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――今回は第三番てがらです。
しかし、今回の三番てがらは、前回と同様
「近ごろのだんなの色男ぶりときちゃ
むろん、そばにはおなじみのおしゃべり屋伝六が影の形に添うごとくさし控えていたものでしたから、ちらりとそのお達しを小耳にはさんで、聞く下からもう例のごとくお株を始めながら、右門ともどもに不審を打ったのは無理からぬことでしたが、いずれにしても火急にというお達しでありましたから、伝六にも長旅の用意をさせて、さっそくご
「察しまするに、伊豆守様ご帰藩中でござりますな」
「しッ、声が高い! そちのことじゃから、忍まで参れといえばだいたいの見当がつくだろうと思って、わざとおしかくしていたが、察しのとおり、つい四、五日ほどまえにご帰国なさったばかりじゃ」
「といたしますると、むろんのこと、このたびのお招き状も、伊豆守様がご内密でのお召しでござりましょうな」
「さようじゃ」
「よろしゅうござります。そうとわからば、さっそくただいまから出立いたしましょうが――」
言いかけてしばらくなにごとかを考えていましたが、右門は突然驚くべきことを、奉行神尾元勝にいいました。
「――ついては、わたくしめにご官金壱百両ほどをお貸しくださりませ」
徳川もお三代のころ壱百両といえば、四、五年くわえようじで寝ていられるほどの大金なんでしたから、お奉行の目を丸くしたのは当然で――。
「そんな大金をまた何にいたす?」
ぎょっとしたようにきいたのを、右門はきわめておちつきはらいながら答えました。
「伊豆守様は当代名うての知恵者。その知恵袋をもってしましてもお始末がつかなくて、はるばるてまえごとき者までをもお召しでござりましょうから、これはよほどの重大事に相違ございませぬ。百両どころか、しだいによっては千両がほども必要かと存じまするが、あとあとはまたあとあとで急飛脚でも立てましょうゆえ、さしあたり百金ほどご貸与くださりませ」
「いかにものう」
おねだりをする人間が、じゃりを食ったり、鉄道を食べたりするような当節のお役人だったら、百両は夢おろか、穴あき銭一枚だって容易に出すんではないのだが、なにしろ、むっつり右門というわれわれの信頼すべき大立て者がぜひに必要というんだから、これは出さないほうがまちがっているので、さっそく奉行元勝が切りもち包みを四つ手文庫から取り出してくれたものでしたから、右門のそばで目をみはりながらきょときょとしていた伝六にそれを懐中させると、ただちに武州めがけてわらじをはきました。むろん、喜んだのは伝六で、
「ちえッ、ありがてえな。近ごろばかに耳たぶがあったけえと思っていたら、必定こういう福の神が舞い込むんだからね。
不意に切りもち包みが四つふところに飛び込んでまいりましたものでしたから、すっかりもう有頂天、出るからほんとうに日光参りにでも行くようなはしゃぎ方でいましたが、右門はしかしちょっとばかり不思議だったのです。わらじを締めてすたすたと足を早めるには早めましたが、忍のお城下を目がけるならば、当然板橋口から奥州
「だんなえ? ね、だんなえったら! こっちへ来たんじゃ、ちっとばかり方角が違うように思いやすが、まさかにこの百両は、
だのに、右門はごくすましたものです。金看板どおりにむっつりおし黙って、すたすたと甲州口を西へ西へと急いでいましたが、行くことおよそ十町ばかり、道を少し左へ切れて
「な、な、なあるほどね。このまえのときにゃ
その幽光院というのは
「こいつあおつだ。おしばやに出る虚無僧だって、こんないきな虚無僧なんてものはふたりとごわせんぜ。
竹しらべひとつ吹けないくせに、もういっぱしの虚無僧になったつもりで、ことごとく大喜びでしたが、右門はむろんむっつりと
「おっ、こいつあめっけものだ。ね、だんな、ごらんなせえよ、あそこに名物いなりずしとありますぜ。あっしゃもう三里も前から、とんと腹が北山しぐれなんですから、早いところ二十ばかりつまんでめえりましょうよ」
右門も少々空腹でしたから、伝六の動議に従って、天蓋のままずいと茶店の中へはいっていきました。と、そのとき、ちらりと右門の目をひいた異様な二組みの旅人がありました。いずれも四十まえの年配で、
