彼はひどく不機嫌に紙を受け取り、火のなかへ投げこむつもりらしく、それを皺くちゃにしようとしたが、そのときふと図をちらりと見ると、とつぜんそれに注意をひきつけられたようであった。たちまち彼の顔は真っ赤になり、――それから真っ蒼になった。数分間、彼は坐ったままその図を詳しく調べつづけていた。とうとう立ち上がると、テーブルから蝋燭を取って、部屋のいちばん遠い隅っこにある船乗りの衣類箱のところへ行って腰をかけた。そこでまた、紙をあらゆる方向にひっくり返してしきりに調べた。だが彼は一ことも口をきかなかった。そして彼の挙動は大いに私をびっくりさせた。それでも、私はなにか口を出したりしてだんだんひどくなってくる彼の気むずかしさをつのらせないほうがよいと考えた。やがて彼は上衣のポケットから紙入れを取り出して、例の紙をそのなかへ丁寧にしまいこみ、それを書机のなかに入れて、錠をかけた。彼の態度は今度はだんだん落ちついてきた。が最初の熱中しているような様子はまったくなくなっていた。それでも、むっつりしているというよりも、むしろ茫然としているようだった。夜が更けるにしたがって彼はますます空想に夢中になってゆき、私がどんな洒落を言ってもそれから覚ますことができなかった。私は前にたびたびそこに泊ったことがあるので、その夜も小屋に泊るつもりだったが、なにしろ主がこんな機嫌なので、帰ったほうがいいと思った。彼は強いて泊って行けとは言わなかったが、別れるときには、いつもよりももっと心をこめて私の手を握った。 それから一カ月ばかりもたったころ(そのあいだ私はルグランにちっとも会わなかった)、彼の下男のジュピターが私をチャールストンに訪ねて来た。私は、この善良な年寄りの黒人がこんなにしょげているのを、それまでに見たことがなかった。で、なにかたいへんな災難が友の身に振りかかったのではなかろうかと気づかった。 「おい、ジャップ」と私が言った。「どうしたんだい? ――旦那はどうかね?」 「へえ、ほんとのことを申しますと、旦那さま、うちの旦那はあんまりよくねえんでがす」 「よくない! それはほんとに困ったことだ。どこが悪いと言っているのかね?」 「それ、そこがですよ! どこも悪いと言っていらっしゃらねえだが、――それがてえへん病気なんでがす」 「たいへん病気だって! ジュピター。――なぜお前はすぐそう言わないんだ? 床に寝ているのかい?」 「いいや、そうでねえ! ――どこにも寝ていねえんで、――そこが困ったこっで、――わっしは可哀えそうなウィル旦那のことで胸がいっぺえになるんでがす」 「ジュピター、もっとわかるように言ってもらいたいものだな。お前は旦那が病気だと言う。旦那はどこが悪いのかお前に話さないのか?」 「へえ、旦那さま、あんなこっで気が違うてなぁ割に合わねえこっでがすよ。――ウィル旦那はなんともねえって言ってるが、――そんならなんだって、頭を下げて、肩をつっ立って、幽霊みてえに真っ蒼になって、こんな格好をして歩きまわるだかね? それにまた、しょっちゅう計算してるんで――」 「なにをしているって? ジュピター」 「石盤に数字を書いて計算してるんでがす、――わっしのいままで見たことのねえ変てこな数字でさ。ほんとに、わっしはおっかなくなってきましただ。旦那のすることにゃあしっかり眼を配ってなけりゃなんねえ。こねえだも、夜の明けねえうちにわっしをまいて、その日一日いねえんでがす。わっしは、旦那が帰って来たらしたたかぶん殴ってくれようと思って、でっけえ棒をこせえときました。――だけど、わっしは馬鹿で、どうしてもそんな元気が出ねえんでがす。――旦那があんまり可哀えそうな様子をしてるで」 「え? ――なんだって? ――うん、そうか! ――まあまあ、そんなかわいそうな者にはあんまり手荒なことをしないほうがいいと思うな。――折檻したりなんぞしなさんな、ジュピター。――そんなことをされたら旦那はとてもたまるまいからね。――だが、どうしてそんな病気に、というよりそんな変なことをするように、なったのか、お前にはなにも思い当らないのかね? この前僕がお前んとこへ行ってからのち、なにか面白くないことでもあったのかい?」 「いいや、旦那さま、あれからあとにゃあなんにも面白くねえことってごぜえません。――そりゃああれより前のこったとわっしは思うんでがす。――あんたさまがいらっしゃったあの日のことで」 「どうして? なんのことだい?」 「なあに、旦那さま、あの虫のこっでがすよ、――それ」 「あの何だって?」 「あの虫で。――きっと、ウィル旦那はあの黄金虫に頭のどっかを咬まれたんでがす」 「と思うような理由があるのかね? ジュピター」 「爪も、口もありんでがすよ、旦那さま。わっしはあんないまいましい虫あ見たことがねえ。