四十三
お縫は迎いを受けて、衣服が売れて幾許かの口銭になることゝ悦んで、お定と一緒にまいりました。
定「旦那さま、あのお縫どんを連れてまいりました」
富「おゝ直に連れて来たか、此方へ通せ」
縫「旦那様御機嫌宜しゅう」
富「其処では話が出来ん、此方へ這入れ構わずずうっと這入れ」
縫「はい……毎度御贔屓さまを有難う……毎度御新造様には種々頂戴物を致しまして有難う存じます」
富「毎度面倒な事を頼んで、大分裁縫が巧いと云うので、大きに妻も悦んでいる、就ては忙しい中を態々呼んだのは他の事じゃアないが、此の払物の事だ」
縫「はい/\、誠に只お安うございまして、古着屋などからお取り遊ばすのと違って、出所も知れて居りますから上げました、途々もお定どんに伺いましたが、大層御意に入って、黄八丈は旦那様がお召に遊ばすと伺いましたが、少しお端手かも知れませんが、誠に宜いお色気でございます」
富「それじゃア話が出来んから此方へ這入れ」
縫「御免遊ばして……恐入ります」
富「茶を遣れよ」
縫「恐入ります……これは大層大きなお菓子でございますねえ」
富「それは上からの下されたので」
縫「へえ中々下々では斯ういう結構なお菓子を見る事は出来ません、頂戴致します、有難う存じます」
富「あゝ此の二枚の着物は何処から出たんだえ」
縫「そりゃアあの何でございます、私が極心安い人でございまして、その少し都合が悪いので払いたいと申して、はい私の極心安い人なのでございます」
富「何ういう事で払うのだ」
縫「はい、その何でございます、誠に只もう出所が分って居りまして、古着屋などからお取り遊ばしますと、それは分りません事で、もしやそれが何でございますね、ま随分お寺へ掛無垢や何かに成ってまいったのが、知らばっくれて払いに出ます事が幾許もございます、左様な不祥な品と違いまして、出所も分って居りますから何かと存じまして」
富「それは分っているが、何ういう訳で払いに出たのだえ」
縫「まことに困ります、急にその災難で」
富「むゝう災難……何ういう災難で」
縫「いえ、その別に災難と申す訳もございませんけれども、急に嫁にまいるつもりで拵えました縁が破談になりまして、不用になった物で」
富「はゝア、これは何と申す婦人のだえ、何屋の娘か知らんけれども、何と申す人の着物だえ」
縫「そりゃアその何でございます、私のような名でございますね」
富「手前のような……矢張縫という名かえ」
縫「いゝえ、縫という名じゃアございませんが、その心安くいたす間柄の者で」
富「心安い何という名だえ」
縫「それはどうも誠に何でございますね、その人は名を種々に取換る人なんで、最初はきんと申して、それから芳となりましたり、またお梅となったり何か致しました」
富「むゝう、今の名は何という」
縫「芳と申します」
富「隠しちゃアいかんぜ、少し此方にも調べる事があるから、お前を呼んだのじゃ、此の着物を着た女の名は菊といやアせんか」
縫「はい」
富「左様だろうな」
お縫揉手をしながら、
縫「菊という名に一寸なった事もあります」
富「一寸成ったとは可笑しい隠しちゃアいかん、その菊という者は此方にも少し心当りがあるが、親の家は何処だえ」
縫「はい」
富「隠しちゃアならん、お前に迷惑は掛けん、これは買入れるに相違ない、今代金を遣るが、菊という者なればそれで宜しいのだ、菊の親元は何処だえ」
縫「はい、誠にどうも恐入ります」
富「何も恐入る事はない、頼まれたのだから仔細はなかろう」
縫「親元は本郷春木町三丁目でございます、指物屋の岩吉と申します、其の娘の菊ですが、その菊が死去りましたんで」
富「うん、菊は同家中に奉公していたが、少々仔細有って自害致した」
縫「でございますけれども、これはその自害した時に着ていた着物ではございません」
富「いや/\自害した女の衣類だから不縁起だというのではない、買っても宜い」
縫「有難う存じます、その親も死去りました、其の跡は職人が続いて法事をいたして、石塔や何かを建てたいという心掛なので」
富「左様か、それで宜しい、もう帰れ/\……おゝ馳走をすると申したっけ、欺しちゃアならん、私は直に上るから」
