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栗の花の咲くころ(くりのはなのさくころ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-6 9:23:02  点击:  切换到繁體中文


     二

 嘉三郎は手紙を読みながら、咽喉のどをごくりごくりと鳴らして、何度も唾をみ下した。そのうちに両手がわなわなとふるえ出して来た。そして彼の眼頭めがしらには、ちかちかと涙さえ光って来た。
「郵便が来たんじゃねえかね?」
 松代がそう言いながらそこへ出て来た。
「美津の畜生め!」
 嘉三郎は突然そう怒鳴って、手にしていた手紙を滅茶滅茶めちゃめちゃに引き裂いた。
「何をするんだね? おとっさんは! それで美津は、どこにいるんだね?」
「美津の畜生め? 俺の顔に泥を塗りやがって、いくらなんでも鼻の先にいべえとあ思わなかった。」
「美津はどこにいるんだね?」
「忠太郎の野郎と一緒に高清水たかしみずにいやがるで、忠太の恩知らず野郎め! 泥足で俺の顔を踏みつけやがって。」
「忠太郎と一緒にいるのかね? 最初からそんなような気がしていたよ。忠太郎ならいいじゃねえかね?」
「馬鹿!」
 嘉三郎はまたそう怒鳴った。そして髭を剃るのをやめて、黙々もくもくと、炉端ろばたへ行って坐った。松代は怖々おずおずと、炉端へ寄って行った。そしてお互いにしばらくっと黙っていた。嘉三郎は眼を伏せるようにして、溜め息をつきながら炉の上に屈み込んでいたが、灰の上にぽとりと涙が落ちた。嘉三郎は、涙をそっと押し隠すようにしながら静かに顔を上げた。
「松! 着物を出せ!」
 嘉三郎は厳粛げんしゅくな調子で言って、固く唇を結んだ。
「着物をね? 忠太郎と一緒なら、行かねえで、構わねえで置いたらいいじゃねえかね。美津が好きで一緒になっているものなら。」
「投げて置けるか? 早く着物を出せ! 畜生共め!」
「好きで一緒になって、どうやら暮らしているのなら、構わねえで置けばいいものを……」
 松代はそう独り言のようにつぶやきながら着物を出して来た。
「暮らしがつかねえでるのだ。忠太は何も仕事がねえのに、美津は美津で、病気をして寝てるってんだ。畜生共め!いっそのこと死んでしめえばいいんだ。俺の顔さ泥を塗りやがって。」
 嘉三郎はそう言ってもう一度そこへ坐った。
「そんなに困ってるどこさ、空手からてで行ったって、仕方があんめえがね。金を都合して行くとか……」
「なんで金など?」
 嘉三郎は追いかぶせるように言って、またぐっと口をつぐんだ。再び重い沈黙が割り込んで来た。そして嘉三郎は暫くしてから、松代をぐっとにらみつけるようにして言った。
「松! 兼元かねもとを出してう。かたなをさ。」
「刀をね? 刀なんか何するんだね? お父さんは!」
「畜生どもめ! 叩き切ってやる。先祖の面を汚しやがって。」
「何を言うんだね? お父さんは! 狂人きちがいのようなことを言ったりして……」
「なんでもいいから早く出して来う。俺家おらがうちは、代々だいだい駆落者かけおちものなんか出したことのねえ家だ。犬共め!」
「それはそうかも知んねえが、代々、こんなに零落おちぶれたこともあんめえから。」
「出して来ねえのか? そんなら自分で出して来るからいいで。貴様きさままで精神こころが腐りやがった。」
 嘉三郎は叫ぶように言って座敷へ這入はいって行った。
「お父さんてば!」
 松代は泣きそうにして嘉三郎の手にすがった。併し嘉三郎は、ぐんぐんと箪笥たんすの前へ寄って行ってしを開けた。同時に、どこから飛び出して来たのか、次女の嘉津子かつこも父親の腕に縋った。
「お父さん! お父さんたら! お父さん!」
 併し、嘉三郎は、左手に刀を握りながら、右手でぐっと、松代と嘉津子とを払い除けた。
「男のすることにあ、例えどんなことにもしろ、女どもが口出しをするもんじゃねえ。」
 嘉三郎は二人をにらみつけるようにして言った。その眼はぎらぎらと涙で濡れていた。頬にまで涙は流れて来ていた。
「嘉津! お前もよく覚えて置けよ。」
 父親の嘉三郎はそう言って出て行った。松代は、なさそうに、嘉津子の頭を自分の胸へぐっとかかえた。嘉津子は母親の胸の中で静かに歔欷すすりなきを始めた。
「殺すようなことまでしねえよ。おどすだけさ。お父さんの気持ちになれば無理のねえことだし……」
 松代は漸くそれだけを言った。

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