「――あんなことにかんしゃくをおこして、ほんとうにいやな人だね。あたいはこんな水商売こそしているが、金や男ぶりに目がくらんでおまえさんなんかに……じゃないよ。だから、きげんを直して、もう一度あすの晩にでもおいでよ。ただし、来る節は忘れずに……またおみやげをね。でないと、あたいはまた血の道をおこしてやるよ。では、万事その節のうれしい口説まで、――ひのき稲荷のご存じより」
見ると、中には以上のごとくに、許しがたき女犯にまで立ち及んだ痴文がしたためられてあったものでしたから、なんじょう右門ののがすべき、ただちに
烱々とまなこを光らすと、まをおかないで質問が黙山のところに飛んでいきました。
「そなたひのき稲荷というのはどこか知っておりませぬか」
「よく存じております。こないだお兄いさまのおつかいにいんだところも、やはりそこでござりました」
「なに
では、浅草でありますな」
「はい。お師匠さまのお
姪御さんとやらが、
三味線のじょうずなかたで、近所のお子ども衆にお手ほどきしているとかいうことでござりました」
がぜん事件の秘密はここに一道の光明をもたらして、いよいよ
熊仲和尚の身辺はいっそう濃厚な疑惑の雲に包まれだしたものでしたから、きくや同時に、右門の口からは鋭い声が発せられました。
「ちくしょうッ、ふざけたことぬかしやがって、姪御さんが聞いてあきれらあ。肉親のおじさんにみだらがましい……をねだる姪もねえじゃねえか。さ、伝六ッ、十手の用意をしておけよ!」
いうと、表に待たしておいた駕籠に飛び乗りながら、いっさんに浅草めがけて道を急ぎました。
行ってみると、なるほど田原町を左へ折れた路地口に大きなひのきが一本あるので、目あての三味線の師匠というのは、ちょうどそのひのきの奥隣に見つかったものでしたから、右門は万一逃走の場合を考えて、裏口に伝六を張り込ませておくと、黙山を伴いながら案内も請わずに、ずいと座敷へ上がりこみました。
と――、それなる熊仲和尚は、なんという生臭でありましたろう! 青てかの道心頭をも顧みず、女のなまめいたどてらをひっかけて、
蛤鍋かなんかをつつきながら、しきりと女に酌をとらせていたものでしたから、右門は大声に
叱すると、まずその荒肝をひしぎました。
「この生臭めがッ。そのざまはなんじゃ。もう逃がしはせぬぞ。さッ、神妙にどろをはけッ」
むろんのことに、相手はぎょッとなって、すでに生きた心持ちもないような青ざめ方でしたが、しかし震えながらいったことばが少し意外でした。
「ど、どうも恐れ入りました。いかにも出家の身に不届きな女犯をおかしましてござりますゆえ、もうこうなれば神妙におなわをちょうだいいたしましょう。――さ、おみち、おまえももう度胸をすえて、おとなしくお番所へいきな」
いうと、女はおみちという名まえであるのか、因果を含めて両手をうしろに回しながら、割合神妙におなわを受けようとしたものでしたから、右門はやや不審をいだいてたたみかけました。
「まてまて。今きさまの申したところをきけば、女犯の罪ばかりのようなことをいうが、では、これなる黙山の兄をあやめた下手人ではないというのか!」
「め、めっそうもござりませぬよ。では、だんながたは、てまえが兄の鉄山を討った下手人と見込んで、お越しなさったのでござりまするか」
「さようじゃ。いろいろ考え合わしてみるに、てっきりそのほうのしわざとめぼしがついたゆえ、かく黙山同道にて
助太刀に参ったのじゃが、目きき違いじゃと申すか」
「目きき違いも、目きき違いも、大きなおめがね違いにござりますよ」
「でも、これなる黙山の申すには、兄を討った者は、そなたの名まえ同様、くまと名がつくというてじゃぞ」
「ばかばかしい。わたしの熊は同じ熊でも読み方が違いますよ」
「なんと申す」
「ユウチュウと申します」
「なに、ユウチュウ?」
「はい、熊という字と仲という字がありますから、クマナカと読みたいところですが、あれはユウチュウと読むのがほんとうでござります。また、坊主の名まえにクマナカというのもおかしいではござりませぬか。ユウチュウと読んでこそ、坊主らしい名まえでござりましょう?」