と川添富彌は急に支度をして御殿へ出ることになりました。御殿ではお夜詰の方々が次第/\にお疲れでございます。お医者は野村覺江、藤村養庵という二人が控えて居ります。お夜詰には佐藤平馬、外村惣衞と申してお少さい時分からお附き申した御家来中田千股、老女の喜瀬川、お小姓繁などが交々お薬を上る、なれどもどっとお悪いのではない、床の上に坐っておいでゞ、庭の景色を御覧遊ばしたり、千股がお枕元で軍書を読んだり、するをお聞きなさる。お熱の工合でお悪くなると、ころりと横になる。甚く寒い、もそっと掛けろよと御意があると、綿の厚い夜着を余計に掛けなければなりません。お大名様方は釣夜具だとか申しますが、それほど奢った訳ではない。お附の者も皆心配して居られます。いまだお年若で、今年二十四五という癇癖ざかりでございます。老女喜瀬川が出まして、
喜「上……上」
紋「うむ」
喜「お上屋敷からお使者がまいりました」
紋「うむ、誰が来た」
喜「上のお使いに神原五郎治がまいりまして、御病気伺いに出ました、お目通りを仰付けられたいと申します、御面倒でございましょうが、お使者ではお会いが無ければなりますまい、如何致しましょうか」
紋「うむ、神原五郎治か……彼は嫌いな奴じゃが、此処へ通せ」
喜「畏りましてございます……若殿がお会いが有りますから、これへ直に」
と中田千股という人が取次ぎますと、結構な蒔絵のお台の上へ、錦手の結構な蓋物へ水飴を入れたのを、すうっと持って参り、
喜「お上屋敷からのお遣い物で」
とお枕元に置く。お次の隔を開けて両手を支え、
五「はア」
と慇懃に辞儀をする。
五「神原五郎治で、長の御不快蔭ながら心配致して居りました、また上に置かせられてもお聞き及びの通り御病中ゆえ、碌々お訪ね申さんが、予の病気より梅の御殿の方が案じられると折々仰せられます、今日は御病気伺いとして御名代に罷り出ました、是れは水飴でございますが、夜分になりますとお咳が出ますとのこと、其の咳を防ぎますのは水飴が宜しいとのことで、これは極製の水飴で、これを召上れば宜くお眠られます、上が殊の外御心配なされ、お心を入れさせられし御品、早々召上られますように」
紋「うむ五郎治、あゝ予の病気は大した事はない、未だ壮年の身で、少し位の病魔に負けるような事はない、快い時は縁側ぐらいは歩くが、只お案じ申上げるのはお兄様の御病気ばかり、誠に案じられる、お歳といい、此の程はお悪いようじゃが、何うじゃな」
五「はア一昨日は余程お悪いようでございましたが、昨日よりいたして段々御快気に赴き、今朝などはお粥を三椀程召上りました、其の上お力になる魚類を召上りましたが、彼の分では遠からず御全快と心得ます」
紋「うむ悦ばしい、予が夜分咳の出るは余程せつないがの、其のせつない中にもお兄様をお案じ申上げて、予の病気は兎も角、どうか早くお兄上様の御病気御全快を蔭ながら祈り居ると申せ」
五「はア、はア、そのお言葉を上がお聞きでござったら、嘸お悦びでございましょう、御病苦を忘れ、只お上のことのみ思召さるゝというのは、あゝ誠にお使者に参じました五郎治倶に辱のう心得ます、只今の御一言早々帰りまして、上へ申上げるでございましょう、実に斯様な事を承わりますのは、誠に悦ばしい事で」
紋之丞殿は急に気色を変え、声を暴らげ、
紋「五郎治、申さんでも宜しい、お兄様に左様な事を申さんでも宜しい、弟が兄を思うは当前の事じゃ、お兄様も亦予を思うて下さるのは何も珍らしい事はない、改めて左様申すには及ばん、然るを事珍らしく左様の事を申伝えずとも、よも斯様の事は御存じで有ろう、左様に媚
った事を云うな」
五「はア……誠にどうも」
老女「左様なお高声を遊ばすと却って御病気に障ります、左様な心得で五郎治が申した訳ではありません」
紋「一体斯様な事をいう手前などはな主人を常思わんからだ、主人を思わん奴が偶々胸に主人の為になる事を浮ぶと、あゝ忠義な者じゃと自ら誇る、家来が主人を思うは当然の事だ、常思わんから偶に主人を思う事があると、私は忠義だなどと自慢を致す、不忠者の心と引較べて左様に申す、白痴者め、早々帰れ」
と以ての外不首尾でございますから、
五「ホヽ」
と五郎治[#「五郎治」は底本では「五郎次」]は手持不沙汰で、
五「今日は上の御名代として罷出ましたが、性来愚昧でございまして、申上げる事も遂にお気に障り、お腹立に相成ったるかは存じませんが、偏に御容赦の程を願います」
紋「退れ」
五「はっ」
