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旗本退屈男(はたもとたいくつおとこ)02 第二話 続旗本退屈男

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 10:19:24  点击:  切换到繁體中文

底本: 旗本退屈男
出版社: 春陽文庫、春陽堂書店
初版発行日: 1982(昭和57)年7月20日新装第1刷
入力に使用: 1997(平成9)年1月20日新装第8刷

 

旗本退屈男 第二話

続旗本退屈男

佐々木味津三




       一

 ――その第二話です。
 前話でその面目の片鱗をあらましお話ししておいた通り、なにしろもう退屈男の退屈振りは、殆んど最早今では江戸御免の形でしたから、あの美男小姓霧島京弥奪取事件が、愛妹菊路の望み通り造作なく成功してからというもの、その後も主水之介が毎日日(ひ)にちを、どんなに生欠伸(なまあくび)ばかり連発させて退屈していたか、改まって今更説明する必要がない位のものでしたが、しかし、およそ世の中の物事というものは兎角こんな風に皮肉ばかりが多いものとみえて、兄のすこぶる退屈しているのに引替え、これはまたすこぶる退屈しなくなり出した者は、主水之介にいとしい思い人の京弥を新吉原から土産に持って来て貰った妹の菊路でした。
 また人間、菊路でなくとも好きぬいた思い人をあんな工合に意気な兄から土産に貰って、しかも一つ家の屋の棟下に寝起きするようになれたとしたら、誰にしたとてこの世の春がことごとく退屈でなくなるのは当然な事ですが、不都合なことには、またその当事者同士である菊路と京弥なる者が、両々いずれも二十(はたち)前と言う水の出端(でばな)でしたから、その甘やかなること全く言語道断沙汰の限りで、現にこの第二話の端を発した当日なぞもそうでした。
「な、京弥さま。あのう……お分りになりましたでござりましょう?」
「は。分ってでござります。のち程参りますから、お先にどうぞ」
 そこの廊下先でばったり出会うと、何がどう分ったものか、目と目で物を言わせながら、二人してしきりに分り合っていた様子でしたが、間もなく前後して吸われるように、姿を消していってしまったところは、庭の向うのこんもり木立ちが繁り合った植込みの中でした。
 けれども、江戸名物の元禄退屈男は、一向それを知らぬげに、奥の一間へ陣取って、ためつすかしつ眺めながら、しきりにすいすいと大業物(おおわざもの)へ油を引いていたのも、世は腹の立つ程泰平と言いながら、さすが直参お旗本のよき手嗜(てだしな)みです。しかもそれが新刀は新刀でしたが、どうやら平安城流(へいあんじょうりゅう)を引いたらしい大変(おおのた)れ物で、荒沸(あらに)え、匂い、乱れの工合、先ず近江守か、相模守あたりの作刀らしい業物でしたから、時刻は今短檠(たんけい)に灯が這入ったばかりの夕景とは言い条、いわゆるこれが良剣よく人をして殺意を起こさしむと言う、あの剣相の誘惑だったに違いない。――ほのめく短檠の灯りの下で、手入れを終った刀身をじいっと見詰めているうちに、じり、じりと誘惑をうけたものか、ぶるッと一つ身をふるわして、呟くごとくに吐き出しました。
「血を吸わしてやりとうなったな――」
 だが、そのとき、殺気を和(なご)めるようにぽっかりと光芒(こうぼう)爽(さや)けく昇天したものは、このわたりの水の深川本所屋敷町には情景ふさわしい、十六夜(いざよい)の春月でした。
「退屈男のわしにはつがもねえ月じゃ。では、まだ少し早いが、ひと廻り曲輪(くるわ)廻りをやって来るか」
