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右門捕物帖(うもんとりものちょう)11 身代わり花嫁

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:14:48  点击:  切换到繁體中文


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 と――、帰ろうとしたその道の途中で、はしなくも右門の第十一番てがらとなるべき事件の発端が、突如として勃発ぼっぱつしたのです。いや、道の途中でというよりも、正確にいえば伝六が生島屋の店先で、あのとき、右門にしかられるような不必要と見える名のりをあげたからこそ、事件が向こうから右門のふところに飛び込んできたんですが、かどを曲がった近道伝いに八丁堀のほうへ帰ろうとすると、あわただしく追いかけてきて呼ぶ声がうしろにありました。
「そこのだんなさま! おふたり連れのだんなさま!」
 振り返ってみると、呼び手は先ほど右門に丸帯を見せてくれた生島屋のあの店員でしたから、いぶかって待っていると、店の者は息せき切りながら追いついて、遠慮深げにきき尋ねました。
「先刻店先でこちらのかたがおっしゃいましたようでしたが、そちらのだんなさまは、八丁堀の右門様でござんすね」
「そうじゃよ」
「では、あの、うちの大だんなさまが、大至急で、ご内聞にちょっとお目にかかりたいと申してでござりますゆえ、ご足労ながらお立ち寄り願えないでござりましょうか」
「用は何でござる」
「詳しゅうは存じませぬが、いましがただんなさまがたが店先にお越しのさいちゅう、奥でなにやら妙なことが起きたそうでござります」
 いるさいちゅうに事が起きたといったものでしたから、事件のいかんを問わず聞きずてならじと思いまして、ただちに右門は伝六に目くばせしながら生島屋へ引きかえしてまいりました。
「どうぞ、こちらから――」
 言いつつ先にたって内玄関のほうへ案内しましたので、通されるままに上がっていくと、いかさま何か珍事が勃発したとみえまして、そこにうろうろしていたものは、生島屋の大だんな七郎兵衛しちろうべえでありました。うち見たところまだ五十そこそこの年配でしたから、せがれの陽吉に跡めを譲って隠居するにはまだ少し早いくらいに思いましたが、今の場合はそんな不審の穿鑿せんさくよりも、事の何であるかが第一でしたので、一礼するとただちに事件の顛末てんまつの聴取にかかりました。
「何ぞ出来しゅったいいたしたそうじゃが、どんなことでござる」
「あっ、ご苦労さまに存じます。あの、妙なことをしちくどく念押しするようでござりまするが、ほんとうに右門のだんなさまでござんしょうか」
 すると、奇妙なことには、七郎兵衛がまた、右門であるかどうか、改まって念押ししたものでしたから、いぶかしく思って尋ねました。
「先ほど、お店のかたも念を押されたようじゃが、もしてまえが右門でなかったならば、なんと召さる?」
「おふたりさまを前にして、変なことを申すようでござりまするが、もし右門のだんなさまでござりませなんだら、なまじ事を荒だててもどうかと存じますので、差し控えようかと思うているのでござります」
「すると、なんじゃな、右門なら事をまかしても安心じゃというのじゃな」
「へえい、ま、いってみればさようでござります」
「いや、なかなか味のありそうな話じゃ。いかにも拙者が右門でござるよ」
「あっ、さようでござりまするか。では、ちとご内聞に申し上げとうござりますので、そちらのかたをお人払いを願いとうござりまするが、いかがなものでござりましょう」
「だいじょうぶ、ご心配無用じゃ。これはてまえの一心同体のごとき配下じゃから、なんでも申されよ」
「さようでござりまするか。では申し上げまするが、実は今これなる座敷で、ふいっと軸が紛失いたしましてな」