老「五郎治殿御病気とは申しながら誠に御癇癖が強く、時々斯ういうお高声があります事で、悪しからず……あなた、左様なことを御意遊ばすな、それがお悪い、お高声を遊ばすとお動悸が出まして、却って、お悪いとお医者が申しました」
紋「うむ、今日はお兄上様からお心入の物を下され、それを持参いたしたお使者で、平生の五郎治では無かった、誠に使者太儀」
ごろりと直に横っ倒しになり、掻巻を鼻の辺まで揺り上げてしまう。仕方が無いから五郎治はそろり/\と跡へ退る。一同気の毒に思い、一座白け渡りました。
千「神原氏、余程の御癇癖お気に支えられん様に、我々はお少さい時分からお附き申していてさえ、時々お鉄扇で打たれる様な事がある、御病中は誠に心配で、腫物に障るような思いで、此の事は何卒上へ仰せられんように」
五「宜しゅうございます」
老「五郎治殿、誠に今日は遠々の処御苦労に存じます、只今の事は上へ仰せ上げられんように、何もござりませんが一献差上げる支度になって居りますから、あの紅葉の間へ」
と言われて五郎治は是を機会に其の座を退きました。暫く経つと紋之丞様がばと起上って、
紋「惣衞/\」
惣衞「はア」
紋「惣衞、何は帰ったか五郎治は」
惣「えゝ慥かお次に扣え居りましょう、上のお使でございますから、紅葉の方へ案内致しまして、一献出しますように膳の支度をいたして居ります」
紋「じゃが何じゃの、何故お兄様は彼な奴を愛して側近く置くかの、彼はいかん奴じゃ」
惣「左様な事を今日は御意遊ばしません方が宜しゅうございます」
紋「云っても宜しい、彼は
い武士じゃ、佞言甘くして蜜の如しで、神原或は寺島等をお愛しなさるのは、勧める者が有るからじゃの、惣衞」
惣「御意にござります」
紋「心配じゃ」
惣「御病中何かと御心配なされては相成りません、程無うお国表から福原數馬も出仕致しますから」
紋「あゝ數馬が来たら何うか成るか、あゝ逆上せて来た、折角お兄様から下すった水飴、甜めて見ようか」
惣「召上りませ、お湯を是へ」
是から蓋が附いて高台に載せてお湯が出ました。側に在ります銀の匙を執って水飴を掬おうとしたが、旨くいきません。
紋「これは思うようにいかんの」
惣「極製の水飴ゆえ金属ではお取り悪うございます、矢張木を裂いた箸が宜しいそうで」
紋「然うかの、箸を持て」
と箸を二本纒めて漸々沢山捲き上げ、老女が頻りに世話をいたして、
老「さア/\お口を」
紋「うむ」
と今箸を取りにかゝる処へ駈込んで来たのは川添富彌、物をも云わず紋之丞様が持っていた箸を引奪って、突然庭へ棄てた時には老女も驚き、殿様も肝を潰しました。
四十四
紋「何じゃ/\」
富「ハッ富彌で」
紋[#「紋」は底本では「富」]「白痴……何をいたす」
富「ハア」
と胸を撫下し、
富「誠に幸いな処へ駈付けました、どうか水飴を召上る事はお止りを願います、決して召上る事は相成ません」
老「はアどうも私は恟りしました、これは何という事です、御無礼至極ではござりませんか、殊に只今お上屋敷からお見舞として下されになった水飴、お咳が出るから召上ろうとする所を、奪ってお庭へ棄てるとは何事です」
富「いえ、これは棄てます」
紋「富彌、此の水飴はお兄様がな咳が出るからと云って養いに遣わされた水飴を、何故其の方は庭へ棄てた」
富「いえ仮令お上屋敷から参りましても、天子将軍から参りましても此の水飴は富彌屹度棄てます」
紋「何うか致したな此奴は……これ其の方は予が口へ入れようとした水飴を庭へ棄てた上からは、取りも直さず予とお兄様を庭へ投出したも同様であるぞ、品物は構わんが、折角お心入れの品を投げ棄てたからは主人を投げたも同じ事じゃ」
富「へえ重々恐入ります、其の段は誠に恐入りましたが、水飴を召上る事は決して相成りません」
紋「何故ならん」
富「何でも相成りません」
紋「余程此奴は何うかいたして居る、無礼至極の奴じゃ」
富「御無礼は承知して居ります、甚だ相済みません事と存じながら、お毒でござるによって上げられません」
紋「何故毒になる、若し毒になるなら、水飴を上げても咳の助けには相成らん、却って悪いから止せと何故止めん」
富「左様な事を口でぐず/\申している内には召上ってしまいます、召上っては大変と存じまして、お庭へ投棄てました」
紋「余程変じゃ…」
富「先ま外村氏安心致しました」
