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春近い江戸の
「見つからねえのかい」
「相手は娘じゃねえですか。あっしともあろう者が、娘っ子の巣を見のがしてなるもんですかい。ふたところあるんですよ」
「そいつあ豪儀だ。この近所か」
「近所も近所も裏通りの路地に一軒、向こうの横町に一軒、裏通りは五人、向こう横町のほうは八人、お節句着物でも縫っているとみえてね、両方ともあかりをかんかんともして、いっしょうけんめいとおちくちくをやっているんですよ。いい娘のそろっているほうがご注文なら、ちっと遠いが向こう横町だ。いきますかえ」
「いい娘が見たくて行くんじゃねえ、近いほうがいいや、連れていきな」
てがら顔に連れていったその裏通りへ曲がってみると、なるほど路地を奥へはいった一軒の表障子に、それらしい娘たちの影が見えました。
「許せよ」
つかつかとはいっていくと、あんどんのまわりから、いっせいにふり向いた五人のお針子たちをじいっと見比べていたが、あごで示した娘が不思議なのです。
「あの右から三人めの不器量な娘だ。あそこのかどまで呼んできな」
「な、な、なんですかい。冗談じゃねえ、えりにえって、あんなおででこ娘に白羽の矢を立てなくともいいでしょう。ほかに見晴らしのいいのが、ふたりもおるじゃねえですかよ」
「大きな声を出すな。聞こえるじゃねえか。器量のいい娘のうわさに、器量のわるい娘ほど知っているものなんだ。勘のにぶいやつだ。ご苦労だがちょっと来てくれといって、おとなしく連れてきな」
いちいちとむだのない計らいでした。にやにや笑って、伝六が連れてきたのを見迎えると、おだやかに尋ねました。
「お仕事中をおきのどくさまでしたな。隠しちゃいけませんぜ。あんたの町内はどこでござんす」
「…………?」
「こわいこたあねえ、ちょっとききたいことがあってお呼び申したんですよ。この近くのお町内ならお知りでしょうが、あそこの岡三庵先生のところのお嬢さんのことを何かご存じじゃござんせんかい」
いぶかしそうに右門の顔を見ながめながら、おどおどと言いためらっていたが、これをみろというように伝六が横からぴかぴかと振った十手に気がついたとみえて、ふるえふるえ意外なことをいったのです。
「ほ、ほかのことは知りませぬが、なんでもお
「お櫃! 中には、なにがはいっているんです」
「知りませぬ。毎晩夜ふけになるとそのお櫃をたいせつにかかえて、お女中さんをひとりお供につれて、こっそりどこかへ出ていくとかいううわさでござります」
「どこへ行くんです」
「そ、それも知りませぬ。ほかには何も存じませんゆえ、もう、もうごかんべんくださいまし……」
言い捨てると、娘は逃げるように駆け去りました。
聞き捨てならないうわさでした。
名人の目が底深く微笑して、きらりと光りました。
「べらぼうめ、くせえとにらんだらあの青娘、案の定これだ、夜ふけにはまだ
ずんずん通りを
「子どもだな。ちっとかわいそうだが、張り番させるにゃかえっていいかもしれねえ。――大将大将」
目も早いが、思いつくのも早いのです。手をあげてさし招きながら呼びよせると、ちゃりちゃりと小銭をたっぷり握らせて言いつけました。
「
「見張りをするのかい」
「そうよ。なかなかわかりがいい。だから、向こうに見つからねえようにしなくちゃいけねえぜ。おじさんは、ほら、みろ、そこの川の中に小船があるだろう。あの中に寝ているから、万事抜からねえようにやるんだぜ」
「あいきた。わかったよ。出てきたら、合い図にあのうちの前の土手でちょうちんを振るからね。すぐに来ておくれよ」
小ざるのように飛んでいったのを見送りながら、つなぎ捨ての小船の中へ降りていくと、身を忍ばせて合い図を待ちうけました。
事ここにいたっては、伝六ももう鳴りどころの騒ぎではないのです。船へはいるから十手にうねりをうたせて、いまかいまかと目をさらにしながら待ち構えました。
のび上がり、のび上がり、待ちわびているうちに、四半刻、半刻と夜が沈んで、しだいにしんしんとふけ渡りました。家のあかりもまた一軒一軒と消えていって、ふわり、ふわりとえり首をなでる夜風の気味わるさ、ぱったりと人影もなくなりました。
もうそろそろ合い図があってもいいころです。
と思ったせつな――ちらちらとはげしく土手の向こうであかりが動きました。
「それ、きたぞ! さあ来い! お
ぱっとこうもりのように飛び出した伝六のあとから、ひたひたと名人も足音ころして追いかけました。
「どっちだ!」
「あそこ! あそこ! あのへいかどを左へ曲がっていくふたりがそうですよ」
てがら顔に辻占売りが指さしたやみの向こうを見すかすと、なるほど二つの黒い影が急いでいるのです。
ふたりともにすっぽりと、お
「懐剣を持っているな」
「懐剣!」
「あのうしろを守って行く女中のかっこうを見ろ。左手で胸のところをしっかり握っているあんばいは、たしかに懐剣だ。どうやら、こいつは思いのほかの大物かも知れねえぜ」
ぴんと名人の胸先にひらめいたのは、――血! 血! 血! あの軸物に降るいぶかしい生血のことでした。
娘のかかえている不思議なお櫃は、血を入れるお櫃かもしれないのです。うしろの女中の懐剣は、その血をとりにいく懐剣かもしれないのです。
生き血を盗みに行く娘。
犬の血か? 人の血か?
左右をすかしつ、見つつ、人目を恐れるようにひたひたと急いでいく様子は、ともかくもなにか大きな秘密を持っているにちがいないのです。
「だいじなどたん場だ。声を出したらしめ殺すぞ」
「だ、だ、だ、だいじょうぶ。なんだか変なこころもちになりやがって、出したくとも、で、で、出ねえんですよ……」
震え声にもうちぢみあがっている伝六を従えながら、注意深く影を隠してふたりのあとをつけました。