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しかるに、道向こうのそれなる仙市宅へ駆けつけていってみると、これが奇態でした。いや、いよいよ不審でした。ぴったりと雨戸が締まっているのです。早くも風をくらって逐電したのか、まだ八ツになるかならぬかの昼日中であるのに、どこもかしこもぴったりと戸がおろされていたものでしたから、伝六の鳴ったのは当然――。
「ちくしょうめッ。手数のかかるまねしやがるじゃねえか! だからいわねえこっちゃねえんだッ。ろくでもねえ
おこり上戸のおこり太鼓を、柳に風ときき流しながら、いとものどかにあごをなでなで、しきりと家のまわりをのそのそやっていた様子でしたが、そこの、ちょうどお勝手口のところまでいったとき、
「ふふん――」
とつぜん名人が、ふふんと吐き出すようにいうと、にやりとやりました。そのまたふふんなるふふんが、なんともかともいえぬふふんでしたから、鳴り屋の千鳴り太鼓がさらに鳴ったのはこれまた当然でした。
「ちぇッ、何がおかしいんです! 人がせっかく腹をたてているのに、何がおかしいんですかよ」
「控えろッ」
「えッ?」
「そうまあガンガン安鳴りさせずと、その足もとをよくみろよ」
いわれて足もとの流し口をなにげなく見ると――、こはそもいかに! 勝手口からちょろちょろと流れ出ている水から、ぽあん、ぽあんと湯気がたっているのです。
「よッ、さては野郎め、家の中に隠れているんだろうかね」
「あたりめえだッ。湯気水の中に、出がらしの茶の葉がプカプカと浮いてるじゃねえか。やっこさんゆうゆうと茶をいれ替えて、とぐろを巻いているぜ。このあんばいじゃ、一筋なわで行きそうもねえやつのようだから、気をつけねえとやられるぞ!」
「なにをッ。きょうの伝六様は品がお違いあそばすんだッ。――ざまあみろッ」
ドンと、もろに体当てを食わして、雨戸をけとばすと、いかさまできが違うのではないかと思われるほどの勇敢さで、七くぐり、八返りの仕掛け造りではないかともあやぶまれる暗い家の内を目ざしつつ、伝六が先頭、つづいてちんまりとした善光寺辰が、風船玉のように飛び込んだあとから名人はゆうゆうとはいっていくと、まずお公卿さまに命じました。
「目ぢょうちんだッ。目ぢょうちんだッ。はええところ辰公! 見当つけろッ」
「つきました! つきました! 床の間の前におりますぞ」
「一匹か。それとも、
「一匹です! 一匹です! どうしたことやら、ブルブルと震えておりますぜ!」
「なんじゃい! 震えているんだとな! ほほう、またこれはちと眼が狂ったようだが、こいつ思いのほかに気味のわるい
あけさせてみると、いかさま座頭仙市がそりたてのくりくり頭をかかえるようにして、こちらに背を向けながら、じつに必死と震えているのです。しかも、なんたる不審! まったくどうしたというのだろう? ――その震えている向こうの床の間の上には、三本! 五本! 八本! 十本! いや、全部数えたら十七、八本もあるのではないかと思われる刀が、なぞはこれにあり、といわぬばかりに飾られているのです。
名人は発見すると同時に、およそ不審に打たれたらしく、じっとそこにたたずんだままでした。また、これはまたいかな名人とても、考え込んでしまったに不思議はない。逐電したかと思えばちゃんとおり、おる以上はおそらく不敵なやつだろうと想像してはいったのに、案外にもブルブルとやっているにもかかわらず、もみ療治
「ちっとこりゃまたてこずりそうだな」
つぶやいていましたが、やがてしかし床の間へ近づくと、何はともかくというように、飾ってある大刀を、一本一本と調べだしました。もちろん、調べたところは
しかも、端然と端座しながら、床の間の不審な刀を見ては、いまだにうしろ向きで震えつづけている仙市のほうに目を移し、移してはまた刀のほうに目をやって、
「ちぇッ」
「…………」
「じれってえな」
「…………」
「何がわからねえんだろうね」
「…………」
「まちげえならまちげえ、
「…………」
「
いかさまつるべ落としの秋の日と、形容どおり、いつかもうたそがれかけてきたというのに、なおしきりと考え込んでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろそろとあごの下にまわされだしました。まわれば、いうまでもなく眼のつきだした証拠です。知った千鳴り太鼓が、またどうして鳴らずにいられよう!
