右門捕物帖(四) |
春陽文庫、春陽堂書店 |
1982(昭和57)年9月15日 |
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷 |
1996(平成8)年4月20日新装第3刷 |
右門捕物帖
首つり五人男
佐々木味津三
1
その第三十四番てがらです。
事の起きたのは九月初め。
蕭々落莫として、江戸はまったくもう秋でした。
濠ばたの柳からまずその秋がふけそめて、上野、両国、向島、だんだんと秋が江戸にひろがると、心中、川目付、土左衛門舟、三題ばなしのように決まってこの三つがふえる。もちろん、心中はあの心中、川目付は墨田の大川の川見張り、やはり死によいためにか、十組みのうち八組みまでは大川へ入水して、はかなくも美しい思いを遂げるものがあるところから、これを見張るための川目付であるが、土左舟はまたいうまでもなくそれらの悲しい男仏女仏を拾いあげる功徳の舟です。
公儀でお差し立ての分が毎年三艘。
特志で見回っているのが同様三艘――。
幡随院一家が出しているのが一艘に、但馬屋身内で差し立てているのが一艘。同じく江戸にひびいた口入れ稼業の加賀芳一家で見まわらしているのが一艘と、特志の土左舟はつごうその三艘でした。墨田といえば名にしおう水の里です。水から水へつづく秋のその向島に、葦間を出たりはいったり、仏にたむけた香華のけむりを艫のあたりにそこはかとなくなびかせながら、わびしいその土左舟が右へ左へ行き来するさまは、江戸の秋のみに見る悲しい風景の一つでした。
そのほかにもう一つ、秋がふけるとともに繁盛するものがある。質屋です。衣がえ、移り変わり、季節の変わりめ、年季奉公の変わりめ、中間下男下女小女の出入りどきであるから、小前かせぎの者にはなくてかなわぬ質屋が繁盛したとて、なんの不思議もない。
しかし、不思議はないからといって、伝六がこの質屋に用があるとすると、事が穏やかでないのです。
「いいえ、なにもね。あっしゃべつにその貧乏しているってえわけじゃねえんだ。これもみんな人づきあいでね。物事は何によらず人並みにやらねえとかどがたつから、おつきあいに行くんですよ。え? だんな。だんなは何もご用はござんせんかい」
「バカだな」
「え……?」
「えじゃないよ。きょうは幾日だと思ってるんだ」
「まさに九月九日、だんなをめえにしてりこうぶるようだが、一年に九月九日っていう日はただの一日しかねえんですよ」
「あきれたやつだ。そんなことをきいているんじゃねえ、九月の九日はどういう日だかといってきいてるんだよ」
「決まってるじゃござんせんか。菊見のお節句ですよ」
「それを知っていたら、今もう何刻だと思ってるんだ。やがて六ツになるじゃねえか。九月の九日、菊見の節句にゃ暮れの六ツから、北町南町両ご番所の者残らずが両国の川増でご苦労ふるまいの無礼講と、昔から相場が決まってるんだ。まごまごしてりゃ、遅れるじゃねえかよ」
「じつあそいつに遅れちゃなるめえと思って、ちよっとその質屋へね」
「質屋になんの用があるんだ」
「べつに用があるというわけじゃねえんだが、ちょっとその、なんですよ、じつあ一張羅をね」
「曲げたのかい」
「曲げたってえわけじゃねえが、ついふらふらと一両二分ばかりに殺してしまったら、それっきり質屋の蔵の中へはいっちまったんですよ」
「それなら、やっぱり曲げたんじゃねえかよ。バカだな、なんだってまた一両二分ばかりの金に困ったんだ」
「いいえ、金に困ったから入れたんじゃねえんですよ。ふところにゃまだ三両あまりあったんですが、今も申したとおり、みんなが相談したように質屋通いをするんでね、ものはためし、近所づきあいにおれもひとつ入れてみてやろうと思って、一両二分に典じたら、あとが変なことになりやがったんですよ。なんしろ、ふところの金と合わすと、五両近くの大金ができたからね、すっかり肝がすわっちまって、吹き矢へ行こう、玉ころがしもやってみべえ、たらふくうなぎも拝んでやろうと、浅草から両国へひと回りしてみたら、きんちゃくの中がぽうとなりやがって、いつのまにか、かすみがかかっちまったんだ。べつになぞをかけるわけじゃねえんだがね、どうですかい、だんな、だんなは何か質屋にご用はねえんですかい」
「あいそがつきて、ものもいえねえや。だんなはご用が聞いてあきれらあ。つまらねえなぞばっかりかけていやがる。なんのかのといって、これがほしいんだろう。よくよくあいそのつきるやつだ。しようがねえから、三両やるよ。早くいって出してきな!」
「うへへ……かたじけねえ! 話せるね、まったく! ちょいとひとなぞ遠まわしに店をひろげると、たちまちこのとおり、ものがおわかりあそばすんだからな。だんなさまさま大明神だ。だから、女の子がぽうっとくるんですよ」