「軸と申すと、書画のあの軸でござるか」
「へえい」
「品物は何でござる」
「雪舟の絹本でござりました」
「雪舟と申すとなかなか得がたい品じゃが、家宝ででもござったか」
「へえい。代々家に伝わりました、二幅とない逸品でござりますので、かくうろたえているしだいでござります」
「いつごろでござった」
「ほんのただいま、それもまだだんなさまがたがお買い物中のことでござります」
「聞き捨てならぬことじゃな。場所はどこでござった」
「その床の間に掛けてあったのでござりまする」
「でも、この床には現在なにやらめでたそうな新画が掛かっているではないか」
「いいえ、それが不思議の種なんでござりまするよ。実は、いましがた出入りの鳶頭とびがしらが参りましてな、つい十日ほどまえにてまえのせがれが嫁をめとりましたので、その祝儀じゃと申しまして、この新画の幅をくれたものでござりますから、さっそくこれと雪舟とを掛け替えて鳶頭とふたりでながめておりましたら、そのまに取りはずしておいた雪舟が、いつか消えてなくなったのでござりまするよ」
「ほほう。では、その間だれもこのへやへははいらなかったというのじゃな」
「ええ、もうはいるどころではござんせぬ。てまえと鳶頭がちゃんとここについていましたのに、あとで気がつきましたら、雪舟だけがなくなっていたのでござります」
「なに、あと……? あとと申すと、鳶頭が帰ってからのことじゃな」
「へえい。いつも気ぜわしげな男で、すぐに帰りましたゆえ、うちのものに玄関まで送らせまして、ふと気がつくと、もう雪舟が消えてなくなったのでござります」
「すると、なんじゃな、もし疑いをかけるなら、その鳶頭とやらが怪しいわけじゃな」
「ところが、それが大違いでござります。に組の金助といや古顔の鳶頭でござんすから、だんながたもご存じだろうと思いまするが、てまえの家はもう先代からの出入りで、今年七十になるまでただの一度も人からうしろ指さされたことのないっていうりちぎ一方の江戸っ子なんでござりますから、疑うどころか、怪しい節一つないんでござりまするよ。それに、てまえがその間座をはずしたとか、ご不浄にでも立ったとか申しますなら、鳶頭にも疑いがかかるんでござりますが、なんしろ来るから帰るまで、ちゃんとてまえがこの二つの目で見張っていましたのに、雪舟だけが消えてなくなったんでござんすから、どうにも解せないのでござります」
 ――事実としたら、いかにもこれは奇怪至極な盗難事件というべきでした。紛失した雪舟の名画が、まるめてふところにでもはいる品だとか、あるいはちょいとたもとの中へでも失敬できるような小さな品でしたら、ずいぶんとまだ疑いようもあるわけなんですが、なにをいうにも、たった今しがたまで床に掛けてあった幅物の、いたってかさばる品なんですから、いかさまこれは不思議千万な話というべきでした。しかも、唯一の容疑者というべきそれなる鳶頭の金助なる者が、いうとおりのりちぎ一方な江戸っ子で、あまつさえ先代からの古い出入りだったというにおいては、だれかキリシタン・バテレンの密法でも使う者が忍び込んで持ち出さないかぎり、あるいは雪舟の名画に足がはえて、自分からひとりでにどこかへ姿をかくしてしまわないかぎり、まことに奇怪至極、不思議千万な盗難事件というべきでした。
 けれども、このくらいな盗難事件に出会って、たわいなくあわを吹くようなむっつり右門だったら、だいいち伝六の、おらのだんな、おらのだんなと称して、ああも人に自慢するはずはないわけです。さればこそ、右門は例の秀麗きわまりない眉目びもくに、観察の深さを物語る一文字のくちびるをきりりと引き締めて、しきりとそこに掛けられてある床の新画を見ながめていましたが、ふふん、というような微笑をみせると、やぶからぼうに尋ねました。
「見れば、この新画の落款には栄湖としてあるようじゃが、栄湖というのはあの四条派の久和島栄湖であろうな」
