二
「どこへ参ります! お待ちなさりませ!」
「…………」
「どなたにご用でござります!」
異様な覆面姿の五人を見眺めて、宿の婢たちがさえぎろうとしたのを、刺客たちは、物をも言わずに、どやどやと土足のまま駈けあがった。
あとから、カラリコロリと下駄を引いて、直人も、のそのそと二階へあがった。
敷地の選定もきまり、兵器廠と一緒に兵学寮創設の案を立てて、その設計図の調製を終った大村はほっとした気持でくつろぎ乍ら、鴨川にのぞんだ裏の座敷へ席をうつして、これから一杯と、最初のその盃を丁度口へ運びかけていたところだった。
猪のように鼻をふくらまして、小次郎がおどりこむと、先ず大喝をあびせた。
「藪医者! 直れっ」
しかし、藪医者は藪医者でも、この医者は只の医者ではなかった。彰義隊討伐、会津討伐と、息もつかずに戦火の間を駈けめぐったおそろしく胆の太い藪医者だった。
「来たのう、なん人じゃ……」
ちらりとふりかえって、呑みかけていた盃を、うまそうにぐびぐびと呑み干すと、しずかに益次郎は、かたわらの刀を引きよせた。
人物の器の桁が違うのである。――気押されて、小次郎がたじろいだのを、
「どけっ。おまえなんぞ雑兵では手も出まい。おれが料る!」
掻き分けるようにして、直人が下駄ばきのまま、のっそりと前へ出ると、にっときいろく歯を剥いて言った。
「遺言はござらんか」
「ある。――きいておこう。名はなんというものじゃ」
「神代直人」
「なにっ。そうか! 直人か! さては頼まれたな!」
きいて、こやつ、と察しがついたか、一刀わしづかみにして立ちあがろうとしたのを、抜き払いざまにおそった直人の剣が早かった。
元より見事に、――と思ったのに、八人おそって、八人仕損じたことのない直人の剣が、どうしたことかゆらりと空に泳いだ。
しかし二の太刀はのがさなかった。立ちあがった右膝へ、スパリと這入って、益次郎は、よろめき乍らつんのめった。
それを合図のように、バタバタと、けたたましい足音が、梯子段を駈けあがった。
「あっ。隊長! 衛兵じゃ! 銃が来ましたぞっ」
急をしらせたとみえて、益次郎の従者が、銃口を揃え乍ら、縄のようにもつれて駈けあがって来たのである。
「来たか! あいつはちと困る! 早くにげい!」
仕止めの第三刀を斬りおろすひまもなかった。どっと、一斉に障子を蹴倒して、五人の者は、先を争い乍ら、裏屋根伝いに逃げ走った。
追いかけて、パチパチと、銃の音があがった。
同時に、ころころと黒い影が、河原にころがりおちた。――と思うまもなく、またばったりと影がのめった。
誰と誰がどっちへ逃げて、誰と誰とがやられたかまるで見境いもつかなかった。河原の闇の中を必死に逃げ走る影を目がけて、不気味な銃声がしばらく谺していたが、やがてその影が消えて了ったかと思うと一緒に、ふつりと銃声もやまって、しいんと切ってすてたように、あたりが静まりかえった。
三
どの位経ったか、――それっきり河原は、音という音が全く死んで、そよとの水影さえも動かなかった。
逃げた影もおそらく遠くへ、と思ったのに、しかし突然、ぴちゃりと、沼の底のようなその闇の中から、水音が破れると、あたりの容子を窺っているらしい気配がつづいていたが、やがて太い声が湧きあがった。
「もうよさそうだな。――おい」
「…………」
「おいというに! 誰もおらんか!」
「ひとりおります。もう大丈夫でござりまするか」
「大丈夫じゃ、早く出ろ。誰だ」
「市原でごわす」
「小次か! おまえもずぶぬれだのう。もう誰もおらんか」
「いいえ、こっちにもひとりおります」
ジャブジャブと水を掻き分けて、河の真中の向うから、また一つ黒い影が近づいた。
富田金丸だった。
こやつも水の中へ、首までつかり乍ら、じっとすくんでいたとみえて、長い腰の物の鞘尻から、ぽたぽたと雫が垂れおちた。
「どうやら小久保と、利惣太がやられたらしいな。念のためじゃ、呼んでみろ」
「副長! ……」
「…………」
「石公! ……。利惣太……」
呼び乍ら探したが、しかし、どこからも水音さえあがらなかった。
