5
行くこと四町ばかり。
案内していった向こう横町のその住まいへはいってみると、なるほど家の中は荒廃をきわめて、いかにこれまで小娘一家が貧に苦しんでいたか、目をおおいたいくらいでした。売り食いに売り払って、その日の
「おどろいたね。いくら貧乏しても、こんなあばら屋ってえものはねえですよ。もののたとえにも、日本橋といや土一升金一升というくれえのもんだが、目と鼻のその日本橋近くにこのあばら屋は、なんですかよ。おら、承知ができねえんだ。え? ちょいと、だんな! だれがいってえこんなに貧乏にしやがったんですかい。ね、ちょいと! え? だんな?」
「…………」
「へへえね。こいつあおどろいた。生意気に押し入れがついておると思ったら、何もねえんですよ。ふとん一枚ねえんですよ。もう十日もたちゃ霜が降りようってえいうこの薄寒い秋口に、毎晩毎晩何を着て寝ていたんでしょうね。え? ちょいと。ね、だんな!」
そろそろともううるさく始めかけたのを、相手にもせずに名人は聞き流しながら、しきりとへやのうちをあちらこちらと見捜しました。
しかし、何もない。まったく何もこれと思われる品は見当たらないのです。もしや何かと思って、丹念に破れつづらの中をも調べてみたが、出てきたものはまったく着るにたえないほどもぼろぼろになった子どもたちの衣類が三、四枚と、これも物の用をなさない母親の破れ着物が一、二枚、はかなげな
「ちとこれは手間がかかりそうかな」
いいながらお勝手をひょいと見ると、そこの米びつの上に奇怪なものが祭ってあるのです。たしかに、それは祭ってあるのです。きらり目を光らして近づいたかと思われるや、――せつな!
「よッ」
名人の声がはぜ返りました。なんともぶきみ! じつに奇怪! 無言のなぞを秘めながら米びつの上に祭られてあったものは、墓場の土まんじゅうにさしてあるあの
「ウフフフ。とんだ福の神だ。ちっと手間がかかりそうだと思ったが、このあんばいじゃぞうさなくかたがつきそうだよ」
「ありがてえ。どこです! どこです! え? ちょいと。どこに眼のネタがあるんですかい」
「この米びつの上に祭ってあるご神体をよくみろよ」
「ふえッ、気味のわるい! こ、こりゃ
「しようのねえやつだな。ご番所勤めをする者が、このくれえなことを知らねえでどうするんだ。真夜中にこいつを新墓から折り取ってきて祭っておきゃ、さいころの目が思うとおりに出るとかいうんで、昔からばくちうちがよくやる縁起物だよ。どうかひとあたり当たって、この米びつにざくざくお米がたまるようにと、こんなところに祭っておいたにちげえねえんだ。――ねえや! のう、ねえや?」
あごをなでなでぎろりと小娘のほうをふりかえると、名人のさえまさった声が飛んでいきました。
「もう何も隠しちゃいけねえぞ。こりゃだれが祭ったんだ。まさかに、おまえのいたずらじゃあるめえと思うが、だれがこんな気味のわるいものを祭ったんだ」
「…………」
「え?――隠さずにいってみな。手間をとりゃ、それだけかあやんを見つけ出すのが遅れるんだからな、早くいってみな。きっと、おまえのかあやんが祭ったものと思うが、違うか、どうだ」
「あい、あの……いったら、かあやんがこわいめに会うだろう思って隠しておりましたんですけれど、早く見つけてくださるというんなら申します。やっぱり、あの、かあやんが祭ったのでござります」
「ほほう、そうか。子ども心にも何かよくないことと思うて、今までかあやんのこともなにもいわずにいたんだな。悪いことを隠すのはよくないことだが、親のふためになることをいわずにいたなあ、なかなか賢いや。おそらく、出かけていくまえにこれを祭ったんだろうな」
「あい。あの、まえの晩おそくに、どこかからこれを持ってきて祭っておいてから、青い顔して出ていかんした。でも、あの……、でも……」
いいつつ、その目が名人に発見されるのを恐れでもするかのように、しきりと米びつの上にそそがれながら怪しく動いたので、なんじょうのがすべき! 不審に思って静かにふたをとってみると、ある! ある! 米びつの中には八分めほども、もっこりと実が詰まっているのでした。しかし、米ではない。ぬかなのです。米のぬかなのです。
「ほほう。これを焼いて、おまんま代わりに食べていたんだな」
「…………」
