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右門捕物帖(うもんとりものちょう)08 卍のいれずみ

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:08:50  点击:  切换到繁體中文


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 計画はとどこおりなく運ばれて、玄庵先生は気軽に右門を請じ上げましたものでしたから、ただちに目的の中心へ触れていきました。
「ちょっと承りたいことがありまして参じましたが、もしや、ゆうべ伝馬町の平牢から、死人となって出た者はござりませなんだか」
「ああ、ありましたよ、ありましたよ。まだよいのうちじゃったがな。もう長いこと労咳ろうがいでわしがめんどうみていた無宿者の老人が、急にゆうべ変が来たというて呼び迎いに参ったのでな。行くにはあたるまいとも存じたが、役儀のてまえそうもなるまいから、検診してさっそく非人どものほうへ下げ渡させましたわい」
「そのとき、なんぞお気づきのことはござりませなんだか」
「さようのう。死因はたしかに病気じゃったし、ほかに不審とも思われた節はないが、身寄りもない無宿者に、だれがそんな手回しのいいことをしたものか、棺にして運び出したようでござりましたよ」
「え? 棺でござりましたとな!」
「さよう、それもふたり分ぐらいはゆっくりはいれそうな大きい寝棺でしたよ」
 引き取り人のあった場合ならば格別でしたが、この場合の死囚人のごとく非人の手に下げ渡すときは、普通こも包みのままであるのが慣例であるのに、意外にもふたりぐらいはいれそうな大寝棺によって運搬したといったものでしたから、右門のまなこは聞くと同時にらんらんとして、異状なる輝きを呈しました。推察してみるまでもなく、その大寝棺になにか細工がしてあったと思われましたので、ただちにかれは次の目的に向かって質問の矢を放ちました。
「では、もう一つ承らせていただきまするが、あの病人たまりに若造の囚人が居合わしたはずでござりまするが、なんぞお気づきではござりませなんだか」
「ああ、存じてますよ。よく存じていますよ。わしが二、三度脈をとったことがござりますでな」
「どのような風体の男でござりましたか」
「さようのう。まず、ああいうふうのが中肉中背ちゅうぜいと申そうが、娑婆しゃばにいたときはよほどの荒仕事に従事いたしおったとみえて、骨格なぞは珍しいくらいがんじょうでござったわい」
「年は?」
「二十七、八ででもござりましたろうかな」
「顔に特徴はござりませなんだか」
「さようのう、まず四角な面だちとでもいうほうかな。目が少しおちくぼんで、鼻がとても大きいだんご鼻でござったから、それがなによりな目じるしでござるよ」
「ほかにはなんぞ変わったところはござりませなんだか」
「それがさ、妙なところに妙なものがあるのでな。実は、てまえもいぶかしく思うておるが、右乳の下にまんじのほりものがありましたんですよ」
「卍というと、あのお寺の印のあれでござりまするか」
「さようさよう。それも、腕にあるとか背にあるとか申すなら格別、世の中にはずいぶんと変わったいれずみをする者がござるのでな、愚老もべつに不思議とは思わぬが、右乳の下に、ほんのちょっぴりと朱彫りにいたしおったのでな、いまだにいぶかしく思うているのじゃわい」
 右門もよい目印を知ることができたものでしたから、もう飛び立つほどの思いで、厚く礼を述べると、伝六の首尾やいかにと心をおどらしながら、すぐさまおのがお組屋敷にたちかえりました。
 ところが、帰りついてみると、予想とは反対に、伝六がしょんぼりとそこの縁側のところにうなだれていたものでしたから、右門は不快な予感をうけて、少しあわてながら尋ねました。
「まさかに、取り逃がしたのではあるまいな」
 すると、どうしたことか、伝六が急にぽろぽろととちのようなやつをはふりおとしていたようでしたが、突然妙なことをいいました。
「なんにもいわずに、あっしへお暇をくだせえましよ」
「なんじゃい、不意にまた、おめえらしくもねえこというじゃねえか」
「ちっともあっしらしくねえこたあねえんです。さっきからいっしょうけんめい考えたんでがすが、それよりほかにゃ行く道がねえんだから、お願いするんですよ」
「じゃ、おめえ、今になっておれにあいそがつきたのか」
「めっそうもねえことおっしゃいますな! ここらがご恩返しのしどころと思うからこそ、命も的にしようって覚悟をしたんです」
「ウッフフ、そうか。じゃ、敬四郎の野郎にでもじゃまされたんだな」
「じゃまどころの段じゃねえんです。いかに上役だからって、あんまりあばたのだんなもくやしいことをするじゃござんせんか」
「どんなまねやりゃがった」
「お尋ねの非人はすぐめっかりましたからね、出すぎたこととも思いましたが、ちっとばかりあっしも里心出して、野郎どもにかまをかけてみたんですよ。するてえと――」
「破牢罪人から酒手をもらって、ふたり分へえれる寝棺を、ゆうべあそこへかつぎ込んだといったろ」
「ええ、そう、そうなんですが、だんなはどこでお調べなすったんですかい」
「ご官医の玄庵先生だよ。こもで運び出すのがじょうなのに、ぜいたくな棺で運搬したといったのでな、おおかた破牢罪人の野郎が非人どもに金をばらまいて、そんな細工をやりやがったんだろうと、たったいましがた、にらみがついたところさ」
「そんなら詳しいことは申しますまいが、死人が出たから取りに来いというお達しがあったんで、野郎たちふたりで始末に出かけていったら、破牢罪人の若造が酒手を一両はずんで、寝棺を買ってこいといったんで、すっかりそいつに目がくらんじまって、おおかた破牢だろうと特別でけいやつをかつぎ込んだというんですがね。それをまた牢番たちもどじなやつらだが、そばについてでもいりゃいいのに、ぼんやり格子口こうしぐちに立っていたもんだから、すばやくこの死人といっしょに寝棺の中へへえってしまって、まんまと破獄させてやったというんですよ」
「じゃ、どこへ飛んだか、行き先もたいてい見当がついたんだろ」
