右門捕物帖(二) |
春陽文庫、春陽堂書店 |
1982(昭和57)年9月15日 |
1982(昭和57)年9月15日新装第1刷 |
1999(平成11)年4月20日新装第6刷 |
右門捕物帖
曲芸三人娘
佐々木味津三
1
――だんだんと回数を重ねまして、名人の捕物帳もいよいよ今回は第十四番てがらとなりましたが、目のあるところには珠が寄るのたとえで、ご番所のご記録帳によりますと、なんとも愉快千万なことには、この十四番てがらから、新しく右門の幕下にすばらしい快男児がいまひとりはせ加わりまして、おなじみの人気わき役おしゃべり屋の伝六とともに両々力を合わせながら、ますます名人の捕物さばきに痛烈無比な精彩を添えることになりましたから、それから先にご紹介しておきたいと思います。
ところで、その快男児ですが、変人変物という点においては、およそ天下にこんな珍しい一対はあるまいと思われる右門と伝六のところへわざわざ仲間入りするんですから、この新しいわき役なる者がまた尋常一様の男ではないので。前回の指切り騒動がかたづきましてから日にしてちょうど十六日めの夕景でした。朝のしたくはいうまでもないこと、夕げの用意、床のあげおろし、およそ右門の身まわりに関する女房役は、いっさいがっさい伝六が男手一つで切り盛りするならわしでしたから、もうそろそろやって来なければならない刻限でしたが、陽気のかげんで、はずみがつきすぎましたものか、いっこうにあいきょう者が姿を見せませんので、しかし、根がそういうことにいたって大まかな名人のことでしたから、あかりをつけるのもめんどうとばかり、そこの座敷のまんなかにごろりと大きく寝そべりながら、もぞりもぞりと、くらやみであごのまばらひげをまさぐりつづけていると、まさにそのとたんでした。裏木戸のあたりとおぼしき方角にあたって、不意にことりと、だれかうかがい寄りでもしたようなけはいがありました。伝六ならばいつやって参りますときでも、ガラガラとがらがらへびのようにからだじゅうを鳴らしながらやって来るのが普通でしたから、はてなと思いましてきき耳を立てていると、ところがどうしたことか、それがやっぱりあいきょう者なので、しかもほかになんびとか連れでもがあるらしく、やにわに奇態なことを促しました。
「さ! 遠慮はいらねえから、早いところおめえの隠し芸をお目にかけて、ちょっくらだんなの肝を冷やしてやんねえよ」
と――ほとんど同時です。伝六に促されて黒い影がごそごそと庭先へはいってきたらしい様子でしたが、いかにも奇怪至極なことばで、とつぜん右門に呼びかけました。
「だんな、お無精をなさっていらっしゃるとみえまして、おさかやきが少しお伸びのようでござんすね」
これにはさすがの捕物名人もおもわずぎょッとなりましたので。表にこそはいくらか宵星のうっすらとしたほのあかりがありましたが、屋のうちはあんどん一つともっていないまっくらがりでしたのに、それなる不意の闖入者ばかりは、夜物が見えるふくろうの目玉でも備えつけているのか、鼻先をつままれてもわからないようなやみの中に寝ころがっている右門のさかやきが少々伸びているのを、さながら白昼のもとに見るかのごとくぴたりと言い当てましたものでしたから、したたかに肝を冷やして、むくり起き上がりざま、握るともなく蝋色鞘を握りしめていると、つづいて黒い影がさらに驚かすごとくまたいいました。
「お腰の物の下げ緒がゆるんでおいでのようですぜ」
じっさいまた下げ緒がゆるんでおりましたので、奇態な男のかさねがさねな奇態なことばに、いささか名人もあっけにとられていると、伝六のやつめがげらげらと笑いながら駆け上がってきて、そそくさあかりをつけていたようでしたが、得意そうにいいました。
「いかなだんなでも、今の隠し芸にゃ、ちょっと舌をお巻きなすったようでしたね。あの男がその本人なんだから、とっくりご覧なせえましよ」
庭先を指さしましたものでしたから、よくよく見ると、これがじつにどうもいいようのない男です。身のたけは抜群――といいたいが、反対にごくごくの抜小で、ものさしを当ててみたらせいぜいまず四尺八寸か九寸ぐらい。それだのに、これがひねこびれてでもいるかと思うと案外にのっぺりとなまっちろくて、物にたとえていったならば、ご禁裏仕えの高貴なお公卿さまを小さく縮める器械へかけて一回り小造りに造り直したといったような、変にのどかな感じの人物でしたから、どういう素姓の男が何用あって来たのか、ことごとく右門が不審に思っていると、伝六がひとりではしゃぎながら、ひとりで心得顔に、事の子細を説明いたしました。
「人間てがらを重ねておくと、こういう堀り出し者が、ひとりでに向こうから集まってくるんだから、ありがたいこっちゃござんせんか。実は今、こちらに晩のおしたくにやって来ようとすると、ひょっくりこの珍客があまくだってめえりましてね、きょうから右門のだんなの手下になることに話が決まったから、だんなに引き合わせろとこう申しましたんで、さっそくお目見えにつれてまいりましたが、すばらしい珍品じゃござんせんか。どうです! 御意に召しませんか」
