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右門捕物帖(うもんとりものちょう)08 卍のいれずみ

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:08:50  点击:  切换到繁體中文

底本: 右門捕物帖(一)
出版社: 春陽文庫、春陽堂書店
初版発行日: 1982(昭和57)年9月15日
入力に使用: 1982(昭和57)年9月15日新装第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年12月20日新装第7刷

 

右門捕物帖

卍のいれずみ

佐々木味津三




     1

 ――今回は第八番てがらです。
 それがまた因縁とでも申しますか、この八番てがらにおいても、右門はまたまたあの同僚のあばたの敬四郎とひきつづき第三回めの功名争いをすることになりましたが、事の起きたのは八月上旬でありました。
 旧暦だからむろんひと月おくれで、現今の太陽暦に直すと、ほぼ九月の季節にあたりますが、だから暦の上ではすでに初秋ということになってはいるものの、日ざかりはかえって真夏よりしのぎにくいくらいな残暑です。加うるに厄日の二百十日がひとあらしあるとみえて、もよったままの降りみ降らずみな天候でしたから、その暑いこと暑いこと、五右衛門が油煎あぶらいりも遠くこれには及ぶまいと思われるほどの蒸しかたでしたが、しかし宮仕えするものの悲しさには、暑い寒いのぜいたくをいっていられなかったものでしたから、しかたなくおそめに起き上がると、ふきげんな顔つきで、ともかくもご番所へ出仕のしたくにとりかかりました。
 けれども、したくはしたものの、いかにも出仕がおっくうでありました。暑いのもその一つの原因でありましたが、それよりも事件らしい事件のなかったことが気を腐らしたので、事実また前回の村正騒動が落着以来、かれこれ二十日近くにもなろうというのに、いっこう右門の出馬に値するような目ぼしい事件が持ち上がらなかったものでしたから、ちょうど、よく切れる刀には血を吸わしておかないとだんだんその切れ味がにぶるように、自然と右門の明知も使い場所のないところから内攻していって、そんなふうにお番所へお出仕することまでがおっくうになったのですが、そのためしたくはしたものの、なにかと出渋って、ぼんやりぬれ縁ぎわにたたずみながら、しきりとあごの無精ひげをまさぐっていると、ところへ息せききって鉄砲玉のように駆け込んできたものは、例のおしゃべり屋伝六でありました。
「ちえッ、あきれちまうな、人の気をもますにもほどがあるじゃござんせんか! とっくにもうお番所だと思いましたから、あっしゃご不浄の中までも捜したんですぜ。なにをそんなところでやにさがっていらっしゃるんですか!」
 べつにやにさがっていたわけではないのですが、どうせご出仕しても、また一日控え席のすみっこであごのひげをまさぐっていなければなるまいと思いましたものでしたから、てこでも動くまいというように、ふり向きもしないでうずくまっていると、しかし伝六は不意にいいました。
「さ! ご出馬ですよ! ご出馬ですよ!」
 いつも事をおおげさに注進する癖があるので、ふだんならば容易に伝六のことばぐらいでは動きだす右門ではなかったのですが、長いことしけつづきで気を腐らしていたやさきへ、突然出馬だといったものでしたから、ちょっと右門も目を輝かして色めきたちました。
「何か事件あなかい」
「事件かいの段じゃねえんですよ。お番所はひっくり返るような騒ぎですぜ」
「ほう。そいつあ豪儀なことになったものだな。三つ目小僧のつじ切りでもあったのかい」
「なんかいえばもうそれだ。いやがらせをおっしゃると、あっしだけでてがらしますぜ」
「大きく出たな。そのあんばいじゃ、おれが出る幕じゃねえらしいな」
「ところが、おめがね違い、足もとから火が出たんですよ。ね、平牢ひらろうにもう半月ごし密貿易のとがで、打ち込まれていた若造があったでがしょう」
「ああ、知ってるよ。長崎のお奉行ぶぎょうから預かり中の科人とがにんだとかいってたっけが、そいつがくたばってでもしまったのかい」
「しまったのなら、なにもお番所の者がこぞって騒ぐにはあたらねえんだがね、そやつめが運わるくあばたのだんなのお係りだったものだから、かわいそうに毎日の痛め吟味でね、尋常なことではそんなまねなんぞできるからだではねえはずなのに、どうやってぬけ出やがったものか、まるきり跡かたも残さねえで、ゆうべ消えてなくなっちまったんですよ」
破牢はろうしたのか」
「それがただの破牢じゃねえんですよ。牢番の者が三人もちゃんと目をさらにしていたのに、いつのまにか消えちまったっていうんだからね、もうお番所は上を下への騒ぎでさあ」
「じゃ、むろんあばたの大将おおあわてだな」
「おおあわても、おおあわても、血の色はござんせんぜ。なんしろ、よそからの預かり者を取り逃がしたんだから、事と場合によっちゃ、あっしども一統の名折れにもなるんだからね」
「よし、そう聞いちゃ、相手がちっと気に入らねえが、おれも一口買って出よう!」
「ほんとうですかい!」
「いったん買って出るといったからにゃ、おれもむっつり右門じゃねえか。まさかに唐天竺からてんじくまでもおっ走ったんじゃあるめえよ」
 証跡を残さずに破牢したという事実も奇怪でしたが、それ以上に江戸八丁堀の一員として、こしゃくなまねをされたことが、ぐっと右門のかんにこたえたものでしたから、時機はよし、もうこうなるからには御意もよし、さっそうとしてその場に出動いたしました。