外「安心じゃアない、粗忽千万な事じゃないか、手前は只驚いて何とも申上げ様がない、お上屋敷から下すったものを無闇にお庭へ投棄てるというは何ういう心得違いで」
紋「外村彼是云うな、此奴は君臣の道を弁えんからの事じゃ、予を嘲弄致すな、年若の主人と侮り何の様な事を致しても宜しいと存じておるか、幼年の時から予の側近く居るによって、いまだに予を子供のように思って馬鹿に致すな」
富「いえ、中々もちまして」
紋「いや容赦は出来ん、棄置かれん、今日の挙動は容易ならんことじゃ」
富「お棄置きに成らんければお手打になさいますか」
紋「尤も左様」
富「私も素より覚悟の上、お手打になりましょう」
外「これ/\何だ、何を馬鹿を申す、少々逆上て居る様子、只今御酒を戴きましたので、惣衞彼に成代ってお詫をいたします、富彌儀太く逆上をして居る様子で」
富「いゝえ私はお手打に成ります」
紋「おゝ手打にしてやる是へ出え」
富「いゝえお止めなすっても私は出る」
と大変騒々しくなって来た処へ、這入って来ましたのは秋月喜一郎という御重役で、お茶台の上へ水飴を載せてスーと這入って来ながら此の体を見て。
喜「何を遊ばすの、御病中お高声はお宜しく有りません、富彌如き者をお相手に遊ばしてお論じ遊ばすのはお宜しくない、富彌も控えよ」
富「へえ/\」
と云ったが心の中で、此の秋月は忠義な者と思ったから。
富「何分宜しく、併し水飴はお止め申します」
紋「えゝ喜一郎、今日は富彌の罪は免さんぞ、幼年の折から側近くいて世話致しくれたとは申しながら、余りと云えば予を嘲弄いたす、予を蔑にする富彌、免し難い、斬るぞ」
喜「これは又大した御立腹、全体何ういう事で」
紋「予が咳を治さんとて、上屋敷から遣わされたお心入れの別製の水飴を甜めようとする処へ、此奴が駈込んで参り突然予が持っていた箸を引奪って庭へ棄てた、これ取も直さず兄上を庭へ投げたも同じ事じゃから免さん、それへ直れ、怪しからん奴じゃ」
喜「これは怪しからん、富彌、何ういう心得だ、上から下された水飴というものは一通りならんと、梅の御殿様の思召すところは御情合で、態々仰附けられた水飴を何で左様な事をいたした」
富「お毒でございますから、お口に入らん内にと口でお止め申す間合がございませんから、無沙汰にお庭へ棄てました」
喜「それは又何ういう訳で」
富「何ういう訳と申して、只今申上げる訳にはまいりませんが、至ってお毒で」
喜「ムヽウ、是は初めて聞く水飴は周の世の末に始めて製したるを取って柳下惠がこれを見て好い物が出来た、歯のない老人や乳のない子供に甜めさせるには妙である、誠に結構なものが出来た、後の世の仕合であると申したという、お咳などには大妙薬である、斯る結構な物を毒とは何ういう理由だ尤も其の時に盜跖という大盗賊が手下に話すに、是れは好いものが出来た、戸の枢に塗る時は音がせずに開く、盗みに忍び入るには妙である至極宜い物であると申したそうだ、同じ水飴でも見る人によっては然う違う、拙者もお見舞いに差上る積りで態々白山前の飴屋源兵衞方から持参いたした此の水飴」
富「これは怪しからん秋月の御老人に限って其様なことは無いと存じていたが、是は怪しからん、あなたは何うかなすったな」
喜「其の方こそ何うかして居る、お咳のお助けになり、お養いになる水飴を」
富「ス……はてな」
と心の中で川添富彌が忠義無二の秋月と思いの外、上屋敷の家老寺島或は神原五郎治と与して、水飴を上へ勧めるかと思いましたから、顔色を変えてジリヽと膝を前へ進め。
富「相成りません」
紋「白痴……喜一郎あのような事を申す、余程訝しい変になった」
喜「余程変に相成りましたな」
富「御老臣が献ずる水飴でも決して相成りません、私はお手打に成ります、上のお手打は元より覚悟、お手打になっても聊か厭いはございませんが、水飴は毒なるものと思召しまして此の後も召上らんように願います、仮令喜一郎が持って参りましょうとも、水飴を召上る事は相成りません」
紋「何じゃ何の事じゃ、白痴め」
喜「拙者が持って参った水飴が毒じゃと申すのか、ムヽウ……それじゃア斯う致そう、拙者がお毒味を致そう。上お匙を拝借致します」
と入物の蓋を取り除けて水飴を取りにかゝるから、川添富彌がはてなと見て居ります。秋月は富彌の顔を見ながら、水飴を箸の端へ段々と巻揚げるのを膝へ手を置いて御舎弟紋之丞殿が見詰めて居りましたが、口の処へ持って来るから。
