四十六
時は八月十四日のことで、橋場の秋田屋の寮へ国家老の福原數馬という人を招きまして何ぞ隙があったらば……という松蔭が企み、濱名左傳次という者と諜し合せ、更けて遅く帰るようで有ったらば隙を覗って打果してしまうか、或は旨く此方へ引入れて、家老ぐるみ抱込んでしまうかと申す目論見でございます。大藏は悪才には長け弁も能し愛敬のある男で、秋田屋に頼んで十分の手当でございます。此の寮も大して広い家ではございませんが客席が十五畳、次が十畳になって、入側も附いて居り誠に立派な住居でございます。普請は木口を選んで贅沢なことで建てゝから五年も経ったろうという好い時代で、落着いて、なか/\席の工合も宜しく、床は九尺床でございまして、探幽の山水が懸り、唐物の籠に芙蓉に桔梗刈萱など秋草を十分に活けまして、床脇の棚等にも結構な飛び青磁の香炉がございまして、左右に古代蒔絵の料紙箱があります。飾り付けも立派でございまして、庭からずうと見渡すと、潮入りの泉水になって、模様を取って土橋が架り、紅白の萩其の他の秋草が盛りで、何とも云えん好い景色でございます。饗応を致しますに、丁度宜しい月の上りを見せるという趣向。深川へ申付けました芸者は、極頭だった処の福吉、おかね、小芳、雛吉、延吉、小玉、小さん、などという皆其の頃の有名の女計り、鳥羽屋五蝶に壽樂と申します幇間が二人、是れは一寸荻江節もやります。荻江喜三郎の弟子だというので、皆美々しく着飾って深川の芸者は只今の芸者と違いまして、長箱で入りましたもので、大概橋場あたりで言付ければ残らず船でまいりまして、着換えなど沢山着換えまして、髪は油気なし、潰しという島田に致しまして、丈長と新藁をかけまして、笄は長さ一尺で、厚み八分も有ったという、長い物を差して歩いたもので、狭い路地などは通れませんような恐ろしい長い笄で、夏絽を着ましても皆肌襦袢を着ませんで、深川の芸者ばかりは素肌へ着たのでございます。裾模様が付いて居ります、紅かけ花色、深川鼠、路考茶などが流行りまして、金緞子の帯を締め、若い芸者は縞繻子の間に緋鹿の子をたゝみ、畳み帯、挟み帯などと申して華やかなこしらえ、大勢並んで、次の間にお客様のおいでを待って居ります。秋田屋清左衞門の番頭も、其の頃大名の御家老などが来ると家の誉れ名聞だというので、庭の掃除などを厳しく言付けぐる/\見廻って居ります。そらおいでだと云ってお出迎いをいたし、
番「えゝ、いらっしゃいまし」
數「あゝ、これは成程どうも好い庭で、松蔭好い庭だの」
大「はい誠にその、当家の亭主が至って茶人で、それゆえ此の庭や何かは、更に作りませんで、自然の様を見せました、実に天然のような工合で」
數「うん余程好い庭である、むう、これは感心……岩越何うだえ」
岩「へえ、私は斯様な処へ参ったのは始めてゞごすな、国にいては迚も斯ういう処は見られませんな、うゝん、これはどうも」
數「お前は何だ」
大「えゝ、これなるは当家の番頭、伊平と申します不調法者で」
番「えゝ、今日は宜うこそ御尊来有難い事で、貴所方のお入来のございますのは実に主人も悦び居りまして、此の上ない冥加至極の儀で、土地の外聞で、私においても、誠に有難いことで」
數「いや其様なに、大層に云わんでも宜い、土地の外聞なんて、亭主は余程好事家のようだな」
番「えゝ鬼灯などは植えんように致してございます」
數「うふゝゝ鬼灯じゃアない、風流人と申すことじゃ」
番「でございますか、なにほうずは出来ます」
數「何を申す」
番「へい、船の上をずる/\何時までも曳いているような長いものをほうずと申しますそうで」
數「いや中々の博識じゃ、うふゝゝ面白い男だの、此の泉水は潮入かえ」
番「へえ何と…」
數「いやさ此の泉水は潮が入るかえ」
番「へえ、何と御意遊ばします」
數「潮入りかというのじゃ」
番「へえ/\只今差上げますあの誰かお盆へ塩を持って来て上げな、どうも御癇癖だから、お手をお洗い遊ばすのだろう、へえお塩を」
