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海賊橋から江戸橋を渡って、
「お越しだな! こちらへ、こちらへ。そこでは人の目にたつ。失礼じゃが、こちらからご案内申せ」
待ちきっていたとみえて、あわただしい声といっしょに、その三庵がうろうろしながら取り乱した顔をみせると、おろした駕籠を内玄関のほうへ回させて、そのまま人の目にかかるのを恐れるようにあたふたと招じあげました。
「わざわざお呼びたていたしまして、なんとも申しわけござりませぬ。いえ、なに、じつはその、なんでござります。てまえ参邸いたすが本意でござりますが、――これッ、これッ、なにをうろうろしておるのじゃ。来てはならぬ。行け、行け。のぞくでない!」
ことばもしどろもどろに、うろたえているのです。ひとり残らず家人の者も遠ざけて、きょときょとと八方へ目を配りながら、案内する間もおびえおびえ導いていったところは、二階の奥まった豪壮きわまりないへやでした。
高い天井、みごとな柱、凝ったふすま、なにからなにまでが入念な品を選んだ座敷です。そのへやの床ぎわへこわごわすわると、恐ろしいものをでもしらせるように、三庵が青ざめた顔をふり向けながら、黙って床の間をゆびさしました。
血だ! 大きな床いっぱいのようにかかっている
「なるほど、わざわざお呼びはこれでござりまするな。いったい、これはどうしたのでござる」
「どうもこうもござりませぬ。岡三庵、今年五十七でござりまするが、生まれてこのかた、こんな気味わるい不思議に出会うたことがござりませぬゆえ、とうとう思いあまって、ご内密におしらべ願おうと、お越し願ったのでござります。よくまあ、これをご覧くださりませ。天井からも、壁からも、ただのひとしずくたれたあとはござりませぬ。床にもただの一滴たれおちてはおりませぬ。それだのに、どこから降ってくるのか、このへやのこの床の間へ軸ものをかけると、知らぬまにこのとおり血が降るのでござります」
「知らぬまに降る?――なるほど、そうでござるか。では、今までにもたびたびこんなことがあったのでござりまするな」
「あった段ではござりませぬ。これをまずご覧くださりませ」
そういうまも、三庵はあたりに気を配りながら、こわごわ袋戸だなをあけると、気味わるそうに幅物を取り出して、名人の前にくりひろげました。
数は六本。その六本のどれにもこれにも、同じようにぽたぽたと血がしたたりかかっているのです。
「なるほど、ちと気味のわるい話でござりまするな。血のいろに古い新しいがあるようじゃが、いつごろから、いったい、こんなことが始まったのでござる」
「数のとおり、ちょうど六日まえからでござります。そちらの右はじがいちばんさきの幅でござりまするが、前の晩までなんの変わりもございませんでしたのに、朝、ちょっとこのへやに用がござりましたゆえ、なんの気なしに上がってまいりまして、ひょいと床を見ましたら、そのとおり血が降っていたのでござります。医者のことでござりますゆえ、
こんな怪事はまたとない。犬の血、ねこの血、人の血、なんの血であるにしろ、替えれば替える一方から知らぬまに降っているとは、いかにも不思議です。念のために、名人は、軸のうえ、天井、左右のぬり壁、軸の下、残るくまなく
「さあ、いけねえ。左
「黙ってろ。うるさいやつだ。へらず口をたたくひまがあったら、こっちへ
さっそくに横から始めかけた伝六をしかりとばして、自身も手燭をかざしながら廊下へ出ると、へやの位置、出窓、内窓、間取りのぐあい、四方八方へ目を光らせました。
二階はこのへやと、次の間を入れてふた間きりです。そのふた間の前に、ずっと広い廊下があって、廊下の外はあまり広くない内庭でした。その庭をはさんで、脈べや、治療べや、薬べやなぞが
当然のように、名人の静かな問いが下りました。
「はしご段は?」
「いま上がってきたのが一カ所きりでござります」
「夜はどなたが二階におやすみでござるか」
「どうして、どうして、見らるるとおりこれは自慢の客間でござりますのでな。寝るどころか、家人のものもめったにあげませぬ。この下がてまえども家族の居間に寝間、雇い人どもは向こうの別棟でござります」
「その雇い人はいくたりでござる」
「まず代脈がひとり、それから書生がふたり、下男がひとり、
「うちうちのご家族は?」
「てまえに、家内、それから娘、それから――いいや、いいや、それだけじゃ、ことし十九になる娘がひとりきりでござります」
「しかとそのお三人か!」
「まちがいござりませぬ。天にも地にも娘がひとり、親子三人きりでござります」
「別棟からの廊下は筒ぬけでござるか。それとも、なにか仕切りがござるか」
「大ありでござります。なにをいうにも、表のほうへは、朝から晩までいろいろの病人が出はいりしますのでな、奥と表とごっちゃになって不潔にならぬようにと、昼も仕切り戸で仕切って、夜は格別にきびしく雇い人どもへ申し渡してありますゆえ、この二階はおろか、奥へもめったには参られませぬ」
奥への出入りさえもきびしく止めてあるというのです。しかし、外からこの二階へはいりうべき足場は、なおさらどこにもないのでした。ないとしたら、伝六のいうがごとく、絵みずからが血を吹けば知らぬこと、でないかぎり、ホシはまず家の中に、とにらむのが至当です。
「しようがねえ、あんまりぞっとしねえ手だが、やっつけてみようぜ。ねえ、おい、あにい」
「へ……?」
ふり向いた顔へ、ぽつりと不意に不思議な右門流が飛びだしました。
「なにか踏み台をお借り申して、なげしへこの絵をみんな裏返しにして掛けな」
「裏返し!」
「掛けりゃいいんだ。早くしな!」
床の間の一軸も裏返しに掛けさせて、ずらり七枚並んだのを見ながめると、静かに三庵に命じました。
「いらざる口をさしはさんではいけませぬぞ。雇い人からがよい。家の者残らずを順々にここへ呼んでまいらっしゃい」