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雨は朝になっていつのまにか本降りと変わり、まことに天地
しかし、伝六はその雨もものともせずに、早朝、命ぜられた二カ所へ様子探りにいってきたとみえて、勢いよく帰ってくると、庭先からどなりました。
「
「やられていたか」
「いた段じゃねえ、ほこらの前にね、はかまをはいて大小さしたわけえ侍が、同じようにのど笛をえぐられてのけぞっていたんですよ」
「わら人形も見つけてきたか」
「そいつをのがしてなるもんですかい。一の子分が親分から伝授をうけたお手の内は、ざっとこんなものなんだ。ね、ほら、これですよ、これですよ、ほこらのうしろの大かえでに打ち込んであったんですがね。なにもかも眼のとおり、だんなのおっしゃった如の字がちゃんと書いてあるんですよ」
「ほほうな、
「え……?」
「どうやらこの様子だと大捕物になりそうだといってるんだよ。どこの藩士がどういう男をのろっているか知らねえが、手を替え人を替えて幾晩ものろいつづけているところを見ると、
「それですよ、それですよ。そいつがどうも事重大なんだ。ゆうべ山下でも出会ったとおり、ああしてつじ番所の小役人まで狩り出して、江戸じゅう残らずへ大網を張ったはいいが、獲物はこそどろが三匹と、つつもたせの流れがひと組みと、ろくなやつあかからねえんでね。やつも少しあわを吹いたところへ、けさのこの生き埋め行者の一件が耳にはいったんだ。だからね、あばたこそあっても、さすがは敬四郎ですよ。のど切り騒動が申し合わせてほこらやお堂にばかりあるところから、やつめ、とうとう
「そいつあさいわいだ。なにもおいらは意地わるく立ちまわって、てがらをひとり占めにしてえわけじゃねえんだからな。人手を使っておてつだいくださるたア、願ったりかなったりだよ。だが、まず十中八、九むだ網だろうよ。ゆうべだってもあれほど四方八方へ網を張っておいて、生き埋め行者に迷って出た下手人を見のがすんだからな、そうと事が決まりゃ、おいらは今夜も湯島の三ツ又稲荷だ。夜あかししなくちゃならねえから、今のうちぐっすり寝ておきな」
「え……?」
「わからねえのかい。ゆうべ如の字の祈りを本所の四ツ[#「ツ」は底本では「ッ」]目へ打ったとすりゃ、残るところは律と令とのふた夜きりだ。一つあなの三ツ又稲荷へじっと伏せ網を張っておいたら、よしんば今夜かからなくとも、あしたの丑満時にゃいやおうなく三ツ又の網にひっかかるよ。伏せ網するならしじゅう一カ所を選ぶべし、いつかは必ず獲物あらんとは、捕物心得の手ほどきじゃねえか。つまらねえところで首をひねらずと、ぐっすり寝る勘考でもしろよ」
「いいえね、そりゃいいんだ。一つあなの三ツ又稲荷へ迷わずに伏せ網するのは大いにけっこうだがね。ちっとあっしゃくやしいんだ。人間てえものはこうも薄情なものかと思うとね、く、く、くやしいんだ。だんなの耳にこんなこと入れたかねえんだが、どうにもくやしいんですよ。く、く、くやしいんですよ」
「バカだな。なんだよ、不意にぽろぽろ泣きだして、何が悲しいんだよ」
「だってね、いま来がけに、ふたところばかりで耳に入れたんだが、江戸っ子も存外と薄情なんですよ。だんながてがらをしたときゃ、てめえらがむっつり右門になったような気どり方で、やんやというくせにね。少し手間が取れるともう、何やかやと、ろくでもねえことをいうんですよ。いつのまにか、けさの四ツ目行者のほうの一件も町じゅうにひろまったとみえてね、聞きゃあ、あば敬とむっつり右門のだんなとふたりして、きのうからお手当中だっていうが、いまだに下手人があがらねえとは情けねえじゃねえか。あんな気味のわるい人死にがこの先三日も四日もつづいたひにゃ、うっかりお堂参りもできねえやね、こんなにうわさしていやがるんだ。おまけにね、ぬかすんだ。聞いたふうなことをぬかしていたんですよ。いくらかむっつり右門のだんなにも、焼きが回ったかとね。人の苦労も知らねえで、こんなにつべこべといっていたんですよ。だから、あっしゃ……だから、あっしゃ、く、くやしくてなんねえんだ。くやしくてならねえんですよ」
「ウフフフフフ、そんなことで泣くのがあるかよ。つがもねえ。手間がかかりゃかかっただけ、お手拍子
