二
嘉三郎は手紙を読みながら、咽喉をごくりごくりと鳴らして、何度も唾を嚥み下した。そのうちに両手がわなわなと顫え出して来た。そして彼の眼頭には、ちかちかと涙さえ光って来た。
「郵便が来たんじゃねえかね?」
松代がそう言いながらそこへ出て来た。
「美津の畜生め!」
嘉三郎は突然そう怒鳴って、手にしていた手紙を滅茶滅茶に引き裂いた。
「何をするんだね? お父さんは! それで美津は、どこにいるんだね?」
「美津の畜生め? 俺の顔に泥を塗りやがって、いくらなんでも鼻の先にいべえとあ思わなかった。」
「美津はどこにいるんだね?」
「忠太郎の野郎と一緒に高清水にいやがるで、忠太の恩知らず野郎め! 泥足で俺の顔を踏みつけやがって。」
「忠太郎と一緒にいるのかね? 最初からそんなような気がしていたよ。忠太郎ならいいじゃねえかね?」
「馬鹿!」
嘉三郎はまたそう怒鳴った。そして髭を剃るのをやめて、黙々と、炉端へ行って坐った。松代は怖々と、炉端へ寄って行った。そしてお互いにしばらく凝っと黙っていた。嘉三郎は眼を伏せるようにして、溜め息をつきながら炉の上に屈み込んでいたが、灰の上にぽとりと涙が落ちた。嘉三郎は、涙をそっと押し隠すようにしながら静かに顔を上げた。
「松! 着物を出せ!」
嘉三郎は厳粛な調子で言って、固く唇を結んだ。
「着物をね? 忠太郎と一緒なら、行かねえで、構わねえで置いたらいいじゃねえかね。美津が好きで一緒になっているものなら。」
「投げて置けるか? 早く着物を出せ! 畜生共め!」
「好きで一緒になって、どうやら暮らしているのなら、構わねえで置けばいいものを……」
松代はそう独り言のように呟きながら着物を出して来た。
「暮らしがつかねえでるのだ。忠太は何も仕事がねえのに、美津は美津で、病気をして寝てるってんだ。畜生共め!いっそのこと死んでしめえばいいんだ。俺の顔さ泥を塗りやがって。」
嘉三郎はそう言ってもう一度そこへ坐った。
「そんなに困ってるどこさ、空手で行ったって、仕方があんめえがね。金を都合して行くとか……」
「なんで金など?」
嘉三郎は追い被せるように言って、またぐっと口を噤んだ。再び重い沈黙が割り込んで来た。そして嘉三郎は暫くしてから、松代をぐっと睨みつけるようにして言った。
「松! 兼元を出して来う。刀をさ。」
「刀をね? 刀なんか何するんだね? お父さんは!」
「畜生どもめ! 叩き切ってやる。先祖の面を汚しやがって。」
「何を言うんだね? お父さんは! 狂人のようなことを言ったりして……」
「なんでもいいから早く出して来う。俺家は、代々、駆落者なんか出したことのねえ家だ。犬共め!」
「それはそうかも知んねえが、代々、こんなに零落れたこともあんめえから。」
「出して来ねえのか? そんなら自分で出して来るからいいで。貴様まで精神が腐りやがった。」
嘉三郎は叫ぶように言って座敷へ這入って行った。
「お父さんてば!」
松代は泣きそうにして嘉三郎の手に縋った。併し嘉三郎は、ぐんぐんと箪笥の前へ寄って行って曳き出しを開けた。同時に、どこから飛び出して来たのか、次女の嘉津子も父親の腕に縋った。
「お父さん! お父さんたら! お父さん!」
併し、嘉三郎は、左手に刀を握りながら、右手でぐっと、松代と嘉津子とを払い除けた。
「男のすることにあ、例えどんなことにもしろ、女どもが口出しをするもんじゃねえ。」
嘉三郎は二人を睨みつけるようにして言った。その眼はぎらぎらと涙で濡れていた。頬にまで涙は流れて来ていた。
「嘉津! お前もよく覚えて置けよ。」
父親の嘉三郎はそう言って出て行った。松代は、遣る瀬なさそうに、嘉津子の頭を自分の胸へぐっと抱えた。嘉津子は母親の胸の中で静かに歔欷を始めた。
「殺すようなことまでしねえよ。威すだけさ。お父さんの気持ちになれば無理のねえことだし……」
松代は漸くそれだけを言った。
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