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旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)08 第八話 日光に現れた退屈男

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:28:45  点击:  切换到繁體中文

底本: 旗本退屈男
出版社: 春陽文庫、春陽堂書店
初版発行日: 1982(昭和57)年7月20日新装第1刷

 

旗本退屈男 第八話

日光に現れた退屈男

佐々木味津三




       一

 ――その第八話です。
 現れたところは日光。
 それにしても全くこんな捉まえどころのない男というものは沢山ない。まるで煙のような男です。仙台から日光と言えば、江戸への道順は道順であるから、物のはずみでふらふらとここへ寄り道したのに不思議はないが、どこで一体あの連中を置き去りにしてしまったものか、仙台を夜立ちする時はたしかにあの江戸隠密達二人と一緒の筈だったのに、日光めざして今市街道に現れたその姿を見ると、お供というのは眉間傷と退屈の虫だけで、影も姿もただのひとり旅でした。その上に着流し雪駄ばき落し差しで、駕籠にも乗らずにふわりふわりと膝栗毛なのです。
 だが退屈男だけに、そのふわりふわりの膝栗毛が、何ともかとも言いようのない膝栗毛でした。
「ウフフ……。木があるな」
 山道であるから木があったとて不思議はないのに、さもさも珍しげに打ち眺めては、しみじみと感に入りながら、またふわりふわりとやって行くのです。行ったかと思うと、
「雲茫々、山茫々、蕭条(しょうじょう)として秋深く、道また遙かなり……」
 口ずさんでは立ち止まり、立ち止まっては谷をのぞき、のぞいてはまた歩き、歩いてはまた立ち止まって、風のごとく、靄(もや)のごとくに、ふわりふわりとさ迷いつつ行くあたり、得も言い難い仙骨が漂って、やはりどことはなしに千二百石直参旗本の気品と気慨の偲ばれる膝栗毛ぶりでした。――行く程に川があって水が見える。大谷川(だいやがわ)です。その水に夕陽が散って、しいんとしみ入るように山気が冷たく、風もないのにハラハラと紅葉が舞って散って、何とはなしに自ら心よい涙がにじみ流るるようなすてきな晩秋だったが、山気のしんしんと冷える按配、流れの冴えてしみ入るように澄んで見える按配、どうやらあしたの朝は深い霜が降りそうな気配でした。
 だから、チョッピイヒョロヒョロ、ピイヒョロヒョロと、たそがれかけた夕空高く囀(さえず)ってこのあたり野州(やしゅう)の山路に毎年訪れる、一名霜鳥との称のある渡り鳥のツグミの群が、啼いて群れて通っていったからとて不思議はないのです。それから百舌(もず)に頬白(ほおじろ)、頬白がいる位だから、里の田の畔(あぜ)、稲叢(いなむら)のあたりに、こまッちゃくれた雀共が、仔細ありげにピョンピョンと飛び跳ねながら、群れたかっていたとてさらに不思議はない。随ってまた小鳥がいる以上は、それらの小鳥を狙う鳥刺しがひとりや二人徘徊(はいかい)していたとても、何の不思議はない筈なのに、ふらりふらりとやりながら何気なくひょいと見ると、何と言う里の何と言う鎮守であるか、そこの街道脇につづいた鎮守の森の外をうろうろしている鳥刺しの容子が、いかにも少し奇怪でした。第一にいぶかしいのは、鳥刺しの癖に鳥を刺そうとしていないのです。型の如くトリモチ竿の長いのを手にしてはいるが、枝にも梢にも雀がいるのに一向刺そうともしないで、森のまわりを抜き足差し足でうろうろとしながら、何を探そうというのか、しきりと中の容子を覗き見している気勢(けはい)でした。その上に足ごしらえも穏かでない、普通に鳥刺しの服装と言えば、ヒョットコ手拭に網袋、それから代りのモチを仕込んだ竹筒を腰にさげて、手甲に脚絆、膝は十人中十人までが丸出しのままであるのに、不審なその鳥刺しは、丸輪の菅笠を眼深に冠って、肩には投げ荷を背負い、あまつさえ脚絆のほかに股引すらも穿(は)きながら、一見しただけで遠い旅路をでもして来たらしいいで立ちでした。しかも、肝腎の刺した雀を入れる網袋がないのです。――これは何びとが何と抗議を申込もうと、不審と言うのほかはない。他の七ツ道具の容子が変っているのは、まだ大目に見逃すことが出来ないものでもないが、小鳥を刺してそれをその日その日の生計(たつき)の料(しろ)にしている鳥刺しが、獲物を入れるべき袋を腰にしていないということは、大いに不埓千万(ふらちせんばん)なのです。