「え? ねえや! そうだろう。このぬかを、だんごに丸めて焼いて食べていたのだろうな」
「あい……なんにも食べるものがないので、あの……あの……」
「よいよい。泣くな、泣くな。泣かいでもいいよ。ぬかを食べるとは、かわいそうにな……」
言いながらよく見ると、そのぬかの上がきれいに平手でならしてあるのです。しかも、ならしたその平手の跡は、まさしく子どもの手形でした。むろん、これは不思議といわざるをえない。おそらく、三度三度つまみ出してだんごに焼いたにちがいないと思われるのに、そのつまみ出したあとのぬかが、行儀よく平らにならされているのは、何かその中に秘密のひそんでいることを物語っていたので、ずいと中へ手をさし込んでみると、果然、ぬかの底でばさりと手先に当たった品がありました。薄い小さな横とじの豆本なのです。取り出して、ぬかを払いながら表紙の文字を見ながめるや同時に、名人の目は
「いんちきばくち勝ち抜き秘法」
と、そういう文字が読まれたからです。いや、そればかりではない。ぺらぺらとまくった拍子に、そのいんちきばくち必勝秘伝書の中から、ひらひらと下に舞い落ちただれかの書面らしい紙片がありました。しかも、その紙片には、じつにいぶかしいことにも、あきらかな女文字で、次のごとき文言が書かれてあったのです。
「
と書いて、そのあとがいかにも奇怪でした。差し出し人のところには変な符丁があるのです。本所と書いて、その下に人間の目を一つ書いて、さらにその下に丸々が三つ――、すなわち、三つの輪が書いてあるのです。
「はあてね。またなぞなぞの判字物が出りゃがった。なんてまあ、きょうはおればっかりにいやがらせをしやがるんでしょうね。え? ちょいと!」
「…………」
「ね! だんな! かなわねえな。三世をかけた主従なんだ。だんなの苦労はおらの苦労、おらの災難はだんなの災難なんだから、仲よくいっしょになって心配しておくんなせえよ。え? ちょいと! ちゃんとした名まえがあるのに、わざとこんな人泣かせをしなくたってもいいじゃござんせんか。この目はなんですかよ。三つの輪丸は、なんのまじねえですかよ」
たちまち横からうるさく鳴りだしたのを、名人は黙々としてあごをなでなでじいっと、ややしばしうち考えていましたが、やがて、あのさわやかな微笑がふたたび浮かんだかと思われるやせつな!
「ウフフフ。なんでえ、なんでえ。来てみればさほどでもなし富士の山っていうやつさ。とんだ板橋のご親類だよ。――のう、ねえや!」
しゅッしゅッと一本
「正直にいわなくちゃいけねえぜ。この豆本も、おっかあがここへ隠したんだろうな」
「…………」
「え? だいじない。だいじない。しかりゃしねえから、隠さずにいわなくちゃいけないよ。のう! そうだろう。おっかあがしまっておいて行ったんだろうな」
「あい、あの、そうでござります、そうでござります。出かけるまえにいっしょうけんめいこのご本を習っておいて、だれにもいうなといっておいてから出かけましてござります」
「そんなことだろう。見りゃ押し入れに夜着もふとんもねえようだが、出かけるまえにそれを売っ払ってお金をこしらえてから行ったんじゃねえのかい」
「あい、そのとおりでござります。お宝ができたら、それでお米を買ってくださればいいと思いましたのに、しっかり帯の中にはさんで出ていかんした。それゆえ……それゆえ……」
「泣かいでもいい! 泣かいでもいい! もうおっかあの行く先ゃわかったから、心配せんでもいいよ。――さ! あにい! 何をまごまごしているんだ。
「フェ……?」
「なにをぱちくりやってるんだよ。こんなたわいもねえなぞなぞがわからなくてどうするんだ。本所の下に目が一つありゃ、本所一つ目じゃねえか。その下に輪が三つありゃ三つ輪だよ。本所一つ目に三つ輪のお絹ってえいう女ばくちのいんちき師があるのは、おめえだっても知っているはずじゃねえか。ふとんを売っ払って金をつくって、このいんちきばくちの勝ち抜き秘伝書をとっくり覚え込んでから、千葉のおしろうとだんなをむくどりにしようと出かけていったにちげえねえんだ。はええところ二丁用意しな!」
「ちくしょうッ。なんでえ、なんでえ。そんならそうと、ひと筆けえておきゃいいじゃねえですか。首をひねらせるにもほどがあらあ。べらぼうめ、女だてらにばくちをうつとは、何がなんでえ。べっぴんだったら大目に見てもやるが、おかめづらしていたら承知しねえぞ」