「へえい。新画番付では三役どころの画工だそうにござります」
「すると、相当な値ごろのものじゃな」
「へえい。よそから祝儀にいただいて値ぶみをするのも変なものでござりまするが、安い品ではござりませぬ」
「では、箱ぐらいついていそうなものじゃが、どうしたことか、これは無箱のようではないか」
「いいえ、無箱ではござりませぬ。ちゃんと箱に入れて持ってきてくれたのでござりまするが、途中でまにあわせに買いととのえたもので、まだ箱書きがしてございませんからと申しまして、鳶頭が箱だけを――持ち帰ったのでござりまするよ」
 と、――聞くや同時に、右門のまなこが、期したる答えに接したもののごとく、きらきらと輝きを帯びてまいりました。いや、ただにまなこが輝きを帯びてきたばかりではなく、すでにいっさいの解法がついたかのごとくに、莞爾かんじとうちんでいましたが、ややことばを強めると、七郎兵衛をおどろかすように尋ねました。
「盗まれた雪舟は、たぶん尺二でござったろうな」
「へえい、そ、そうでござりまするが、どうしてまた、そんなことがおわかりでござりまするか」
 ぎょっとなったように七郎兵衛がきき返しましたので、右門はふたたび莞爾かんじとうち笑んでいましたが、がらりと調子を変えると、ようやくむっつり右門本来の面目に立ち返ったといわんばかりで、おそろしく伝法に、おそろしく切れ味のよろしい啖呵たんかをずばりときりました。
「おれの名は、二度も三度も念を押して聞いているじゃねえか。むっつり右門はただのできあいじゃねえや、知恵の出どころがちっと違わあ。――さ、伝六、また少し忙しくなったぜ」
 のみならず、ゆうゆうとして蝋色鞘ろいろざやを腰にすると、ぱんぱんひざがしらをはたきながら、おちついて帰りじたくを始めましたものでしたから、どこにどう犯人のめぼしがついたものか、まるでまだ五里霧中の七郎兵衛があわをくって尋ねました。
「では、あの、雪舟の行くえはもうおわかりになったのでござりまするか」
「わかったからこそ、こうして帰りじたくをしているんじゃねえか。ねこごたつにでもはいって、金の勘定でもしていなよ」
 言い捨てるや、迫らずに表へ出ていったようでしたが、ふと伝六をかえりみると、述懐するようにいいました。
「思うに、あのおやじ、少し握り屋らしいな」
 伝六にはその突然な述懐がよくわからなかったとみえて、ぼけぼけしながら、いぶかしそうにきき返しました。
「とおっしゃると、だんなは、あのおやじの握り屋らしいところに、なんかこの事件あなの糸口があるっておっしゃるんですかい」
「あたりめえよ。ひと口にいや、小欲が深すぎるんだよ。だから、あの軸物をもらったんで、もらうものならなんでもござれとばかり、ほくほくもので有頂天になっているすきを、ちょろりと雪舟に逃げられてしまったんだ」
「じゃ、やっぱり、あの鳶頭の金助とやらが怪しいとおっしゃるんですね」
「決まってらあ。あのおり、ほかにだれもあの座敷へ来たものがねえとすりゃ、雪舟の絵に足がはえてでも逃げ出さねえかぎり、金助よりほかに盗んだやつあねえじゃねえか」
「でも、先代からのお出入りで、評判の正直者だといったじゃござんせんか」
「だから、なおのこと、あのおやじ小欲が深すぎるにちげえねえっていうんだよ。相手が正直者だから安心しきって、もらいものに有頂天となっているすきを、ちょろりと細工されちまったんだ。また、鳶頭のほうからいや、日ごろ正直者として信用されているのをさいわい、そこをつけ込んで裏かいたのさ」
「いかにもね。そうすると、やっぱり、箱書きをするといって、あの箱を持ちけえったことがなんか細工の種ですかね」
「ほほう。じゃ、おまえもやっぱり箱書きが怪しいとにらんだかい」