「はて喃(のう)。雲茫々、山茫々、鳥刺し怪しじゃ。ちとこれは退屈払いが出来ますかな」
 いぶかりながら見眺めているとき、実に不意でした。
「貴様、まだまごまごしておるかッ。神域を穢(けが)す不所存者めがッ。行けッ、行けッ。行けと申すに早く行かぬかッ」
 けたたましく怒号しながら、不審なその鳥刺しを突然叱りつけた罵声(ばせい)が、そこの森の中の社務所と覚(おぼ)しきあたりから挙りました。――ひょいと見ると、これがまた常人ではない。ふさふさした長い白髯(はくぜん)を神々しく顔になびかせて、ひと目にそれと見える神官なのです。いや、神主だったことに不思議はないが、意外だったのはその年齢でした。叱った声のけたたましさから察すると、恐らく四十か五十位のまだ充分この世に未練のありそうな男盛りだろうと思われたのに、もう九十近い痩躯鶴のごとき灰汁(あく)の抜けた老体なのでした。しかも、その灰汁の抜け工合の程のよさ! 骨身のあたりカラカラと香ばしく枯れ切って、抜けるだけの脂は悉(ことごと)く抜け切り、古色蒼然、どことはなく神寂(かんさ)びた老体なのです。
「ウフフ、犬も歩けば棒に当るじゃ。ゆるゆる見物致すかな」
 のっそり近寄っていったのを知ってか知らずか、老神官は翁(おうき)の面のような顔に、灰汁ぬけした怒気を漲らしながら、なおけたたましく鳥刺しをきめつけました。
「何じゃい。何じゃい。まだ失せおらぬかッ。老人と思うて侮(あなど)らば当が違うぞ。行かッしゃいッ。行かッしゃいッ、行けと申すになぜ行かぬかッ」
「でも、あの……いいえ、あの、どうも、相済みませぬ。ついその、あの、何でござりますゆえ、ついその……」
 ぺこぺこしながら鳥刺しがまた、声までも細々と蚊のような声を出して、言葉もしどろもどろに一向はきはきとしないのです。
「実はあの……、いいえ、あの、重々わるいこととは存じておりますが、ついその、あの何でござります。せめて、あの……」
「せめてあの何じゃい!」
「五ツか六ツ刺さないことには、晩のおまんまにもありつけませんので、かようにまごまごしているのでござります。何ともはや相済みませぬ。どうぞ御見逃し下さいまし……」
「嘘吐かッしゃいッ。刺さねばおまんまにありつけない程ならば、あれをみい、あれをみい、あちらにも、こちらの畠にも、あの通り沢山いるゆえ、ほしいだけ捕ればよい筈じゃ。それを何じゃい、刺しもせずに竿を持ってうろうろと垣のぞき致して、当御社(とうみやしろ)のどこに不審があるのじゃ。行かッしゃい! 行かッしゃい! 行けばよいのじゃ。とっとと消えて失くならッしゃい」
「御尤もでござります。おっしゃることは重々御尤もでござりまするが、実はその、あの、何でござります。わたくし、ついきのうからこの刺し屋を始めましたばかりでござりますゆえ、なかなかその思うように刺せんのでござります。それゆえあの、ついその……」
「こやつ、わしを老人と見て侮っておるな! ようし! それならば消えて失くなるようにお禁厭(まじない)してやるわ。そこ退(の)くなッ」
 よぼよぼしながら社務所の内へとって帰ったかと見えたが、程たたぬまに携(たずさ)えて帰って来たひと品は、おどろく事に六尺塗り柄の穂尖も氷と見える短槍でした。リュウリュウと麻幹(おがら)のごとく見事にしごいて、白髯たなびく古木の面に殺気を漂よわながら、エイッとばかり気合もろ共鳥刺しの面前にくり出すと、
「小僧ッ、これでも消えぬかッ」
