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旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)03 第三話 後の旗本退屈男
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旗本退屈男 |
春陽文庫、春陽堂書店 |
1982(昭和57)年7月20日新装第1刷 |
旗本退屈男 第三話
後の旗本退屈男
佐々木味津三
一
――その第三話です。 江戸年代記に依りますと、丁度この第三話が起きた月――即ち元禄七年の四月に至って、お犬公方(いぬくぼう)と綽名(あだな)をつけられている時の将軍綱吉(つなよし)の逆上は愈々その極点に達し、妖僧護持院隆光(ごうじいんりゅうこう)の言語道断な献言によって発令された、ご存じのあの軽蔑すべき生類憐(しょうるいあわれ)みの令が、ついに嗤(わら)うべき結果を当然のごとく招致しまして、みつかり次第に拾って飼っておいた野良犬が、とうとう二万頭の多数に及び、到底最早江戸城内の犬小屋だけでは、おびただしいそれらのお犬様を取締ることが出来なくなりましたので、西郊中野と大久保に、それぞれ十万坪ずつの広大なお犬小屋をしつらえ、これに一万頭ずつをふり分けてお移し申しあげ、専任のお犬奉行なる者を新たに任命いたしまして、笑止千万なことにはこれらの犬の中で、最も多く子供を生産する奴には、筑前守おクロ様とか、或はまた尾張守おアカ様とか言うような名前をつけたと書かれてありますが、しかし、そういう逆上した一面があるにはあっても、さすがに江戸八百万石の主、天下兵馬の統領たる本来の面目を失わないのは豪気(ごうき)なものです。 と言うのは、年々歳々、日を追うて次第に士風の遊惰に傾くのを痛嘆いたしまして、士気振興武道奨励の意味から、毎年この四月の月の黄道吉日(こうどうきちにち)を選んで、何等か一つずつ御前試合を催す習慣であったのがそれですが、犬にのぼせ上がっていても、感心にその年中行事だけは忘れないとみえ、この年も亦二十四日の晴天を期して、恒例通り御前試合のお催しがある旨発表になりました。 ――試合項目は槍に馬術。 ――場所は小石川小日向台町(こひなただいまち)の御用馬場。 毎年その例でしたが、士気振興の意味でのお催しですから、諸侯旗本が義務的にこれへ列席を命ぜられるのは言う迄もないことなので、あたかも当日はお誂え向の将軍日和(びより)――。無役なりとも歴歴の旗本である以上、勿論退屈男にもその御沙汰書がありましたものでしたから、伸びた月代(さかやき)は無礼講というお許しに御免を蒙って着流しのまま、あの威嚇の武器である三日月疵を愈々凄艶(せいえん)にくっきりと青い額に浮き上がらせて、京弥いち人を供に召連れながら台町馬場へ行きついたときは、丁度試合始めのお太鼓が今しドロドロドンと鳴り出しかけたときでした。 犬公方はすでにお出座なさったあとで、そのお座席の左側は紀、尾、水、お三家の方々を筆頭に、雲州松平、会津松平、桑名松平なぞ御連枝の十八松平御一統がずらりと居並び、右側は寵臣(ちょうしん)柳沢美濃守を筆頭の閣老諸公。それらの群星に取り巻かれつつ、江戸八百万石の御威厳をお示しなさっている征夷大将軍が、お虫のせいとは言いながらお膝の近くに、あまり種のよろしくない野良犬上がりらしい雑種の犬を侍(はべ)らしているのは、少しお酔狂が過ぎるように思われますが、然るにも拘わらず、三百諸侯八万騎の直参旗本共が、おのれらよりも畜生を上座に坐らせられて、一向腹も立てず不平も言わないところが、どう見てもやはり元禄の泰平振りでした。 それもいく分気に入らないためもありましたが、刻限も少しおくれていましたので、退屈男はわざと旗本席をさけて、諸侯の陪臣(ばいしん)共が見物を差し許されている一般席の、それもなるべく目立たないうしろへこっそりと席をとりました。 そのまにも試合は番組通りに開始されて、最初の十二番の槍術が滞(とどこお)りなく終ってから、呼びものの馬術にかかったのが丁度お午(ひる)。これがやはり十二番あって、その中でも当日の白眉とされていた四頭立ての早駈けにとりかかったのが、かれこれ八ツ前でした。 乗り手は先ず第一に肥前家(ひぜんけ)の臣で、大坪流(おおつぼりゅう)の古高新兵衛(ふるたかしんべえ)。 第二には宇都宮藩士(うつのみやはんし)で、八条流の黒住団七(くろずみだんしち)。 第三には南部家(なんぶけ)の家臣で、上田流の兵藤(ひょうどう)十兵衛。 第四には加賀百万石の藩士で、荒木流の江田島勘介。 