連れてきた駕籠を、名人が一丁、あとからつづいて伝あにいが、あたりまえのように斜に構えながら乗ろうとしたのを、
「食い物のいい大男が、何を足おしみするんだ。子どもを三人乗せるんだよ。おまえなんぞ小さくなってついてきな」
しかって三人の子どもたちを乗せながら、えいほうと飛ばしていったのは本所のその一つ目小路です。――中天高く秋日がさえて、ちょうど昼下がり。
「さ! うちを捜すなおめえの役だ。はええところ三つ輪のお絹がとぐろ巻いている穴を捜し出しな」
「ここだ、ここだ。駕籠を止めたこの家ですよ。家捜し穴捜しとなりゃ、伝六様も日本一なんだからね。おおかたここらあたりだろうと、鼻でかいでやって来たんだ。さ! 乗り込みなせえよ」
しかし、名人はなに思ったか、表からははいらずに、ずかずかとそこのめくら路地をぬけながら、裏口へ回っていくと、しきりに家の
「ほほう、あれだな」
「え? あの物置き小屋がどうしたんですかい」
「いくらばくちはお上がお目こぼしのいたずらだっても、うちの表べやでやっちゃいねえんだ。あの物置き小屋がいんちきばくちの開帳場にちげえねえから、しりごみしていずと乗り込みな」
押し入ろうとしたせつな!――はしなくも聞こえたのは、ガラガラポーンという伏せつぼの音ならで、悲鳴に近い女の叫びです。
「いやでござんす! そんなこと、そんないやらしいこと、何度いわれてもいやでござんす!」
しかも、ドタンバタンと必死に抵抗でもしているらしいけはいがあったので、一躍、ガラリ――、さっそうとしておどり入ると、高窓一つしかない暗いへやの中を鋭くぎろりと見まわしました。同時に目を射たのは、怪しげな三人の姿です。ひとりはいぎたなく立てひざをした四十がらみの
「かあだ! おっかあだ! 悲しかったよ。おらは、おらは、悲しかったよ。もういやだ。もうどっかへ行っちゃいやだよ。な! かあや! いやだよ! いやだよ!」
左右から顔をすりよせて泣き入りました。――とたん! それと様子を察したとみえて、あたふたと五十おやじが逃げ走りだそうとしたのを、
「なんでえ、なんでえ。何をしゃらくせえまねしやがるんだ。おれの十手だって、ものをいうときがあらあ。じたばたすると、いてえめに会うぞ」
押えとったは伝六。こういうふうな性の知れたお上りさんのおやじが相手となると、伝六も強くなるからかなわない。しかし、三つ輪のお絹はさすがにふてぶてしく横っすわりにすわったままで、にったりしながら名人に食ってかかったものです。
「騒々しいね。せっかく楽しみのところへ、どなたに断わってはいりましたえ。少しばかり男ぶりがいいったって、目のくらむあっしじゃござんせんよ」
「ウフフフフ。やすでの
静かにいって微笑しながらずいとはいると、ずばり、あの生きのいい名人の名啖呵が見舞いました。
「おたげえ色恋がしたくて、こんなところをまごまごしているんじゃねえんだ。見そこなっちゃいけねえぜ。本所の一つ目にゃ目が一つしかねえかもしれねえが、むっつりの右門にゃできのいいやつが二つそろってるんだ。油っけのぬけたやつが、
「おいいですね。油けがぬけていようといなかろうと、大きなお世話ですよ。恐れ入ろとはなんでござんす。何を恐れ入るんでござんすかえ」
「へへえ。まだしらをきるな。むっつり右門の責め手も風しだいだ。
「いえ、わたしが……わたしが何もかも代わって申します」
ことばを奪って横合いからにじり出たのは、きょうだいたちを置きざりにして、悲しいうきめを見させたあの中年増です。
「何から申してよいやら、まことに面目しだいもござりませぬ。ここまでお越しなさりましたからには、おおかたもう何もかもお察しでござりましょうが、女だてらにだいそれたさいころいじりをやって、お米の代なりとかせがせていただこうとしたのがまちがいのもとでござりました。それもなんと申してよいやら、人取りの
「お黙り! お黙り! めったなことをおいいでないよ! かえってお絹さんたちのいんちきにかかったとは、どこを押すとそんな音がお出だね。ありもしないことを泣き訴訟すると承知しないよ」
きんきんとかん高にがなりながら、三つ輪のお絹が横からのさばり出て