     2

 むろん、右門のただちに目ざした場所は伝馬町です。破牢当時の状態と、その罪状履歴をまずもって洗うことが第一のなすべき順序でしたから、さっそくにその夜当直だった牢番の者三人について、証跡収集に取りかかろうといたしました。
 しかし、捜索順序はかく整然として用意されましたが、そうそう問屋はいつも右門にばかり味方するとはかぎっていないので、事実に直面してみると、まず第一の故障がそこに横たわっていました。いうまでもなく、それはあばたの敬四郎でしたが、一回ならず二度までも右門のために功名を奪われていたものでしたから、今度は必勝を期しているのか、右門がむっつりとしてそこに現われたのをみとめると、ろこつな敵意を示して、その出動を拒絶いたしました。
「せっかくだが、こりゃおれのなわ張りだからね。いらぬ手出しはやめにしてもらおうじゃねえか」
 右門は敬四郎が当面の責任者である点からいって、ほぼそうあることを予期していたものでしたから、それほど気にかけませんでしたが、腹をたてたのは伝六で――。
「じゃなんですかい、だんなはあっしどもが八丁堀の人間じゃねえとおっしゃるんですかい」
「上役に向かって何をいうかッ」
「ちえッ、上役も時と場合によりけりですよ。これがつかまらなかったひにゃ、だんなはじめあっしども一統の恥っさらしなんだからね。せっかくおいらのだんながお出ましくだすったっていうのに、今のごあいさつあ、ちっと肝ったまが小さすぎるじゃござんせんか」
 しきりと伝六が敬四郎に食ってかかっているのを、右門はあごをなでながら黙ってにやにややっていましたが、なに思ったかふいッとそこを立ち去ると、どんどん牢屋敷ろうやしきのほうへやって参りました。ついでだから、ここでちょっと当時の牢屋敷のもようについて簡単なご紹介をしておきますが、同じ伝馬町のお牢屋といっても、これにはだいたい三とおりの牢舎があって、すなわち第一は上がり座敷、別に揚がり座敷とも書きますが、読んで字のごとく身分あるもの、それも禄高ろくだかにして五百石以下、家格にしてお目見得以上のお旗本が罪人となった場合、この上がり座敷へ投獄するので、第二は揚がり屋と称され、お目見得以下の者、あるいは御家人ごけにんないし大名旗本の陪臣、それから僧侶そうりょ、山伏し等の囚罪人がこれに投ぜられるのならわしでありました。第三は俗称平牢と唱えられて、爾余じよの囚罪人が一列一体に投ぜられる追い込み牢でありますが、かくして刑の決まった者は、またそれぞれ処刑どおりその刑舎と刑期に服し、ご牢屋奉行配下の同心とその下男がこれの監視に当たり、今回の破牢罪人のごとき未審の者については、あばたの敬四郎がみずからおのれのなわ張りと称したように、町奉行付きの同心がその支配に当たり、万一これらの囚罪人の中から病気にかかったものの生じた場合は、別棟べつむねの病人だまりにこれを移獄して、形ながらもお牢屋付きのご官医がこれに投薬する習慣でありました。もっとも、これは名目ばかりで、多くの場合めんどうなところから、俗に一服盛りと称される官許ご免の毒殺手段によって、たいていあの世へ病気保養にかたづけられるのがしきたりでありましたが、だから右門は破牢罪人の禁獄中だった平牢へやって行くと、おりよくそこに牢番付きの下男が居合わしたものでしたから、さっそく問いを発しました。
「ゆうべの破牢罪人は何番牢じゃ」
「あっ! だんなもお出ましでござんすか。えらい騒ぎになったものでござんすが、いったいあっしゃ、あばたのだんながあんまりひどい痛め吟味に掛けすぎたと思うんでがすよ」
「じゃ、きさま、あらましのことは知ってるな」
「知らないでどうしますかい。ずっともうひと月ごし、病人だまりにいたんですからね」
「ほう、それは耳よりな話じゃが、ではどこぞわずらっていたのじゃな」
