「もらったとも」彼は顔をさっと真っ赤にして答えた。「あの翌朝返してもらったんだ。もうどんなことがあろうと、あの甲虫を手放すものか。君、あれについてジュピターの言ったことはまったくほんとなんだぜ」
「どんな点がかね?」私は悲しい予感を心に感じながら尋ねた。
「あれをほんとうの黄金でできている虫だと想像した点がさ」彼はこの言葉を心から
「この虫が僕の身代をつくるのだ」と彼は勝ち誇ったような微笑を浮べながら言いつづけた。「僕の先祖からの財産を取り返してくれるのだ。とすると、僕があれを大切にするのも決して不思議じゃあるまい? 運命の神があれを僕に授けようと考えたからには、僕はただそれを適当に用いさえすればいいのだ。そうすればあれが手引きとなって僕は黄金のところへ着くだろうよ。ジュピター、あの甲虫を持ってきてくれ!」
「えっ! あの虫でがすか? 旦那。わっしはあの虫に手出ししたかあごぜえません、――ご自分で取りにいらっせえ」そこでルグランは真面目な重々しい様子で立ち上がり、甲虫の入れてあるガラス箱からそれを持ってきてくれた。それは美しい甲虫で、またその当時には博物学者にも知られていないもので、――むろん、科学的の見地から見て大した掘出し物だった。背の一方の端近くには円い、黒い点が二つあり、もう一方の端近くには長いのが一つある。甲は非常に堅く、つやつやしていて、見たところはまったく
「君を迎えにやったのはね」と彼は、私がその甲虫を調べてしまったとき、大げさな調子で言った。「君を迎えにやったのは、運命の神とこの甲虫との考えを成功させるのに、君の助言と助力とを願いたいと思って――」
「ねえ、ルグラン君」私は彼の言葉をさえぎって大声で言った。「君はたしかにぐあいがよくない。だから少し用心したほうがいいよ。寝たまえ。よくなるまで、僕は二、三日ここにいるから。君は熱があるし――」
「脈をみたまえ」と彼は言った。
私は脈をとってみたが、実のところ、熱のありそうな様子はちっともなかった。
「しかし熱はなくても病気かもしれないよ。まあ、今度だけは僕の言うとおりにしてくれたまえ。第一に寝るのだ。次には――」
「君は思い違いをしている」と彼は言葉をはさんだ。「僕はいま
「というと、どうすればいいんだい?」
「わけのないことさ。ジュピターと僕とはこれから本土の山のなかへ探検に行くんだが、この探検には誰か信頼できる人の助けがいる。君は僕たちの信用できるただ一人なのだ。成功しても失敗しても、君のいま見ている僕の興奮は、とにかく
「なんとかして君のお役に立ちたいと思う」と私は答えた。「だが、君はこのべらぼうな甲虫が君の探検となにか関係があるとでも言うのかい?」
「あるよ」
「じゃあ、ルグラン、僕はそんなばかげた仕事の仲間入りはできない」
「それは残念だ、――実に残念だ。――じゃあ僕ら二人だけでやらなくちゃあならない」
「君ら二人だけでやるって! この男はたしかに気が違っているぞ! ――だが待ちたまえ、――君はどのくらいのあいだ留守にするつもりなんだ?」
「たぶん一晩じゅうだ。僕たちはいまからすぐ出発して、ともかく日の出ごろには戻って来られるだろう」
「では君は、この君の酔狂がすんでしまって、甲虫一件がだ(ちぇっ!)、君の満足するように落着したら、そのときは家へ帰って、医者の勧告と同じに僕の勧告に絶対にしたがう、ってことを、きっと僕に約束するかね?」
「うん、約束する。じゃあ、すぐ出かけよう。一刻もぐずぐずしちゃあおられないんだから」
気が進まぬながら私は友に同行した。我々は四時ごろに出発した、――ルグランと、ジュピターと、犬と、私とだ。ジュピターは大鎌と鋤とを持っていたが、――それをみんな自分で持って行くと言い張って
我々は島のはずれの小川を小舟で渡り、それから本土の海岸の高地を登って、人の通らない非常に荒れはてた寂しい地域を、北西の方向へと進んだ。ルグランは決然として先頭に立ってゆき、ただ自分が前に来たときにつけておいた目標らしいものを調べるために、ところどころでほんのちょっとのあいだ立ち止るだけだった。
こんなふうにして我々は約二時間ほど歩き、ちょうど太陽が沈みかけたときに、いままでに見たどこよりもずっともの凄い地帯へ入ったのであった。そこは一種の高原で、ほとんど登ることのできない山の頂上近くにあった。その山は
