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流行暗殺節(りゅうこうあんさつぶし)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:34:23  点击:  切换到繁體中文


         六

 しっとり暮れて、九月の秋の京の夕ぐれは、しみじみとしてわびしかった。
 かわたれどきのその夕闇をい乍ら、落人おちゅうどたちは、シャン、シャンと鈴のを忍ばせてすべり出るように京の町へ出ていった。
 直人はひとことも口を利かなかった。意志がないばかりか、まるでそれは、僅かに息が通っているというだけの、荷物のようなものだった。
 腹が減ったでしょう、食べますか、と言えば、黙って食べるのである。お疲れでしょう、泊りますか、と言えば、黙って泊るのである。
 しかし、そんなでいても不思議だった。馬が歩けば、馬上の荷物も自然と歩くとみえて、京を落ちてから四日目の夕方、水口みなくちから関ヶ原を廻ってかくれ街道を忍んで来た落人たち三人は、ようやく名古屋の旧お城下へ辿たどりついた。
 蕭条しょうじょうとした秋雨が降ったりんだりしている夕ぐれだった。
「しみったれた宿では気が滅入めいっていかん。景気のよさそうな奴を探せ」
「あの三軒目はどうじゃ」
「なるほど、あれなら相当なもんじゃ。めんどうだからこの辺で馬もかえせ。あすからは駕籠かごにしよう。乗物もちょいちょいと手を替えんと、じき足がつくからのう。――あの宿です。先生。泊りますぞ。おうい、宿の奴等、お病人じゃ。手を貸せ」
 万事、おまえらまかせの直人は、ふたりが決めたその宿へ、ふたりの言うままに、黙々とだかれていった。
「どうします。先生。すぐに夕食を摂りますか」
「それとも、傷さえけねばいいんだから、久方ぶりにひと風呂浴びますか」
 道中、痛そうな顔さえもしなかったが、今宵こよいばかりは、よくよくこらえかねたのである。
「痛い。寝たい……」
 言うまもずきずきするとみえて、ぐったりと横になり乍ら、痛そうにまゆを寄せた。
 すぐに、ふっくらとした夜の物が運ばれた。
 しかし、せったかと思うとまもなくだった。――ゆくりなくも、思い忘れていた匂いを嗅ぎあてでもしたように、じっと目をすえ乍ら、ふんふんと鼻をうごかしていたが、突然力なく落ち窪んでいた直人の両眼が、ギラギラと怪しく光り出した。
 匂って来たのだ。あの匂いが、女の匂いが、あの夜追われて、かくれて、はからずも嗅いだ肌の匂いが、髪の匂いが、女の移り香が、枕からか、夜着よぎえりからか、かすかに匂って来たのである。
「小次!」
「へい……」
 むくりと起きあがると、直人が、青く笑って不意に言った。
「芸者を買おうか」
「え? ……芸者! ……突然またどうしたんでごわす」
「どうもせん。買いたくなったから買うのよ」
「その御病体で、隊長、おんなを物しようというんですか」
「物にはせん、物したくもおれは物されんから、おまえらに買わせて、この枕元で騒がせて、おれも買うたつもりになろうというんじゃ、いやか」
「てへっ。こういうことになるから、おらが隊長は、気むずかしくてこわいときもあるが、なかなか見すてられんです。――きいたか。丸公たまこう。事が騒動になって来たぞ。おおかしこ御意ぎょいの変らぬうちじゃ、呼べっ、呼べっ」
「こころえた。いくたり招くんじゃ」
「おれは物されんと仰有るからには、おれたちふたりの分でよかろう。――亭主! 亭主!」
 たちまち座が浮き立った。
 酒が来る。灯がふえる。
 台物だいものが運ばれる。――色までが変ったようにあかるく浮き立ったところへ、白い顔がふたり、音もなくすべりこんだ。
「よう。美形々々」
「名古屋にしてはこれまた相当なもんじゃ」
「あちらのふとんの上に、えんこ遊ばしていらっしゃるのがおらがのお殿様でのう。殿様、病中のつれづれに、妓を呼んで、おまえら、枕元で馬鹿騒ぎせい、との御声がかりじゃ。遠慮はいらんぞ。さあ呑め、さあ唄え」
「…………」
「どうです。先生。景色がよくなりましたな。呑みますぞ」
「うんうん……」
「少しはお気が晴れましたか」
「うんうん……」
「申しわけごわせんな。女、酒、口どき上手じょうず、人後におちる隊長じゃごわせんが、その御病体では、身体がききますまいからな。気の毒千万、蜂の巣わんわん、――久方ぶりの酒だから、金丸は酔うたです、こら女! なにか唄え」
「…………」
「唄わんな。ではジャカジャカジャンジャンとなにかけ」
「…………」
「よう。素的々々、音がきこえ出したぞ。――さあさ、浮いた、浮いた、ジャカジャカジャンじゃ。代りに呑んで、代りに騒いで、殿様、芸者を買うたようなこころもちになろうというんだからのう。おまえらもその気で、もっとジャカジャカやらんといかん! ――そうそう。そこそこ、てけれつてってじゃ。