「いかにもな。しかし、それにしてはあのとき小者が呼びに参ったのに、なぜいちはやく姿をかくした」
「お番所に用があると申されましたゆえ、てっきりもうてまえの女犯の罪があがったものと早がてんいたしまして、かく逐電したのでござります」
「なんじゃ、ばかばかしい。これがほんとうにひょうたんから
駒が出たというやつじゃな」
意外にもにらんだほしは全然の見当違いであったことがわかりましたものでしたから、右門はおもわず吐き出すようにいうと、からからとうち笑いました。
けれども、いうがごとくにひょうたんから駒は出たかもしれませんが、ここにいたって、いよいよ迷宮にはいってしまったものは鉄山殺しの犯人自体です。
熊仲と思ったそのクマが実は
熊仲のユウであったとすれば、自然ここにもう一度鉄山の死にいくとき漏らしたという
くまについての
詮議を進め直さなければなりませんが、と――そのとき今はクマナカ
和尚ではなく、ユウチュウ和尚となったそれなる女犯僧が、もじもじといいよどみながら、ふと右門にことばをかけました。
「まちがいとおわかりでしたら、実はだんなにおりいってのご相談がござりますがな」
「なんじゃ」
「もう二度とかような女犯は重ねませぬによって、今度のところはお目こぼしを願いたいものでござりますがな」
「虫のよいことを申すな。女犯の罪は出家第一の不行跡じゃ。おって寺社奉行のほうに突き出し、ご法どおり日本橋へさらし者にしたうえ百たたきの罰を食わしてやるから、さよう心得ろ」
「いいえ、ただでとは申しませぬよ。だんなのお捜しになっていらっしゃる鉄山殺しの下手人に思い当たりがござりますので、それを引き換えにしていただきとうござりまするが、いけませぬかな」
「なにッ? では、きさま、その下手人をよく存じていると申すのか」
「知らいでどういたしますか、兄の鉄山も、そこの黙山も、もとはといえばてまえが門前に行き倒れとなっているのを拾いあげたのでござりまするよ」
「それは何年ごろじゃ」
「忘れもしないちょうどおととしの秋でござりましたが、朝からひどい吹き降りのした晩でござんしてな、
檀家の用を済ましておそく帰ってくると、兄弟が旅の装束のままで門前に行き倒れとなっていたのでござりますよ」
「すると、生まれは江戸の者ではないのじゃな」
「へえい。南部藩のご家中で、どういうものかおじいさまの代から浪人をしていたとか申してでしたが、きいたらかたき討ちに来たと、このようにいうのでござりますよ」
「なに、かたき討ち? では、なんじゃな、もうそのとき、このいたいけな兄弟たちは、なみなみならぬ素姓なのじゃな」
「へえい、さようで。そこの黙山はまだ七つくらいでしたから何も存じませなんだようでしたが、兄の鉄山は九つか十でござりましたから、いろいろ手当をすると、いま申したようにかたきを捜して、江戸へ来たといいましたのでな、だれのかたきだと尋ねましたら、姉だというのでござりまするよ」
「では、親たちを国に残してきたというのじゃな」
「いいえ、それが早く両親に死に別れて、姉と三人兄弟だったというんですがな」
「するとなんじゃな、よくある横恋慕がこうじて、つい手にかけたとでもいうのじゃな」
「たぶんそうでござりましょう。おねえさまは南部のお城下で、お殿さまさえもがおほめになった小町娘だったというてでござりましたからな」
「女のこととなると、感心にくわしいことまで覚えているな」
「ご冗談ばっかり――。だから
不憫と存じましてな。このようにひとまず兄弟とも出家をとげさせたうえで、てまえが今まで手もとにさし置いたのでござりまするが、するとつい死ぬふつかまえでござりました。夕がた兄の鉄山に門前をそうじさせていましたら、いきなり血相を変えて駆け込んでまいりましてな、かたきが今くまを連れて門前を通ったと、このようにいうのでござりますよ」
「なに、くま
どんなくまじゃ」
「生きた二匹のくまを大きな
檻に入れて、そのそばに南部名物くまの手踊りと書いた立て札がしてあったと申しましたから、思うにくまを使って興行をして歩く遊芸人の群れだろうと存じますがな」