 すべてが全くすさまじい変化でした。足腰のしゃんと立ったのは言うまでもないこと、声までがしいんと骨身にしみ透るように冴え渡って、手の内がまた免許皆伝以上、しかも流儀は短槍にその秘手ありと人に知られた青江信濃守のその青江流なのです。
「ほほう、老人、なかなか味をやりおるな」
 何かは知らぬが事ここに及んでは、もう退屈男もゆるゆると高見の見物ばかりしていられなくなりました。不審な鳥刺しの身辺に漂う疑惑は二の次として、弱きに味方し、強きに当る早乙女主水之介のつねに変らぬ旗本気ッ腑は、人も許し天下も許す自慢の江戸魂でした。ましてや穏かならぬ真槍がくり出されるに至っては、あれが啼くのです、しきりと、あの眉間傷が夕啼きを仕出したのです。――のっそり木蔭から現れて、すいすいと足早に近よりながら、血色もないもののように青ざめている鳥刺しの手元から、黙って静かにトリモチ竿を奪いとると、
「御老体、なかなか御出来でござるな」
 ウフフとばかり軽く打ち笑いながら、ふうわり鳥竿を神官の目の前に突き出して、いとも朗かに言いました。
「いかがでござるな。退屈の折柄丁度よいお対手じゃ。この構え、少しは槍の法に適(かな)っておりまするかな」
「なにッ?――何じゃい! 何じゃい! 見かけぬ奴が不意におかしなところから迷って出おって、貴公は、一体何者じゃ!」
「身共でござるか。身共はな、ウフフフ、ご覧の通りの風来坊よ。いかがでござるな。青江流とはまたちと流儀違いでござるが、少々は身共も槍の手筋を学んでじゃ。退屈払いに二三合程お対手仕(あいてつかまつ)るかな」
 ウフフ、また軽く笑って老神主の目の前二寸あたりの近くへ、ずいともち竿を突きつけると、ふわりふわりとその先を泳がせました。――と見えた一刹那、ヒュウと手元にしごいて繰り出したかと見えるや、術の妙、技の奥儀、主水之介程底の知れない男もない。しなしなと揺れしなっていた二間余りの細い竹がピーンと張り切って、さながらに鋭利な真槍の如くに、ピタリ、老神主の黒目を狙っているのです。かと見えるやそれがまた再びふわりふわりと左右へ泳いで、ある刹那にはその竿先が八本にも見え、次の刹那にはまた二十本位にも見えて、動いたかと思うと途端にピタリとまた黒目を狙い指しながら、千変万化、実にすばらしい妙技でした。
「若僧やるな! 鳥刺しといい貴様といい、愈々胡散(うさん)な奴原(やつばら)じゃ。どこのどいつかッ。名を名乗らッしゃい? どこから迷って来たのじゃ!」
 いささか事志と違ったと見えて、勿論、真槍は同じ構えにつけたままだったが、老神官少々たじたじとなりながら鋭く言い詰(なじ)ったのを、落付いたものです。
「ウフフ、またそれをお尋ねか。御老体、ちとお耳が遠うござりまするな。身共はな――」
「なにッ、耳が遠いとは何を言うかい。当豊明権現(とうとよあきごんげん)を預る神主沼田正守と申さば、少しはこのあたりにも知られたわしじゃ。事ここに至っては命にかけてもうぬら二匹、追ッ払わねばならぬ。誰の指し図によって垣のぞきに参ったのじゃ。言わッしゃい! 言わッしゃい! それを言わッしゃい! どやつが指し図致したのじゃ」
「わははは、誰の指し図とは御老体、耳が遠いばかりか脳の方も少々およろしくござらぬな。身共はな、このうしろの奴じゃ、こやつのな――」
 ひょいとふり返って見ると奇怪でした。小さくなって慄えてでもいるだろうと思いのほかに、あの男がいないのです。いつのまにどこへ消えてなくなったものか、あの不審な鳥刺しの姿が見えないのです。しかもその刹那! さらに不審でした。
「また来やがッたか。やッつけろ。やッつけろ」
「構わねえ、のめせ! のめせ! 御領主様の廻し者に違えねえんだ。打(ぶ)ちのめせッ、打ちのめせッ」
 突然、口々に罵り叫んだ声が聞えたかと思うや同時に、どッと犇(ひし)めき騒ぎ立った喊声(かんせい)が伝わりました。

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