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その第三十五番てがらです。
鼻が吹きちぎられるような寒さでした。
まったく、ひととおりの寒さではない。いっそ雪になったらまだましだろうと思われるのに、その雪も降るけしきがないのです。
「おお、つめてえ、ちきしょう。やけにまた寒がらしをきかしゃがらあ。だから、ものごとの正直すぎるってえのはきれえなんだ。たまには寒中にほてってみろよ。冬だからたって、なにもこう正直に
朝も今、夜があけたばかり、――この寒いのに、こんな早く変な声がしたからにはもちろん伝六であろうと、ひょいとみると、伝六は伝六だったが変なやつでした。しょんぼりと立って、めそめそ泣いているのです。
「なんだ」
「へ……?」
「へじゃないよ。たった今がんがんとやかましくがなってきたのに、なにを急にめそめそやるんだよ。寒にあてられたのかい」
「あっしが泣いたからって、いちいちそうひやかすもんじゃねえんですよ。悲しいのはあっしじゃねえんだ。こう暮れが押しつまっちゃ、人づきあいをよくしておかねえと、どこでだれに借銭しなくちゃならねえともかぎらねえからね。そのときの用心にと思って、ちょっとおつきあいに泣いたんです。あれをご覧なさい、あれを――」
「…………?」
いぶかしいことばに、起きあがって、指さした庭先を見ながめると、しょんぼりとたたずんでいる人影が見えました。
はかま、大小、素はだしに髪は乱れて、そのはかまも横にゆがみながら、なにかあわてふためいて必死とここへ駆けつけてきたらしい様子が見えるのです。
「お
「そ、そ、そうなんですよ。ちらりと見たばかりでホシをさすたアえれえもんだね。あの、だんな、ご親類ですかい」
「腰にお牢屋のかぎ束をぶらさげていらっしゃるじゃねえか。いちいちとうるせえやつだ。ご心配そうにしていらっしゃるが、何か起きたのかよ」
「起きた段じゃねえんだ。しかじかかくかく、こいつとてもひとりの力じゃ手に負えねえとお思いなすったとみえてね、まずなにはともかくと、あっしのところへ飛んでおいでなすったんですよ。うれしいじゃござんせんか、そのご気性がね。伝六はむっつり
「うるさいよ! なにをひとりでべらべらやっているんだ。おまえなんぞに聞いていたら手間がとれらあ。じゃまっけだから、こっちへ引っこんでいな」
「いいえ、だんな、お黙り! あっしがしゃべりだしたからって、そうそう目のかたきにしなくともいいんですよ。話にはじょうずへた、物にはこつというものがあるんだ、こつがね、そのこつをよく心得ているからこそ、あっしがあちらのだんなに代わって、手間をとらせず、むだをいわず、事のあらましをかいつまんで、のみこみのいいように物語ろうってえいうんじゃねえですか。ちゃんとエンコして、おとなしく聞いていらっしゃい。いいですかい。あちらのだんなはお牢屋同心なんだ。お牢屋同心てえいや、伝馬町の囚罪人を預かっていらっしゃるやかましい役がらなんです。名は牧野源内さま、お預かりの牢は平牢の三番べや。いま十九人という大連が三番牢にぶちこまれているというんですがね。ところがだ、その三番牢で、ゆうべ人切りがあったというんですよ、人切りがね。ただの人殺しじゃねえ、罪人がひとり切られて死んでいるというんだ。だんなもご存じでしょうが、ふとん蒸し、水責め、さかつるし、罪人どうしの間で刃物を使わねえ人殺しは、これまでもちょくちょくねえわけじゃねえんです。しかし、刃物を使った人殺しは、天地
「…………」
「どうですかよ。不思議じゃござんせんか。四寸
なるほど、不思議至極、奇怪千万な話です。伝六のいうとおり、
「かぎのぐあい、外からはいったものがないかどうか、入念にお調べでござったろうな」
「それはもう仰せまでもござらぬ。なにより肝心なこと、念に念を入れて調べたが、さらに外よりはいった形跡がござらぬゆえ、不審に耐えぬのじゃ」
「見つけたのはいつごろでござる」
「ほんのいましがたじゃ。
「ようござる。お互いお上仕え、災難苦労は相見互いじゃ。すぐ参ってしんぜよう。ご案内くだされい」
「かたじけねえ!」
「なに喜んでいるんだ。それがむだ口だというんだよ。早くはきものでも出しな」
「いちいちとそれだ。源内だんなの代わりに、この伝六がお礼をいっているんですよ。諸事このとおり抜けめのねえところが、他人にゃできねえ芸当なんだ。へえ、おはきもの――」
「おいらじゃねえや。源内だんなが、はだしではさぞおつめたかろうと思って、はきものをといったんだよ。まのぬけたことばかりやっていやがって、このとおり抜けめがねえもねえもんだ。では、お供つかまつる。冷えますな……」
伝六なぞとは気のつきどころが違うのです。お江戸自慢の巻き羽織に朝風をはらんで、血のけもないほどにうちうろたえている源内をいたわりいたわり、越中橋から江戸橋、大伝馬町、小伝馬町と、ひた急ぎに伝馬町の