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行きついたとき、初更のちょうど五ツ――
「ここだッ。ここだッ。ここが千柿老人の住まいでこぜえます! 今度ばかりゃ、いかなどじの伝六でもへまをするこっちゃねえから、あっしに洗わしておくんなせえまし! 石にかじりついても辰のかたきを討って成仏させてやらなくちゃ、兄分がいがねえんだから、伝六に男をたてさせておくんなせえまし!」
手がかりの一刀を名人の手から奪い取って、矢玉のようにおどりこむと、そこの細工場でこつこつと刻んでいた千柿老人に
「こ、こ、これに覚えはねえか!」
「…………?」
「急ぐんだッ、パチクリしていねえで、はええところいってくれッ。この鍔は、どこのどいつに頼まれて彫ったか覚えはねえか」
「控えさっしゃい」
「控えろとは何がなんだッ。右門のだんなと、伝六親方がお越しなすったんだッ。とくと性根をすえて返事しろッ」
「どなたであろうと、まずあいさつをさっしゃい!」
「ちげえねえ! ちげえねえ! おいらふたりの名めえを聞いても恐れ入らねえところは、さすがに名人かたぎだな! わるかった! わるかった! じゃ、改めて、こんばんはだ。この鍔に覚えはねえか!」
「なくてどういたしましょう! まさしく、こいつはてまえが、大小そろえ六年かかって刻みました第八作めの品でございますよ」
「そうか! ありがてえ! 注文先はどこのどいつだ!」
「
「なにッ。ああ、たまらねえな! だんな! だんな! 眼だッ、眼だッ、眼のとおりだッ――あっしゃ、あっしゃもう、うれしくって声が、ものがいえねえんです! 代わって、代わって洗っておくんなせえまし……! うんにゃ、まて! まて! やっぱりあっしが洗いましょう! 辰が喜ぶにちげえねえから、あっしが洗いましょう!――とっさん! 生駒のご家来の名はなんていう野郎なんだッ」
「
「身分もたけえ野郎か!」
「野郎なぞとおっしゃっちゃあいすまぬほどのおかたでごぜえます。
「つらに覚えはねえか!」
「さよう……?」
「覚えはねえか! なんぞ人相書きで目にたつようなところ、覚えちゃいねえか!」
「ござります。四十くらいの中肉
「ありがてえ! ありがてえ! ああ、ありがてえな!――だんな! だんな! お聞きのとおりでごぜえます。これだけの手がかりがありゃ、ぞうさござんすまいから、はええところなんとかしてくだせえまし! どけえ逃げやがったか、はええところ眼をつけておくんなせえまし!」
「よしッ。泣くな! 泣くな!」
じっとうち考えていましたが、ひらりと駕籠にうち乗ると、
「お
いかなる秘策やある?――ふたたび
行きついたときは――天下の執権松平伊豆守様がお手ずからもったいないことです。恩顧の
「御前!」
「おお! 首尾はどうじゃ!」
「もとより――」
「上首尾じゃと申すか!」
「はっ。下手人はやはり生駒家がお取りつぶしになるまで
「では、新しゅう浪人となった者じゃな!」
「御意にござります。生駒家お取りつぶしとともに、浪人となったはずにござります。それゆえ――」
「なんじゃ! 余になんぞ力を貸せと申すか」
「はっ。てまえ一人にてぜひにも捜せとのご
「わかった! わかった! 力を貸す段ではないが、余に何をせよというのじゃ」
「下手人はこのごろ新しく浪人になった者でござりましょうとも、浪人とことが決まりますれば、御前の、あの――あとはご賢察願わしゅう存じます」
「おお! そうか! しかとわかった! いうな! いうな! あとをいってはならぬ! その者はどのような人相いたしているやつじゃ」
「四十年配の中肉中背で、左手の小指が一本ないやつじゃそうにござります」
「それだけわかっていればけっこうじゃ。――みなの者も人相書きのことを聞いたであろうな」
宰相伊豆守は、かたわらに居流れていた近侍の面々を顧みると、
「わからば、
不思議な命令です。早馬を八頭近くも用意させて、いずこへ飛ばせようというのか! 浪人者と決まりますれば、御前の、あの――あとはご賢察願わしゅう存じます、といった御前のあの、というその「あの」なる「あの」はなんであるか?――よしわかった。いうな、いうな、あとをいってはならぬ、といったその「あと」なる「あと」は、いかなるなぞであるか?――。いつもながら、捕物名人と、名宰相とのやりとりは、まこと玄々妙々の腹芸ですが[#「ですが」は底本では「ですか」]、しかし、ありようしだいを打ち割ってみれば、不思議でもない、不審でもない、名人のいったその、御前のあのなる「あの」は、伊豆守の浪人取り締まり政策を利用しようというのでした。ご存じのごとく、松平信綱という人は、ほとんどその半生を浪人の弾圧取り締まりに費やした秘密政治家の大巨頭です。なかんずく、この事件の前後における時代は、浪人のほうも極度に
命ぜられた采女以下の近侍も、もとよりそれなる浪人網は熟知してのこと、たちまちそこへ引き出した馬は、いずれも
「おう、いずれも用意ができたな。よいか、四人は街道口隠し屯所へ。あとの四人は市中の一町目付けへ、いま右門が申した人相書きの浪人を目あてに、ぬかりなく動静探ってまいれよ。念までもあるまいが、隠し屯所へ出入りいたすときは、人に見とがめられぬよう、じゅうぶんに注意いたすがよいぞ」
「はっ」
とばかりに八美少年は、馬上ゆたかに雪の道を、八方に散っていきました。――ときに二更近くの五ツ下がり。