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――このたびはその第十九番てがら。
前回の名月騒動が、あのとおりあっけなさすぎるほどぞうさなくかたづきましたので、その埋め合わせというわけでもありますまいが、事の端を発しましたのは、あれから五日とたたないまもなくでした。もちろん旧暦ですから、九月も
「ね、だんな、性得あっしゃこの秋っていうやつが気に食わねえんでね。だからってえわけじゃござんせんが、せっかくの非番びよりに、生きのいいわけえ者がつくねんととぐろを巻いていたって、だれもほめてくれるわけじゃござんせんから、ひとつどうですかね、久方ぶりに浅草へのすなんてえのもあだにおつな寸法だと思うんだが、御意に召しませんかね」
「…………」
「ちぇッ。親のかたきじゃあるめえし、あっしがものをいいかけたからって、なにもそう急に空もよう変えなくたってもいいじゃござんせんか。そりゃ、あっしゃ口うるせえ野郎です。ええ、そうですよ、そうですよ。辰みてえにお上品じゃござんせんからね。さぞやお気に入らねえ子分でござんしょうが、なにもあっしが行きたくてなぞかけるんじゃねえんだ。あのとおり、辰の野郎がまだ山だしで、
「…………」
「伝之丞の居合い抜きが殺風景だというんなら、生き人形なぞも悪くねえと思うんですがね」
「…………」
「それでも御意に召さなきゃ、ことのついでに両国までのすなんてえのも、ちょっと味変わりでおつですぜ」
「…………」
「聞きゃ、娘手踊りと
「…………」
「ちぇッ。何が御意に召さなくて、あっしのいうことばかりはお取り上げくださらねえんですかい。天高く馬肥えるってえいうくれえのものじゃござんせんか。人間だっても、こくをとってみっちり太っておかなきゃ、これから寒に向かってしのげねえんだ。久しく油っこいものいただかねえから、まだ少しはええようだが、今からそろそろ出かけて、お昼に水金あたりでうなぎでもたんまり詰め込んでから、腹ごなしに小屋回りするなんてえのは、思っただけでも気が浮くじゃござんせんか」
――と、それまで何をいっても黙々として相手にしなかった名人が、はしなくも伝六のいった食べ物の話をきくと、むっくり起き上がりながら、にわかに活気づいて、いとも朗らかにいいました。
「ちげえねえ、ちげえねえ。どうも近ごろ少し骨離れがしたようで、何をするのもおっくうだと思っていたら、それだよ、それだよ。水金のたれはちっと甘口でぞっとしねえが、中くしのほどよいところを二、三人まえいただくのも、いかさま悪くねえ寸法だ。はええところお
いうまに茶献上をしゅッしゅッとしごきながら、
「ちッ、ありがてえ! ちくしょうめ、すっかり世の中が明るくなりゃがったじゃねえか。だから、なぞもかけてみるものなんだ。じゃ、辰の野郎をすぐひっぱってめえりますから、ちょっくらここでお待ちくだせえましよ」
しかるに、どうも伝六というやつは、なんと考えてみても変な男です。すぐに辰をひっぱってくるといったにかかわらず、駆けだしていってから、かれこれも
「兄貴ゃどうしたい」
「え?」
「伝六太鼓はどこへ逐電したかってきいてるんだよ」
「それが、じつはちっとのんきすぎるんで、あっしもさっきから少しばかり腹だてているんですが、半年のこっちも一つ
「やにわと変なことをいうが、けんかでもしたのかい」
「いいえ、それならなにもこうして、ぼんやりしているところはねえんですがね、今から両国へ気保養に行くんだから、だんなの雲行きの変わらねえうちに、はええところいっちょうらに着替えろと、火のつくようにせきたてたんで、いっしょうけんめいとしたくしたら、あきれるじゃござんせんか。おれゃちょっくら朝湯にいって、事のついでに床屋へ回ってくるから、おとなしく待っていなよっていいながら、どんどん出ていったきり、いまだにけえらねえんですよ」
「あいそのつきた野郎だな。あわてるときはあわてすぎやがって、気がなげえとなりゃ長すぎるじゃねえか。あいつはきっと長生きするよ。かまわねえ、ほっといて出かけようぜ」
「だいじょうぶですかい」
「あいつのことだもの、鳴らしながら追っかけてくるよ」
まことにしかり、それと知ったら伝六太鼓がからだじゅうを総鳴りさせて、ぶりぶりしながら追っかけてくるのは必定でしたので、辰とふたりの道中もまた一興とばかりに、
しかし、うなぎは名人にとって恋人にもまさるほどの、
「みどもはいかだにいたそうかな」
「心得ました。そちらのお小さいおかたは?」
「…………」
「早く何か注文してやんなよ」
「…………」
「小さいっていわれたんで恥ずかしいのかい。じゃ、おれが代わりに注文してやらあ。がらは細かいが、お年はあぶらの乗り盛りだからね、大ぐしがよかろうよ」
「心得ました。おふたりまえで――」
「いや、六人まえじゃ」
「え――」
「六人まえだよ」
「でも……」
「できぬというのかい」
「いいえ、おふたりさまで六人まえは、ちょっとその――」
「だいじょうぶ、だいしょうぶ。あとからひとり勇ましいのが来るから、足りないかもしれんよ」
しかるに、来るべきはずのその勇ましいのが、どうしたことかなかなか姿を見せないのです。
「兄貴め、まさかまい子になったんじゃありますまいね」
「お門が違わあ。食いものとなりゃ、親のかたきをほっておいても駆けだすやつなんだもの、だいじょうぶ、いまに来るよ」
ところが、どうも変なのでした。自分から先へ誘いの水を向けたことではあるし、もちろん、水金へ来ることは先刻承知のはずなんだから、だれがどう考えても、あの伝六がまい子になることはあるまいと思われるのに、
「あきれたやつじゃねえか。めんどうくさいから、おいていこうよ」
「でも、おこりますよ」
「身から出たさびだよ。いこうぜ、いこうぜ」
辰を促すと、もちろんまず娘手踊りのほうへはいるだろうと思われたのに、さっさとさるしばいのほうへ曲がっていったものでしたから、がらはちまちましているが、お
「おいら川越の山育ちなんだからな、
「控えろッ」
「えッ?」
「といったら腹もたつだろうが、町方を預かっている者は、一に目学問、二に耳学問、三に度胸、四に腕っ節というくれえのもんだ。娘手踊りなんぞはいつだっても見られるが、さるしばいをのがしゃ、またいつお目にかかれるかもわからんじゃねえか。珍しいものと知ったら、せっせと目学問しねえと、出世がおくれるぜ」
治にいて乱を忘れず、閑にあってなおその職分を忘れず、かくてこそわがむっつり右門が名人なるゆえんです。――小屋は、さるのしばいという珍しいその評判が客を呼んで、すでにもうそのとき七分の入りでした。