 のっそりと立ち上がって、今、血に巡り会わしてやりたいと言ったばかりの業物を、音もなくすいと腰にしたとき――、
「お兄様! お兄様!」
 遂(と)げても遂げても遂げ足りぬ恋をでも遂げに行ったらしかった妹菊路が、京弥と一緒に慌ただしくこちらへ駈け走って来たかと見えると、突然訴えるごとくに言うのでした。
「いぶかしいお方が血まみれとなりまして、あの塀外から屋敷うちへ飛び込んでござります。いかが取り計いましょうか」
「なに? 血まみれとな? お武家か町人か、風体(ふうてい)はどんなじゃ」
「遊び人風のまだ若い方でござります」
 言っている庭先へ、よろめきながら本人が姿を見せると、いかさま全身数カ所に何かの打撲傷(だぼくしょう)らしい疵をうけて、血まみれ姿に喘ぎ喘ぎ退屈男の顔を見眺めていましたが、それあるゆえにある時は剣客をも縮み上がらす威嚇となり、それゆえにある時はまた、たわれ女(め)に悩ましい欲情を唆(そそ)り湧かしめるあの凄艶無比(そうえんむひ)な三日月形の疵痕を、白く広い額に発見するや、やにわと言いました。
「もっけもねえところへ飛び込んでめえりました。早乙女の御前様のお屋敷じゃござんせんか。お願げえでごぜえやす。ほんの暫くの間(ま)でよろしゅうごぜえますから、あっしの身柄を御匿(おかく)まい下せえまし。お願げえでごぜえます。お願げえでごぜえます」
「なに、そちの身柄を予に匿まえとな!?」
「へえい。どう人違いしやがったか、何の罪科(つみとが)もねえのに、御番所の木ッ葉役人共めが、この通りあっしを今追いかけ廻しておりやすんで、御願げえでごぜえやす。ほんのそこらの隅でよろしゅうごぜえますから、暫くの間御匿まい下せえまし」
「ほほう、町役人共が追いかけおると申すか。だが、匿まうとならばこの後の迷惑も考えずばなるまい、仔細はどんなことからじゃ」
「そ、そんな悠長な事を、今、この危急な場合に申しあげちゃいられませぬ。な、ほら、あの通りどたばたと、足音がきこえやすから、後生でごぜえます。御前のお袖の蔭へかくれさせて下せえまし」
「いや、匿まうにしたとて、そう急(せ)くには及ばぬ。無役ながらも千二百石を賜わる天下お直参のわが屋敷じゃ、踏ん[#ママ]込んで参るにしても、それ相当の筋道が要るによって、まだ大事ない。かいつまんで事の仔細を申せ」
「それが今も申し上げた通り、仔細もへちまもねえんですよ。御前の前(めえ)で素(す)のろけらしくなりやすが、ちっとばかり粋筋(いきすじ)な情婦(いろ)がごぜえやしてね、ぜひに顔を見てえとこんなことを吐かしがりやしたので、ちょっくら堪能させておいて帰(けえ)ろうとしたら、何よどう人(ひと)間(ま)違げえしやがったか、身には何も覚えがねえのに、役人共が張ってやがって、やにわに十手棒がらみで御用だッと吐かしゃがッたので、逃げつ追われつ、夢中であそこの塀をのりこえてめえりやしたが、もっけもねえ。それが御前のお屋敷だったと、只これだけの仔細でごぜえます」
「でも、そち、そのふところにドスを呑んでいるようじゃが、何に使った品じゃ」
「えッ――なるほど、こ、こりゃ、その、何でごぜえます。情婦の奴が、こんな物を知合の古道具屋が持ち込んで来たが、女には不用の品だから何かの用にと、無理矢理持たして帰(けえ)しやしたのを、ついそのままにしていただけのことなんでごぜえますから、後生でごぜえます。もう御勘弁なすって、どこかそこらの隅へ拾い込んで下せえまし」
「ちとそれだけの言いわけでは、そちの風体と言い、面構(つらがま)えと言い、主水之介あまりぞっとしないが、窮鳥(きゅうちょう)ふところに入らば猟師も何とやらじゃ。では、いかにも匿まってつかわそうぞ。安心せい」