「うるせえや。舌抜いて、
きゅッと名人が軽く草香流でその手をねじあげておくと、さわやかにいいました。
「よし、もうあとはわかった。かえってお絹たちのいんちきにかかり、だんだん借金がかさむうちに、金で払うことができねばからだで払えとでもいって、このろくでもねえいなかひひおやじと、そっちの四十ばばあの
「あい、お恥ずかしいことながら、そのとおりでござります。心の迷いで、ついふらふらとばくちなぞに手は染めましたなれど、まだわたしは女の操までも人に売るはした
「バカ野郎ッ。やい、いなかのひひじじいのバカ野郎ッ」
聞いてことごとく江戸まえの憤りを発したのは伝六でした。
「腹がたつじゃねえか。話を聞いただけでもむかっ腹がたたあ。つら見せろ。やい! バカ野郎ッ、つらを見せろ!――ちぇッ、なんてうすみっともねえつらしているんだ。そんな肥くせえつらで、江戸の女のそれもこんなべっぴんをものにしようったって、お門が違うぜ。ほんとにくやしくなるじゃねえか。おひざもとっ子のみんなになり代わって、おれが窮面してやらあ。ざまあみろ。もっとおとなしくしていろ。じたばたすりゃ、もっといてえめに会わしてやるぞ」
きゅうきゅうしめあげておくと、伝六のきょうの働きというものはおどろくくらいです。
「そっちのお絹のあまも同罪だ。きっとこりゃひひじじいと相談して、まんまとここへおびきよせてから、いんちきばくちのわなにしかけ、若後家のおかみさんをものにしようとしたにちげえねえからね[#「ちげえねえからね」は底本では「ちげねえからね」]。はめ込み
「よろしい。手配しろ」
早いこと、早いこと、名人の命令一下とともに、たちまちもよりの自身番から小者を連れてきて、いなかだんなと三つ輪のお絹のなわじりを渡しておくと、伝あにいがまたなんともかともいいようなく、おつに気どりながら、すそなぞのほこりをパンパンとはたいていったものでした。
「えへへへ。やけに胸がすっとしやがったな。だから、お番所勤めはやめられねえんだ。いえ、なにね、このくれえの芸当なら、あっしだってもときどきぞうさなくかたづけるんですよ。ときに、いっぺえやりますかね」
ひとりで心得ながら出ようとしたのを、
「まて、まて。まだ用があるんだよ」
静かに名人が呼びとめると、不意にいいました。
「おまえ、へそくりを三両持っていたね」
「へえ……?」
「とぼけるな。ゆうべおまんまごしらえをしながら、ひとりごとをいってたじゃねえかよ。へそくりが三両たまったんだが、どうすべえかな。くれてやる女の子はなし、善光寺参りに行くにゃまだちっと年がわけえし、何に使ったものかなと、しきりに気をやんでいたが、今も持っているだろうな」
「ちぇッ。なんてまあ、だんなの耳ゃ妙ちくりんな耳でしょうね。聞いてもらいてえことはちっとも聞こえねえで、聞かなくともいいことはやけに耳ざとく聞こえるんだからね。三両へそくりがあったら、どうしたというんですかい」
「ここへみんな出しな」
「へえ……?」
「出しゃいいんだ。そんなに心配するほど使いみちがなけりゃ、おいらが始末してやるよ」
ちゃりちゃりきんちゃくをはたかして三両の小判を手にすると、それに名人みずから十枚のやまぶき色を添えながら、そこに泣きぬれている若後家にざくりと手渡していいました。
「子どもがかわいそうだから、ふたりの志だ。どんなに貧乏しようとも、まっとうな世渡りするほどりっぱなことはねえ。これからけっしてさいころいじりなんぞに手出ししちゃいけませんぜ。十三両ありゃ、一年や二年寝ていても暮らせるが、働くこうべに神宿るだ。これを元手に、何か小商いでもやって、子どもたちにうまいおまんまを腹いっぺえたべさせておやりなせえよ」
「えれえ。ちくしょう。どう考えても、だんなはおらよりちっとえれえね。三両のへそくりをここへ使うたあ気に入った。めんどうくせえから、みんなはたいてやらあ。ね、ほら、まだ小粒銀が六つ七つと、穴あき銭が二、三枚ありますよ。けえりにあんころもちでも大福もちでもたんと買ってね、子どもたちのその落ちくぼんだ目玉をもとどおりに直させておやんなせえましな。へえ、さようなら――」
伝六またなかなかにうれしい男です。――すいすいと秋風が吹き渡って、大江戸の町なかもしみじみとした秋でした。