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右門捕物帖(うもんとりものちょう)01 南蛮幽霊

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-7 8:58:24  点击:  切换到繁體中文


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 行ってみると、なるほど家の構えはこぎたないが、この界隈かいわいの名物とみえて、店先はいっぱいのお客でありました。右門はべちゃくちゃとさえずっている岡っ引きの伝六をあとに従えて、ずいと中へはいっていきました。
 古い物は付けにも目の高いものは、やり手ばばあに料理屋のあるじとうまいことをうがってありますが、玉岸のおやじも小料理屋ながらいっばしの亭主でありました。
「これはこれは、八丁堀のだんながたでいらっしゃいますか」
 一瞬にして目がきいたものか、もみ手をしいしい板場から顔を出して、すぐと奥まった一室へ茶タバコ盆とともに案内したので、右門はただちに町人の三百両事件を切り出しました。むろん、事の当然な結果として小料理屋それ自体に三分の疑いがかかっていたので、伝六にはその間に屋作りをぬけめなく調べさせ、右門みずからは亭主の挙動にじゅうぶんの注意を放ちました。けれども、亭主は事件は知ってはいたが、その下手人についてはさらに心当たりがないというのです。町人が上がったころにどんなお客が二階へ上がっていたかも記憶がないというので、伝六の探索を延ばしたほうも同様に手がかりは皆無でした。わずかに残された探索として希望をつなぎうるものは、事件の前後に受け持ちとして出ていった小婢こおんながあるばかり――。
 で、さっそくにその婢を呼んで、むっつり屋の右門がきわめていろけのないことばつきで、当時のもようをきき正しました。と――手がかりらしいものがわずかに一つあがったのです。それは一個のこまでありました。馬の駒ではない将棋の駒で、それも王将。婢のいうには、あの町人の三百両紛失事件が降ってわいたそのあとに、右の将棋の駒がおっこちていたというのでありました。巨細こさいによく調べてみると、まず第一に目についたものは、相当使い古したものらしいにかかわらず、少しの手あかも見えないで、ぴかぴかと手入れのいいみがきがかけられてあったことでした。それから、材料は上等の桑の木で、彫りはむろん漆彫り、しりをかえしてみると『凌英りょうえい』という二字が見えるのです。
「凌英とな……聞いたような名まえだな」
 思いながらしばらく考えているうちに、右門ははたとひざを打ちました。そのころ駒彫こまぼりの名人として将棋さしの間に江戸随一と評判されていた、書家の凌英であることに思い当たったからでした。してみると、むろん一組み一両以上の品物で、木口なぞの上等な点といい、手入れのいいぐあいといい、この駒の持ち主はひとかどの将棋さし――少なくもずぶのしろうとではないことが、当然の結果として首肯されました。
「よしッ。存外こいつあ早くねたがあがるかもしれんぞ!」
 こうなればまったくもう疾風迅雷しっぷうじんらいです。右門は探索の方針についてなによりの手づるを拾いえたので、前途に輝かしい光明を認めながら、ご苦労ともきのどくだったともなんともいわずに、例のごとく黙念としながら、ぷいと表へ出ていくと、即座に伝六に命じました。
「きさま、これから凌英という駒彫り師の家をつきとめろ! つきとめたら、この駒をみせてな、いつごろ彫ったものか、だれに売ったやつだか、心当たりをきいて、買い主がわかったらしょっぴいてこい。わからなきゃ、江戸じゅうのくろうと将棋さしをかたっぱし洗って、どいつの持ち物だか調べるんだ!」
「え? だんなにゃまったくあきれちまいますね。やぶからぼうに変なことおっしゃって、何がいったいどうなったっていうんです?」
 わからない場合には、江戸じゅうの将棋さしをかたっぱし洗えといったんですから、伝六がめんくらったのも、無理もないでしょう。しかし、右門のことばには確信がありました。
「文句はあとでいいから、早くしろい!」
「だって、だんな、江戸じゅうの将棋さしを調べる段になると、ちっとやそっとの人数じゃごわせんぜ。有段者だけでも五十人や百人じゃききますまいからね」
「だから、先に凌英っていう彫り師に当たってみろといってるんじゃねえか」
「じゃ、三月かかっても、半年かかってもいいんですね」