紋「喜一郎、毒味には及ばん」
喜「はっ」
紋「もう宜しい、予は水飴は嫌いになった、毒味には及ばん、水飴は取棄てえ」
喜「はッ」
紋「喜一郎が勧めるのも忠義、富彌が止むるも忠義、二人して予を思うてくれる志辱なく思うぞ」
喜「ほう」
富「ほう」
御懇の御意で喜一郎富彌は落涙致しました。
喜「富彌有難く御挨拶を申せ……有難うございます」
富「あゝ有難うございまする」
と涙を払い
富「無礼至極の富彌、お手打になっても苦しからん処、格別のお言葉を頂戴いたし、富彌死んでも聊か悔む所はございません」
紋「いや喜一郎と富彌の両人へ何か馳走をして遣れ、喜瀬川は料理の支度を」
老女「はい」
と鶴の一声で、忽ち結構なお料理が出ました。水飴を棄ると、お手飼の梅鉢という犬が来てぺろ/\皆甜めてしまいました。それなりに夜に入りますとお庭先が寂と致しました。尤も御案内の通り谷中三崎村の辺は淋しい処で、裏手はこう/\とした森でございます。所へ頭巾目深に大小を無地の羽織の下に落差しにして忍んで来る一人の侍、裏手の外庭の林の前へまいると、グックと云うものがある。はて何だろうと暗いから、透して見ると、お手飼の白班の犬が悶いて居ります。怪しの侍が暫く視て居る。最前から森下の植込みの蔭に腕を組んで様子を窺うて居るのは彼の遠山權六で、曩に松蔭の家来有助を取って押えたが、松蔭がお羽振が宜いので、事を問糺さず、無闇に人を引括り、上へ手数を掛け、何も弁えん奴だと權六は遠慮を申付けられました、遠慮というのは禁錮の事ですが、權六些とも[#「些とも」は「些とも」「些とも」などの誤記か]遠慮をしません、相変らず夜々のそ/\出てお庭を見巡って居りますので、今權六が屈んで見て居りますと、犬がグック/\と苦しみ、ウーンワン/\と忌な声で吠える、暫く悶いて居りましたが、ガバ/\/\と泡のような物を吐いて土をむしり木の根方へ頭をこすり附けて横っ倒しに斃れるのを見て、怪しの侍が抜打にすうと犬の首を斬落して、懐から紙を取出し、すっかり血を拭い、鍔鳴をさせて鞘に収め、血の附いた紙を藪蔭へ投込んで、すうと行きに掛るから權六は怪しんですうッと立上り、
權「いやア」
と突然に彼の侍の後から組附いた時には、身体も痺れ息も止るようですから、侍は驚きまして、
曲者「放せ」
權「いや放さねえ、怪しい奴だ、何者だ、何故犬う斬った、さ何者だか名前を云え」
曲「手前たちに名前を申すような者じゃアねえ、其処放せ」
權「放さねえ、さ役所へ行け」
曲「役所へ行くような者じゃア無え」
權「黙れ、頭巾を深く被りやアがって、大小を差して怪しい奴だ、此のまア御寝所近え奥庭へ這入りやアがって、殊に大切な犬を斬ってしまやアがって、さ汝何故犬を斬った」
曲「何故斬った、此の犬は己に咬付いたから、ムヽ咬付かれちゃアならんから斬ったが何うした」
權「黙れ、己ア見ていたぞ、咬付きもしねえ犬を斬るには何か理由があるだろう、云わなければ汝絞殺すが何うだ」
曲「ムヽせつないから放せ」
權「放せたって容易にア放さねえ、さ歩べ、え行かねえか」
と大力無双の權六に捉えられたのでございますから身動きが出来ません。引摺られるようにしてお役所へ参り、早々届けに成りました事ゆえ、此の者を縛し上げまして、其の夜罪人を入れ置く処へ入れて置き、翌日お調べというのでお役所へ呼出しになりました時には、信樂豐前というお方がお目付役を仰付けられて、掛りになりました。此の信樂という人は左したる宜い身分でもないが、理非明白な人でありますから、お目付になって、内々叛謀人取調べの掛りを仰付けられました。差添は別府新八で、曲者は森山勘八と申す者で、神原五郎治の家来であります。呼出しになりました時に、五郎治の弟四郎治が罷り出ます事になりお縁側の処へ薄縁を敷き、其の上に遠山權六が坐って居ります。お目付は正面に居られます。また砂利の上に莚を敷きまして、其の上に高手小手に縛されて森山勘八が居りますお目付が席を進みて。
目付「神原五郎治代弟四郎治、遠山權六役目の儀ゆえ言葉を改めますが、左様に心得ませえ」
四「はっ」
權「ほう」
目付「權六其の方昨夜外庭見廻りの折、内庭の檜木山の蔭へまいる折柄、面部を包みし怪しき侍体のものが、内庭から忍び出で、お手飼の梅鉢を一刀に斬りたるゆえ、怪しい者と心得て組付き、引立て来たと申す事じゃがそれに相違ないか」