――そばへ来るもんはなんでもみんな蹴ったり咬みついたりするんでさ。ウィル旦那が初めにつかまえただが、すぐにまたおっ放さなけりゃなんなかっただ。――そんときに咬まれたにちげえねえ。わっしは自分じゃああの虫の口の格好が気に食わねえんで、指では持ちたくねえと思って、めっけた紙っきれでつかまえましただ。紙に包んでしまって、その紙っきれの端をそいつの口に押しこんでやりましただ、――そんなぐあいにやったんでがす」 「じゃあ、お前は旦那がほんとうにその甲虫に咬まれて、それで病気になったのだと思うんだな?」 「そう思うんじゃごぜえません、――そうと知ってるんでがす。あの黄金虫に咬まれたんでなけりゃあ、どうしてあんなにしょっちゅう黄金の夢をみてるもんかね? わっしは前にもあんな黄金虫の話を聞いたことがありますだ」 「しかし、どうして旦那が黄金の夢をみているということがお前にわかるかね?」 「どうしてわかるって? そりゃあ、寝言にまでそのことを言ってなさるからでさ、――それでわかるんでがす」 「なるほど、ジャップ。たぶんお前の言うとおりかもしれん。だが、きょうお前がここへご入来になったのは、どんなご用なのかな?」 「なんでごぜえます? 旦那さま」 「お前はルグラン君からなにか伝言を言いつかってきたのかい?」 「いいや、旦那さま、この手紙を持ってめえりましただ」と言ってジュピターは次のような一通の手紙を私に渡した。
「拝啓。どうして君はこんなに長く訪ねに来てくれないのか? 僕のちょっとした無愛想などに腹を立てるような馬鹿な君ではないと思う。いや、そんなことはあるはずがない。 この前君に会ってから、僕には大きな心配事ができている。君に話したいことがあるのだが、それをどんなぐあいに話していいか、あるいはまた話すべきかどうかも、わかり兼ねるのだ。 僕はこの数日来あまりぐあいがよくなかったが、ジャップめは好意のおせっかいからまるで耐えがたいくらいに僕を悩ませる。君は信じてくれるだろうか? ――彼は先日、大きな棒を用意して、そいつで、僕が彼をまいて一人で本土の山中にその日を過したのを懲らそうとするのだ。僕が病気のような顔つきをしていたばかりにその折檻をまぬかれたのだと、僕はほんとうに信じている。 この前お目にかかって以来、僕の標本棚にはなんら加うるところがない。 もしなんとかご都合がついたら、ジュピターと同道にて来てくれたまえ。ぜひ来てくれたまえ。重大な用件について、今晩お目にかかりたい。もっとも重大な用件であることを断言する。
敬具
ウィリアム・ルグラン」
この手紙の調子にはどこか私に非常な不安を与えるものがあった。全体の書きぶりがいつものルグランのとはよほど違っている。いったい彼はなにを夢想しているのだろう? どんな変な考えが新たに彼の興奮しやすい頭にとっついたのだろう? どんな「もっとも重大な用件」を彼が処理しなければならんというのだろう? ジュピターの話の様子ではどうもあまりいいことではなさそうだ。私はたび重なる不運のためにとうとう彼がまったく気が狂ったのではなかろうかと恐れた。だから、一刻もぐずぐずしないで、その黒人と同行する用意をした。 波止場へ着くと、一梃の大鎌と三梃の鋤とが我々の乗って行こうとするボートの底に置いてあるのに気がついた。どれもみな見たところ新しい。 「これはみんなどうしたんだい? ジャップ」と私は尋ねた。 「うちの旦那の鎌と鋤でがす、旦那さま」 「そりゃあそうだろう。が、どうしてここにあるんだね?」 「ウィル旦那がこの鎌と鋤を町へ行って買って来いってきかねえんでがす。眼の玉がとび出るほどお金を取られましただ」 「しかし、いったいぜんたい、お前のところの『ウィル旦那』は鎌や鋤なんぞをどうしようというのかね?」 「そりゃあわっしにゃあわからねえこっでさ。また、うちの旦那にだってやっぱしわかりっこねえにちげえねえ。だけど、なんもかもみんなあの虫のせえでがすよ」 ジュピターは「あの虫」にすっかり自分の心を奪われているようなので、彼にはなにをきいても満足な答えを得られるはずがないということを知って、私はそれからボートに乗りこみ、出帆した。強い順風をうけて間もなくモールトリー要塞の北の小さい入江に入り、そこから二マイルほど歩くと小屋に着いた。着いたのは午後の三時ごろだった。ルグランは待ちこがれていた。彼は私の手を神経質な熱誠をこめてつかんだので、私はびっくりし、またすでにいだいていたあの疑念を強くした。彼の顔色はもの凄いくらいにまで蒼白く、深くくぼんだ眼はただならぬ光で輝いていた。彼の健康について二こと三こと尋ねてから、私は、なにを言っていいかわからなかったので、G――中尉からもう例の甲虫を返してもらったかどうかと尋ねた。
|