「ろくでもねえおせじをぬかすない! とっとといってくりゃいいんだよ。おいらさきに行くから、あとから来るんだぜ。いいかい、柳橋の川増だ。とち狂って、また吹き矢や玉ころがしに行っちゃいけねえぜ」
「いうにゃ及ぶだ。殺した一張羅が生きてかえるとなると気がつええんだからね。だんなこそ、吹き流されちゃだめですぜ。いいですかい。まっすぐ行くんですよ……」
ときあるごとに何か一つずつ事を起こさないと納まりのつかない男です。伝六を残してひと足さきに右門がその柳橋の川増へ行きついたときはちょうど六ツ。数寄屋橋、呉服橋、南北両ご番所の同役同僚たちの顔が、もう八分どおり座に見えました。
与力、同心、岡っ引き、目明かし、手先、慰労の宴の無礼講だから、むろん席に上下の差別はない。正面床の前に六曲二双の金びょうぶを晴れやかに立てめぐらして、その前に大輪、糸咲き、取りまぜてみごとな菊が大小十はち、左右にずらりと居流れた顔がまた江戸の治安を預かりつかさどる町方警吏だけに、いかめしくもものものしいのです。
まもなく酒が運ばれました。
灯影に女たちのなまめかしい裳裾がもつれ合って、手から手へ、一つは二つと杯が飛びかい、座もまたようやく陽気の花をひらきはじめました。
しかし、どうしたことか、とうにもう来なければならないはずなのに、伝六がなかなか姿を見せないのです。
「おかしいのう。これよ、女」
「なんでござんす」
「川増というのは、このあたりでこのうち一軒であろうな」
「いいえ、あの……」
「まだあるか?」
「ござります」
「なに! ある!――やはり料亭か」
「いいえ、絵双紙屋でござんす」
「アハハハハ。ほかならぬあいつのことじゃ。うちをまちがえてはいって、いいこころもちになって絵双紙でも見ておるやもしれぬ、ご苦労だが、ちょっと見にいってくれぬか」
「かしこまりました。お名まえは?」
「伝六というのだが、顔を見ればひと目にわかる。つら構えからしてにぎやかにできておるからのう。ひと走り様子見にいってくれぬか」
「ようござんす。みなさまこのとおりご陽気になっていらっしゃるんだから、おりましたら、首になわをつけてひっぱってまいりましょう」
十中八、九いるだろうと思って心待ちにいたのに、だがまもなく帰ってくると、それらしい男の影も姿もないという報告でした。
不審に首をかしげているとき、帳場の者があわただしくあがってくると、とつぜん不思議なことをいって呼びたてました。
「あごのだんなさまというのは、どなたさまでござんす?」
「あごのだんな?」
「急用じゃと申しまして、ただいま駕籠屋がこの書面を持ってまいりました。どのだんなさまでござります」
「アハハハハ。あごのだんななら、あれじゃ、あれじゃ。あのすみであごをなでている男じゃ」
もちろん、名人のことです。さし出した書面をみると、おらのあごのだんなへ、と書いてある。裏には伝とまたがったような字を書いて、中がまたみごとな金くぎ流でした。
「急用急用大急用だ。
伝六大事命があぶねえ。
すけだちに早く来ておくんなせえ」
何をあわてているのか、字までが震えて、紙一枚にべたべたと大きく書いてあるのです。
「なんだなんだ」
「なんじゃ!」
「なんでござるか、ろくでもないことかもしれぬが、参らずばなるまい。番頭、駕籠屋は表におるか」
「早く早くとせきたてておりますから、お早くどうぞ」
「そうか。では、参ろう。お先に……」
怪しむようにふり向いた同僚たちの目に送られながら、名人は不審に首をかしげて、迎えの駕籠にうちのりました。
同時に、さっと息づえをあげると、早い早い、よくよく伝六がせきたてて迎えによこしたとみえて、柳橋を渡り越えるとひた走りに浅草目ざしました。むろん、目ざすからには伝六のいるところも浅草だろうと思われたのに、あきれた男です。乗ったかと思うまもなく、駕籠の止まったところは、目と鼻どころか、柳橋からはひとまたぎのお蔵前でした。
おりてみると、往来いっぱいに黒山のような人だかりなのです。だが、不思議なことに、伝六の姿はないのでした。そのかわりに、黒だかりの人の目が一様にお倉の奥をのぞいているのです。右門流の眼でした。物見高げに人の目が倉の奥へそそがれているからには、伝六のいるところもその奥にちがいなく、事の起きているのもまた同じその倉の奥に相違ないのです。
名人は足早にずかずかと広場を奥へ急ぎました。一ノ倉から始まって、二ノ倉、三ノ倉、九ノ倉と、長い棟が九棟ある。
しかし、どの棟もどの倉も錠がおりて、人影は夢おろか、なんの異状もないのでした。
いぶかりながら裏へ回ってみると、中秋九日の夕月がちょうど上って、隅田の川は足もとにきらめく月光をあびながら、その川の上へぬっと枝葉を突き出している大川名代の首尾の松までがくっきりとひと目でした。ひょいと見ると、その首尾の松の根もとにうずくまって、必死に背を丸めながら、必死に頭をかくしながら、わなわなと震えている男の影が見えるのです。
