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右門捕物帖(うもんとりものちょう)07 村正騒動

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:07:14  点击:  切换到繁體中文

底本: 右門捕物帖(一)
出版社: 春陽文庫、春陽堂書店
初版発行日: 1982(昭和57)年9月15日
入力に使用: 1982(昭和57)年9月15日新装第1刷
校正に使用: 1996(平成8)年12月20日新装第7刷

 

右門捕物帖

村正騒動

佐々木味津三




     1

 ――今回はいよいよ第七番てがらです。
 由来、七の数は、七化け、七不思議、七たたりなどと称して、あまり気味のよくないほうに縁が多いようですが、しかし右門のこの七番てがらばかりは、いたって小気味のよい捕物とりもの美談ともいうべきもので、しかも事の勃発ぼっぱついたしましたのは、あの古井戸事件がめでたく落着してからまもなくの、といっても十日ほどたったちょうどお盆の十六日のことでした。
 下世話にも、この日は地獄のかまのふたのあく日だなぞと申しますが、お番所のほうでも平生おえんまさまの出店みたいな仕事に従事しているためにか、この十六日ばかりは少数の勤番当直をのぞいては、いずれも十手取りなわをすててしまい、お昼すぎから例年うちつれだって築地河岸つきじがし木魚庵もくぎょあんという料亭におもむき、親睦会しんぼくかいをかねた慰労の宴を催すならわしでしたから、右門もちょうど非番でございましたので、少しおそがけに伝六を伴って、その会場に出向いてまいりました。
 ところが、この木魚庵というのが、お盆の十六日に宴会なぞするにはもってこいの、いたって風変わりな料亭なんで、当時の江戸名物帳を見ましても、そのもようがちゃんと記載されてありますが、河岸かしにのぞんだ横町にはいっていくと、まずお寺の山門になぞらえた大玄関の入り口が人の目をそばだてるのです、むろんのこと、そこには小さいながらも鐘楼があって、給仕は全部女気ぬきの十二、三くらいな小坊主ばかり。料理、器物、いっさいがっさいがまたお寺にちなんだ抹香まっこう臭いものばかりなんでしたが、しかし酒は般若湯はんにゃとうと称して飲むことを許され、しかもその日の会費はしみったれな割り勘なぞではなく、全部お番所のお手もと金から出ることになっていたものでしたから、右門たちが行ったときは非番の者の残らずが全部もう席について、あちらにもこちらにもめいめいが、めいめい同気相求むる者たちとひざをつらねながら、すでに酒三行に及んでいるさいちゅうでした。
 で、右門も宴にのぞんだ以上は勢いいずれかの仲間と同席しなければならないはずでしたが、しかし、こういうときいつもかれは金看板どおりのむっつり右門で、べつにだれといって憎い者がないと同時に、まただれといって特別に親しい者もなかったものでしたから、いちばんはずれの、人々からは全然独立した席へついてちょこなんと席を占めると、いっこうおもしろくもおかしくもないといったような、ごくぶあいそうな顔をしながら、黙々とした料理の品にはしをつけだしました。
 すると、また妙なもので、一番てがらの南蛮幽霊以来、右門の名声は旭日きょくじつ昇天の勢いで高められ、今では八丁堀といえば、ああ右門のだんなか、といわれるほどにも評判となっていたものでしたから、いくぶん嫉妬しっとの心持ちも交じっていたものか、同僚の同心たちはもちろんのこと、上席の与力たちも、下席の目あかしおかきのやからにいたる者たちまでも、いつのまにかふたりを敬遠するともなく敬遠してしまって、自然に右門と伝六は一座の者から、仲間はずれの形となってしまいました。
 だから、わけても右門思いのおしゃべり屋伝六が黙っていられるわけはないので、しかし人前でしたから、小さな声でいったものです。
「ね、だんな、きょうは地獄のおえんまさまでさえもがくぎ抜きに錠をおろしておくんですぜ。ですもの、いくらむっつり屋のだんなだって、きょうぐれえはもっとおもしろそうな顔をしたらよさそうなもんじゃござんせんか」
 けれども、右門は、ふんともうんとも返事一つせずに、ただむやみとお料理の品ばかりをせせっていたものでしたから、こうなるといっそうやきもきするのがまた伝六の性分で、とうとう大きな声を出していってしまいました。
「ほんとうに、いやんなっちまうな。いくら木魚庵だからって、これじゃまるでお通夜つやに来たようなもんじゃござんせんか」
