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栗の花の咲くころ(くりのはなのさくころ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-9-6 9:23:02  点击:  切换到繁體中文

底本: 佐左木俊郎選集
出版社: 英宝社
初版発行日: 1984(昭和59)年4月14日

 

   一

 暗欝あんうつな空が低く垂れていて家の中はどことなく薄暗かった。父親の嘉三郎かさぶろうは鏡と剃刀かみそりとをもって縁側えんがわへ出て行った。併し、縁側にも、暗い空の影が動いていて、植え込みの緑が板敷いたじきの上一面に溶けているのであった。
「それでも幾らか縁側の方がよさそうだで。」
 嘉三郎はそう呟くように言いながら、板敷へかに尻をえて、すぐ頬の無精髭ぶしょうひげを剃りにかかった。
「おとっさん! ついでに、鼻の下の方も、剃ってしまいなせえよ。」
 障子しょうじの中から母親の松代がそう声をかけた。
「余計な口出しをするな!」
 嘉三郎は怒鳴るようにして言い返した。
「余計なことであるもんですかよ。いくら髭に税金がかからねえからって、何も、世間の物笑いにまでされて……」
「笑いたい奴には笑わして置けばいいじゃねえか。俺には俺の考えがあるんだ。俺の気持ちが部落の奴等になどわかるもんか。」
「お父さんがその気だから、美津みつなんかだって、家にいられねえんだよね。そりゃあ、美津は、お嬢さんで育ったかも知んねえけど、今は現在いまなんだから、どこへだって嫁にやってしまいばよかったんですよ。それを、お父さんたら、昔のことばかり言って、美津や嘉津が(お嬢さんお嬢さんて!)言われていた時の気で髭ばかりひねっているもんだから、結局、誰ももらい手が無くなってしまったんでねえかね。」
「馬鹿っ! 貧乏はしても嘉三郎だぞ! そこえらの水呑みずのみ百姓と縁組えんぐみが出来ると思うのか! 痩せても枯れても庄屋の家だぞ。考えても見ろ! 何百人という人間を髭をひねり稔りあごで使って来てる大請負師おおうけおいしだぞ。何は無くっても家柄いえがらってものだけは残っているんだ。」
「家柄家柄って、昔のことなど、幾ら言って見ても何になるべね。俊三郎しゅんざぶろうなんかも、家柄のために、なんぼ苦労しているだか。自分じゃあ気楽に百姓していたがるものを、お父さんが(俺家おらがうちせがれも東京へ勉強に出ていますがな!)って言って髭を稔っていてえばかりに、銭の一文も送れねえのに無理に苦学になど出してやって……」
 松代はそう涙声になりながら続けた。
「馬鹿! 俊や美津のことなど言うなっ! 黙っていろ!」
 嘉三郎は又そう怒鳴った。それで二人の間の争いはぷっつりと消えた。重い沈黙がそしてひろがって来た。
 そこへ庭から郵便配達が這入はいって来て、嘉三郎の膝のところへ、一通の封書をぽんと投げて行った。嘉三郎は髭を剃るのをやめて封書を取り上げた。そして、嘉三郎は、驚異の眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはりながら、大急ぎで封を切った。

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