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しかるに、これがことのほか奇態でした。むろんのこと、
と――同時のように主従三人の目を射たものは、離れ座敷の障子に、ぽっかりと大きく映ってみえる四人の入道頭の黒い影です。しかも、その四つのうちに今はいっていった番頭十兵衛の影もたしかに交じっているのが見えましたものでしたから、そもなんの謀議かと、主従等しく目をみはっているとき、まさしく耳を打ったものは、ピシリ、ピシリ、という碁石の音でした。
「よッ、ちくしょうめ、やけにおちついていやがるじゃござんせんか! 碁なんぞ打ちやがって、野郎め、見かけ以上の大悪党かもしれませんぜ。辰ッ、相手は四人だから、投げなわの用意しっかりしておけよ。さ! だんな! 踏ん込みましょうよ!」
いったのを、
「あわてるな! 待てッ」
制しながら、五石八石と打つ石の音をじっと聞き入っていた様子でしたが、まことに不意でした。とつぜん、名人がカンカラと途方もない大声で笑いだすと、あいきょう者をおどろかしていいました。
「バカバカしいや。これだから、伝六太鼓はあてにならんよ。おめえがあんまり陰にこもった鳴り方させたんで、ついうっかりとおれも調子につり込まれてしまったが、とんでもねえ眼ちげえだぞ」
「何を理屈もねえことおっしゃるんですかい! いくらだんなが碁は初段にちけえお腕めえだって、音を聞いただけで眼の狂いがわかってたまりますかい! 碁打ちのなかにだって、石川
「わかりのにぶいやつだな。あの石の運びは、まさしく習いたてのザル碁の音だ。碁将棋を覚えりゃ、親の死にめにも会われねえというくれえのもんじゃねえか。野郎め、そわそわしながら出てきたな、近ごろに覚えやがったんで、それがおもしろくてならねえからのことだよ。だいいち、身にやましいことがありゃ、ああゆうゆう閑々と碁石なんぞいじくっていられるものかい。とんだ大笑いさ」
「ちぇッ、伝六太鼓鳴りそこないましたか。じゃ、ちっとまたあわてなくちゃなりますまいが、これからいったい、どうなさるんですかい」
「ところが、物は当たってみるもんじゃねえか。碁石の音をきいて、とんだ忘れ物をいま思い出したよ。さっき北村の大学先生から、だいじなことで聞き忘れていたことが一つあるはずだが、おめえは思い出さねえのかい」
「…………」
「印形だよ。封印に使った印形が無事息災かどうか、肝心なそいつをちっとも聞かなかったじゃねえか」
「ちげえねえ、ちげえねえ」
名人にも似合わない大きな忘れ物でしたから、ほとんど一足飛びでした。質屋の筋向かいといったのを目あてに、すぐさま北村大学方を訪れました。
と――門をはいろうとしたその出会いがしらです。
「ま! だんなでござんしたか。ちょうどよいところでござんした。妙なことがございますゆえ、さっそくお知らせいたしましょうと、お出回り先を捜していたところでござんすが、たしかに、手文庫の中へしまっておいたはずだとおっしゃいますのに、北村のお殿さまのご印鑑がおなくなりなすっていますんですよ」
はたせるかな! 印鑑に異状のあることがお由の口から報告されましたので、名人になんのちゅうちょがあるべき! さっそく奥へ通ると、それなる手文庫の内見を求めました。
「なくなったのにお気づきなさったのは、いつでござります」
「ほんの今なのじゃ」
「では、お封印のときお使いなすったままで、今までは一度もご用がなかったのでござりまするな」
「そうなのじゃ。見らるるとおり、特別仕掛けの錠前をじゅうぶん堅固に掛けておいたゆえ、だいじょうぶこの中にあるじゃろうと存じて、先ほども印鑑のことは申さずにおいたが、もしやと存じて調べたところ、このとおり紛失してござるわ」
聞きながらじいっと手文庫の錠前に鋭く目を注いでいましたが、そろそろと右門流の明知がさえだしました。
「どうやら、これはオランダ錠のようにござりまするが、これなる錠前あけることをご存じのおかたは、あなたさまおひとりでござりまするか」
「いや、ほかに用人の黒川が存じておるにはおるが、黒川ならばいたっての正直者ゆえ、不審掛けるまでもござらぬわ」
「でも、念のためでござりますゆえ、お招き願えませぬか」
呼ばれて姿を見せたのは、それなる用人の黒川です。いかさま、主人大学の保証したとおり、一見するに目の動き、腰の低さ、高家の忠義無類な用人らしい
「失礼いたしました。お疑いをかけましたのはてまえの
目を光らした以上は、何かきびしい尋問でも始めるだろうと思われたのが、事実はうって変わっていとも気味わるく、ていねいすぎるほどていねいに自分からそこつをわびましたものでしたから、太鼓を張りきらしていたあいきょう者が、黒川用人の立ち去るのを見すまして、所がら、人前もわきまえずに、ことごとく早太鼓を打ちだしました。
「じれってえな! また眼が狂ったんですかい! まごまごしてりゃ、夜がふけちまいますぜ」
ずけずけといったのを聞き流しながら、はてどうしたものだろうというように、あごのまばらひげをまさぐっているところへ、ちょこちょこ縁側先から、善光寺辰がまめまめしい顔をのぞかせると、不意にいいました。
「ね、だんな! ちっと妙ですぜ。今あっしが目ぢょうちん光らしていたら、質屋のご新造がこっそりご用人さんを呼び出して、何かひそひそ打ち合わせながら、
聞くや同時です。待ちに待った名人のすっと胸がすくような伝法句調が、はじめてズバリと言い放たれました。
「そうか! 筋書きがそう調子よくおいでになりゃ、なにもあごのまばらひげなんぞまさぐるにゃあたらねえや。ご高家仕えのご用人さんだから荒っぽい痛み吟味もできねえし、どうしたもんだろうとひと汗絞るところだったが、万事がおあつらえ向きだ。じゃ、伝六ッ、辰ッ、おおかたふたりで池ノ瑞でも浮かれ歩くつもりにちげえねえから、見失わねえようにすぐあとをつけろ。ひと足おくれていくから、合い図しろよ」
命じておくと、まことに右門流でした。
「ちと変なお願いでござんすが、お由さん、大急ぎで鳥追い姿にやつしてくれませんか」
「…………?」
「ご不審はあとでわかりますから、ひとっ走りお宅へ帰って、早いところおしたくしてくださいましよ」
くし巻きお由、今こそ堅気のあだ者お由でしたが、一年まえまでは生き馬の目を抜いたはやぶさお由です。名人の胸中を早くも読んだものか、遠くもない天神下へ小走りに駆けだしていったものでしたから、そこの四つつじにたたずみながら、したくの整うのを待ちました。