ここは名古屋の真中で。
ないものづくしを言うたなら。
隊長、病気で女がない。
金丸、ろれつが廻らない。
てけれつてっての、てってって」

 きょう至って、そろそろとはめがはずれ出したのである。
「どうです。隊長! 金丸、いかい酩酊めいていいたしました。踊りますぞ」
 ふらふらと金丸が、突然立ちあがったかと思うと、あちらへひょろひょろ、こちらへひょろひょろとよろめいて、踊りとも剣舞ともつかぬ怪しい舞いを初めた。

「ヒュウヒュウ、ピイピイピイ。
 当節流行の暗殺節じゃ。
 ころも、わんに至り、毛脛けずねれる。
 濡れるたもとになんじゃらほい。
 あれは紀の国、本能寺。
 堀の探さは何尺なるぞ。
 君を斬らずばわが身が立たん。

 立たんか、斬らんか、――えいっ。スパリ。アハハ……。もういかん。隊長。一曲、この妓と物しとうなりました。いいでがしょう。来い。女。あっちの部屋へ参ろう!」
 くずれるようにしなだれかかって、その首へ手を巻きつけると、ぐいぐいと引っ張った。
 小次郎も廻って来たのである。
「よし来た。そのこと、そのこと、怒っちゃいけませんぞ。隊長。――いけっ、いけっ、丸公たまこう、別室があろう。来い! 女!」
 立ちあがって、よろよろとし乍ら歩き出そうとしたのを、じっと見守っていた直人のこめかみがぴくぴくと青く動いた。
 とみるまに、目がすわった。
 同時に、じりっと膝横のわざ物に手がかかった。
 腹が立って来たのだ。憎悪ぞうおがこみあげて来たのだ。
 理窟もなかった。理性もなかった。歩行も出来ない身をいいことにして、これみよがしに歓楽を追おうとしているふたりの傍若ぼうじゃくな振舞に、カッと憎みがわきあがったのである。
「まてっ」
「な、な、なんです! どうしたんです!」
 おどろき怪しんでふり向いたふたりの顔へ、けわしい目が飛んでいった。
「たわけたちめがっ。おれをどうする! 見せつけるのかっ。うらやましがらせをするのかっ。それへ出い!」
「ば、ば、馬鹿なっ。目の前で、枕元で芸者買いせい、と言うたじゃごわせんか! お言いつけ通りにしたのが、なぜわるいんです!」
「ぬかすなっ。それにしたとて程があるわい! ずらりと並べっ」
「き、き、斬るんですか! 同志を、仲間を、苦労を分けた手下を斬るんですか!」
「同志もへちまもあるかっ。腹が立てば誰とて斬るんじゃっ。憎ければどやつとて斬るんじゃっ――一緒に行けいっ。たわけたちめがっ」
 さっと横へ、青い光りが伸びたかと思うと一緒に、ざあっと、小次郎たちふたりの背から血がふきあがった。
 その血刀ちがたなをさげたまま、直人は、そぼふる雨の表へ、ふらふらと出ていった。待ちうけるようにして、バラバラと影がとびかかった。
「神代直人! ばくにつけいっ」
 しかし、直人は、もう逃げなかった。心底しんてい腹を立てて斬ったよろこびを楽しむように、死の待っているその黒いむれの中へ、ふらふらと這入っていった。
 ――秋もふけた十一月の五日、大村益次郎は、直人の与えた傷がもとで、あえなく死んだ。
 捕われた直人もまた、大西郷たちの心からなる助命運動があったが、皮肉なことにも、山県狂介たちの極刑派にわざわいされて、まもなく銃殺台にのぼった。





底本:「小笠原壱岐守」大衆文学館文庫、講談社
   1997(平成9)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「佐々木味津三全集10」平凡社
   1934(昭和9)年発行
初出:「中央公論 十月号」
   1932(昭和7)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:noriko saito
2004年11月1日作成
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