いずれもこれ等が、各流派々々の達人同士で、同じ早駈けは早駈けであっても、今の競馬とはいささか趣きを異にして、それぞれの流派々々に基づく奥儀振りを、将軍家御面前で名騎士達が駈け競うというのでしたから、なにさま当日第一の呼びものとなったのもゆえあることでしたが、やがてのことに試合始めの太鼓につれて、大坪流の古高新兵衛は逞(たくま)しい黒鹿毛(くろかげ)、八条流の黒住団七は連銭葦毛(れんせんあしげ)、上田流の兵藤十兵衛は剽悍(ひょうかん)[#ルビの「ひょうかん」は底本では「しょうかん」と誤植]な三歳(さい)栗毛(くりげ)、最後に荒木流の江田島勘介は、ひと際逞しい鼻白鹿毛(はなじろかげ)に打跨りつつ、いずれも必勝の気をその眉宇(びう)にみなぎらして、ずらりそこに馬首を打ち揃えましたものでしたから、犬公方初め場内一統のものが、等しくどよめき立ったのは当然なことでした。 剣を取っては江戸御免の退屈男も、馬術はまた畠違いでしたから、ひと膝乗り出して京弥に囁きました。 「打ち見たところいずれも二十七八の若者揃いのようじゃが、こうしてみると一段とまた馬術も勇ましい事よ喃」 「御意にござります。中でも葦毛の黒住団七殿と、黒鹿毛の古高殿がひと際すぐれているように存じられますな」 「左様、あの両名の気組はなにか知らぬが少し殺気立っているようじゃな」 言っているとき、場内の者が一斉にざわめき立ったので、ふと、目を転ずると、これ迄はどこにひとりも女性(にょしょう)の影すら見えなかったのに、今となって、どうしたと言うのであろう?――大奥付の腰元らしい者は者でしたが、ようよう二十(はたち)になるやならずの、目ざめるばかりの美形(びけい)がいち人、突如として正面お座席近くに姿をみせて、文字通り万緑叢中紅一点のあでやかさを添えましたので、いぶかしさに打たれながら主水之介も目を瞠(みは)っていると、四人の騎士がさらに奇態でした。美人現るると見ると、色めき立ちつつ、一斉に気負い出したので、早くもそれと推定がついたもののごとく、微笑をみせたのは退屈男です。 「ほほう、ちとこれは面白うなったかな。御酔狂な犬公方様の事ゆえ、あれなる美形に何ぞ謎がかかっているかも知れぬぞ」 呟いたとき――、ドドンと打ち鳴らされたものは、馬首揃えろ! の締め太鼓です。つづいてドンと一つ、大きく鳴るや一緒で、おお見よ!――四つの馬は、鞍上(あんじょう)人(ひと)なく、鞍下(あんか)に馬なく、青葉ゆらぐ台町馬場の芝草燃ゆる大馬場を、投げ出された黒白取り取りの鞠(まり)のように駈け出しました。 第一周は優劣なし! 第二周目も亦同じ。 しかし、第三周目に及んだとき、断然八条流の黒住団七と、大坪流の古高新兵衛の両頭が、三馬身ずつあとの二人を抜きました。つづいて第四周目に及んだとき、さらに両名は二馬身ずつうしろの二人を抜いて、黒白両頭の名馬は、一進一退馬首を前後させながら、次第に第五周目の決勝点に迫りつつあったので、大坪流の古高勝名乗りをうけるか、八条流の黒住勝つか、場内の者等しく手に汗を握ったとき! ――だが、突如としてここに、予想だにもしなかった呪うべき椿事(ちんじ)が勃発したのです。先頭を切りつつあった古高、黒住の両名が、あと半周りで最後の決勝点へ這入ろうとしたその曲り目の一般席前までさしかかった時でしたが、見物席中からであったか、それともうしろの幔幕外(まんまくそと)からであったか、一本の鉄扇がヒュウと唸りを発しつつ、たしかに葦毛の黒住団七めがけて、突如矢のように飛んで来ると、あわやと思ったあいだに、結果は意外以上の意外でした。気がついたものかそれとも偶然からか、狙われた団七がふと首をすくめたので、危うく鉄扇がその身体の上を通り越しながら、丁度並行して大坪流の秘術をつくしつつあった右側向うの、黒住団七ならぬ古高新兵衛の脇腹に、はッしと命中いたしました。 ために古高新兵衛はドウと顛落(てんらく)落馬したことは勿論のこと、そのまに危うく難を避け得た黒住団七が凱旋将軍のように決勝点へ駈け入りましたが、しかし、場内はこの思いもかけぬ椿事のためにいずれも総立ちとなって、将軍家におかせられては御不興気にすぐさま御退出、曲者(くせもの)捕(とら)えろッ、古高新兵衛を介抱しろッ、どうしたッ、何だッ、と言うようなわめき声が八方に上がりまして、ついに折角の御前試合も、忽ち騒然、右往左往と人が飛び交いつつ、見る見るうちに場内はおぞましき修羅の巷と化してしまいました。 とみて、わが退屈男の色めき立ったのも勿論です。 「のう、京弥!」 「はッ」 「最初からそれなる両名、特に殺気立っていたようじゃったが、先程試合前にあの美形が天降ったあたりといい、何ぞまた退屈払いが出来るやも知れぬぞ」 「いかさま様子ありげにござりまするな。念のために一見致しましょうか」 「おお、参ってみようぞ。要らぬ詮議立てじゃが、この木の芽どきに生欠伸(なまあくび)ばかりしているも芸のない話じゃからな。ちょっとのぞいてみるか」 いかにも出来事が奇怪でしたので、のっそり立ち上がると、あの三日月形の疵痕に、無限の威嚇を示しつつ、のっそり場内へおりていきました。
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作家录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语 |
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