權「はい、それに相違ございません、どうも眼ばかり出して、長え物を突差しまして、あの檜木山の間から出て来た……、怪しい奴と思えやして見ているうち、犬を斬りましたから、何でも怪しいと思えやしたから、ふん捕めえました」
目付「うん……神原五郎治家来勘八、頭を上げえ」
勘「へえ」
目「何才になる」
勘「三十三でございます」
目「其の方陪臣の身の上でありながら、何故に御寝所近い内庭へ忍び込み、殊には面部を包み、刄物を提げ、忍び込みしは何故の事じゃ、又お手飼の犬を斬ったと申すは如何なる次第じゃ、さ有体に申せ」
と睨めつけました。
四十五
勘八は図太い奴でございますから、態と落著振いまして、
勘「へえ、誠に恐入りましてございます。お庭内へ参りましたのは、此の頃は若殿様御病気でございまして、皆さんが御看病なすっていらっしゃるので、どうもお内庭はお手薄でございましょうから、夜々見廻った方が宜いと主人から言いつかりました、それにお手飼の犬とは存じませんで、檜木山の脇へ私が参りましたら、此の節の陽気で病付いたと見えまして、私に咬付きそうにしましたから、咬付かれちゃア大変だと一生懸命で思わず知らず刀を抜いて斬りましたが、お手飼の犬だそうで、誠にどうも心得んで、とんだ事を致しました、へえ重々恐入りましてございます」
目「そりゃアお手飼の犬と知らず、他の飼犬にも致せ、其の方陪臣の身を以て夜中大小を帯し、御寝所近い処へ忍び入ったるは怪しい事であるぞ、さ何者にか其の方頼まれたので有ろう、白状いたせ、拙者屹度調るぞ」
勘「へえ、何も怪しくも何ともないんでございます、全く気を付けて時々お庭を廻れと云われましたんでございます、それゆえ致しました、此処においでなさいます主人の御舎弟四郎治様も爾う仰しゃったのでございます」
目「うむ、四郎治其の方は此の者に申付けたとの申立じゃが、全く左様か」
四「えゝ、お目付へ申上げます、実は兄五郎治は此の程お上屋敷のお夜詰に参って居ります、と申すは、大殿様御病気について、兄も心配いたしまして、えゝ、番でない時も折々は御病気伺いに罷り出で又御舎弟様も御病気に就きお夜詰の衆、又御看護のお方々もお疲れでありましょう、又疲れて何事も怠り勝の処へ付入って、狼藉者が忍入るような事もあれば一大事じゃから、其の方己がお上屋敷へまいって居る中は、折々お内庭を見廻れ、御寝所近い処も見廻るようにと兄より私が言付かって居ります、然る処昨日御家老より致しまして、火急のお呼出しで寅の門のお上屋敷へ罷出ましたが、私は予々兄より言付かって居りますから、是なる勘八に、其の方代ってお庭内を廻るが宜いと申付けたに相違ござらん、然るに彼がお手飼の犬とも心得んで、吠えられたに驚き、梅鉢を手打にいたしました段は全く彼何も弁えん者ゆえ、斯様な事に相成ったので、兄五郎治に於ても迷惑いたします事でござる、併し何も心得ん下人の事と思召しまして、幾重にも私が成代ってお詫を申上げます、御高免の程を願いとうござる、全く知らん事で」
目「むう、そりゃ其の方兄五郎治から言付けられて、其の方が見廻るべき所を其の方がお上屋敷へまいって居る間、此の勘八に申付けたと申すのか、それは些と心得んことじゃアないか、うん、これ申付けても外庭を見廻らせるか、又はお馬場口を見廻るが当然、陪臣の身分で御寝所近い奥庭まで夜廻りに這入れと申付けたるは、些と訝しいようだ、左様な事ぐらいは弁えのない其の方でもあるまい、殊に又帯刀をさせ面部を包ませたるは何う云う次第か」
四「それは夜陰の儀でござるで、誠にお馬場口や何か淋しくてならんから、彼に見廻りを申付ける折に、大小を拝借致したいと申すから、それでは己の積で廻るが宜いと申付けましたので、大小を差しましたる儀で、併し頭巾を被りましたことは頓と心得ません……これ勘八、手前は何故目深い頭巾で面部を包んだ、それは何ういう仔細か、顔を見せん積りか」
勘「えゝ誠にどうも夜になりますと寒うございますんで、それゆえ頭巾を被りましたんで」
目「なに寒い……当月は八月である、未だ残暑も失せず、夜陰といえども蒸れて熱い事があるのに、手前は頭巾を被りたるは余程寒がりと見ゆるな」
勘「へえ、どうも夜は寒うございますので」