銃声と一緒に、ころがり落ちたのは、やはりそのふたりだったのである。
「可哀そうに……。えりにえって小次と丸公とが生き残るとはなんのことじゃい。おまえたちこそ死ねばよかったのにのう。仕方がない、せめて髪の毛でも切って持っていってやりたいが、のそのそ出ていったら、まだちっと険呑じゃ。ともかく黒谷の巣へ引きあげよう」
先へ立って、河原伝いに歩きかけたその神代が、不意にあっと声をあげ乍らつんのめった。
「しまった! そういうおれもやられたぞ」
「隊長が! ――ど、ど、どこです! どの辺なんです!」
「足だ。左がしびれてずきずき痛い! しらべてみてくれ!」
夢中で知らずにいたが、屋根から逃げるときにでも一発うけたとみえて、左の踵からたらたらと血を噴いていたのである。
しかし、手当するひまもなかった。
静まりかえっていた街のかなたこなたが、突然、そのときまた、思い出したようにざわざわとざわめき立ったかとみるまに異様な人声が湧きあがった。
と思うまもなく、ちらちらと、消えてはゆれて、無数の提灯の灯が、五六人ずつ塊った人影に守られ乍ら、岸のあちらこちらに浮きあがった。
京都守備隊の応援をえて、大々的に捜索を初めたらしいのである。
「危ない! 肩をかせ! このあん梅ではおそらく全市に手が廻ったぞ。早くにげろっ」
「大丈夫でござりまするか!」
「痛いが、逃げられるところまで逃げてゆこう。そっちへ廻れっ」
苦痛をこらえて神代は、ふたりの肩につかまり乍ら、這うように河原を北へのぼった。
二条河原から、向う岸へのぼれば、さしあたりかくれるところが二ヵ所ある。悲田の非人小屋として名高いその小屋と、薩摩屋敷の二ヵ所だった。無論、薩摩屋敷へかくれることが出来たら、金城鉄壁だったが、つねに百五十人から二百人近い非人が密集していると伝えられている悲田のその小屋へ駈けこんでも、当座、身をかくすには屈強の場所だった。
「岸をしらべろっ。灯はみえんか!」
「…………」
「どうだ。だれか張っていそうか!」
「――いえ、大丈夫、いないようです」
「よしっ、あがれっ」
いないと思ったのに、灯を消して、じっとすくんでいたのである。ぬっと顔を出した三人へ、
「誰じゃっ」
するどい誰何の声がふりかかった。――しかし、みなまで言わせなかった。富田も小次郎も、斬りたくてうずうずしていたのだ。
スパリと、左右から青い光りが割りつけた。
それがいけなかった。
ひとりと思ったのに、もうひとりすくんでいたのである。刹那に、バタバタとその影が走り出すと走り乍らけたたましく呼び子を吹き鳴らした。
同時に、街のかなたこなたから、羽音のような足音が近づいた。
「小屋へ飛びこめっ。あの左手の黒い建物が、非人小屋じゃ! あれへかくれろっ」
キリを揉むような足の苦痛をこらえて、神代は、ふたりをせき立て乍ら、まっしぐらに非人小屋の中へ駈けこんだ。
しかし、どうしたことかその小屋は、がらあきだった。いつもは二百人近い非人がたかっているというのに、人影はおろか、灯影一つみえないのである。
そのまにも、捜索隊の足音は、ちらちらと提灯の光りを闇のかなたにちりばめて、呼び子の音を求め乍ら、バタバタと駈け近づいた。
「生憎だな! 薩摩屋敷まではとうてい逃げられまい。どこかにかくれるうちはないか!」
焦って、見探していた三人の目は、はからずも道向うの一軒の木戸へ止まった。ここへ這入れ、と言わぬばかりにその木戸がぽっかりと口をあけていたのである。
なにをする家か、誰の住いか、見さだめるひまもなかった。脱兎のように三人は、小屋から飛び出して、その木戸の中へ駈けこんだ。
奥まった小座敷らしいところから、ちかりと灯が洩れた。――三人は夢中だった。灯を追う虫のようにその灯を追って、まっしぐらに飛びこんだ。
しかし、同時に、先ず小次郎がたちすくんだ。金丸も立ちすくんだ。あとから駈けこんだ直人も、はっとなって立ちすくんだ。
まさしく誰かの妾宅とみえて、その灯の下には、今、お湯からあがったらしい仇っぽい女が、うすい長襦袢をいち枚引っかけたままで、すらりと片膝を立て乍ら、せっせとお化粧をしていたのである。
