4
残った名人主従は、辰の霊前にじっと端座したままでした。つねならば千鳴り万鳴りの伝六が鳴らずにいるはずはないが、
思い出してはぽろり……。
ぽろりとやってはまたぽろり……。
大きな手でそれをふいてはまたぽろり……。
伝六だけに、ひとしお哀れです。
名人はもとより黙々として、これもじわり、じわりと、隠し涙を散らしました。
そのかたわらに、古橋専介のひとり娘の小梅がしとやかに並んですわって、名人右門と一対の
宰相伊豆守も、高貴のおん身のおいといもなく、しんしんと降りまさり、しんしんとふけまさる雪の夜を冒して、お静かにそこに端座されたままでした。
かくて
それからまた四半刻。
深夜の九ツが、上野のお山からわびしく鳴り伝わりました。
と――タッ、タッ、タッ、というひづめの音です。満座、いろめきたって待ち構えているところへ――
「帰りましてござります!」
第一着の姿を見せたのは、たれならぬ
「おお! どうじゃ! どうじゃ!」
「わかりましてござりまするぞ! 手がかりがつきましてござりますぞ!」
「なに! ついたとな! そちが参ったはいずれじゃった!」
「
「そうか! 申せ! 申せ! はよう申せ! どんな手がかりじゃ!」
「つい先ほど暮れ六ツ少してまえじゃったそうにござりまするが、日の暮れどきのどさくさまぎれに乗じ、眼の配り、肩、腰、どう見ても、ひとくせありげな武家と思われるやつが、中間ふうにやつし、中仙道目ざして、早足に通り抜けようといたしましたゆえ、不審をうって調べましたら、左小指がないばかりか、中間ふぜいに不似合いな千柿鍔の小わきざしを所持いたしておりましたゆえ、今もなお隠し屯所に止めおいているとのことでござりまするぞ!」
「なに! さようか! まさしくそやつじゃ! 右門! どうじゃ! 違うか!」
「いえ、それに相違ござりませぬ! 千柿鍔の小わきざしを所持いたしておるというがなによりの証拠、先ほど千柿老人が、大小二つの鍔をこしらえたと申しておりましたゆえ、たしかにそやつが権藤四郎五郎左衛門めでござりましょう! では、お駕籠三丁お貸しくださりませ!――さ! 伝六ッ」
「…………」
「いかがいたした! なぜ立たぬ! なぜ立たぬ! いかがいたした!」
「うれしすぎて、うれしすぎて、はや腰が抜けちまやがったんでごぜえます! ひとつ、どやしておくんなせえまし!」
「かたきのありかを聞いたばかりで、今から腰抜かすやつがあるかッ。相手は三品流の達人じゃ! しっかりいたせ!――そらどうじゃ! いま一つたたいてつかわそうか!」
「いえ、た、た、立ちましたッ。ちくしょうめ! 腰が立ったからにゃ、さあ、もうかんべんしねえぞッ。――辰ッ、これ辰よ! よく聞いていろよ! おめえの、お、おめえのかたきは、兄貴が、この伝、伝六がきっと討ってやるぞ! わかったか! これ辰ッ、わかったかッ。わかりゃ、いってくるぞッ。小梅さん、さ! あんたもいっしょだ! たすきをかけて! はち巻きをして! そうそう! おしたくができりゃ、この駕籠にお乗んなせえ!」
乗ったところを、三丁のお屋敷駕籠は、板橋目ざしていっさん走り――。
お目をかけた古橋専介、ならびに辰九郎の両人を討ったばかりか、天下公儀のご処断に筋違いのさか恨みをするとは、捨ておきがたい浪人者と、お怒りなさったとみえて、宰相伊豆守も、雪ずきんに面を包み白馬にうちまたがって、小姓の采女一騎をうしろに従えながら、お
駆けつけた時は九ツ下がり。
目ざした隠し屯所は、一見ただの町家のごとくに見られましたが、しかし一歩その中へはいれば設備はいたれりつくせりで、土蔵と見せかけて、その実
「ふうむ、あやつか。思いのほかの豪胆者とみゆるな」
唯一の証拠にと、携え持ってきたあの千柿鍔の一刀をこわきにしながら、名人はゆうぜんとはいっていくと、
「起きろ!」
パッとそのまくらをけって、ずばりといいました。
「長え名のお客仁! おひざもとで味なまねしやがったなッ」
「えッ――」
「驚くにゃまだはええや、
「そうか! きさまが右門とかいう小わっぱか! それならば」
ゆうゆうと帯をしめながら、長い名の四郎五郎左衛門、さすがにおちついたものです。
「千柿鍔に眼をつけたとあらば、じたばたすまい。いかにも古橋専介を討ったはこのおれじゃ。こざかしいあの
「
「おもしろい! 権藤四郎五郎左衛門の三品流知らぬとはおもしろい! いかにも相手になろう! 来いッ」
パッとさがって、小わきざしに手をかけたを、名人右門は
「せくな。せくな」
押えて先へたちながら、雪の表へいざない出すと、なおよく敵をも愛す、感激したいくらいな計らいでした。
「晴れの勝負に、そなたもその短いわきざしでは不自由でござろう。使い納めに、こちらをお持ちめされよ」
手にしていた千柿鍔の長刀を四郎五郎左衛門に投げて渡すと、
「さ! 伝六ッ。おまえはこれを使え!」
みずからの腰の細身の
「小梅さんは、こちらをお使いなさいまし」
短い腰の小刀をも、父のあだ討つ小梅に手渡しながら、本人はまったくの無腰。しかも、ゆうぜんとしていうのでした。
「さ! 両名とも、かかれッ」
声に、伝六、小梅が必死に構えましたが、腕が違うのです。三品流の達人とは、いかさまそのとおり。
「このようななまくら腕で、かたき討ちが片腹痛いわッ。きのどくながら、返り討ちだぞッ」
あざ笑いながら四郎五郎左衛門が、まず伝六から先にといわぬばかりにいどみかかってきたのを、
「見そこなうなッ。右門がすけだちしているんだッ」
ずばりというや、おどり込みざまに無敵無双の草香流です。パッときき腕とって、ねじ上げながら、体をひねると岩石おとし! あおがえるのように雪の上へ、四郎五郎左衛門が長々とのめったところを――左から小梅が一刀! 右から伝六がひとたち!
「おう! みごとであるぞ! 両人ともみごとであるぞ!」
降りしきる雪の中に、おしのび姿で馬上から見守っていられた宰相伊豆守の口から、期せずしておほめのことばがあがりました。
がっくりうなだれて、気も遠くなったように伝六が、ややしばしぼうぜんとしていましたが、ようよう目のかすみがとれたものか、
「わッ。切れましたか! 切れましたか! あっしが切ったんですか! 切ったんですか? 辰ッ、辰ッ。
たったひとりで、というところにひときわ力を入れて叫ぶと、わッと雪の上に泣き伏しました。喜びに耐えられないもののように泣き伏しました。――父のかたきを討った小梅も共に同様、よよと雪に伏しました。
名人もまた同様、しずかにこうべをたれると、そっと目がしらを押しぬぐいました。
その三人の姿の上へ、そして四郎五郎左衛門のむくろの上へ、そしてお感慨深げに、黙念と馬上から見守っていられる宰相伊豆守のおしのび姿の上へ、馬首を並べてご警固申し上げている美小姓釆女の前髪姿の上へ、深夜の雪がおやみなく、しんしんと降りそそぎました。