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右門捕物帖(うもんとりものちょう)04 青眉の女

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 9:03:06  点击:  切换到繁體中文


     4

 しかし、翌朝はきのうと反対に、降りみ降らずみのぬか雨で、また返り梅雨つゆの空もようでした。右門主従のその家に酔いつぶれてしまったことはもちろんのこと、ところが目をあけてよくよく気をつけて見ると、どうも寝ているへやがおかしいのです。あかりのはいるところは北口に格子こうし囲いの低い腰窓があるっきり。それでもへやはへやにちがいないが、畳も敷いてない板張りで、万事万端がどう見ても、あれほど青まゆの女に思い込まれた美男子の宿るべき場所ではなかったうえに、しかも奇怪なことに、右門はたいせつな腰の物、伝六はこれもかれになくてはかなわぬ重要な朱ぶさの十手を、いつのまにか取りあげられてあったのです。それらの護身用具であり、同時にまた攻撃用具である品品をかれらの身辺から取り上げてしまったということは、いうまでもなくかれらから第一の力をそいだことにほかならないので、のみならず子細に調べてみると、その物置き小屋らしい一室の出入り口は、厳重に表から錠をかけられ、あまつさえへやの外には、見張りの者らしい人声が聞こえるのです。それも二、三人で、さようしからば、そうでござるか、というようないかついことばつきから察すると、番人はたしかに武士らしく判断されました。しかも、それらの番人の中にまじって、まぎれもなく前夜きき覚えの、あの青まゆの女の声と、そしてそれから、あの古道具屋のおやじの声があったものでしたから、ぎょっと青ざめて伝六がいいました。
「ちえッ。だから、いわねえこっちゃなかったんだ。きつねにでも化かされたのかと思いましたが、どうやら酒で殺されて、まんまとあいつらに、あっしたちがはめ込まれているんじゃごわせんか。ね! しっかりおしなせいよッ」
 しかし、右門は黙ってただくすくすと笑っているのです。あれほどあびるように飲んだのに、格別ふつか酔いにやられたような顔もせず、いつもよりかそのりりしい面がやや青白いというだけのことで、くすくすとただ笑ってばかりいたものでしたから、伝六がむきになってきめつけました。
「なにがおかしいんですか! ごらんなさい! だんならしくもなく、あんなくらげのふやけたような女に目じりをおさげなすったから、刀はとられる、十手はとられる、あげくのはてにこんな物置き小屋へたたき込まれちまって、うすみっともないざまになったんじゃごわせんか! いったい、どうしてここから逃げ出すおつもりですかい!」
 だのに、右門は依然くすくすと笑ったままでした。笑いながら、そしてその青白い顔を転じると、格子窓からぬか雨にけむる庭先のぬかるみに向かって、伝六の愚痴をさけるように面をそむけました。とたんに、そのとき、そこの庭先でちらりと右門の目についた異様な人影があったのです。いや、人影はただの人足らしい者でありましたから、けっして異様でも奇怪でもなかったのですが、その足にはいているわらじが、どうしたことか逆に、すなわち前後がさかしまになっていたものでしたから、はっとなったように右門はひとみを凝らしました。見ると、男はうしろに長方形の箱を背負って、ちょうどそれは子どもの寝棺のような箱でしたが、その奇妙な箱を相当重そうに背負って、上に雨よけの合羽かっぱをおおいながら、いましも表へ向かって歩みだそうとしているのです。いかにもその足のわらじが不思議でありましたから、ひとみをすえてじっと耳を澄ましていると、あきらかに青まゆの女の声で命令するのが聞こえました。
「では、気をつけてね。あそこだよ」
「へい。心得ました。そのかわり、晩にはたんまりと酒手を頼んまっせ」
 いうと、人足は酒手にほれたもののごとく、表へ向かって歩きだしました。返り梅雨つゆで庭先はぬかるみでしたから、地上にはかれが歩くのとともに、はっきりとうしろ前をさかしまにはいているわらじの跡がついたのです。すなわち、人と足は事実表へ向かって出ていきつつあるのに、ぬかるみの地上に残された足跡は、さながら反対に表から帰ってきたように見えました。
 それを知ると同時でありました。突然右門が突っ立ち上がってポキポキと指の関節を鳴らすと、さっと全身に血ぶるいをさせながら、不意に大声で意外なことを叫びました。
「いかい、ごちそうになりましたな。では、ここから帰らせていただきますぞ」