目「寒くば寒いにもせよ、一体何ういう心得で其の方が御寝所近くへ這入った、仔細があろう、如何様に陳じても遁れん処であるぞ、兎や角陳ずると厳しい処の責めに遇わんければならんぞ、よく考えて、迚も免れん道と心得て有体に申せ」
勘「有体たって、私は何も別に他から頼まれた訳はございませんで、へえ」
目「中々此奴しぶとい奴だ、此の者を打ちませえ」
四「いや暫く……四郎治申し上げます、暫くどうぞ、彼は陪臣でござって、お内庭へ這入りました段は重々相済まん事なれども、五郎治から私が言付けられますれば、即ち私が、兄五郎治の代を勤むべき処、御用あって御家老からお呼出しに相成りましたから、止むを得ず家来勘八に申付けましたので、取も直さず勘八は兄五郎治の代でござる、何も強いて之を陪臣と仰せられては誠に夜廻りをいたし、上を守ります所の甲斐もない事でございます、勘八のみお咎が有りましては偏頗のお調べかと心得ます」
目「それは何ういう事か」
四「えゝ是れなる遠山權六は、当春中松蔭大藏の家来有助と申す者を取押えましたが、有助は何分にも怪しい事がないのを取押えられ堪り兼て逃所を失い、慌てゝ權六に斬付けたるを怪しいという処から、お調べが段々長く相成って、再度松蔭大藏もお役所へ罷出ました。其の折は御用多端の事で、御用の間を欠き、不取調べをいたし、左様な者を引いてまいり、上役人の迷惑に相成る事を仕出かし、御用の間を欠き、不届の至りと有って、權六は百日の遠慮を申付かりました、未だ其の遠慮中の身をも顧みず、夜な/\お屋敷内を廻りまして宜しい儀でござるか、權六に何のお咎めもなく、私の兄へお咎めのあると云うのは、更に其の意を得んことゝ心得ます、何ういう次第で遠慮の者が妄りに外出をいたして宜しいか、其の儀のお咎めも無くって宜しい儀でござるなれば、陪臣の勘八がお庭内を廻りましたのもお咎めはあるまいかと存じます」
目「うむ…權六其の方は百日遠慮を仰付けられていると、只今四郎治の申す所である、何故に其の方は遠慮中妄りにお庭内へ出た」
權「えゝ」
目「何故に出た」
權「遠慮というのは何ういう訳だね」
目「何う云う訳だとは何だ、其の方は遠慮を仰付けられたであろう」
權「それは知っている、知っているが、遠慮と云うのは何を遠慮するだ、私が有助を押えてお役所へ引いて出ました時は、お役人様が貴方と違って前の菊田様てえ方で、悪人の有助ばかり贔屓いして私をはア何でも彼んでも、無理こじつけに遣り込めるだ、さっぱり訳が分らねえ、其の中に御用の間を欠いた、やれ何の彼のと廉を附けて長え間お役所へ私は引出されただ、二月から四月までかゝりましたよ、牢の中へ入ってる有助には大層な手当があって、何だか御重役からお声がゝりがあるって楽うしている、私は押込められて遠慮だ/\と何を遠慮するだ私の考では遠慮というものは芽出度い事があっても、宅で祝う所は祝わねえようにし、又見物遊山非番の時に行きたくても、其様な事をして栄耀をしちゃアならんから、遠慮さ、又旨え物を喰おうと思っても旨え物を喰って楽しんじゃアどうも済まねえと思って遠慮をして居ります、何も皆遠慮をしているが私が毎晩/\御寝所近えお庭を歩いているは何の為だ、若殿様が御病気ゆえ大切に思えばこそだ、それに御家来の衆も毎晩のことだから看病疲れで眠りもすりゃア、明方には疲れて眠る方も有るまい者でもねえ、其の時怪しい者が入っちゃアならねえと思うからだ、此の程は大分貴方顔なんど隠しちゃア長い物を差した奴がうろつか/\して、御寝所の縁の下などへ入る奴があるだ、過般も私がすうと出たら魂消やアがって、面か横っ腹か何所か打ったら、犬う見たように漸う這上ったから、とっ捕めえて打ってやろうと思う中に逃げちまったが、爾うして気を付けたら私はこれを忠義かと心得ます、他の事は遠慮を致しますが、忠義の遠慮は出来ねえ、忠義というものは誠だ誠の遠慮は何うしても出来ません、夜巡ることは別段誰にも言付かったことはない、役目の外だ、私も眠いから宅で眠れば楽だ、楽だが、それでは済みませんや、大恩のある御主人様の身辺へ気を付けて、警護をしていることを遠慮は出来ませんよ、無理な話だ、巡ったに違えねえ、それでもまだ遠慮して外庭ばかり巡って居りました、すると勘八の野郎が……勘八とは知んねえだ初まりは……犬う斬ったから野郎と押えべいと出たわけさ、それに違えねえでございますよ、はいそれとも忠義を遠慮をしますかな」
