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「わたくし、名はしげ代と申します。
生まれは、越後新発田でござります。こちらさまへご奉公に上がったのは、きのうやきょうではありませぬ。わたくし、十三歳のときからでございます。と申しましたらご不審でござりましょうが、当家、ご主人松坂甚吾様はご養子でござりまして、奥さまおこよ様のご父君松坂兵衛様とおっしゃるおかたが、国もと新発田の溝口藩に、やはりご祐筆として長らくお仕えでござりましたゆえ、わたくしも字のおけいこかたがたご奉公に上がっていたのでござりまするが、おととし、ご先代兵衛様おなくなりあそばすといっしょに、どうしたことやらご養子の甚吾様が、ご自分から国もと溝口藩をご浪人あそばされましてこの江戸へ参り、去年夏より、当加賀家へやはりご祐筆としてお仕官なさることになりましたゆえ、わたくしも国もとから呼び寄せられまして、またまたご奉公することになったのでござります。 うそ偽りはありませぬ。何かわたくしめをお疑いのご様子でござりまするが、わたくしの身になにひとつうしろ暗いことはござりませぬ。これでお許しくださればしあわせにござります」
素姓の意外はとにかくとして、すらすらと書き流した字のうまさ。じつにみごとです。 じろりじろりと目を光らしながら、いま書いたその文字と、書き置きの字とを見比べていましたが、ふふんというように白く笑うと、やんわりあびせました。 「争われないものさ。似ているね」 「な、なにがでござります」 「同じ人間が書いたものは、どうごまかそうとしたって似ているということよ。いま書いた字と、書き置きの字とはそっくりじゃねえか」 げえッ、というように青ざめて、やにわにしげ代と名のったその女中が、二枚の紙をわしづかみにしながら逃げ出そうとしたのを、 「神妙にしろい。おいらをだれだと思ってるんだ」 ぴたりと押えてすわらせると、たたみかけた啖呵もまた急所をえぐりました。 「慈悲をかけねえっていうわけじゃねえ。出ようしだいによっては、いくらでも女にやさしくなるおいらなんだ。むっつりの右門がむだ石を打つかい。べらぼうめ。おまえのその手の墨はなんだ。そでの墨はなんだ。こいつめ、にせの書き置きを書きやがったなとにらんだればこそ、おまえの字を知りたくて、わざわざ一筆ものさしたんだ。似たりや似たり、うり二つというのはこいつのことだ。両方の字のそっくりなのが論より証拠だ。この書き置きもおまえが書いたんだろう。どうだ、違うか」 「そうでござりましたか。やっぱり、やっぱりそのためでござりましたか。不意に名をかけとおっしゃいましたゆえ、もしやわたしの字をお調べではあるまいかと、書きながらもひやひやしておりましたんですが、恐れ入りました。いかにもこの書き置きはにせものでござります。書き手もおっしゃるとおり、このわたくしに相違ござりませぬが――」 「ござりませぬが、なんだというんだ」 「わたくしがすき好んで書いたのではござりませぬ。人におどかされまして、書かねば殺すぞと人におどかされまして、いやいやながら書いたのでござります」 「へへえ、急に空もようが変わってきやがったね。うそじゃあるめえな」 「いまさらなんのうそ偽りを申しましょう。あのかたに殺されたらと、それがおそろしくて、お隠し申していたんでござりまするが、もうもうなにもかも白状いたします。奥さまが死出の旅路にお出かけなさったなぞとはまっかな偽り、その奥さまは人にさらわれたんでござります。さらっておいて、罪を隠すためにそのかたがわたくしをおどしつけ、このようなにせの書き置きを書かせたのでござります」 「だれだ、あの矢で殺された若侍か」 「いいえ、あのかたこそ、ほんとうにおかわいそうでござります。同役というだけでいろいろご心配なさいましたのに、あんなことになりまして、さぞやご無念でござりましょう。さらった人は、わたしをおどしつけた人は、大口三郎というおかたでござります」 「どこのやっこだ」 「もとは同じ溝口藩のご祐筆、うちのご主人とはお相弟子、ご先代松坂兵衛様のご門人でござります」 「いま浪人か!」 「いいえ、やはり当加賀家へご仕官なさいまして、ただいまはご祐筆頭でござります」 「なに! ご祐筆頭! そろそろ焦げ臭くなってきやがったな。ひとり身か!」 「いいえ、奥さまもお子さまもおおぜいござります」 「それだのに、なんだとて人の奥方をさらったんだ」 「と存じまして、わたくしもじつはいぶかしく思うているのでござります。りっぱな奥さまがござりましたら、ふたりも奥さまはいらないはずでござりますのに、どうしてあんな手ごめ同様なことをなさいましてさらっておいでなされましたやら、だんなさまの変死だけでも気味がわるいのに、おりもおり、気に入らないことをなさるおかたでござります」 「どこへさらっていったかわからねえか」 「たぶん――」 「たぶんどこだ」 「日ごろから、特別になにやらお親しそうでござりますゆえ、この裏側のお長屋の依田重三郎様のお宅ではないかと思われますのでござります」 「何をやるやつだ。やっぱり祐筆か」 「いいえ、依田流弓道のご師範役でござります」 「なにッ、弓の師範! そうか! とうとう本においがしてきやがったな。――ねえ、あにい」 「へ……?」 「とぼけた返事をするない。桂馬がかりの詰め手というのは、こういうふうに打つんだ。気をつけろい」 「さようでございますかね」 「なにがさようでございますかだ。十手を用意しな! 十手を! まごまごしていたら、依田流のねらい矢でやられるというんだよ。こわかったら小さくなってついてきな」 なぞからなぞへつづいていた雲の上に、突如として一道の光明がさしてきたのです。時を移さず、名人主従は、教えられた弓道師範依田重三郎の住まいを目ざしました。
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