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行き向かったところは、むろんのことに、今、名人がいった江戸にただ一人しかないという西条流鏑矢のその弓師、名は
「だんな、だんな。めっかりましたぜ」
その河童坂を上りきったところで、てがら顔に呼び招いた声がありましたものでしたから、ただちに駕籠をのりつけさせました。まだ
伝六、辰を引き従えてずかずかはいっていくと、
「許せよ。六郎左衛門は在宅か」
うれしいほどに重々しく
だのに、職人どもがどうしたことかまたぼんくらばかり。いわゆる巻き羽織衆と称して、およそ八丁堀にお組屋敷を賜わっているほどの町方同心ならば、いずれも羽織のすそを巻いて帯にはさんでいるのが当時の風習でしたから、それだけでもひと目見たらわかりそうなのに、とち狂ったのがもみ手をしながらまかり出ると、いらざることをべらべらと始めました。
「いらっしゃいまし、半弓はどの辺にいたしましょう。あちらの十六丁は
のぼせ返って聞きもしないことをまくしたてたものでしたから、鋭い
「控えろ。身どもの腰がわからぬか」
「なんでござりましょう」
「手数のかかるやつどもじゃな。これなる巻き羽織が目にはいらぬかときいているのじゃ」
「…………?」
しかるにもかかわらず、なおぱちくりととち狂っていましたので、ついにずばりと名のりあげました。
「わしがあだ名のむっつり右門じゃ」
同時にぎょッとなって血の色を失ったのは当然。いずれもぎょうてんしながら青ざめているところへ、騒がずに[#「騒がずに」は底本では「騒かずに」]立ち現われたのは、尋ねるあるじです。年のころは五十かっこう、今がいちばん分別盛りな年配も年配でしたが、諸家諸侯にも出入りのかのう身分がそうさせたものか、さすがに
「ご高名のだんなさまとも存じませず、徒弟どもがとんだぶちょうほうつかまつりまして、恐縮にござります。てまえがお尋ねの西条流弓師六郎左衛門。ご不審のご用向きはなんでござりましょう」
いうこともまたおちついているので、だからすぐにもきき尋ねるだろうと思われたのに、しかし、名人は黙念としてまず鋭い
「神妙に申したてねばあいならんぞ」
「ご念までもござりませぬ」
「では、あい尋ねるが、そちの手掛けた西条流半弓一式を近ごろにどこぞの大名がたへ納めたはずじゃが、覚えないか」
「…………」
「黙っているは隠す所存か」
「め、めっそうもござりませぬ。そのようなことがござりましたろうかと、とっくりいま考えているのでござりまするが、――せっかくながら、この両三年、お尋ねのようなことは一度もござりませぬ」
「なに? ないとな! いらざる忠義だていたすと、せっかく名を取った西条流弓師の家名も断絶せねばならぬぞ。どうじゃ、しかとまちがいないか」
「たしかにござりませぬ。てまえは昔から物覚えのよいが一つの自慢。まして、ご大名がたへのご用ならば家の名誉にもござりますゆえ、あらば隠すどころか、進んでも申しまするが、せっかくながら、この三年来、ただの一度もお尋ねのようなことはござりませぬ」
うそとは思えぬ面ざし向けて、きっぱりと言いきったものでしたから、予想のほかの的のはずれにはたと当惑したのは名人でした。また、これはいかな名人とても当惑するのが当然なので、第一の急所たるべき半弓
「ちぇッ。しようのねえだんなだな。八丁堀へけえるんだったら、そっちゃ方角ちげえですよ。そんなほうへやっていったら、信州へ抜けちまうじゃござんせんか」
いわれるほどに道々思いに沈んで、ようようのことにお組屋敷へしょんぼりと帰りつくや、ぐったりそこへうち倒れてしまいました。捕物はじまってここに十六番、かつて見ないほどにも意気
「ねえ、だんな。――だんなってたら、ちょっと、だんな。しようがねえな。あっしまでが悲しくなるじゃござんせんか。しっかりしておくんなせえよ。――」
聞き流しながら、知恵も才覚もつき果てたようにややしばしぐったりとなったままでいましたが、しかし、そのうちに名人の手がそろりそろりと、あごのあのまばらのひげのところへ持っていかれました。ここへ静かに手先が伸びていくと、曇った空がたいていのとき晴れだすのが普通でしたから、それと知って、今のさっきまでの泣き上戸伝六が、たちまち喜び上戸に早変わりしたのはいうまでもないことです。
「おッ。みろみろ、辰ッ。もぞりもぞりとおはこが出かかったから、静かにしろよ。あのつんつんとひっぱるやつがお出なさりゃ、じきに知恵袋の口があくんだからな」
と――いうかいわないうちに、果然、むくりと起き上がるや、微笑とともにあいきょう者へ、朗らかなところが飛んでいきました。
「な、伝六ッ」
「ありがてえ! 出ましたか!」
「出ねえでどうするかい。おれともあろうものが、とんだおかたのいらっしゃることを度忘れしていたもんじゃねえか。こういうときのお力にと、松平伊豆守様というすてきもないうしろだてがおいでのはずだよ」
「ちげえねえ。ちげえねえ。じゃ、老中筆頭というご威権をかりて、まっさきに尾州様へお手入れしようっていうんですね」
「と申しあげちゃ恐れ多いが、身分の卑しさには、それより道がねえんだ。三百十八大名をかたっぱし洗って、西条流半弓のお手きき殿さまをかぎつけることにしてからが、同心や
「大きにちげえねえや。それにまた、松平のお殿さまだって、お自分がお出迎えのさいちゅうにあんな騒動が降ってわいたんだからね。今まで、だんなにおさしずのねえのが不思議なくらいですよ」
「だから、まずおまんまでもいただいて、ゆるゆると出かけようじゃねえか。さっき品川でかに酢をどうとかいったっけが、ありゃどうしたい」
「ちぇッ。これだからあっしゃ、だんなながらときどきあいそがつきるんですよ。十ばかりさげてけえりましょうかといったら、とてつもなくしかりつけたじゃござんせんか。もういっぺんあごをなでてごらんなせえな」
「ほい。そうだったかい、今度は一本やられたな。じゃ、ちっとじぶんどきがはずれているが、いつもおかわいがりくださる伊豆守様だ。あちらでおふるまいにあずかろうよ」
いいつつ、
「ご老中さまから火急にお差し紙でござります」
「なに! 伊豆守様からお差し紙が参ったとな――伝六ッ。なにかご内密のお力添えかもしれぬ、はよう行けッ」
今、お力を借りに行こうといったその松平のお殿さまから、それも火急のご書状といいましたので、いかで伝六にちゅうちょがあるべき、――ねずみ舞いをしながら出ようとすると、四尺八寸のお