「バカ! きょうから三日以内にあげちまえ!」
「だって、江戸を回るだけでも三里四方はありますぜ」
「うるせえやつだな。回りきれねえと思ったら、駕籠かごで飛ばしゃいいんじゃねえか」
「ちえっ、ありがてえ! おい、駕籠屋!」
 官費と聞いて喜びながら、ちょうどそこへ来合わしたつじ駕籠を呼びとめてひらり伝六が飛び乗ったので、右門はただちに数奇屋橋の奉行所へやって行きました。もちろん、奉行所ももうそのときは色めきたって、非番の面々までがどやどやと詰めかけながら、いずれもが長助殺しの犯人捜査に夢中でありました。しかし、同役たちの等しく選んだ捜査方針は、申し合わせたようにみんな常識捜査でありました。すなわち、第一にまずかれらは、当日見物席に来合わしていた一般観客に当たりました。坂上親子に似通った親子連れのものが見物の中に居合わさなかったか、だれか疑わしい人物の楽屋裏に出入りしたものを見かけなかったか――というような常識的の事実から捜索の歩を進めていたのでした。それから、最後の最も重大な探索方針として、かれらは等しく与力次席の坂上親子に疑いをかけていたのです。
 けれども、右門の捜査方針は、全然それとは正反対でありました。あくまでも見込み捜査で、疾風迅雷的に殺された本人――岡っ引き長助の閲歴を洗いたてました。いずれ遺恨あっての刃傷にんじょうに相違なく、遺恨としたらどういう方面の人物から恨みを買っているか、その間のいきさつを調べました。
 しかし、残念なことに、その結果はいっこう平凡なものばかりだったのです。判明した材料というのは次の三つで、第一は長助が十八貫めもあった大兵肥満たいひょうひまんの男だったということ、第二はまえにもいったように葛飾かつしか在の草相撲ずもう上がりであったということ、それから第三は非業の死をとげた三日ほどまえにその職務に従い、牛込の藁店わらだなでだんなばくちを検挙したということでありました。しいて材料にするとするなら、最後のそのだんなばくちの検挙があるっきりです。
 で、かれは念のためにと思って、お奉行所ぶぎょうしょの調書について、そのときの吟味始末を調査にかかりました。と――まことに奇怪、検挙事実は歴然として人々の口に伝わっているのに、公儀お調べ書にはその顛末てんまつが記録されてなかったのです。
「臭いな」
 と思うには思いましたが、しかし何をいうにも検挙に当たった長助本人がすでにこの世の人でなかったから、疑惑の雲がかかりながら、それ以上その事件を探求することは不可能でありました。とすれば、もはや残る希望は伝六の報告を待つ以外になかったので、右門はお組屋敷へ引き下がると、じっくり腰をすえながら、その帰来を待ちわぴました。
 やがて、その三日め――首を長くして待っていると、ふうふういいながら伝六が帰ってまいりましたので、右門はすぐに尋ねました。
「どうだ、なにかねたがあがったろう」
「ところが、大違い――」
「ええ、大違い?」
 目算が狂いましたから、右門もぎくりとなって問いかえしました。
「じゃ、まるっきりめぼしがつかないんだな」
「さようで――おっしゃったとおり、まず第一に凌英っていう彫り師を当たったんですがね。ところが、その凌英先生が、あいにくなことに、去年の八月水におぼれておっんでしまったっていうんだから、最初の星が第一発に目算はずれでさ。でも、ここが奉公のしどころと思いましたからね。あのこまの片割れを持って、およそ将棋さしという将棋さしは、看板のあがっている者もいない者も、しらみつぶしに当たってみたんですよ。ところが、そいつがまた目算はずれでしょ。だから、今度は方面を変えて、駒を売っている店という店は残らず回ったんですが、最後にその望みの綱もみごとに切れちまったんでね、このとおり一貫めばかり肉をへらして、すごすごと帰ってきたところなんです」
 さすがの右門も、その報告にはすっかり力をおとしてしまいました。せっかくこんないい手がかりを持っているのにと思いましたが、人力をもっていかんともしがたいとあっては、やむをえないことでありました。このうえは、時日をあせらずゆっくりと構え、二つの材料、すなわち駒の所有者と、疑惑のまま残されている長助の検挙したというだんなばくちの一味が、どんな人物たちであるかをつき止める以外には方法がなかったので、まず英気でも養っておこうと思いたちながら、ぷらり近所の町湯へ出かけました。


 

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