「だって、考えてみりゃおかしいじゃござんせんか。お祝儀の進物に持ってくるくれえなら、箱書きなんぞまえからちゃんと用意してくるのがあたりめえなんだからね。しかも、きいてみりゃ、盗まれた雪舟がやっぱり尺二で、さっきあそこに掛かっていた新画のほうも同じ尺二じゃござんせんか。だから、思うに、あれと雪舟とを掛け替えるとき、うまいこと目をちょろまかして、持ってきた箱の中へ雪舟を盗み入れたうえで、箱書きを口実に、まんまと持ち帰ったんじゃござんせんかね」
「偉い! そのとおりだよ。そのとおりだよ。きさまもだいぶこのごろ修業が積んだな」
「ちぇッ、つまらないことを、めったにほめてもらいますまいよ。あっしだって、三年たちゃ三つになりますからね。それに、でえいち、盗まれた品物が品物ですからね。あんなかさばるものを、おやじの見ている前でどうして持ち出したろうと不審をうっているとき、ひょっくりとだんなが箱のことを尋ねなすったものだから、さてはそいつが急所だなと思って、いっしょうけんめい聞いていたところへ、箱書きうんぬんのことを申し立てたので、こいつ鳶頭が細工したなと気がついたまでのことでさ」
「いや、偉いよ。どっちにしても、それを気がつくようじゃ、きさまもめっきり腕をあげたよ。――だが、こいつ、ぞうさなさそうに見えて、存外根が深いかもしれねえぜ」
「とおっしゃいますと、なんですかい。盗み手のめぼしはついたが、肝心の雪舟はちょっくらちょいとめっからないとでもおっしゃるんですかい」
「いいや、そんなものの行くえやありかは、このおれが出馬するとなりゃまたたくまだがね。とかくこういうふうにぞうさがなさそうに見える事件あなってものが、思いのほかに根の深いもんだよ。ついこないだの達磨だるまさんの捕物とりものでもそうなんだが、うわべに現われているたねの小さいものほど、底が深いものさ」
「だって、雪舟が人の見ている前で、ひゅうどろどろと消えてなくなるなんて、ちっとも小さかねえじゃござんせんか」
「そりゃ、きさまが雪舟という絵の値うちに目がくらんでいるからだよ。そいつをとりのけてみりゃ、ただの盗難さ。けれども、その盗んだやつが七十近い老人のりちぎ者だっていうんだからな。根が深いかもしれねえっていうなあ、そのりちぎ者のとったってことそのことさ」
「大きにね。だんなの目のつけどころは、いつも人と違うからね」
「それに、あの生島屋のおやじが、二度も三度もおれに右門だかどうだか念を押したのが、ちっと気に入らねえじゃねえか」
「いかにもさよう。あっしもあの一条がいまだに気持ちがわるいんですがね。右門のだんなならお頼みするが、ほかの八丁堀衆なら頼むまいっていわんばかりのことを、変に気を持たせてぬかしゃがったからね」
「だから、こいつちっと大物かと思っているのさ。それに、時が時だからな……おっと、いけねえ、いけねえ。話に夢中になっているうちに、とんでもねえほうへ来ていらあ。ここをいっちゃ深川へ出てしまうじゃねえか。に組っていや、たしか神田だったろ」
「へえい、さようでござんす。連雀町れんじゃくちょうあたりに火の見があったはずでござんすよ」
「じゃ、めんどうくせえや。ひと飛びにまた例の駕籠かご[#「駕籠」は底本では「駕駕」]にしようよ」
「そらッ、おいでなすった。もう出るか、もう出るかと待っていましたっけが、だんなの口から駕籠っていうお声がかかりゃ、やりが降ろうと、火の玉が舞おうと、もうおれが天下だ。――おいそこの裸虫! 大急ぎ二丁ご用だぜ」
 この師走空しわすぞらにしり切れじゅばん一枚きりで、そこの橋たもとにふるえていた裸人足を見かけると、景気よく伝六が呼び招きましたので、右門はむっつりとくちびるを引き締めながら、いよいよこれより右門流の水ぎわだった捕物にかかろうといわんばかりで、筑波つくばおろし吹きしきる大江戸の昼日中町を、神田連雀町目ざして駆けさせました。


 

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