と弁舌爽かに淀みなく述立てる処は理の当然なれば、目付も少し困って、其の返答に差支えた様子であります。
目「むゝう、權六の申す所一応は道理じゃが、殿様より遠慮を仰せ出された身分で見れば、それを背いてはならん、最も外出致すを遠慮せんければならん」
權「外出だって我儘に旨え物を喰いに往くとか、面白いものを見に往くのなれば遠慮ういたしますが、殿様のお側を守るなア遠慮は出来ねえ、外出するなって其様な殿様も無えもんだ」
四「えゝ四郎治申上げますあの通り訳の分らん奴で、然るをお目付は權六のみを贔屓いたされ、勘八一人唯悪い者と仰せられては甚だ迷惑をいたします事で、殊にお目付も予てお心得でござろう、神原五郎治の家は前殿様よりお声掛りのこれ有る家柄、殊に遠山權六が如き軽輩と違って重きお役をも勤める兄でござる、權六と同一には相成りません、權六は上の仰せ出されを破り、外出を致したをお咎めもなく、格別の思召のこれ有る所の神原五郎治へお咎めのあるとは、実に依怙の御沙汰かと心得ます、左様な依怙の事をなされては御裁許役とは申されません」
目「黙れ四郎治、不束なれども信樂豊前は目付役であるぞ、今日其の方らを調ぶるは深き故有っての事じゃ、此の度御出府に成られた、御国家老福原殿より別段のお頼みあって目付職を勤めるところの豊前に対して無礼の一言であるぞ」
四「ではございますが、余り片手落のお調べかと心得ます」
目「其の方は部屋住の身の上で、兄の代りとはいえども、其の方から致して内庭へ這入るべき奴では無い、然るを何んだ、其の方が家来に申付けて内庭を廻れと申付けたるは心得違いの儀ではないか、前殿様より格別のお声がゝりのある家柄、誠に辱ない事と主恩を弁えて居るか、四郎治」
四「はい、心得居ります」
目「黙れ、新参の松蔭大藏と其の方兄五郎治兄弟の者は心を合せて、菊之助様をお世嗣にせんが為めに御舎弟様を毒殺いたそうという計策の段々は此の方心得て居るぞ」
四「むゝ」
目「けれども格別のお声がゝりもこれ有る家柄ゆえ、目付の情を以て柔和に調べ遣わすに、以ての外の事を申す奴だ、疾に証拠あって取調べが届いて居るぞ、最早遁れんぞ、兄弟共に今日物頭へ預け置く、勘八其の方は不埓至極の奴、吟味中入牢申付ける、權六」
權「はい私も牢へ入りますかえ」
目「いや其の方は四月の二十八日から遠慮になったな」
權「えゝ」
目「二十八日から丁度昨夜が遠慮明けであった」
權「あゝ然うでございますか」
目「いや丁度左様に相成る、遠慮が明けたから、其の方がお庭内を相変らず御主君のお身の上を案じ、御当家を大切と思い、役目の外に夜廻りをいたす忠義無二のことと、上にも御存じある事で、後してはまた格別の御褒美もあろうから、有難く心得ませい」
權「有難うございます、なにイ呉れます」
目「何を下さるかそれは知れん」
權「なに私は種々な物を貰うのは否でございます、どうかまア悪い奴と見たら打殺しても構わないくらいの許しを願えてえもので、此の頃は余程悪い奴がぐる/\廻って歩きます、全体此の四郎治なんという奴は打殺して遣りてえのだ」
目「これこれ控えろ、追って吟味に及ぶ、今日は立ちませえ」
と直に神原兄弟は頭預けになって、宅番の附くような事に相成り、勘八という下男は牢へ入りました。權六は至急お呼出しになって百日の遠慮は免りて、其の上お役が一つ進んで御加増となる。遠山權六は君恩の辱ないことを寝ても覚めても忘れやらず、それから毎夜ぐる/\廻るの廻らないのと申すのではありません。徹夜寝ずに廻るというは、実に忠義なことでございます。此の事を聞いて松蔭大藏が不審を懐き、どうも神原兄弟が頭預けになって、宅番が附いたは何ういう調べになった事かはて困ったものだ、彼奴らに聞きたくも聞くことも出来ん自分の身の上、あゝ案じられる、国家老の出たは容易ならん事、どうか国家老を抱込みたいものだと、素より悪才に長けた松蔭大藏種々考えまして、濱名左傳次にも相談をいたし、国家老を引出しましたのは市ヶ谷原町のお出入町人秋田屋清左衞門という者の別荘が橋場にあります。庭が結構で、座敷も好く出来て居ります。これへ連出し馳走というので川口から立派な仕出しを入れて、其の頃の深川の芸者を二十人ばかり呼んで、格別の饗応になると云うのであります。
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