 だからどこか部屋のうちにでも匿うのかと思うと、そうではないので、ここら辺が江戸名物旗本退屈男の面目躍如たるところですが、安心いたせと言ったにも拘らず、風体怪しきそれなる血まみれ男を、ちゃんとそこの庭先へすて置いたままでしたから、その時御用提灯をかざしながら、どやどやと押し入って来た町役人共の目に当然のごとく発見されて、すぐさま罵り下知する声があがりました。
「こんなところへ逃げ込みやがって、手数をかけさせる太い奴じゃ。うけい! うけい! 神妙にお縄をうけいッ」
 きくや、退屈男の蒼白秀爽な面(おもて)に、ほんのり微笑が浮いたかと見えましたが、一緒にピリピリと腹の底に迄も響くかのごとくに言い放たれたものは、小気味よげなあの威嚇の白(せりふ)です。
「あきめくら共めがッ、この眉間の三日月形が分らぬかッ」
「………?![#「?!」は横一列]」
「よよッ」
「………!」
「分ったら行けッ」
「早乙女の御前とは知らず、お庭先をお騒がせ仕って恐れ入ってござります。なれ共、それなる下郎はちと不審の廉(かど)あって召捕らねばならぬ者、役儀に免じてお下げ渡し願われますれば仕合せにござります」
「では、行けと申すに行かぬつもりかツ[#ママ]」
「はは、申しおくれましてござりまするが、拙者は北町奉行所配下の同心、杉浦権之兵衛と申しまする端役者(はやくもの)、役儀に免じて手前の手柄におさせ願われますれば、身の冥加(みょうが)にござります」
「ならば行けッ。無役なりとも天下お直参の旗本じゃ。上将軍よりのお手判(てはん)お差紙(さしがみ)でもを持参ならば格別、さもなくばたとい奉行本人が参ったとて、指一本指さるる主水之介[#「主水之介」は底本では「主水介」と誤植]ではない。ましてやその方ごとき不浄端(は)役人に予が身寄りの者引き立てらるる節はないわッ。行けッ、下がれッ」
「えッ。では、それなる下郎、御前の御身寄りじゃと申さるるのでござりまするか!」
「言うが迄もない事じゃ。当屋敷の内におらば即ち躬(み)が家臣も同然、下がれッ、行けッ」
 口惜しがって地団駄踏んでいましたが、鳶の巣山初陣が自慢の大久保彦左以来、天下の大老老中とても滅多な事では指を触れることの出来ない、直参旗本の威厳が物を言うのでしたから、まことに止むをえないことでした。
「………!」
「………!」
 いずれも歯を喰いしばりつつ、無言の口惜しさを残して、屋敷の外へ御用提灯が遠のいていったので、風体怪しき血まみれ男が、ぺこぺこ礼を言ってそのまま疾風のごとく闇に消えようとしたのを、
「まてッ。そちにはまだ大事な用があるわ」
 鋭く主水之介が呼び止めながら、のそりのそりと庭先へ降りて行くと、ぎょッとなったようにして立ち止まっている件(くだん)の男の側に歩み寄ったかと見えましたが、ここら辺もまた退屈男の常人(じょうじん)でない一面でした。
「町役人とてもこれをこの分ではさしおくまい。わしとても亦その方をこの分で野に放つのは、いささか気懸りゆえ、また会うかも知れぬ時迄の目印しに、これをつけておいてつかわそうよ」
 言うか言わぬかのうちに、およそ冴えにも冴えまさった武道手練の妙技です。しゅッと一閃(せん)、細身の銀蛇(ぎんだ)が月光のもとに閃めき返るや一緒で、すでにもう怪しの男の頤先(あごさき)に、ぐいと短く抉(えぐ)った刀疵が、たらたら生血(なまち)を噴きつつきざまれていたので、
「痛えッ、疑ぐり深けえ殿様だな」
 不意を衝かれて男が言い叫んでいましたが、主水之介が言ったごとく、どうも少し気にかかる奴でした。言いつつむささびのように身を翻えすと、もう姿が闇の中に吸い込まれていったあとでした。

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