數「何を持って来るのだ、此の泉水は潮入かと申すのだ」
番「へえ、左様でございます」
大「何卒これへ入らっしゃいまし」
數「うん岩越、ひょろ/\歩くと危いぞ池へ落こちるといかん、あゝ妙だ、家根は惣体葺屋だな、とんと在体の光景だの」
大「外面から見ますと田舎家のようで、中は木口を選んで、なか/\好事に出来て居ります」
數「其の許は斯ういう事も中々委しい、私はとんと知らんが、石灯籠は余りなく、木の灯籠が多いの」
大「えゝ、これはその、野原のような景色を見せました心得でございましょうか」
數「あ成程、これは面白い/\……此処から上るのか、成程玄関の様子が面白く出来たの、入口かえ」
大「これからお上り遊ばしませ、お履物は私がしまい置きます」
數「これは好い席だ」
大「さゝ、是へどうぞ/\」
と松蔭が段々案内をいたし、座敷の床の前へ褥を出し、烟草盆や何か手当が十分届いて居ります。
大「どうぞ此処へお坐りを願います」
數「余り好い月だによって、縁先で見るのが至極宜しい、これは妙だ、此の辺は一体隅田川の流れで……あれに見ゆるのは橋場の渡しの向うかえ、如何にも閑地だから、斯ういう処は好いの、えゝ一寸秋田屋をこれへ」
大「えゝ御家老これが当家の主人秋田屋清左衞門と申します、年来お屋敷へお出入を致すもので、染々未だお目通りは致しませんが、日外あの五六年以前、大夫が御出府の折にお目通りを致した事がありますと申し、斯様な見苦しい処ではござるが、一度御尊来を願いたいと申して居ったので、当人も悉く今日は悦び居ります、どうかお言葉を」
數「はゝあ、秋田屋か」
清「へえ、えゝ今日は宜うこそ、御尊来で、誠に身に取りまして有難い事でございます、えゝ年来お屋敷さまへお出入をいたします不調法者で、此の後とも何分御贔屓お引廻しを願います」
數「あい、秋田屋か、成程、貴公は知らんが、貴公の親父の時分であったか、江戸詰の時種々世話になった事もあった、中々立派な好い家だ、至極面白い」
清「いえ、見苦しゅうございまして、此の通り粗木を以て拵えましたので、中々大夫さまなどがお入来と申すことは容易ならんことで、此の家に箔が付きます事ゆえ、誠に有難いことで」
數「いや/\、格別の手当で辱ない、あい/\、成程、これは中々立派な茶碗だな、余程道具好きだと見えるな」
大「はい、好い道具を沢山所持して居る様子でございます、今日は御家老のお入来だと、何か大切な品を取出した様子で、なに碌なものもございますまいがほんの有合で」
數「いや中々好い茶碗だ」
大「えゝ道具は麁末でござるが、主人が心入れで、自ら隅田川の水底の水を汲上げ、砂漉にかけ、水を柔かにして好い茶を入れましたそうで」
數「成程それは有難い、其処が親切というもので、茶はたとえ番茶でも水を柔かにして飲ませる積りで、自身に川中まで船で水を汲みに往く志というものは、千万金にも替えがたく好い茶を飲ませるより福原辱なく飲む」
大「えゝ恐入りました事で」
數「大藏、立派な菓子を取ったの」
大「いえ、どうも甚だ何もございませんで、此の辺は誠にどうも……市ヶ谷から此処へ出張りますことで、好い道具や何かは皆此方の蔵へ入れ置きますという事で」
數「成程、火事がないから道具の好いのを運んで置くか、それは宜かろう」
大「今日は何も御馳走は有りませんが、御家老へ此の向うから月の上ります景色を………これは御馳走でございます、求めず天然の楽みで、幸い今宵は満月の前夜で」
數「おゝ成程な、いやかけ違って染々挨拶もしなかったが、段々と上屋敷の事も下屋敷の事も、貴公が大分に骨を折って大きに殿様にも格別に思召し、新参でありながら、存外の昇進で、えらいものだ」
大「えへゝゝ、不束の大藏格別上のお思召しをもちまして、重きお役を仰付けられ、冥加至極の儀で、此の上とも何卒御家老のお引立を蒙りたく存じます」
數「其様なに出世をしては往く処があるまい、中々どうして男は好し、弁に愛敬を持ち、武芸も達しておるから自然と昇進をする質だ」