「だから、あっしゃ、くやしいっていうんですよ。こいつ、いいねたあげたと思ったからね、まずだんなのところへ連れてこなくちゃと、おおいばりで非人どもしょっぴいてけえりかかったら、あばたのだんなが息を切りながら駆けつけてきて、いきなりぽかりとくらわしたんですよ」
「おめえをぽかりとやったのか」
「そ、そうなんです。だから、あっしも食ってかかったらね、下人が何を生意気なことぬかすんだとおっしゃって、せっかくあっしがつかまえた非人を腕ずくで横取りしたんですよ」
「じゃ、あばたの野郎も、牢番の者から寝棺のことを聞き込んだんだな」
「だろうと思うんですがね。でなくちゃ、いくらあばたのだんなが上役だからって、あっしの眉間みけんにこんなこぶをこしらえるはずあござんせんからね。いいえ、そいつもときによっちゃいいんですよ。どうせ、あっしゃましゃくにも合わねえ下人だからね、なぐろうと、けろうと、それがあっしたち下人どもの模範ともなるべき上役のかたのおやりなすってもいいことでしたら、いっせえあっしもみれんたらしい愚痴はこぼしませんがね。でも、それじゃ、せっかく今までご恩をうけただんなに合わす顔がねえんじゃござんせんか。あばたの野郎になぐられました、非人も途中で横取りされました、といってすごすごけえってきたんじゃ、あっしがだんなに二度と合わす顔がねえじゃござんせんか……だから、あっしゃ、だからあっしゃ……」
「よし、わかった、わかった。うすみっともねえ、大の男がおいおいと手放しでなんでえ! 泣くな! 泣くな! 泣くなったら泣くなよ!」
「だって、あっしゃ、こんなくやしいこたあねえんです。平生はだんなをずいぶんとそまつにもした口のきき方をいたしますが、あっしがだんなを思っている心持ちは、どこのどやつが来たって負けやしねえんです。だから、だから、命を的にしても、あっしゃ、あばたの野郎と刺し違えます! 刺し違えて死んでやります! ええ! やりますとも! やらいでいられますか! それも、よその国の者でしたら、ときにとってはてがらの横取りもいいんですが、同じおひざもとで、同じお番所のおまんまいただいている仲間うちじゃござんせんか! それになんぞや、肝ったまの小せえまねしやがって、このうえそんな野郎を生かしておかれますか! ええ! やりますよ 殺してみせますよ! きっと刺し違えてみせますよ! だから……だから……きょうかぎりあっしにおいとまをくだせえまし……そして、そして、早くだんなも美しい奥さまをお迎えなさいましよ。なにより、それがあっしの気がかりでござんすからね。草葉のかげでお待ちしましょうよ……」
 面に真情あふれた一句一句に、したたか右門も心を打たれながら、しばらくじっと伝六のくやしさに嗚咽おえつするその男涙をうち見まもっていましたが、しかし右門はつねに右門でありました。不意に、かんからと大笑すると、光風霽月せいげつな声音でいいました。
「虫けらみたいな了見のせめえ野郎を相手に、刺し違えたってしようがねえや。それより、はぜつりにでもいこうぜ」
「えッ。じゃ、じゃ、だんなはどうあっても、あっしにおいとまをくださらないんですかい!」
「あたりめえだ。非人を横取りされたからって、なにもまだ勝負に負けたわけじゃねえんだからな。品川辺へでも夕づりに出かけようよ。ざらにつれるさかなだから、みんな小バカにしているようだが、秋口のはぜのてり焼きときたら、川魚みたいでちょっとおつだぜ」
「でも、そんなのんきなまねをしなすって、もしあばたの野郎にてがらされっちまったら、だんなまでがいい恥さらしじゃござんせんか」
「負けたら恥っさらしかもしらねえが、寝棺で破牢した手口なんぞから見るてえと、このほしゃあばたのやつの知恵だけじゃ、ちっともてあますかもしれねえよ。どうやら、向こうのほうが一枚役者が上のようだからな。知者は寝て暮らせといってな、そのうちにまた何かおれでなくちゃ判断のつかねえようなことが起きるかもしれねえから、大船に乗った気で、ゆっくりはぜつりでもするさ」
「そうでござんすか、じゃ、ついでにあの変な立て札をもってきて、お目にかけておきゃあようござんしたね」
 すると、不意に伝六が、右門のそのことばではからずも思い出したといったように、変な立て札といったものでしたから、おれでなくちゃ判断がつかねえと、みずから折り紙をつけた右門のその別あつらえな明知が、突然ぴかぴかとさえ渡ってまいりました。
「なんじゃい、なんじゃい。いま変なこといったが、その立て札とかいうやつは、どこにあったしろものじゃい」
「なあにね、日本橋のたもとに立っていたやつを、来がけにちらりと見たんですがね。文句は忘れちまいましたが、おかしな符丁を書いてあったんで、ちょっと妙に思っているんですがね」
「どんな符丁だ」
「そら――、なんとかいいましたっけな。よくお寺のちょうちんなんかに染めてあるじゃござんせんか」
「寺のちょうちん……? じゃ、まんじじゃねえか!」
「そうそう、その卍が、立て札の文句のおしまいに、たった一つちょっぴりと書いてあったんですよ」
 事実としたら、その符丁こそは、先刻ご官医玄庵げんあん先生から耳に入れた、あの破牢罪人の右乳の下にあったといういぶかしき卍のいれずみと一致すべきものでしたから、右門の眼の烱々けいけいと火を発したことはいうまでもないことで――。
「すばらしいねただ! やっぱり、天道正直者を見捨てずというやつだよ。ひとっ走り行って引きぬいてこい!」
「じゃ、何かそいつが糸を引いているんですかい!」
「右門の知恵は、できあいの安物じゃねえよ!」
 ずばりと小気味のいい折り紙をつけたものでしたから、いま泣いたからすはたちまち笑顔えがおになって、その早いこと早いこと、からだじゅう足になったかと思われるようなはやさで、駆けだしたかと見えましたが、まもなく帰ってくると、
「さ! これがその立て札だ! こんなものがねたになるなら、早いところあばたの野郎のかたきとっておくんなせえよ!」
 いいざま、こわきにしていた立て札をぐいと右門の目の前にさしつけましたものでしたから、右門も胸をおどらしながら目をそそぎました。見ると、それには次のような文言が書かれてありました。