 すると、偶然というものはまったくどこにあるかわからないものですが、伝六のはからずもいったそのことばでふと思い出したように、隣の席の者が声高に向こうの相手へ話しだしました。
「そうそう、お通夜といえば、さっき出がけにお番所へ、妙な訴えをもってきたお坊さんがあったぜ。なんでも、小石川の仁光寺にんこうじとかいうお寺なんだそうだが、ゆんべのうちに裏の墓をあばいて、二つばかり死骸しがいを胴切りにしていったものがあったそうだよ」
「ほう、死骸をね。このお盆のさいちゅうに、またうすっ気味のわるいいたずらするやつがあったものだな。なんぞ恨みの筋でもありそうなほしなのかい」
「ところが、どうもただのいたずらだろうというんでね。勤番の者の評定じゃ、べつに取り上げるようなけしきを見せなかったっけが、でも、そのあばかれた墓っていうのが、そろいもそろって四、五日まえに仏となった新墓にいはかで、そのうえに二つとも死骸は女だというんでね。いたずらにしても、ちっといろけがあるように思われるんだがね」
「そうよな、女がふたりとも小町娘の姉妹かなんかで、胴切りがまた恋のさか恨みとでもいうのなら、めったな草双紙でも見られない筋だがな」
 ご当人たちはいっこう冗談のように話し合っていましたが、最後の新墓うんぬんといったことばが、ちらり右門の耳へはいったとたんです。ぎろり目を光らしながら、音もなく蝋色鞘ろいろざやを腰にさして、静かにはかまのちりを払っていたとみえたが、すっくと立つや、同時に鋭い声がかかりました。
「伝六ッ」
「ええ」
駕籠かごだよ」
「駕籠……?」
「おれが駕籠といや、もうわかりそうなものじゃねえか」
 まったく右門のいうとおりですが、ひとたびかれの口に駕籠ということばがのせられたときは、およそつねに事重大であることを裏書きしていたものでしたから、ようやくがてんのいった伝六は、さあたいへん――
「ちくしょうッ、ざまあみろい。この席にいくたり八丁堀のでくのぼうがいるかしらねえが、おらのだんなの耳ゃ節穴じあねえんだぞ。くそおもしろくもない、おれさまたちを仲間はずれにしやがって、いまにみろい、ほえづらかくな!」
 啖呵たんかをきっていたかと思いましたが、もう横っとびで――まもなく、そこへあつらえの二丁をすえると、いかにも溜飲りゅういんの下がったようにいったものです。
「よくよくまた、うっそりもあったものじゃござんせんか。おらがだんなのいることを知らねえで、あんないい事件あなをのめのめと話しやがるんだからね。どうです、だんな、腹の底がすっとしましたね」
 けれども、駕籠が目的の仁光寺へついたとき、事態はそこではしなくも伝六のいったほどにあまり腹の底をすっとさせなくなりました。というのは、ふたりのあとを追っかけるようにして、もう一組みの駕籠が同じ仁光寺の門前へ止まったと思われましたが、中から降り立った人の姿をみると、意外やそれはつい先の先まで木魚庵に居合わした同心主席の、あばたの敬四郎とその配下だったからです。このあばたの敬四郎については、右門捕物とりもの中の第三番てがらに詳しくご紹介しておきましたから、記憶のよいかたがたにはまだ耳新しい名まえだと存じますが、もし八丁堀の同僚たちのうちで気組みだけなりと、われわれのむっつり右門に対抗してみようという意地のあるものがありとすれば、わずかにたったひとりこのあばたの敬四郎があるのみで、事実またそれだけの老巧さもあり、かつまた相当才覚をもった男でしたが、さればこそ、かれひとりのみがでくのぼうではなかったか、いち早くさっきの話を聞きつけたとみえて、かくあとを追ってきたらしいことがわかりましたものでしたから、今度は右門が溜飲の下がったように、はじめて口をあけたのです。
「お盆の十六日にまたあいつと顔を合わせるなんぞは、ほんとうに因縁話だな。では、一つもういっぺんあの親方の鼻をあかすかね」
 ちくしょうッ、いやな野郎がうせやがった、というような顔つきで、口をとがらかしていた伝六をしり目にかけながら、にたにたとうち笑って敬四郎のところへ歩みよっていったとみえましたが、いきなりぺこりと腰を曲げると、ごく屈託のなさそうにあいさつをいたしました。
「よくお越しなされました。では、ごいっしょに現場の検分をいたさせてもらいますかな」