 いう下から、ばりばりと腰窓の下の羽目板をはがしだしました。――実は、それが右門の人よりよけい知恵の回るところで、そんなことではけっして破れる羽目板でもなく、またそんなやわな物置き小屋でもなかったのですが、さも窓を破って逃げ出しそうなばりばりという音をたてたものでしたから、右門の誘いの手段とは知らずに、うっかりと表の番人が出入り口をあけて、あわてふためきながら顔をのぞかせたのです。とみるより早く、そのわき腹にお見舞い申したのは、なにをかくそう、わがむっつり右門が得意中の得意の、草香流やわらの秘術はあて身の一手。――また、右門から腰の物さえ取り上げておけば、それでけっこう力をそぎうると考えた愚人どもが、愚かも愚かの骨頂だったのです。伝六から十手を取り上げたはいいにしても、わがむっつり右門には剣の錣正流居合しころせいりゅういあいのほかに、かく秀鋭たぐいなき敏捷びんしょうの秘術がなお残っているのです。まことに、その秘術こそは、紀州熊野くまのの住人日下くさか六郎次郎が、いにしえ元亀げんき天正のみぎり、唐に流れついて学び帰った拳法けんぽうに、大和やまと島根の柔術やわらを加味くふうして案出せると伝えられる、護身よりも攻撃の秘術なのでした。草香流の草香は日下くさかのその日下をもじったもので、さるを知らずに大小をのみ取り上げたならば、じゅうぶんそれで右門をもなべの中に入れうると考えていたんだから、いかにも少し右門を甘く見すぎたものですが、いずれにしてもかれが草香流を小出しにするに及んでは、たとえそこに白刃の林が何本抜きつれあってきたにしても、もう結果はこっちのものでした。それから伝六の急に強くなったのもむろんのことで、無頼の徒らしい三名の武士と古道具屋のおやじとのつごう四人を、いい心持ちそうにくくしあげてしまうと、そこに草香流のあて身でみだらにもすそをみだしながらぐんにゃりとなっている青まゆのあわれなる女を見おろし見おろし、伝六が相談するようにききました。
「ね、だんな。あんたのお心もち一つですが、このぶよんとしたくらげのほうも、くくるんですかい」
「あたりめえだ。おれがそんな女に参ってたまるけえ。ゆうべのことだって、みんなこいつらの裏をかいてやりたいために、わざと酒もあびたんだ。そんな女に指一本だって触れたんじゃねえんだぞ」
 まことにそれは、そういうのがもっともにちがいなく、そして言いすてながら表へ駆けだしていったとみえましたが、まもなく右門のしょっぴいて帰ったものは、わらじをさかしまにはいたさっきの人夫です。
「バカ野郎ッ。さかしまにはいたわらじぐらいで、たぶらかされるおれと思うかッ」
 ぽかりとくわしておくと、男の背負っていた長方形の箱を急いでこじあけました。同時のように、中からむっくりと起き上がった者は、みめかたちのゆうにやさしいひとりの少年です。――少年は目をぱちくりさせながら、いぶかるようにいいました。
「あら! もうおじさん役者のまねは終わったの?」
 ――その一語でもわかるがごとく、少年はむろんのことにかどわかされていた質屋の子せがれで、しかし今は質屋の子せがれとなっていましたが、いっさいをお白州にかけてみると、意外にもその産みの母は、あの青まゆの女なのでありました。事件は一口にいうと小さなお家騒動で、青まゆの女の夫こそは、右門が彼女をご大家のお後室さまとにらんだとおり、いにしえはれっきとした二千石取りの大旗本でありました。しかも、大久保加賀守かがのかみの血につながる一族で、ちょうどこの事件のあった十年まえ、あれなる青まゆの女を向島の葉茶屋から退かして正妻に直したころから、しだいにその放埓ほうらつが重なり、ついにお公儀の譴責けんせきをうけるに及んだので、三河侍の気風を最後に発揮して、大久保甚十郎といったその旗本は、当時はまだご二代台徳院殿公のご時世でありましたが、将軍家秀忠ひでただが砂村先にお遊山ゆさんへおもむいたみぎり、つらあてにそのお駕籠かご先で割腹自刃を遂げたのでありました。そういう場合のそういう事件を仮借することなしに裁断する公儀のことばは、上へたてつく不届き者という一語に尽きていましたものでしたから、大久保甚十郎一家は、ならわしどおり秩禄ちつろく召し上げ、お家はお取りつぶしということになりました。けれども、いったんの怒りはあったにしても、士歴は三河以来の譜代でもあり、かたがた一族中には大久保加賀守のごとき名門と権勢があったものでしたから、ご当代家光公に至って、憐憫れんびんの情が加えられ、甚十郎の死後十年のちにして新規八百石のお取り立てをうけることになったのです。