我々のよじ登ったこの天然の高台には
「ええ、旦那、ジャップの見た木で登れねえってえのはごぜえません」
「そんならできるだけ早く登ってくれ。じきに暗くなって、やることが見えなくなるだろうから」
「どこまで登るんですか? 旦那」とジュピターが尋ねた。
「まず大きい幹を登るんだ。そうすれば、どっちへ行くのか言ってやるから。――おい、――ちょっと待て! この甲虫を持ってゆくんだ」
「虫でがすかい! ウィル旦那。――あの黄金虫でがすかい!」とその黒人は恐ろしがって
「ジャップ、お前が、お前みたいな大きな丈夫な黒んぼが、なにもしない、小さな、死んだ甲虫を持つのが怖いんならばだ、まあ、この
「なんでごぜえます? 旦那」ジャップはいかにも恥ずかしがって承知しながら、言った。「しょっちゅう年寄りの黒んぼを相手に
アメリカの森林樹のなかでもっとも荘厳なゆりの木、つまり Liriodendron Tulipiferum(訳注「ゆりの木」の学名)[#「訳注「ゆりの木」の学名」は割り注(2行に)]は、若木のときには、幹が奇妙になめらかで、横枝を出さずにしばしば非常な高さにまで生長する。しかし、年をとるにつれて、樹皮が
「今度はどっちへ行くんでがす? ウィル旦那」と彼は尋ねた。
「やっぱりいちばん大きな枝を登るんだ、――こっち側のだぞ」とルグランが言った。黒人はすぐその言葉にしたがって、なんの苦もなさそうに、だんだん高く登ってゆき、とうとう彼のずんぐりした姿は、そのまわりの茂った樹の葉のあいだから少しも見えなくなってしまった。やがて彼の声が、遠くから呼びかけるように聞えてきた。
「まだどのくれえ登るんでがすかい?」
「どれくらい登ったんだ?」とルグランがきいた。
「ずいぶん高うがす」と黒人が答えた。「木のてっぺんの
「空なんかどうでもいい。がおれの言うことをよく聞けよ。幹の下の方を見て、こっち側のお前の下の枝を勘定してみろ。いくつ枝を越したか?」
「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、――五つ越しましただ、旦那、こっち側ので」
「じゃあもう一つ枝を登れ」
しばらくたつとまた声が聞えて、七本目の枝へ着いたと知らせた。
「さあ、ジャップ」とルグランは、明らかに非常に興奮して、叫んだ。「その枝をできるだけ先の方まで行ってくれ。なにか変ったものがあったら、知らせるんだぞ」
このころには、哀れな友の発狂について私のいだいていたかすかな疑いも、とうとうまったくなくなってしまった。彼は気がふれているのだと断定するよりほかなかった。そして彼を家へ連れもどすことについて、本気に気をもむようになった。どうしたらいちばんいいだろうかと思案しているうちに、ジュピターの声が聞えてきた。
「この枝をうんと先の方までゆくのは、おっかねえこっでがす。ずっと
「枯枝だと言うのかい? ジュピター」とルグランは震え声で叫んだ。
「ええ、旦那、枯れきってまさ、――たしかに
「こいつあいったい、どうしたらいいだろうなあ?」とルグランは、いかにも困りきったらしく、言った。
「どうするって!」と私は、口を出すきっかけができたのを喜びながら、言った。「うちへ帰って寝るのさ。さあさあ! ――そのほうが利口だ。遅くもなるし、それに、君はあの約束を覚えてるだろう」
「ジュピター」と彼は、私の言うことには少しも気をとめないで、どなった。「おれの言うことが聞えるか?」
「ええ、ウィル
「じゃあ、お前のナイフで木をよっくためして、ひどく腐ってるかどうか見ろ」
「腐ってますだ、旦那、やっぱし」としばらくたってから黒人が答えた。「だけど、そんなにひどく腐ってもいねえ。わっしだけなら、枝のもう少し先まで行けそうでがすよ、きっと」
「お前だけならって! そりゃあどういうことなんだ?」
「なあに、虫のこっでがすよ。とっても重てえ虫でさ。こいつを先に落せば、黒んぼ一人ぐれえの重さだけにゃあ、枝は折れますめえ」
「このいまいましい
「聞えますだ、旦那。かわいそうな黒んぼにそんなふうにどならなくてもようがすよ」
「よしよし! じゃあよく聞け! ――もしお前が、その甲虫を放さないで、危なくないと思うところまでその枝をずっと先の方へ行くなら、降りて来たらすぐ、一ドル銀貨をくれてやるぞ」