大「えゝ、恐入りました事で」
數「手前も壮年の折柄は一体虚弱だが、大きに老年に及んで丈夫になったが、どうも歯が悪くなって、旨い物を喰べても余り旨いとは思わん、楽しみと云っても別になし、国に居れば田舎侍だから美食美服は出来んばかりでは無い、一体若い時分からそういう事は嫌いじゃ、斯ういう清々とした処を見るが何よりの楽しみじゃの」
大藏は座を進ませまして、
大「えゝどうも今日は何もお慰みもなく、お叱りを受けるかは存じませんが、亭主が深川の芸者を呼び置きましたと申すことで、一寸お酌を取りましても、武骨な松蔭や秋田屋がお酌をいたしましては、池田伊丹の銘酒も地酒程にも飲めんようなことで、甚だ御無礼ではございますが、お目通りへ其の深川の芸者どもを呼寄せることに致します」
數「おゝ成程その噂は聞いている、深川には大分美人も居り、芸の好いものも居るという事だが、それは宜いの、手前は芸者に逢った事はない、武骨者で殊に岩越という男が是非一緒に往きたい、何でも連れてってくれ、未だ碌に御府内を見たことが無いというから同道して来たが、起倒流の奥儀を究めあるだけあって、膂力が強いばかりで、頓と風流気のない武骨者じゃ」
岩越「えゝ拙者は岩越賢藏と申す至って武骨者で此の後ともお見知り置かれて御別懇に」
大「今日は図らず御面会を致しました、手前は松蔭大藏で……好い折柄、此の後とも御別懇に……御家老此れは濱名左傳次と申す者で、小役人でございましたが、図らず以上に仰付けられ、今日は何うかお目通りを致しまして、何かのお話を承われば身の修行だと申して居ります、武骨ではござるが洒落た口もきゝ、皺枯っ声で歌を唄い、面白い男ゆえお目をお掛け遊ばして、何分お引立を」
數「はい/\、中々様子の好い男、なれども近い処だと宜いがの、上屋敷までは遠いから、どうか些と早く帰りたいがの」
大「いえ、今晩は小梅のお中屋敷へ御一泊遊ばしては如何、寺家田の座敷が手広でござる、彼へ御一泊遊ばしますように、是から虎の門までお帰りになっては余り遅うなりますから」
數「それは宜かろう」
大「じゃア早く/\」
と是からお吸物に結構な膳椀で、古赤絵の向付けに掻鯛のいりざけのようなものが出ました。続いて口取焼肴が出る。数々料理が並ぶ。引続いて出て来ましたのは深川の別嬪でございます。
大「さ、これへ」
芸「今日は」
數「いや/\大勢呼んだの」
大「さ、これへ来てお酌を、大夫様から」
芸「へえ、大夫様お酌をいたしましょう」
數「いや成程これは綺麗、あい/\、成程松蔭年を老っても酌はたぼと云って幾歳になっても婦人は見て悪くないもんだの、むゝう、中々どうも……何てえ名だなに、小玉か成程、どんずり奴の男がいる、あれは何だ」
幇間「えゝ手前は鳥羽屋五蝶と申します幇間で」
數「ほゝう、なに太鼓を叩くか」
五「いえ、只口で叩きます」
數「口で太鼓を…唇でかえ」
五「いえ、なに、太鼓持で、えへゝゝ」
數「うん成程、口軽なことをいう、幇間か、成程聞いていた、中々面白い頭だの」
五「へゝゝ、どうも未だどんずり奴でございます」
數「太皷持の頭は、皆此様なかえ」
五「皆お揃いと云う訳ではございませんが、自然と毛が薄くなりましたので」
數「いや形が変って妙だ、幇間は口軽だというが、何か面白いことを云いなさい」
五「これは恐入りましたな、御家老さま、改まってこれを云えと仰せあられますと困りますが……喜三郎こゝへ出なよ、金公や此処へ出なよ」
喜「口軽なんぞ迚もお目通りは出来ないというのは何うだ」
五「何だえ、それは」
喜「足軽という洒落だ」
五「縁が遠いの、口軽と足軽では」
數「私は酒が頓といかん、岩越一盃やれ」
岩「私は斯ういう形のものは始めて見ました、余程違って居ります、云うことも中々面白いようで」
五「これから追々繰出します」
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