「よよッ。そろそろと潮が満ちかけたようですね。たまらねえな。ここが千両なんだッ。どうですかね。大漁ですかね。まだ
催促したところへ、
「伝六ッ」
果然、さえたことばが飛んできたものでしたから、
「さあ、忙しいぞ! 何丁ですかね! 一丁ですかね! 三丁ですかね!」
すっかり心得て、しりはしょりになったのを、しかし名人はクスリと笑いながらとつぜんいいました。
「なげえつきあいだったが、おめえとはもうこれっきり仲たがいしたくなったよ」
「何がなんです! やにわと変ないやがらせをおっしゃって、あっしがどうしたっていうんですかよ!」
「すわりな、すわりな。ふくれなくとも黙ってすわって聞いてりゃわかるんだ、おめえがあれこれとろくでもない献立をならべて迷わしたんで、狂わなくともいい眼がちょっと狂ったんだよ。ところで、仙市さんだがね」
じっくりとことばを向けると、ずばりと予想外なホシをさしました。
「おまえさん目あきだね」
「…………」
「だいじょうぶ、だいしょうぶ。目があいていたとて、疑いが濃くなるわけじゃねえんだから、震えていずとこっちをお向きなせえな。あんたの疑いはすっかり晴れましたよ」
「えッ。じゃ、あの、――そうでございますか! 向きます! 向きます! 疑いが晴れたとなりゃ向きますが、いかにもこのとおり目あきのあんまでごぜえます」
「やっぱりな。ぱっちりとりっぱなやつが二つくっついていらあ。それならそうと早く顔を見せりゃいいのに、頭をかかえて震えてばかりいなすったんで、すっかりあぶら汗をかかされましたよ。でもまあ、目あきであって大助かりだが、ときにおまえさんは妙なお道楽をお持ちだね」
「へえい、あいすみませぬ。あんまふぜいがとお笑いでごぜえましょうが、こればっかりゃ病みついたが因果とみえて、女房一匹飼う金までもおしみながら、刀を集めているのでごぜえます」
「そうだろう、おめえさんが顔をかくしていたからわるいんだ。どうもこいつが変だと思ってね、すっかり頭を絞ったんだが、目の不自由な者が刀を集めてみてもしようがあるまいし、といってこれだけ飾ってあるところを見りゃ、たしかに刀道楽にちげえねえんだがと、いろいろ考えた末に、ようようといましがた目あきだなとにらみがついたんですよ。そこでだが、――きさま何か隠しているなッ」
「えッ」
「といっておどしてみたところで始まりますまいから、今まで手間をとらせたその償いに、ゆうべの一条をすっぱりと白状したらどうですかい」
「…………」
「黙っていりゃ、せっかく晴れかかった疑いがまた曇りますぜ」
「でも……」
「心配ご無用。見りゃ刀のどの
「恐れ入りました。そのとおりでごぜえます。じつあ――」
「見なすったか!」
「見もし、出会いもしたんで、疑いがかかりましてはと、今まで生きた心持ちもなかったんでございますが、ゆうべのかれこれ九ツ近いころでした。井上のおだんなのところから、お葉さんがお使いにみえましてね――」
「葉というは女中か!」
「へえい、ぽちゃぽちゃっとしたべっぴんなんで、年は若いし、ちっと気にかかっているんですが、そのお葉さんがお使いに来て、奥さまからのおことづてだが、おだんなが夜勤にお出かけなすって、たいくつしているから話しに来いと、こういう口上でございましたんで、夜中近いのに変だなと存じましたが、何はともかくお呼びならばと思いまして、かって知った庭先のほうからお伺いしましたところ、妙なんですよ。いま話しに来いとおことづてくださったそのお内儀のへやがまっくらがりで、おまけにいくらごあいさつを申し上げてもご返事がございませんのでな。さては持病の
「血がついたんで、無我夢中に逃げ帰ったといわっしゃるか!」
「へえい、そうなんです。だからもう、つえも何もほったらかして――」
「待った! 待った! ちょっと待ったり! でも、少しその話ゃ変だな。りっぱな目あきのあんたが、用もないつえを持っていったとはおかしくないかい」
「ごもっともです。いかにもご不審はごもっともですが、わたしたちあんまのつえは、
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「何じゃ」
「
「なにッ。
