話の序という事がありますか」
殿「其の方生国は何処じゃ、美作ではないという事を聞いたが、左様か」
權「何でごぜえます」
殿「生国」
權「はてな……何ですか、あの勝山在にいる医者の木村章國でがすか」
殿「左様ではない、生れは何処だと申すのじゃ」
權「生れは忍の行田でごぜえますが、少せえ時分に両親が死んだゞね、それから仕様がなくって親戚頼りも無えもんでがすが、懇意な者が引張ってくれべえと、引張られて美作国へ参りまして、十八年の長え間大くお世話さまでごぜえました」
富「これ/\お世話さまなんぞと云う事は有りませんよ」
權「だってお世話になったからよ」
殿「これ富彌控えて居れ、一々咎めるといかん、うん成程、武州の者で、長らく国許へ参って居ったか、其の方は余程力は勝れて居るそうじゃの」
權「私が力は何の位あるか自分でも分りませんよ、何なら相撲でも取りましょうか」
富「これ/\上と相撲を取るなんて」
權「だって、力が分らんと云うからさ」
殿「誠にうい奴だ、予が近くにいてくれ、予が側近くへ置け」
富「いえ、それは余り何で、此の通りの我雑ものを」
殿「苦しゅうない、誠に正直潔白で宜い、予が傍に居れ」
權「それは御免を願いてえもんで、私には出来ませんよ、へえ、此様な窮屈な思いをするのは御免だと初手から断ったら、白酒屋さんの、えゝ……」
殿「山川廣か」
權「あの人よ」
富「あの人よと云う事が有るかえ、上のお言葉に背く事は出来ませんよ」
權「背くたって居られませんよ」
富「居られんという事は有りません、御無礼至極じゃアないか」
權「御無礼至極だって居られませんよ」
殿「マ富彌控えて居れ、然う一々小言を申すな、面白い奴じゃ」
權「私ア素米搗で何も知んねえ人間で、剣術も知んねえし、学問もした事アねえから何うにも斯うにもお侍には成れねえ人間さ、力はえらく有りますが、何でも召抱えてえと御領主さまが云うのを、無理に断れば親や女房に難儀が掛るというから、そりゃア困るが、これ/\で宜くばと己がいうと、それで宜いから来いと云われ、それから参っただねお前さま…」
富彌ははら/\いたしまして、
富「お前さまということは有りませんよ、御前様と云いなさい」
權「なに御前と云うのだえ、飯だの御膳だのって何方でも宜いじゃアないか」
殿「これ富彌止めるな、宜しいよ、お前も御前も同じことじゃのう」
權「然うかね、其様な事は存じませんよ、それから私が此処の家来になっただね、して見るとお前様、私のためには大事なお人で、私は家来でござえますから、永らく居る内にはお互えに心安立てが出て来るだ」
富「これ/\心安立てという事がありますか」
權「するとお大名は誠に疳癪持だ」
富「これ/\」
殿「富彌又口を出すか、宜しい、控えよ、実に大名は疳癪持だ、疳癪がある、それから」
權「殿様に我儘が起れば、私にも疳癪が有りますから、主人に間違った事を云われると、ついそれから仲が悪くなります、時々逢うようにすれば、人は何となく懐かしいもので、あゝ会いたかった、宜く来たと互えに大騒ぎをやるが、毎日傍にいると、私が殿様の疳癪をうん/\と気に障らねえように聞いていると、私が胡麻摺になり、
諛になっていけねえ、此処にいる人に偶には些とぐれえ腹の立つ事があっても、主人だから仕方がねえと諦め、御前さまとか御飯とかいう事になって、実の所をいうと然ういう人は横着者だね」
殿「成程左様じゃ、至極左様じゃ、正道潔白な事じゃ、これ權六、以来予に悪いことが有ったら其の方諫言を致せ、是が君臣の道じゃ、宜しい、許すから居てくれ」
權「尊公がそれせえ御承知なら居ります」
殿「早速の承知で過分に思う、併し其の方は剣道も心得ず、文字も知らんで、予の側に居るのは、何を以て君臣の道を立て奉公を致す心得じゃ」
權「他に心得はねえが、夜夜中乱暴な奴が入るとなりませんから、私ゃア寝ずに御殿の周囲を内証で見廻っていますよ、もし狐でも出れば打殺そうと思ってます」
殿「うん、じゃが戦国の世になって戦争の起った時に、若し味方の者が追々敗走して敵兵が旗下まで切込んでまいり、敵兵が予に槍でも向けた時は何う致す」
權「然うさね、其処が大切だ」
殿「さ何う致して予を助ける」
權「そりゃア尊公どうも此処に一つ」
と權六は胸をたゝき、