ふり向くと一緒に、険のある女の目が、ぐっと三人をにらみつけた。――咄嗟に、小次郎が、バッタのように手をすり合わせて言った。
「追われているんです! かくまっておくんなさい」
いいもわるいもなかった。構わずに座敷の中へおどりあがって、あちらこちら探していたが、お勝手につづいた暗い土間に、うち井戸の縄つるべがさがっていたのをみつけると争うように金丸と飛んでいって、左右の縄へつかまり乍らするすると井戸の中へ身を忍ばせた。
あとからあがって、直人も、まごまごし乍ら探していたがほかにもう身をひそませる場所もなかった。
只一つ目についたのは、隣りの部屋の屏風の向うの寝床だった。
「この辺で消えたぞ」
「この家が臭い!」
「這入れっ、這入れっ」
表の声は、今にも乱入して来そうな気配なのだ。
直人は、せき立てられたように、隣りの部屋へ駈けこんだ。――しかし、同時に、われ知らず足がすくんだ。
寝床は寝床だったが、ふっくらとしたその夜具の中には、旦那のおいで、お待ちかね、と言わぬばかりに、仲よく二つの枕がのぞいていたのである。
ためらい乍ら、まごまごしているのを、突然、女がクスリと笑ったかと思うと、押しこむようにして言った。
「しょうのない人たちだ。二度とこんな厄介かけちゃいけませんよ。――早くお寝なさいまし」
意外なほどにもなまめいた声で言って、咄嗟に気がついたものか、座敷に点々とおちている血の雫の上へ、パッパッと一杯に粉白粉をふりかけておくと、ぺったり長襦袢のまま直人の枕元へ座って、さもさもじれったそうに、白い二の腕を髪へやった。
間髪の違いだった。
ドヤドヤと捜索隊の一群がなだれこんで来ると、口々に罵った。
「来たろう!」
「三人じゃ!」
「かくしたか!」
「家探しするぞ!」
声の下から、ちらりとけわしい目が光ったかと思うと、隊長らしいひとりがずかずかとおどりあがって、寝床の中の黒い月代をにらめ乍ら女にあびせた。
「こいつは誰じゃ!」
「…………」
「返事をせい! 黙っていたら引っ剥ぐぞ」
手をかけて剥がそうとしたのを、女がおちついていたのである。黙って、その手を軽くはねのけると、うっすらと目で笑って、この姿一つでもお分りでしょう、と言うように、なまめかしく立膝を直人の顔のところへすりよせ乍ら言った。
「はしたない。旦那は疲れてぐっすり寝こんだところなんですよ。もっとあてられたいんですかえ」
「馬鹿っ」
叩きつけるように、男が怒鳴った。
馬鹿というより言いようがなかったに違いないのである。
「馬、馬鹿なやつめがっ、いいかげんにせい!」
まき散らした白粉も、女とは不釣合な五分月代も、疑えばいくらでも不審があるのにいざと言えば寝床へも一緒に這入りかねまじい女のひとことに気を呑まれたとみえて、捜索隊の者たちは、ガヤガヤとなにかわめき乍ら、また表へ飛んでいった。
同時に女の態度がガラリと変った。
「追っつけ旦那が来るんです。来たら今の奴等よりもっと面倒になるから、早く逃げて下さいまし」
「先生々々。もう大丈夫ですよ。足音も遠のきましたよ! このすきだ。早くお逃げなさいまし!」
井戸から這い出して、小次郎たちふたりもせき立てた。
しかし、直人は不思議なことにも動かなかった。
「気味のわるい。どうしたんですえ。まさか死んだんじゃあるまいね」
怪しんで、のぞこうとした女が、
「まあ、いやらしい! なにをしているんです!」
目を吊りあげて、パッと飛びのいた。
鼻を刺す移り香を楽しみでもするように直人は、しっかりと女の枕に顔をよせて、にやにやと笑っていたのである。
「けがらわしい! 危ない思いをしてかくまってあげたのになんていやな真似をしているんです! そんなものほしければくれてやりますよ! 今に旦那が来るんです! とっとと出ておいきなさいまし!」
「すまんすまん! アハハ……。つい匂うたもんだからのう。ほかのところを盗まんで、しあわせじゃ。旦那によろしく……」
けろりとし乍ら這い出ると、直人は、にやにや笑い乍ら出ていった。
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