「へえい、たしかに猿公なんです。でも、いくら猿公がくらやみの中から飛び出してきたって、けだものが人間をそうやすやすと刺し殺せるわけのものではなし、だからどうしたってきっと行き合わしたあっしに疑いがかかるだろうと存じましてね。つまらぬ疑いのもとになっちゃたいへんだから、ほうり出したつえも拾って帰って、どこかへ隠そうかとも思いましたが、なまじ隠して見つけ出されりゃ、いっそう疑いが濃くなるんだし、それに家のほうにもこのとおり疑いのもとになる刀も何本かあるんだから、こいつもどうしよう、隠そうか、売り飛ばそうかと迷いましたが、細工をしてまた足がつきゃ、なおさら疑いがかかるんだしと、すっかり思いあぐねて、ただもう震えていたんでごぜえます」
「いかにものう。変なことに出会ったというのはそれっきりか」
「いえ、もう一つあとで気がついたことなんですが、どう考えてもふにおちないことがあるんですがね」
「なんじゃ」
「お葉さんがお使いに来たとき、井上のおだんなは夜勤に出かけてるすだとたしかにおっしゃったのに――」
「いたというのか!」
「ではないかと思うことがあるんですよ。というのは、ポンポンと妙な鼓の音が聞こえたんですがね」
「なにッ、鼓とな! ふふうむ! ちとおかしなことになってきたようだが、鼓の音と井上の金八と、なんぞかかり合いでもあると思うのか!」
「あるからこそ、どうもふにおちねえと思うんですがね。ああいう鼓は、なんというんだか、謡の鼓でもなし、
「ふふうんのう! まて! まて! どうやらこいつあ、いろはから考え直さなくちゃならねえぞ! するてえと――?」
あごをなでなで考えていましたが、やがてこのたびこそはほんとうにさえざえとした十八番の「伝六ッ」が、あいきょう者のとこに飛んでいきました。
「大将! 兄貴! おい、伝六ッ」
「フェ……?」
「とぼけた返事をすんな! おめえのことだから、しりぬけのへまをやっていても大澄ましに澄ましていることだろうが、たぶんまだ松平のお殿さまのほうは洗っちゃいめえな」
「たぶんとはなんですかい! いいかげん人をバカにしてもらいますまいよ」
「じゃ、もう洗ってきたか」
「いいえ、はばかりさま! 別段と洗うこともなし、けっこうまた洗う必要もねえんだから、洗いませんよ!」
「しようのねえ善人だなッ。だから、かわいさ余って仲たげえもしたくなるじゃねえかッ。不審は井上の金八が証拠に見せたあの祝儀袋だ。たしかに、ゆうべ野郎も
「…………」
「手数のかかる兄いだな。首をひねって何をぼんやりしているんだッ。いろはから出直して、もう一度とっくりと考え直してみなよ! 井上の金八
「なるほどね。いろはだけじゃわからねえが、ちりぬるをわかまで考えてみりゃ、いかさまちっとくせえや! うなぎを食いはぐれてあぶら切れがしていやがったんで、野郎にたぶらかされたんだ。よくもだましゃがったな! どうするか覚えてろッ。地獄でまた会いますぜ!」
「まてッ、まてッ」
「えッ?」
「きょうは特別だ。急がなくちゃならんから、早駕籠で行ってきな」
「ちぇッ。たまらねえことになりやがったな! ざまあみろい! 井上の金八! おうい! 駕籠屋! 駕籠屋! 早駕籠はどこかにいねえか!」
やっこだこのようにそでをふくらまして飛び出したあいきょう者を見送りながら、
「
のどかそうに庭先で、しきりに投げなわのけいこをしていた善光寺辰を呼び招くと、にこやかに
「子どもは日が暮れてからひとりで遊ぶもんじゃねえ。おめえは今から大急ぎで両国までいってきな!」
「かなわねえな。造りは細かくても、気は大まかですよ。両国へ行くはいいが、何を洗ってくるんです
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「知れたこっちゃねえか! さっき見てきたさるしばいを洗ってくるんだ。ゆうべの九ツ前後に、きっとあの一座のさるの中で異状のあったやつがいるはずだから、抜からずにかぎ出してきな!」
飛ばしておくと、
「仙市さん――」
静かなること林のごとし――いや、むしろそれは風流といいたいくらいのものでした。
「あんたはなかなか凝っていらっしゃる。さっき流しもとで拝見したぐあいではたいへん上等なお茶を召し上がってのようだが、宇治のいいところがあったら、