「忠義という刄物が有るから、剣術は知らねえでも義という鎧を着ているから、敵が槍で尊公に突掛けて参れば、私ア掌で受けるだ、一本脇腹へ突込まして、敵を捻り倒して打殺してやるだ、其の内に尊公を助けて逃がすだけの仕事よ」
殿「うん成程、立派な事だ、併し然う甘く口でいう通りに行くかな」
權「屹度行ります、其処は主家来の情合だからね」
殿「うん面白い奴じゃ、然らば敵が若し斯様に致したら何うする」
とすっと立ち上って、欄間に掛けて有りました九尺柄の大身の槍を取って、スッ/\と二三度しごいて、
「斯様に突き掛けたら何う致す」
と真に突いて蒐った時に權六が、
權「然うすれば斯う致します」
と少しも動かずに、ジリ/\と殿様の前へ進むという正直律義の人でございます。
十
粂野紋之丞前次と仰しゃる方は、未だお部屋住では有りますが、勇気の優れた方で、活溌なり学問もあり、実に文武兼備と講釈師なら誉る立派な殿様でございますなれども、そこはお大名の疳癪で、甚く逆らって参ると、直に抜打に御家来の首がコロリなどゝいう事が有るもので、只今の華族さまは開けて在っしゃいますから、其様な野蛮な刄物三昧などはございませんが、前次様は御勇気のお方だけあって、九尺柄の大身の槍をすっと繰出した時に、權六は不意を打たれ、受くるものが有りませんから左の掌で、
權「むゝ」
と受けましたが剛い奴で、中指と無名指の間をすっと貫かれたが、其の掌で槍の柄を捕まえて、ぐッと全身の力で引きました。前次公は蹌めいて前へ膝を突く処を、權六が血だらけの手で捕え付け、
權「其の時は斯う捻り倒して敵を酷え目に遇わして、尊公を助けるより他はねえ、何うだ、敵も魂消るか」
と大力でグックと圧すから前次公も堪えかねまして、
殿「權六宥せ、宥せ」
と云うは余程苦しかったと見えます。これを見るとお側に居りました川添富彌、山田金吾も驚きましたが、御側小姓の外村惣江が次の間に至り、一刀を執って立上り、
惣「棄置かれん奴」
とバラ/\/\と二人来って權六へ組付こうとするを睨み付け、
權「寄付くと打殺すぞ」
惣「斬ってしまえ、無礼至極な奴だ、御前を何と心得る、如何に物を心得んとは申しながら、余りと申せば乱暴狼藉」
と立ちかゝるを、殿様は押されながら、
殿「いやなに惣江、手出しをする事は必ずならんぞ、權六放してくれ、あ痛い、放せ、予が悪かった、宥せ/\」
權「宥せと云って敵じゃア許せねえけれども、先ず仕方話だから許します、さ何うだね」
殿「ハッ/\」
と殿様は稍く起上りましたが、血だらけでございます。是は權六の血だらけの手で押付けられたから、顔から胸から血だらけで、これを見ると御家来が驚きまして、呆れて口が利けません。
殿「ハッ/\、至極道理だ」
權「道理だって、私が何も手出し仕たじゃアねえのに、押えるの斬るのと此処にいる人が云うなア分んねえ、咎も報いも無えものを殿様が手出しいして、槍で突殺すと云うだから、敵が然うしたら斯うだと仕方話いしてお目に掛けたゞ、敵なら捻り殺すだが、仕方話で、ちょっくら此の位なものさ」
殿「至極正道潔白な奴じゃ、勇気なものじゃ、何と申しても宜しい、予に悪い事があったら一々諫言をしてくれ、今日より意見番じゃ、予が側を放さんぞ」
と有難い御意で、それからいよ/\医者を呼び、疵の手当を致して遣わせと、殿様も急に血だらけですからお召替になる。大騒ぎでござります。御褒美として其の時の槍を戴きましたから、是ばかりでも槍一筋の侍で、五十石に取立てられ、頭取下役という事に成りましたが、更に
いを致しませんが、堅い気象ゆえ、毎夜人知れず刀を差し、棒を提げて密っと殿様のお居間の周囲を三度ずつ不寝に廻るという忠実なる事は、他の者に真似は出来ません立派な行いでございます。又お供の時は駕籠に附いてまいりません。
權「私ア突張ったものを着て、お駕籠の側へ付いてまいっても無駄でごぜえます、お側には剣術を知ってる立派なお役人が附いているだから、狼藉者がまいっても脇差を引抜いて防ぎましょうが、私ア其の警衛の方々に狼藉者が斬付けるとなんねえから、若し怪しい奴が来るといかねえから私ア他の人の振で先へめえりましょう、袴などア穿くのは廃して貰えましょう、刀は差せと云わば仕方がねえから差しますが、私だけはお駕籠の先へぶら/\往きます」
