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だから、伝六がことごとくもうぽうッとなって、待っていましたといわぬばかりに、たちまち千鳴り太鼓を鳴らしはじめたのはあたりまえです。
「たまらねえな。まったくどうもたまらねえな。内藤小町に思い雛とかけてなんと解く、とはどんなもんですかい。それにつけても、おべっぴんさまさまだ。ときどきはこういうのに出会わねえと、ぜんそくが起きるからね。ちくしょうめ、桜の花びらまでがのぼせやがって、ひらひらと浮かれていやがらあ。べっぴんって名をきくてえと、これがまたじっさい妙なものでね――」
「…………」
「ちぇッ。なにも急にそんなに気どらなくたってもいいじゃござんせんか。やけにうれしくなったんだから、いっしょにほがらかになっておくんなさいよ。今も申したとおり、これがまたじっさい妙なものでね。同じ女の子の話でも、べっぴんでねえと気が乗らねえんだ。ぜんそくにべっぴん、のぼせ引き下げにはとうがらしといってね、ときどき持薬にしねえと、胸のつかえがおりねえんですよ。だから、ねえ、だんな!」
「…………」
「やりきれねえな。なんだってまた、きょうはやけにそうむっつりとしているんです? 七つのときから十二年このかた、男雛をかわいがってきたべっぴんなんて、思っただけでもべっぴんべっぴんしているじゃござんせんか。それにまたいっしょにいなくなったお腰元が、しとやかで、すなおで、かわいらしくて、あっしのように主人思いだというんだから、――だんなは小町、あたしは腰元、はええところパンパンとふたりの居どころを突きとめて、けえりに四人して夜桜見物とでもしゃれたら、豪儀に似合いの
「…………」
「おや?」
「…………」
「はてな……?」
面くらったのも当然です。何をいってもむっつりとおし黙りながら、しきりと足を早めていましたが、おりよく通りかかったもどり
「人形町じゃ。急いでやりな」
命じて、だいじそうに雛を小わきにしながら、ゆうぜんと腰をおろしたので、朗らかに鳴りつづけていた伝六太鼓の調子が急に乱れました。
「ちょっと! ちょっと! 何をのぼせているんですかよ。雛は飾り物、人間は生身の生き物じゃござんせんか。雛の
「…………」
「ねえ、ちょいと!」
「…………」
「じれってえな! 目色を変えて、何を急ぐんです? 雛の出どころ
しかし、名人は沈々黙々。
「許せよ」
その最初の一軒へ、声も
「これが何か……?」
「扱った覚えがあるかないかときいているのじゃ」
「さてな……? てまえどもの店で商った品かどうかはわかりませんが、たしかにこれは古島雛のまがい雛ですね」
ちらりと
「だいぶ詳しいようじゃが、どうしてこれを古島雛の偽物と存じておるか!」
「どうもこうもござりませぬ。あのとおり、あそこにもたくさんございますゆえ、ごろうじなさりませ」
指さされた店の飾り段を見ながめると、こはそもなんと不思議! 同じそのまがい雛が十体ほどもあるのです。しかも、
「あのようにたくさん、どうしたというのじゃ!」
「よく売れるから仕入れたんでございますよ」
「なに! よく売れるとな! それはまた、いったいどうしたというのじゃ!」
「評判というものは変なものですよ。なにしろ、内藤様の古島雛といえば、もともとが見ることも拝むこともできないほどのりっぱな品だとご評判のところへ、あのとおりほかの内裏雛とよく比べてごろうじませ、こちらのまがい雛がまた比較にならんほどずばぬけてよくできておりますんでな、どこから評判がたちましたか、ことしは古島雛のまがいが新品にできたそうだとたいした人気で、どんどん羽がはえて売れるんですよ」
いっているさいちゅうへ、それを裏書きするかのように、景気よく飛び込んできたのは、細ももひき、つっかけぞうりの、きりりとした江戸名物伝法型のあにいです。
「ちくしょうめ、なるほどたくさん並んでいやがるな。おい! 番頭の大将! あのいちばん上にあるやつが古島雛のまがい雛とかいうやつかい」
「へえい、さようで――」
「いくらするんだ」
「ちとお高うございますが……」
「べらぼうめ! 安けりゃ買おう、高けりゃよそうというような
「五両でございます」
「…………」
「あの、五両でございます」
「…………」
「聞こえませんか! 女雛男雛一対が大枚五両でございますよ!」
「でけえ声を出さねえでも聞こえていらあ! ちっと高すぎてくやしいが、五両と聞いて逃げを張ったとあっちゃ、江戸っ子の名に申しわけがねえんだ。景気よく買ってやるから、景気よくくんな」
入れ違いにはいってきたのが若い娘。
「あたしにも一対ちょうだいな」
いいつつ、これがまた争うように買って帰ったものでしたから、名人のことばがいよいよさえました。