「不意に妙なことをいうが、いったいだれが手下にしてやると申した」
御意に召そうにも召さないにも、まるでいうことが右門には初耳でしたから、あっけにとられて聞きとがめると、ところが、いたって伝六がおちついていいました。
「だから、あまくだったといってるんじゃござんせんか。ここに松平のお殿さまからのりっぱなご添書がごぜえますから、ご覧なせえましよ」
うやうやしく伝六が奉書包みをさし出しましたものでしたから、さっそく右門も披見すると、いかさまりっぱなお添書といったことばのとおり、それなる一書は次のごとく書かれた松平伊豆守のお直筆でした。
「こは余が領国武州忍に育ちし者に候も、希代なるわざ二つあり、下人に捨ておくは惜しきものと存じ、そのほう配下に差し送り候条、よしなにお差配しかるべく、右推挙候者なり」
これが余人の推薦ならば、容易に食指を動かす右門ではありませんでしたが、天下第一の名宰相、知恵の権化の松平伊豆守が、これならばといわぬばかりに、太鼓のような判を押して、わざわざ送りつけてくださいましたものでしたから、右門もようやく事の顛末を知りまして、とりあえず座敷に請じあげると、おもむろにまずその人となりを尋ねました。
「では、ともかく人となりを承ろう。当年何歳じゃ」
「二十三でございます」
「ひどく小さいようじゃが、まさか日陰で育ったわけではあるまいな」
「いいえ、それが実あ日陰ばかりで育ったんだから、うそはいえないものでございますが、親代々家の稼業が金山の金掘りでござんしたのでな、しょっちゅう日の目の当たらない地の中へもぐっていたせいか、あっしでちょうど七代、こんなお平の長芋みたいな育ちの悪い小男ばかりが続くんでございますよ。今のお目にかけました隠し芸にしてからが、やっぱり親どもの稼業のせいなんでござんしょうが、暗いところばかりで仕事をしたため、ひとりでに目が強くなったものか、あっしまでが今お目にかけましたように親の血を引いて、子どもの時分から夜でもよく物が見えるんでございますよ。伊豆守様が希代なわざと折り紙つけてくださいましたのも、一つはつまりそれなんでございますがね」
「なるほどさようか、いかにも珍しい話じゃが、名はなんと申すか」
「善光寺辰と申しますんで――」
「なに、善光寺辰? いぶかしい名まえじゃが、親がつけたか」
「いいえ、親のつけた名まえは辰九郎というんですが、あんまりあっしが小粒なんで、善光寺さまのご尊体が一寸八分しきゃないとかいうあれをもじって、みんながいつのまにかそんなあだ名をつけたんでございますよ」
「いかさまな、物は考えようじゃな。では、あとの一つの希代なわざじゃが、それはどんな隠し芸じゃ」
――と、みずから善光寺辰と名のったそれなる小男が、なにやらごそごそと腰のまわりを探っていたようでしたが、やがて取り出したひと品は一筋の麻なわでしたから、そんなものを何にするだろうといぶかしんでいると、じつにこれが名技ともなんともいいようのない早わざなので、さながら一本の棒かなんぞのように、するすると手先から繰り出されたかと見えるや、ひらり輪先をそこの庭の石燈籠の首にひっかけてみせました。それも、五尺や八尺の近くならば、なにも改まって驚くにはあたらないことでしたが、目分量でもじゅうぶんに六、七間の距離があったものでしたから、右門の口辺にはじめて会心そうな微笑がのぼりました。
「ほほう、投げなわをよくいたすとみえるな。余のかたのご推挙ならばもちっと吟味せねばならぬが、ほかならぬ伊豆守様からのおくだされものじゃから、いかにも配下といたしてしんぜよう。では、あすにでもご奉行職に願いあげて、その旨上申してつかわすゆえ、当分のうち牛は牛づれに、伝六と同居いたせ」
伊豆守様折り紙つきという一条がものをいって、思いのほかたやすく採用と決定いたしましたものでしたから、喜んだのは本人の善光寺辰と、牛づれのできた伝六でしたが、しかし、物事はそうそうおあつらえ向きばかりにはいかないものとみえまして、せっかく捕物三人侠者のおぜんだてが、かくのごとくに申しぶんなく整ったというのに、なんともままにならぬことは、どうしたものか肝心の事件のほうがいっこうにその以後持ち上がってこないことでした。それも五日や十日ならよろしいんですが、善光寺辰が一枚わき役に加わると同時で、ほとんど半月以上もまるで事件の訴えが来なかったものでしたから、いつまでたっても伝六はあいかわらずの伝六とみえまして、たちまちあいきょう者らしい音をあげてしまいました。
「ちくしょうめッ、石川五右衛門もとんだ二枚舌を使うじゃござんせんか。浜の真砂子がどうとやらと、おつに大時代なせりふをぬかしゃがったが、このぶんじゃ悪党の種がつきてしまったかもしれませんぜ」
しきりに五右衛門を罵倒していましたが、しかし、こればっかりは事件のほうで起きてこないかぎり、いかなおしゃべり屋の伝六がしゃちほこ立ちをしたとて、どうにもならないことでしたから、じれじれして待っていると、月を越して四月にはいるやまもなくのことです。突如として、右門畑の怪事件が、不思議な形をとって勃発いたしました。