 めんくらったのは敬四郎で、またこれはめんくらうのが当然でしたろう。普通の場合ならば、お互い先にねたをあげたものがてがらとなるんだから、負けるまでにも競争するのは当然なのに、われらのむっつり右門にかぎっては、いっこうそんなけぶりすらも見えないで、涼しげにばたばたと胸もとへ白扇の風を入れていたものでしたから、敬四郎はむッとただ右門をにらみかえしたばかり――。しかし、右門はすましたもので、にやにや笑いながらあとへついていくと、べつに鋭い観察を下すようなそぶりも見せずに、敬四郎のうしろからちょいと顔を出して、お検視がすまないためまだそこにひっころがしたままの二つの仏を、ほんのいっぺんどおりじろりと検分いたしました。しかも、検分と名のつくものはただそれっきりで、軽く敬四郎に一礼すると、さっさと表へ回って寺の庫裡くりへずんずんはいっていったと見えましたが、ちょうどそこに小坊主の居合わしたのを見ると、仏の姓名身がらでも洗いたてるのかと思われたのが、意外にも、突然妙な品を求めたのです。
「すずりと半紙をちょっと拝借させてくれぬか」
 のみならず、小僧が求めたその二品を持ってくると、いきなりさらさらと次のごとき文句を紙にしたためました。
「――ご心配の節あるらしき若衆へ一筆かきのこしおきそうろう。いつにてもご相談相手とあいなり申すべくそうろうあいだ、ご遠慮なくお越しくだされたく、八丁堀近藤右門――」
 書いてしまうと、それをまたぺったりと仁光寺の山門に張りつけて、やっとこれで勝ちめに向かったといわんばかりな顔つきをしながら、さっさと歩きだしたものでしたから、いつものとおりに伝六がことごとく首をひねってしまいました。
「ちっと、どうもやることがそそっかしいように思われますが、ねえ、だんな、だんなはまさか、今度の仕事の相手に、どんなやつが向こうに回ったか、お忘れじゃござんすまいね」
「知らないでどうするかい、あばたの敬四郎じゃねえか」
「そうでがしょう。だのに、たったあれだけの調べ方じゃ、ちっとどうもそそっかしいように思われますがね」
「じゃ、おれの目は節穴だというのかい」
「ど、どういたしまして――、だんなの目のくり玉は、天竺てんじくまでにも届いていらっしゃるこたあよっく心得ていますがね。でも、あばたのだんなはいろいろともっと調べていましたぜ。墓のあばき方だとか、戒名なんぞのことまでも必死とね」
「おおかた、敬四郎にゃあの胴切りが、恨みの末のしわざに思われているんだろうよ」
「え、なんですって……? じゃ、だんなはそうじゃないというんですかい」
「あたりめえさ。まさに判然と、ただの死に胴だめしだよ」
「死に胴だめし……? でも、あの仏たちゃまだなまなましい若そうなべっぴんどうしですぜ」
「だから、なおのことそうじゃねえか。死に胴をためすからにゃ、新仏ほど切りがいがあるんだからな」
「それにしたって、新仏ならば、まだいくらもあそこにあったじゃござんせんか」
「わからねえやつだな。おおかた、おめえはあの女どもの妙なところばっかり見ていたんだろうが、ありゃふたりとも水死人だぜ」
「道理でね、いっこうわずらった跡もなし、死人にしちゃちっと太りすぎていると思いましたが、するてえと、なんですね、あれをぶった切った野郎は、どこかであの仏どもの水にはまったことを知っていて、あんなまねしたんですね」
「あたりめえさ。しかも、あの下手人はすばらしいわざ物の持ち主で、おまけに左ききだぜ」
「え? 左きき……なるほどね。そういわれれゃ、二つとも左胴ばかりをぶった切っていたこと今あっしも思い当たりやしたが、大きにそれにちげえねえや。剣術のことはよくあっしゃ知らねえが、生きている相手ならともかく、手向かいもなんにもしねえ死人の胴を、なにもわざわざ左から切るこたあねえからね。しかし、それにしても、あの門前のおかしな張り紙は、いったいなんのおまじないですかい」
「それがおれの目の節穴じゃねえといったいわれだよ。おめえもあばたの先生もいっこう気がつかねえような様子だったが、あの墓の五、六間先に、子細ありげな前髪立ての若衆がひとりしゃがんでいたんだ。どうもそいつのおれたちを見張っているがんの配りが、とても心配顔でただごとじゃねえと思ったからね。ひょっとすると、なにかこの事件あなにひっかかりがあるかもしれねえなとにらみがついたから、ちょっと右門流の細工をしたまでさ」
「ありがてえッ、そうと聞きゃ、もうこっちのものだ。じゃ、前祝いに駕籠かごをおごろうじゃござんせんか。この暑いのに、右門のだんなともあろうおかたを汗びたしにさせたといっちゃ、あっしが女の子たちに合わす顔がござんせんからね」
 現金なところもあるがあいきょうのあるやつで、伝六がかってな理屈をつけながらつじ駕籠を雇ってまいりましたので、右門も苦笑しながらうちのりました。もちろん、行き先はわき道もせずに八丁堀へ――。


 

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