「なるほど、羽がはえて飛んでいくな。これをこしらえたやつは何者じゃ!」
「それがちと変なんですよ。にせものではございましても、これほどみごとな品を作るからにはさだめし名のある人形師だと思いますのに、だれがこしらえたものか、さっぱりわからないのでございます」
「でも、これを売るからには、卸に参った者があるだろう。そいつがだれかわからぬか!」
「ところが、肝心のそれからしてが少々おかしいのでございます。おばあさんの人が来たり、若い
「しかとさようか!」
「お疑いならば、ほかの九軒をもお調べくださいまし。同じようにして持ち込み、同じようにみな売れているはずでございますから、それがなによりの証拠でございます」
たしかめに出かけようとしたところへ、たまには伝六も血のめぐりのいいときがあるから、なかなか妙です。
「おてがら、おてがら。どうもちっと変じゃござんせんか」
「なんでえ。じゃ、きさま、先回りして九軒をもう洗ってきたのか」
「悪いですかい」
「たまに気がきいたかと思って、いばっていやがらあ。どんな様子だ」
「やっぱり、九軒とも、気味のわるいほど古島雛のまがい雛が売れているんですぜ」
「それっきりか」
「どうつかまつりまして。これから先が大てがらなんだから、お聞きなせえまし。その作り手の人形師がね――」
「わかったのかい」
「いいえ、それがちっともだれだかわからねえんですよ。そのうえ、売り込みに来た使いがね、手品でも使うんじゃねえかと思うほど、来るたんびに違うというんだから、どうしても少し変ですぜ」
ほかの九軒もやはり同様、人形師も不明なら、使者もまた人が違うというのです。なぞはその一点、――つとめて正体を隠そうとした節々のあるところこそ、まさに秘密を解くべき銀のかぎに相違ないはずでした。
「なかなか味をやりやがるな。そうするてえと――」
あごの下にあの手をまわして、そろりそろりと散歩をさせていましたが、まったく不意でした。
「なんでえ。そうか。アッハハハ」
やにわに、途方もなく大声でカンカラ笑いだすと、伝六を驚かしていいました。
「たわいがねえや。だから、おれゃべっぴんというやつが気に食わねえよ」
「え……?」
「目の毒になるだけで、人を迷わすばかりだから、べっぴんというやつあ気に入らねえといってるんだ」
「なんです! なんです! 悪口にことを欠いて、おらがひいきのべっぴんをあしざまにいうたあ、何がなんです! だんなにゃ目の毒かもしれねえが、この伝六様にはきいてもうれしい気付け薬なんだ。ひいきのべっぴんをかれこれといわれたんじゃ、あっしが承知できねえんだから、聞こうじゃねえですか! ね! どこが目の毒だか聞こうじゃござんせんか! さ! おっしゃいましよ! 言いぶんがあったらおっしゃいましよ!」
「うるせえな。ふたりも若い女がいなくなったと聞いたんで、何かいわくがあるだろうと、せっかく力こぶを入れてみたんだが、やっぱりこりゃただの盗難だというんだよ」
「へえ、じゃなんですかい。まがい雛をこしれえて売り出すために、どやつか了見のよくねえ人形師が、古島雛の真物を盗み出したというんですかい」
「まず十中八、九、そこいらが落ちだよ。売りに来るたび人を変えて、こしらえた人形師の正体をひた隠しに隠している形跡のあるのが第一の証拠さ。盗んだればこそ、名の知れるのがおっかねえんだ。ばかばかしいっちゃありゃしねえや」
「でも、べっぴんがふたり消えてなくなったのが変じゃござんせんか」
「だから、目の毒、迷いの種はそのべっぴんだといってるんだ。なんのことはねえ、
「え……?」
「京金襴の出どころをかぎつけてこいといってるんだ」
「そんなものを洗や、なんのまじないになるんです」
「いちいちとうるせえな。これだけたくさんのまがい雛を作るからには、着付けに使った京金襴だってもおろそかなかさじゃねえんだから、どやつかどこかの店でひとまとめに買い出した野郎があるにちげえねえんだ。その野郎をかぎ出しゃ、自然といかもの作りの人形師もわかるだろうし、わかれば盗まれた真物の行くえにも眼がつく道理じゃねえかよ。べっぴんをごひいきとかのおあにいさまは、血のめぐりがわるくてしようがねえな」
「ちげえねえ!」
「てめえで感心していやがらあ。日本橋の呉服町に京屋と清谷といううちが二軒、浅草の
「ようがす! ちくしょうめ! 盗み出す品に事を欠いて、因縁つきの思い雛に手をかけやがったから、かわいそうにお姫さまたちが泣きの涙で雲がくれあそばしたんだ。むろんのことに、だんなは八丁堀へけえって、あごをおなででござんしょうね」
「決まってらあ」
遠いところから先にと、伝六は浅草田原町へ、名人はお組屋敷へ、――表はうらうらとなおうららかな桃びよりでした。