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待ちうけているところへ、ことりことりと下から足音が近づいて、若い男の顔がまずぽっかりと現われました。
「書生か」
「さようでござります」
「名は?」
「平四郎と申します」
なにかもっときくだろうと思ったのに、それっきりです。
「よし。行け」
けげんそうに帰っていったのと入れ違いに、また若い顔が現われました。
「おまえも書生だな」
「さようでござります」
「親は男親がすきか、母親がすきか」
「は……?」
「よしよし。もう帰れ」
不思議そうに首をかしげて降りていったあとから、ことことと足音が近づきました。軽いその足音を聞いたばかりで、あげもしないのです。
「よし、わかった。下男だな。来んでもいい。かえれ」
入れ違いに重い足音が近づくと、代脈らしい男の顔が現われました。ちらりとその顔を見たばかりです。
「よし。おまえにも用はない。早く行け。あとはふたりずつ来るよう言いつけろ」
これもけげんそうに帰ったあとから、
「おまえ、すきだろう。伝六、何かきいてみな」
「へ……?」
「おふたりとも、なかなかご器量よしだ。もののはずみで、どんなことにならねえともかぎらねえ。ききたいことがあったら、尋ねてみろといってるんだよ」
「はずかしいや……」
「がらかい!――よし、よし、ご苦労さまでした。もう用はありませぬ。あとはおうちのおふたりだ。すぐに来るよう申してもらいましょう」
同じように首をかしげながら降りていったのと入れ違いに、ものやわらかなきぬずれの音が近づきました。
妻女と娘のふたりです。母は五十くらい、あたりまえな顔だが、しかし、娘はうって変わって、寒くなるような美人でした。手、指、つめ、どこからどこまでがほっそりとしていて、青く白く、血のない女ではないかと思えるほどに、しんしんと透きとおっているのです。そのうえに震えが見える。美しい顔が、足が、かすかに波をうっているのです。
「お名まえは?」
「
「ほほう、千萩さんといいますか。いまにも散りそうな名でござりまするな」
上から下へ、右から左へ、娘の顔とふた親の顔とを、じろり、じろりと見比べていたが、なにを見てとったか、ふいと立ち上がると、さっさと帰りじたくを始めました。
「ぞうさはござりますまい。なんとか目鼻がつきましょう。だれにもいっさい他言せぬようお気をつけなさいませよ。いいですかい。お忘れなすっちゃいけませんぞ」
特に念を押しておくと、早いものです。すうと出ていったかと思うと、しかし、とつぜん、伝六をおどろかして命じました。
「この町内か、近くの町内に、お針の師匠はねえか、洗ってきな」
「お針……? お針の師匠というと、おちくちくのあのお針ですかい」
「決まってらあ。つり針や意地っぱりに師匠があるかい。どこの町内でも、娘があるからにゃお針の師匠もひとりやふたりあるはずだ。がちゃがちゃしねえで、こっそりきき出してきな」
「…………?」
「なにをぼんやりひねっているんだよ。おひねりだんごじゃあるめえし、まごまごしていりゃ夜がふけるじゃねえか」
「あんまり人を小バカにしなさんな。ひねりたくてひねっているんじゃねえですよ。裏を返して軸物を掛けてみたかと思や、ひとりひとり呼びあげて、ろくでもねえことをきいて、町内にお針の師匠がおったら何がどうしたというんです。ひねってわるけりゃ、もっと人情のあることをいやいいんですよ」
「しようのねえ男だな。これしきのことがわからなくてどうするかい。くれぐれもご内密にと、
「足も震えるだろうし――」
「それだけわかってりゃ、なにも首なんぞひねるがものはねえじゃねえかよ。ほかの者はみんなけげんそうな顔をして降りていったが、あの娘だけが震えていたんだ。ばかりじゃねえ。おまえさんはあの娘の顔と親たちの顔を比べてみたかい」
「いいえ、自慢じゃねえが、あっしゃそんなむだをしねえんですよ。べっぴんはべっぴんでけっこう目の保養になるんだからね。しわくちゃな親の顔なんぞと比べてみなくとも、ちゃんと
「あきれたやつだ。だから、伝六でんでんにしんの子、酒のさかなにもなりゃしねえなんぞと、子どもにまでもバカにされるんだよ。とびがたかを産んだという話はきくが、おやじの三庵はあのとおりおでこの
「かたじけねえ。そういうふうに人情を割って話してくれりゃ、あっしだってすねるところはねえんですよ。べらぼうめ、どうするか覚えていろ。ほんとうに……! おうい、どきな、どきな、じゃまじゃねえか。道をあけな」
べつにだれも道をふさいでいるわけではないのに、事ひとたび伝六が勇み立ったとなるとすさまじいのです。ひらひらとそでを振っていったかと思うまもなく、姿が消えました。