「伝六か!」
「え……? き、き、来ましたか! ありがてえ。だ、だ、だんなですか!」
「バカだな。何を震えておるんだ。しっかりしろい!」
「こ、これがしっかりできたら、伝六は柳生但馬守にでも岩見重太郎にでもなんにでもなれるんですよ。あれをあれを、あそこの、あ、あ、あれをよくごらんなさいまし……」
歯の根も合わぬように震えながら、ひたかくしに顔をかくして指さした方角をちらりと見ると、さすがの名人右門もおもわずぎょっとあわつぶだちました。
つっているのです。
人が、人間が、ぬうと川づらに突き出した首尾の松の長い枝の高いところに、青白いぶきみな月の光に照らされて、ぶらりと下がっているのです。
それもひとりではない。二つ、三つ、四つ、五つ、男ばかりじつに五人もが、さながら首くくりの見せ物かなぞのように、ずらずらと一つ枝に長い足をそろえながらたれさがっているのでした。
「いったい、これはどうしたんだ」
「どうしたかこうしたか、あっしにきいたって知らねえですよ。あっしがつっているわけじゃねえんだからね。三両くだすったから大いばりで、このとおり一張羅を受け出して、遅れちゃならねえと駕籠をおごって来たんです。ところが、景気をつけて飛ばせているうちに、駕籠屋のやつめ、足にはずみがついて止まらなくなったものか、ちゃんと承知しながら柳橋を通りすぎてしまやがってね。ここまで来たら首っつりが五人あるといって、わいわい騒いでいやがるんだ。来てみるとこれなんですよ。さあたいへんとばかり、だんなへあのとおり一筆したためてお迎いを出したはいいが、あんまりいばった口をきくもんじゃねえんです。何がおもしれえんだ、しろうとが見たとて生きかえるわけじゃねえ、どけどけ、番人はおれひとりでたくさんだとばかり、やじうまを追っ払って番をしてみたら、ちっとばかり了見が違ったんだ。なんしろ、五人もくくっていやがるんだからね。知らぬうちに手足がこまかく動きだしやがって、目はくらむ、肝は冷える、そのうちにしいんと気が遠くなっちまったんですよ」
「だれが、いつごろ見つけたんだい」
「ほんのいましがた、この下を通った船頭が見つけてね、それから騒ぎだしたというんだから、つったのも明るいうちじゃねえ、きっと日が暮れてからですよ」
「自身番の者には、もう手配したか」
「そんな度胸があるもんですかよ。なんしろ、仲間は死人なんだ。だんなの来ようがおそいんで、あっしゃ恨みましたよ」
「ことし、いくつになるんだ。しようがねえっちゃありゃしねえ。早くいって呼んできな」
「行くはいいが、あっしが行きゃだんなひとりになるんだ。あとはだいじょうぶですかい」
「おまえたアちがわあ!」
駆けだそうとしたとき、騒ぎを聞きつけたとみえて、自身番の町役人たちが、ちょうちん、龕燈、とりどりにふりかざしながら、どやどやとはせつけました。
「参ったか! 右門じゃ。だれかはようあかりを貸せい」
龕燈をうけとると、高くかざして枝先を照らしながら、じっとまずその位置を見しらべました。
ところが、不思議です。くくっている枝は、幹からくねりと下回りに曲がって、川の上に二間近くも突き出た場所でした。首つりの名人ならいざしらず、普通の者ではとうていはい上っていかれるような枝でない。不思議に思って、幹から根もとを念のためにしらべると、やはり上っていったらしい足跡も形跡もないのです。
「ちっと変なにおいがしてきやがったな。あかりをもう二つ三つ寄せてみろ」
集めて照らしたその灯が死体へ届くと同時でした。
「よッ。目をあいているな!」
はぜあがったようなおどろきの声が、名人の口から放たれました。五人ともに、死人はかっと目を見開いて、気味わるく虚空をにらんでいるのです。ばかりか、歯もむいているのです。舌も出しているのです。――他殺の証拠でした。自分でくくったものなら、十人が十人まで目を閉じ、口も閉じて、もっと安らかな形相をしているのが普通でした。それが自殺と他殺との有力な鑑別法でした。だのに、目も歯もむいているとすると、何者かが絞め殺してからここへつるして、みずからくくったごとく見せかけたものに相違ないのです。
「ね……! こういうことになるんだから、人まねもして質屋へも行くもんですよ。あっしが一張羅を殺して道を迷ったからこそ、こういう大あなにもぶつかったんだ。三両じゃ安いですぜ」
「なにをつまらねえ自慢しているんだ。早く取り降ろすくふうしろ」
「だって、このとおり上っちゃいけねえし、手は届かねえんだからね。くふうのしようがねえんですよ」
「舟から枝へはしごでも掛けりゃ降ろせるじゃねえか。倉の荷揚げ場へ行きゃ、舟もはしごも掃くほどあるはずだ。とっととしろい」
自身番の小者たちもてつだって、たちまち取り降ろしの用意がととのいました。