「そこがつまり、あばたのだんなのひどすぎるところだというんでがすがね。なにしろ、あのとおり吟味といや、きまって拷問に掛けるのがお得意のだんななんだから、ずいぶんとかわいそうな責め折檻せっかんをしましたとみえましてね、もうここのところずっと半死半生の病人でしたよ」
「どんなとがでそんなに責められたのか、耳にしていることはないか」
「あっしどもは下人だから詳しい様子は知りませんが、密貿易をやった仲間がまだ三、四人とか御用弁にならないのでね、そいつらのいどころを吐かせるためにお責めなすったとかいいましたがね」
 耳よりなことを聞いたものでしたから、右門の活気づいたことはもとよりのことで、ただちに昨夜まで禁獄中だったという病人たまりへやって行くと、ちらりと中の様子をのぞいていたようでしたが、不意に莞爾かんじとしながら伝六にいいました。
「なんでえ、ぞうさのねえことじゃねえか。おめえがちっとこれから忙しくなるぜ」
「えッ! じゃ、もうほしがついたんですかい」
「おれがにらみゃ、はずれっこはねえや」
「ありがてえッ。じゃ、すぐにひとっ走り出かけましょうが、方角はどっちですかい」
「まあ、そうせくなよ。こうなりゃもうこっちのものだから、あばたの大将にさっきの礼をいってけえろうじゃねえか」
 皮肉そうににやにやと笑いながら、牢番詰め所の中へはいっていったと見えましたが、そこにあばたの敬四郎が必死のあぶら汗を流して、ゆうべ当直だった三人の牢番を吟味にかけながら、証跡収集に目の色変えているのを見ると、きわめていんぎんな先輩への礼をとりながら、ごく静かにいったことでした。
「お暑い中を、ご心配なことでござりますな。では、お先に失礼」
 何かののしろうとしてつっ立ち上がりながら、二足三足追っかけてまいりましたが、右門はもうそのとき白扇で涼風を招きながら、さっさとお牢屋敷の表門を往来へ踏み出しているときでありました。
 しかし、出ると同時に、伝六へいったもので――。
「さ、きさまは非人をあげてくるんだ」
「非人――? 非人が何かこの事件あなにからまっているんですかい」
「じゃ、きさまは、あそこに清め塩の盛ってあったことも気がつかなかったんだな」
「そんなものが、どこにござんした?」
「病人たまりのこうし口に、ちゃんと盛ってあったよ」
「するてえと、ゆうべあそこから死骸しがいになって、かつぎ出されたものがあったんですね」
「まずそんなところさ。一つ屋根にいた者に死んで出られりゃ、いくら科人とがにんどもだってあんまり縁起のいい話じゃねえんだからな。どやつか牢番に鼻薬をかがして、清め塩を盛らしたんだろうよ」
「じゃ、破牢罪人の野郎め、そのすきになんか細工をしやがったんですね」
「穴も掘らず、壁も破らずに破牢したっていや、牢役人どもとぐるでのことか、でなきゃ死骸を運び出すときに細工したとしか、にらみようがねえじゃねえか。聞いてみりゃ、足腰も立たねえほどな半病人だったというから、なおさらこいつは腕ずくの破牢じゃねえよ」
「ちげえねえ! 神さまにしたって、だんなほど目はきかねえや、あそこの係りの非人どもは、日本橋のさらし場にいるはずだから、じゃ、ひとっ走り行ってきますからね。どっちへしょっぴいてまいりましょうね」
「八丁堀へつれてきなよ」
 命じておくと、右門は伝六とたもとを分かって、ただちにお牢屋づきの官医、玄庵げんあん先生のお組屋敷へたち向かいました。にらんだごとくに、病囚人が死骸となって、定法どおり非人に下げ渡されたとしたら、必ずやその以前に玄庵先生の手を通じていたはずでしたから、事実の有無を確かめてみようというのがその第一の目的でしたが、それとともに、もう一つの目的は、破牢罪人も病人たまりにいた以上、少なくも両三度ぐらいは玄庵先生のおみたてにあずかっているに相違ないので、敬四郎のいこじのために知ることをえなかったそれなる罪人の人相風体を、からめてからかぎ出そうという計画のためでした。


 

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