2
行ってみると、なるほど家の構えはこぎたないが、この
古い物は付けにも目の高いものは、やり手ばばあに料理屋のあるじとうまいことをうがってありますが、玉岸のおやじも小料理屋ながらいっばしの亭主でありました。
「これはこれは、八丁堀のだんながたでいらっしゃいますか」
一瞬にして目がきいたものか、もみ手をしいしい板場から顔を出して、すぐと奥まった一室へ茶タバコ盆とともに案内したので、右門はただちに町人の三百両事件を切り出しました。むろん、事の当然な結果として小料理屋それ自体に三分の疑いがかかっていたので、伝六にはその間に屋作りをぬけめなく調べさせ、右門みずからは亭主の挙動にじゅうぶんの注意を放ちました。けれども、亭主は事件は知ってはいたが、その下手人についてはさらに心当たりがないというのです。町人が上がったころにどんなお客が二階へ上がっていたかも記憶がないというので、伝六の探索を延ばしたほうも同様に手がかりは皆無でした。わずかに残された探索として希望をつなぎうるものは、事件の前後に受け持ちとして出ていった
で、さっそくにその婢を呼んで、むっつり屋の右門がきわめていろけのないことばつきで、当時のもようをきき正しました。と――手がかりらしいものがわずかに一つあがったのです。それは一個の
「凌英とな……聞いたような名まえだな」
思いながらしばらく考えているうちに、右門ははたとひざを打ちました。そのころ
「よしッ。存外こいつあ早くねたがあがるかもしれんぞ!」
こうなればまったくもう
「きさま、これから凌英という駒彫り師の家をつきとめろ! つきとめたら、この駒をみせてな、いつごろ彫ったものか、だれに売ったやつだか、心当たりをきいて、買い主がわかったらしょっぴいてこい。わからなきゃ、江戸じゅうのくろうと将棋さしをかたっぱし洗って、どいつの持ち物だか調べるんだ!」
「え? だんなにゃまったくあきれちまいますね。やぶからぼうに変なことおっしゃって、何がいったいどうなったっていうんです?」
わからない場合には、江戸じゅうの将棋さしをかたっぱし洗えといったんですから、伝六がめんくらったのも、無理もないでしょう。しかし、右門のことばには確信がありました。
「文句はあとでいいから、早くしろい!」
「だって、だんな、江戸じゅうの将棋さしを調べる段になると、ちっとやそっとの人数じゃごわせんぜ。有段者だけでも五十人や百人じゃききますまいからね」
「だから、先に凌英っていう彫り師に当たってみろといってるんじゃねえか」
「じゃ、三月かかっても、半年かかってもいいんですね」
「バカ! きょうから三日以内にあげちまえ!」
「だって、江戸を回るだけでも三里四方はありますぜ」
「うるせえやつだな。回りきれねえと思ったら、
「ちえっ、ありがてえ! おい、駕籠屋!」
官費と聞いて喜びながら、ちょうどそこへ来合わしたつじ駕籠を呼びとめてひらり伝六が飛び乗ったので、右門はただちに数奇屋橋の奉行所へやって行きました。もちろん、奉行所ももうそのときは色めきたって、非番の面々までがどやどやと詰めかけながら、いずれもが長助殺しの犯人捜査に夢中でありました。しかし、同役たちの等しく選んだ捜査方針は、申し合わせたようにみんな常識捜査でありました。すなわち、第一にまずかれらは、当日見物席に来合わしていた一般観客に当たりました。坂上親子に似通った親子連れのものが見物の中に居合わさなかったか、だれか疑わしい人物の楽屋裏に出入りしたものを見かけなかったか――というような常識的の事実から捜索の歩を進めていたのでした。それから、最後の最も重大な探索方針として、かれらは等しく与力次席の坂上親子に疑いをかけていたのです。
けれども、右門の捜査方針は、全然それとは正反対でありました。あくまでも見込み捜査で、疾風迅雷的に殺された本人――岡っ引き長助の閲歴を洗いたてました。いずれ遺恨あっての
しかし、残念なことに、その結果はいっこう平凡なものばかりだったのです。判明した材料というのは次の三つで、第一は長助が十八貫めもあった
で、かれは念のためにと思って、お
「臭いな」
と思うには思いましたが、しかし何をいうにも検挙に当たった長助本人がすでにこの世の人でなかったから、疑惑の雲がかかりながら、それ以上その事件を探求することは不可能でありました。とすれば、もはや残る希望は伝六の報告を待つ以外になかったので、右門はお組屋敷へ引き下がると、じっくり腰をすえながら、その帰来を待ちわぴました。
やがて、その三日め――首を長くして待っていると、ふうふういいながら伝六が帰ってまいりましたので、右門はすぐに尋ねました。
「どうだ、なにかねたがあがったろう」
「ところが、大違い――」
「ええ、大違い?」
目算が狂いましたから、右門もぎくりとなって問いかえしました。
「じゃ、まるっきりめぼしがつかないんだな」
「さようで――おっしゃったとおり、まず第一に凌英っていう彫り師を当たったんですがね。ところが、その凌英先生が、あいにくなことに、去年の八月水におぼれておっ
さすがの右門も、その報告にはすっかり力をおとしてしまいました。せっかくこんないい手がかりを持っているのにと思いましたが、人力をもっていかんともしがたいとあっては、やむをえないことでありました。このうえは、時日をあせらずゆっくりと構え、二つの材料、すなわち駒の所有者と、疑惑のまま残されている長助の検挙したというだんなばくちの一味が、どんな人物たちであるかをつき止める以外には方法がなかったので、まず英気でも養っておこうと思いたちながら、ぷらり近所の町湯へ出かけました。