「――諸兄よ。恒藤権右衛門つねとうごんえもんはみごとわれら天誅てんちゅうを加えたれば、意を安んじて可なり――卍」

 文言はなんの変哲もなさそうに見える簡潔なものでしたが、これを読んだ読み手がただの読み手ではなかったものでしたから、瞬時も待たずに、鋭い声が右門の口から飛んだので――。
「さ、伝六! 例のとおり駕籠かごだ! 駕籠だ!」
「えッ? だって、恒藤権右衛門が殺されたことはわかっていますが、どこの恒藤権右衛門だか、居どころはわからねえじゃござんせんか」
「だから、おめえは少し正直すぎるんだよ。日本橋へ立て札を掲げるほどの人殺しがあって、お番所へ殺された身内の者から訴えが来ていねえはずはねえんだ。訴状箱ひっくり返してみりゃ、どこの権右衛門だかすぐとわからあ」
「なるほど、それにちげえねえ。そういわれてみりゃ、きょうはまたいっぺんもお番所へ顔を出さねえや。じゃ、お待ちなせえよ、四丁肩で勇ましいところをひっぱってめえりますからね」
 まをおかずに、そこへ替え肩づきのたくましいところを二丁ひっぱって帰りましたので、ただちに右門は息づえをあげさせると、まず第一着手に数寄屋橋すきやばしお番所へ駕籠先を向けさせました。


 

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