と我儘を云うてなりませんが、左様な我儘なお供はござりませんから、權六も袴を付け、大小を差し、紺足袋福草履でお前駆で見廻って歩きます、お中屋敷は小梅で、此処へお出でのおりも、未だお部屋住ゆえ大したお供ではございませんが、權六がお供をして上野の袴腰を通りかゝりました時に、明和三年正月も過ぎて二月になり、追々梅も咲きました頃ですから、人もちら/\出掛けます。只今權六が殿様のお供をして山下の浜田と申す料理屋(今の山城屋)の前を通りかゝり、山の方の観物小屋に引張る者が出て居りますが、其方へ顔も向けず四辺に気を附けてまいると、向うから来ました男は、年頃二十七八にて、かっきりと色の白い、眼のきょろ/\大きい、鼻梁の通った口元の締った、眉毛の濃い好い男で、無地の羽織を着し、一本短い刀を差し、紺足袋雪駄穿でチャラ/\やって参りました。不図出会うと中国もので、矢張素と松平越後様の好い役柄を勤めました松蔭大之進の忰、同苗大藏というもので、浪々中互いに知って居りますから、
權「大藏さん/\」
と呼びますから大藏は振向いて、
大「いや是れは誠に暫らく、一別已来[#「已来」は底本では「己来」]……」
權「うっかり会ったって知んねえ、むお変りがなくって……此処で逢おうとは思いませんだったが、何うして出て来たえ」
と立止って話をして居りますから、他の若侍が、
若「これ/\權六殿/\」
權「えゝ」
若「お供先だから、余り知る人に会ったって無闇に声などを掛けてはなりませんよ」
權「はい、だがね国者に逢って懐かしいからね、少し先へ往っておくんなせえ、直ぐに往くと殿様に然う申しておくんなせえ、まお前達者で宜い、何処にいるだ」
大「お前も達者で何処に居らるゝか、実に立派な事で、お抱えになったことは聞いたが、立派な姿で、此の上もない事で、拙者に於ても悦ばしい[#「悦ばしい」は底本では「悦しばい」]」
權「ま悦んでくんろ、今じゃア奉公大切に勤めているだが、お前さんは何処にいるだ」
大「拙者は根岸の日暮ヶ岡に居る、あの芋坂を下りた処に」
權「私の処へは近えから些と遊びに来なよ、其の内私も往くから」
若「これ/\其様なことを云っては成りません」
權「今日は大将がいるから此処で別れるとしよう、泣く子と地頭にゃア勝れねえ」
と他の家来衆も心配して彼是云いますので、其の日は別れ、翌日大藏は權六の家へまいりましたから、權六悦びました。此の大藏はもと越後守様の御家来で、遠山龜右衞門とは同じ屋敷にいた者ゆえ、母もお千代も見知りの事なれば、
「お互いに是は思い掛けない、縁と云うものは妙だ、国を出たのは昨年の秋で、貴方も国にお在のないという事は人の噂で聞きました」
大「お前も御無事で、殊に御夫婦仲も宜し、結構で」
權「まアね、お母も誠に安心したし、殿様も贔屓にしてくれるだが、扶持も沢山は要らない、親子三人喰うだけ有れば宜いてえに、其様な事を云わずに取って置くが宜いって、種々な物をくれるだ、貰わねえと悪いと云うから、仕方なしに貰うけれども、何でも山盛り呉れるだ、喰物などは切溜を持ってって脊負って来ねえばなんねえだ、誠にはア有難え事になって、勿体ねえが、他に恩返しの仕様がねえから、旦那様を大切に思って、不寝に奉公する心得だが、貴方は今の若さで遊んでいずに、何処かへ奉公でもしたら宜かろう」
大「拙者も然う思ってる、迚も国へ往ったっていけんから、何処ぞへ取付こうと思うが、御当家でお羽振の宜いお方は何というお方だね」
權「私ア其様な事は知んねえ、お国家老の福原數馬様、寺島兵庫様、お側御用神原五郎治様とかいう奴があるよ」
大「奴とは酷いね」
權「それに此間ちょっくら聞いたが、御当家には智仁勇の三人の家来があるとよ、渡邊織江さんという方は慈悲深い人だから是が仁で、秋月喜一郎かな是はえら剛い人で勇よ、えゝ何とか云いッけ……戸村主水とかいう人は智慧があると云いやした、此者が羽振の宜い処だ、其の人らの云う事は殿様も聴くだ、御家来に失策が有っても、渡邊さんや秋月さんが取做すと殿様も赦すだ、秋月さんは槍奉行を勤めているが、成程剛そうだ、身丈が高くってよ」
と手真似をして物語る内、大藏は掌の底に目を附けました。
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