「なるほどな、またとない手がかりじゃ。して、そのとき鉄山はいかがいたした」
「だから、すぐにも飛び出しそうにしたゆえ、てまえがきつくしかっておいたのでござりまするよ。なにをいうにもまだ十二やそこらの非力な子どもでござりますからな、もし早まって返り討ちにでもなったらたいへんだと存じましたので、もう少し成人してから討つように堅くいいきかせておいたのでござりまするが、やっぱり子どもにはきき分けがなかったのでござりましょう。ちょうどあのけがをして帰った日のことでござります、お恥ずかしいことですが、これなる女のもとへ使いによこしましたところ、その帰り道かなんかで、またまたくまを連れたかたきを見かけ、てまえの堅くいいおいたことばも忘れて、むてっぽうに名のりをあげたために、ついついあのような返り討ちに会うたのではないかと存じます」
「いかにもな。それならば、くまにやられたと申した鉄山のことばとも符節が合うているが、しかし、なぜそれほども詳しい下手人の面書きがついているのに、これなる黙山へは厳秘にしておいたのじゃ」
「だんなにも似合わないお尋ねでござりまするな。もしも黙山に詳しいことを知らして、またまたこれが子ども心にかたきを追いかけ、このうえつづいてむごたらしく返り討ちになるようなことがござりましたら、いったいあとはだれがきょうだいたちのかたきを討つのでござります? まるで、血を引いたものは根絶やしになるではござりませぬか」
「いかさまな。女道楽なぞするだけあって、なかなか才はじけたことを申すわ」
いうと、右門はしばらく黙考をつづけていましたが、ことばを改めると強く念を押すようにいいました。
「では、さきほどの見のがしてくれという問題じゃが、けっして二度とは女犯の罪を犯すまいな」
「へえい、もう今夜ぐらい命の縮まった思いをしたことはござりませぬから、今後いっさいこのようなバカなまねはいたしませぬ」
「でも、
蛤鍋かなんかでやにさがっていたあたりは、あんまり命が縮まったとも思えないではないか」
「それが縮まったなによりの証拠でござります。いたっててまえはこれが好物でござりますので、もうお番所からさきほどのようにお使いがあった以上は、いずれてまえのお手当もそう遠くないと存じ、今生の思い出に腹いっぱい用いておこうと思いまして、やぶれかぶれにやっていたのでござります」
「
猥褻至極なやつじゃ。女のもとへ逃げ走って、今生の思い出に蛤鍋なぞをたらふく用いるとはなにごとじゃ。――だか、うち見たところ存外のおろか者でもなさそうじゃから、今回だけは兄弟ふたりを拾い育てたという特志に免じ、見のがしておいてつかわそうよ」
「えッ、すりゃ、あの、ほんとうでござりまするか!」
「しかし、このままでは許さぬぞ。もとはといえば、そのほうがあの日鉄山を、所もあろうにかくし女のもとへなぞ使いによこしたから、あたら少年の前途ある命もそまつにせねばならぬようになったのじゃ。だから、あすより手先となって、これなる黙山のかたき討ちに助力をいたせ」
「へえ、もうお目こぼしさえ願えますれば、どのようなことでもいたしますでござります」
「むろん、鉄山からきいて、かたきの人相はどんなやつじゃか、そのほうはよく存じているであろうな」
「へえい、もう大知りでござんす。またこのかたきの人相くらい覚えやすいやつはございませんよ。どうしたことか、右の耳が片一方なくなっている浪人上がりだとか申しましたからな」
「さようか、なによりじゃ。では、黙山坊を同道いたして、明日早く
八丁堀へたずねてまいれよ」
「へえい、承知いたしました。だが、八丁堀はどなたと申しておたずねすればよろしゅうござりまするか」
「名まえを告げて、もう一度びっくりさせてやりたいが、そのほうごとき生臭に名のるのはもったいないわ。黙山坊が屋敷はよく存じているはずじゃから、くれぐれもいたわって、いっしょに参れ」
言いおくと、右門はひょうたんから飛び出した
駒が案外にも王手飛車取りに使えることになりましたものでしたから、万事は明日を期して、まず八丁堀へ引き揚げることといたしました。