――と、いかにも不思議です。それぞれさるのえさは各自が各自の分だけを持っているはずなのに、茶店を立ちぎわになると、互いに
「あっ! だんな、だんな! ほんとうにあきれちまうね。旅に出てまでも、またあの癖を出すんだからね。あっしをひとりおいてきぼりにしておいて、ねずみにでも引かしてしまうつもりですかい」
うろたえながら伝六が追ってきたのを右門はちいさな声でしかっておくと、二町ほどの間隔をおいて見えずがくれに、くだんのさるまわしをつけていきました。
と――、いよいよどうもこのさるまわしなる旅の者が不審なのです。ちゃんと太鼓もかかえ、さるも背に負っているんですから、道々商売をかせぎそうなものなんですが、いっこうにそういうけはいはなくて、一直線にずんずんと羽生めがけてやって参りましたものでしたから、右門の秀抜きわまりなき探偵眼は、ますますさえだしました。羽生へついたのがもうかれこれ夕暮れどきで、普通ならばそこへ一宿するんですが、前をやって行く怪しのさるまわしが泊まるけはいのなかったばかりではなく、今はもうはっきりと忍のご城下をこころざして、ぐんぐんと歩度をのばしだしたものでしたから、事態はいよいよ不審、右門もわらじにしめりを与えて、ひたすらにあとをつけました。忍の城下へようようにたどりついたのは、ぬんめりとくもり空の五つ少しまえ、いずれにしても様子のわかるのはもう一息でしたから、勢いこんで城下の町へまっすぐにはいろうとすると――。
「まてッ」
不意に、やみの左右からそういう声です。同時に、ばらばらっと両三人が行く手を立ちふさぎましたものでしたから、右門もおもわず体をひらいて尺八に片手をかけようとすると、
「役儀によって面を改める。その
課役の藩士だなとわかりましたから、しずかに天蓋をはねあげると、相手は深々と御用龕燈をつきつけて、しげしげ右門の顔をのぞき込んでいましたが、がらりそのことばが変わりました。
「どうやら、ご人相が伊豆守様おことばに生き写しでござりまするが、もしやご貴殿は江戸からおこしの近藤右門どのではござらぬか」
「いかにも、さようにござる」
「やっばり、ご貴殿でござったか! 実は、殿さまがかようにお申されましてな。右門のことゆえ、察するに姿を変えて、わざわざ羽生回りをしてくるにちがいあるまいから、それとのう出迎えいたせと、かようにお申されましたのでな。かくは失礼も顧みず、人体改めをしたのでござる」
明知はよく明知を知るというべきで、さすが伊豆守は知恵伊豆といわれるだけがものはあり、よくも右門の変装と回り道をにらんだものですが、しかし右門はそのことよりも、今つけてきた怪しのさるまわしが気になったものでしたから、急いでやみの向こうを見透かすと、あっ! おもわず声をあげてせき込みながら、ご番士たちに尋ねました。
「いましがた、たしかにここをさるまわしが通りすぎたはずでござるが、お気づきではござりませなんだか!」
「えっ」
おどろいたようにぎょっとなって、番士たちがいっせいに左右を見まわしたときでした。
「ちッ、いてえい! おう、いてえい!」
つい七、八間向こうのやみの中で突然悲鳴をあげた者がありましたので、すかさずに駆けつけていってみると、意外にも悲鳴の主は伝六で、いつそこへやっていって、いつのまにそんなことをされたものか、両手の甲をばらがきにされながら、くやしそうにつっ立っていましたものでしたから、右門はすぐにそれと気づいてたたみかけました。
「逃がしちまったか!」
「え、このとおり。あいつ、ちっとばかしくせえやつだなと思いましたんでね。なにかは知らぬがしょっぴいていってやろうと思って、せっかくえり首をつかまえたんですが、さるのやつめが手の甲をひっかきむしったそのすきに、逃げうせちまったんでげすよ」
「なるほど、血がにじんでいるな。しかし、それにしても、あいつをしょっぴいていこうと気がついたなあ、さすがおめえも江戸の
何が何やら解しかねるといったおももちで、ぽかんとそこに番士たちが待ちあぐんでいましたものでしたから、右門は改まって声をかけると、城中への案内を促しました。