ごろり横になると、見せてやりたいくらいなあの男まえを、なんの屈託もなさそうに、もうすやすやと軽やかないびきでした。――チチチチと鳴くのはこおろぎか松虫か、恋呼ぶわびしい虫の声である。
やがて日が暮れました。そうして夜が訪れました。暮れるに早く、ふけるにおそい秋の夜も、五ツ四ツとふけ渡って、ほどたたぬまに打ち出されたのは九ツです。と同時に、名人はさっそうとして立ち上がると、黒羽二重の着流しに目深ずきん。さっとさわやかな命令が下りました。
「忍びの
待ってましたとばかり、伝六の早いこと、早いこと。――だが、まもなく矢玉のように飛んで帰ると、けたたましくいいました。
「いけねえ! いけねえ! 出たんだ、出たんだ。もう今夜は出ちまったというんですよ。丑の時参りがね、もう出ちまやがって、白旗金神の境内にのけぞっているというんですよ」
「へへえね。それはまたどうしたんだい」
「おおかたね、毎晩毎晩やられるんで今夜は早参りしてやろうとでも思って出かけたところをまたばらされたらしいんだが、なにしろ不意打ちなんでね、網を張っていた連中は大騒ぎなんですよ」
「どうしてそれを聞き出したんだ」
「あば敬の手下からかぎ出してきたんだがね。今そこまでいったら、つじ役人どもがうろうろしているんで、うまいことかまをかけて探ったら、しかじかかくかくであば敬の行くえを捜しているところだというんですよ」
「捜すとはまたどうしたんだい。あば敬もいっしょに張り込んでいたんじゃねえのか」
「やつあ山の手を見まわりにいったるすだというんですよ。それがまた情けねえやつらなんだが、なんでもね、白旗金神の町かどの三方に三人も張っていたくせに、いつのろい参りがやって来て、いつばらされたかも、まるで知らねえとこういうんですよ。だから、なおさらあば敬に面目がねえと、手分けしていま必死とやつの立ちまわり先を捜しているさいちゅうだというんですがね。どっちにしてもまごまごしちゃいられねえんだ。お出かけなすったらどうですかい」
「よかろう。雨はどうだ」
「もう
「じゃ、遠くもねえところだ。眠けざましに、お拾いで参るとしようぜ。
じゃのめを片手に微行しながらやっていったのは、八丁堀から目と鼻のその問題の
「ほほうな。のろいうちにはいろうとしたところをやられたとみえるな。伝六、
受けとりながら、ちかり、倒れている侍の胸もとを照らし出して見ながめるや同時でした。
「よよッ」
さえまさったおどろきの声が、名人の口から放たれました。
「あるぞ、あるぞ。妙などろの足跡が腰から胸もとにかけてついているぞ」
一見してけだものの足跡とおぼしき梅ばち型の小さいどろ跡が点々として死骸の着物の上についているのです。いや、着物の上ばかりではない。龕燈を照らしてその付近を見しらべると、雨上がりのどろの道にもところどころに消えやらぬ同じ四つ足の足跡がはっきり残っているのでした。――
「犬だッ。この下手人は犬と決まったぞッ」
「え! こいつあたいへんだ。ど、ど、どこに犬だと書いてありますかい!」
「胸もとの梅ばち型のどろ跡をよくみろよ。それからのど笛の傷跡だ。ぐさりとざくろの実が割れたようにえぐられているなあ紛れもなくワン公が食い切った証拠だよ。胸のどろ跡は、首をねらって飛びついたときについたんだ。雨上がりでおおしあわせよ。道がどろでぬかるんでいたからこそ眼がついたというものさ。秋雨さまさまだよ。それにしても、この犬はただものじゃねえぜ。これだけの腕も相当らしいお侍をうんともすうともいわさずに、かみ倒すんだからな。どうだい、伝あにい、そろそろとむっつりの右門も板についてきかかったが、ちがうかね」
「ちぇッ、たまらねえね。とうとう三日めで眼がつきましたかい。さあ、ことだ。さあ、話がちっとややこしくなってきやがったぞ。犬が下手人とはおどろいたね。なにしろ、四つ足のすばしっこいやつだからな。いってえどうして締めあげるんですかい。草香流もワン公を相手なら、うまくものをいわねえかもしれませんぜ」
「騒ぐな、騒ぐな。ここまで眼がつきゃ、むっつり右門の玉手箱には、いくらでも知恵薬がしまってあるんだ。そろそろとうちへけえって、あごでもなでてみようぜ。――つじ役人のかたがた、いまに敬だんなも山の手から、ご注進を受けてここへお越しだろうからな。下手人は犬に決まったとことづてしてくんな。伏せ網もそのつもりでお張りなせえとな。じゃ、伝あにい、引き揚げようぜ」