ところが、そのご内意を知ったとき、はしなくもここに一つの故障がもち上がりました。右門の出馬するにいたったこの少年誘拐ゆうかい事件の発端が、すなわちその故障に基因していたのですが、すでに知らるるとおり、あれなる青まゆの女は、生まれが葉茶屋の多情者でしたから、お家の断絶後における淫楽いんらくの自由を得んために、じゃまな嫡子はもとの忠僕であったあの質屋、すなわち三河屋へくれてしまったのでした。そこへ新規八百石にお取り立てという宗家大久保加賀守からのご内意があったものでしたから、青まゆの女のにわかに狼狽ろうばいしたのは当然なことで、しかも嫡子なる質屋へくれた少年を召し連れて、宗家大久保加賀守のところへ出頭するについては、あの茶わんの中でたわいもなく溶けてしまった金の大黒がぜひに必要でありました。あの見かけ倒しなどろ大黒こそは、実をいうと加賀守から少年がまだ幼時のみぎりお守りとして拝領したもので、それにしてはろくでもないお守りをやったものですが、しかるにその証拠となるべき豆大黒は、彼女のまだ世にあったころからの不義の相手であった当時の用人、お家断絶後に古道具屋となってしまったあの右の小手に刀傷のあるおやじの神だなで消えてしまい、反対に日本橋の人形町で見つけてきた別のどろ大黒が、質屋の神だなに飾られだしたものでしたから、てっきり三河屋のおやじがすべてのことをかぎ知って、金の大黒を動かぬ証拠に養子を引き具して宗家へ乗り込み、新規八百石のお旗本の後見者になる魂胆だろうと早がてんしてしまったので、さっそくに今もときおりつまみ食いの相手である道具屋のおやじをそそのかして、まず少年を誘拐せしめ、しかるのち金の大黒へ因縁をつけたのです。もちろん、右門をあんなふうに酒でころして物置き小屋に閉じこめたのは、早くも事露見と知ったものでしたから、持って生まれた淫婦いんぷの腕によりをかけてかようにたぶらかし、そのまに少年を引き具していちはやく新規八百石を完全に手中しようとしたからの小しばいにすぎなかったのでした。
 ねたを割ってみれば、まことに右門にとって、たわいのないような事件でしたが、しかし事件はどろ細工の金大黒とともにかくもたわいのないものではあったにしても、われわれのむっつり右門はやはり最後まで少し人と変わった愛すべく賞すべき右門でありました。
「上には、かくもご憐憫れんびんとご慈悲があるのに、それなる女、みずから腹を痛めし子どもを他家へつかわすとはなにごとじゃ。なれども、事はなるべくに荒だてぬが従来もわしの吟味方針じゃによって、そのうえにまた加賀守家というご名門の名にもかかわることゆえ、いっさいは穏便に取り扱ってつかわすゆえ、爾今じこんはせっかくご新規八百石をたいせつにいたさねばならぬぞ。したがって、それなる少年にはもうこのうえ河原乞食かわらこじきのまねなどをさせたり、あまりろくでもない草双紙なぞを読ませてはならぬぞ。それから、そこの古道具屋、そちはもっといかものをつかまされないように、じゅうぶん目ききの修業をいたし、ずんと家業に精を出さねばならぬぞ、最後に質屋のおやじ、そのほうはこの近藤右門をののしったばかりではなく、恐れ多くもお上一統を卑しめたと申すが、どうじゃ。ちっとはこれで右門が好きになったか。うん?――ああ、そうか。好きになればそれでよろしいによって、今後は伝六なぞの参った節も、なるべく高く融通するがよいぞ。では、いずれも下げつかわしてやるゆえ、そうそう退出いたせ。あ、待て待て、それなる青まゆの女、昨夜の酒の代はなにほどじゃ。なに、気は心じゃからいらぬと申すか。上の座にある者がさようなまいないがましいものを受けるは本意でないが、新規お取り立て祝いのふるまいとして、今回かぎり飲み捨ててつかわすによって、爾今じこん道なぞで会うても、予にことばなぞをかけてはあいならんぞ」
 それから立ち上がると、むっつり右門はそこの三方にのっかっていたきよめ塩をひとつまみつまみあげて、ぱッぱッと自分のからだにふりかけました。職務のためのこととはいいながら、前夜来のあだがましかった青まゆの女との不潔な酒のやりとりに、濁ったからだをきよきよめるように、ばらばらとふりかけました。





底本:「右門捕物帖(一)」春陽文庫、春陽堂書店
   1982(昭和57)年9月15日新装第1刷発行
   1996(平成8)年12月20日新装第7刷発行
入力:大野晋
校正:ごまごま
2000年1月5日公開
2005年6月29日修正
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